第22話 覚醒

 小さな乗客を詰め込んだ飛行機は、不意にがくん、とその身体を揺らした。

 中では悲鳴が交錯したが、一分もすると態勢を立て直した。

 乗客たちはこのハプニングすら話題に変えて、空の旅を再び満喫し始める。

 眼下にはミクロネシアの島々が広がり、何事もなかったかのように機体は北上を続ける。

 大小様々な島の中、大きめの岩礁にしか見えない、しかし確かにある楽園がレーダーに写り始めた。

 音速を超える速度で飛ぶ飛行機は、魔法使いの島を気づかずに針路上に乗せる。




「アルス・イム・マイラス。アルス・イム・マイラス……」


 シェリエが言葉を紡ぐにつれ、強大な量の魔力が先端へと集まる。

 本物の魔法使いが、その存在を見せつけるかのように、高らかに叫ぶ。


「悪意よ! 沈黙せよ!」


 白い光が破邪の意志を与えられ、ヴァイスへと襲いかかる。赤い光はしかし、放たれない。

 放たれないまま、魔動機が発動する。それは吸い込むように、白い光を魔動機へと誘導する。

 そこで、シェリエは信じられない物を見た。

 白い光が赤い光を纏った魔動機に吸い込まれ、そして背中側に空いていたらしい、もう一つの開放口から、なすすべもなく拡散していった。


「そんな……!」

「驚くほどのことではない。魔力は粒子と言われていると、学校で習っているだろう」


 言いながらも、ヴァイスは愉悦をたっぷりと含ませた笑みを浮かべた。


「粒子であるとされる理由はいくつかある。そのうちの一つは、魔力が収束、拡散する性質を持つということだ」


 ならば、通常の魔動機とは逆の発想、魔動機を通して増幅、収束させるのではなく、魔動機を通して減衰、拡散させてしまえばいい、とヴァイスはまるで講義をするかのように簡潔に締めくくった。

 そのわかりやすい説明に、シェリエは呻きを上げる。

 再び蝕もうとする無力感から救い出すかのように、アイナが声を張り上げた。


「惑わされないで! アンチマジックの魔動機はまだまだ開発段階よ! あんたの全力ならきっと、オーバーフローさせられる!」


 その言葉に、シェリエが再びヴァイスを睨みつけた。瞳にはまだ力がある。

 大きな身振りを交え、その力を解放する呪文を唱え始める。自らの操る、最強の力。


「エルス・エト・ファビラム、エルス・エト・ファビラム……」


 白い光は箒へと集まる。先ほどの魔法よりも大きく、強く。

 しかしそれでも、ヴァイスは動じない。冷めた感情を瞳に浮かべて、告げる。


「時間をかけ過ぎだ」


 言葉とともに、パン、と音が響き――

 次の瞬間には、シェリエの言葉は途切れ、掌には穴が開いていた。

 ミュート家を象徴する箒が、血とともに地面に落ちた。


「あ……」


 力ない言葉が、シェリエの口から零れる。嘲りとともに、ヴァイスが告げる。


「殺しはしない。眠っていろ」


 そして、ヴァイスの右肩にある魔動機が再び耳触りな音を立て、赤い光を放つ。


「このおおおお!」


 アイナが全力を込めた黒い光は、容易く弾き飛ばされる。

 赤い光が容赦なくシェリエを吹き飛ばす。


「げほっ……!」

 



 それは、ただの偶然であった。それでも慰霊碑は、シェリエが吹き飛ばされた方向にあった。

 少女は慰霊碑に叩きつけられ、意識をかろうじてつなぎとめながらも、ずるり、と崩れおちる。

一〇年の月日が弱らせていた慰霊碑は、もともと大して強くもない材質であったこともあり、わずかにヒビが入った。

 それを、彼は見た。

 自らの頭を踏みにじる男が、大切な友人を吹き飛ばして、両親と妹の眠るそれを傷つけた。

 ――心の中で一度火種となりくすぶっていたそれが、パチンとはじけた。

 はじけて、混ざり、積もっていたモノを燃料に、激しく燃え上がる。

 時間は、必要なかった。必要なのは、きっかけだけ。

 言葉にするには生温い怒りが、彼を包み――

 すべてを噛み合わせる。油を差されたように、歯車がかみ合い、動き出す。

 動き出すシステムの名は、魔法。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!」


 それは翔の口から発せられた雄叫びとともに動き出す。

 まずドン、という大きな音が響き、頭を踏んでいたヴァイスを、身体ごと宙へ浮かせる。

 そのまま上空へと登った白い光は、太陽から降り注いでいるかと錯覚するような光の雫となって、ヴァイスの身体を空中で躍らせた。


「がっ……!」


 あまりの衝撃に口から血を洩らして倒れるヴァイスを無視して、続けて翔は白い光を弾丸のようにシェリエへと放った。

 それは掌に空いた穴に吸い込まれるようにして、塞いでいく。

 痛みすら消えたその傷を、信じられない様子でシェリエが見つめ、呆然と呟く。


「嘘……」


 それにもさも当然のように反応せず、翔はただ、低い声を洩らした。


「許さない」


 それは、倒れ伏すヴァイスにとっては、死刑宣告にも等しい一言だった。

 言葉に反応して素早く地面を転がり、連続して発砲するヴァイスの表情からは先ほどまでの余裕が消えていた。

 それを証明するように、白い光は一瞬で翔を包み、弾丸を弾き飛ばす。


「化け物め!」


 罵るヴァイスは即座に行動した。左肩のアンチマジックの魔動機を発動する。

 その魔動機は、研究者であるヴァイスの自信作だった。

 魔力粒子論を前提に、水を電気分解して分子にするかのように、収束し、指向性を持たせた魔力を魔動機を通して分解する。

 発想そのものは昔からあった。そういった種類の魔法は確かに存在したから。

 それでも実用には程遠いそれを完成させたのは自分のみという自負が、彼にはあった。

 何度も実験を繰り返し、効果の実証もしていた。

 今日、名高いミュート家の魔力を無力化することにも成功した。

 今、この無尽蔵の魔力を持つとすら思える怪物、日高翔の魔法を拡散している。

 魔動機の前部、吸入口には白い魔力が絶えず吸い込まれ、わずかに遅れて後部排出口から拡散して放出されていく。

 ヴァイスの魔法使いとしての、研究者としてのプライドが、その結果に満足した。


「無駄だ!」


 だからヴァイスの口から出た言葉は、降伏を促すための、傲慢な言葉。

 プロとしての彼は、このまま日高翔を撃ち殺すことを囁いている。

 それを無視して、彼は自らの優位を信じ、そして研究材料を惜しんで続けた。


「降伏しろ。そうすれば、友人は死なずに済む」


 その言葉を、翔は冷めた表情で迎えた。フレームレスの眼鏡の奥の瞳が、半ば虚ろにヴァイスを捉える。

 瞬間、一際強く白い光が溢れ、ヴァイスの魔動機に吸い込まれる。 

 魔動機を覆う赤い光が白く染まり、ボン、と音を立てて破裂するのは一瞬だった。


「がああああ!」


 砕け散った破片が肩に突き刺さり、ヴァイスが叫びとともに地面に膝を着く。

 翔はそれを追うように、ゆっくりと視線を下ろし、見下しながら告げた。


「殺す」

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