第23話 日高翔

 その言葉は、アイナの知っている少年にはあまりにも不似合いなものだった。

 アイナが知っている日高翔という少年は、事故で心に傷を負いながらも、誰かを傷つけるという発想につながらない、とても優しく、そしてそれ故に孤独な少年だった。

 今の翔は正気には見えない。

 もしかしたら翔自身、自分が何をして、何を話しているのかわかっていないのかもしれない。あまりにも成長してから魔法の才能が開花したために、予期しない、考えられないことが起きている可能性は十分ある。

 そこまで考えて、翔を止めるためにアイナは走った。

 常に冷静なアイナには珍しく、どうやって止めるのか、という方法は浮かんでいない。

 ただ、止めなくてはという思いだけが少女を動かしている。

 決してヴァイスのためではない。

 ヴァイスが死のうが生きようが、アイナには知ったことではなかった。

 だが、正気を取り戻した翔は必ず後悔する。

 自分の魔法で人を殺したという事実は、翔をまた、傷つける。

 なぜなら翔は、アイナのような黒い魔法使いではなく、シェリエのような白い魔法使いだから。


 ――彼は優しくて、また傷つくことになる。


 そうはさせない。させるわけにはいかない。

 翔を傷つけないために、彼を少しでも癒し、助けるために――

 翔を止めなくてはいけない。

 目的のためには何を犠牲にすることも厭わない、黒い魔女らしく、アイナ=フォルゲインは――

 翔を傷つけないという目的のために、自分の身体を投げ出して射線上に割り込んだ。


「やめなさい! 翔!」


 その声に揺さぶられたように、翔の瞳の焦点が合う。

膨張した白い光を放つ寸前で、翔は眼前の少女の名を呼んだ。


「アイナ?」


 それでも、白い光は放たれた。

 地面に膝をつきながらも翔を睨みつける、ヴァイス=ヒルクライムへ。

 そしてその間に飛び込んだ、大切な幼馴染へと。




 その瞬間が、日高翔という魔法使いが完成した瞬間だった。

 翔自身の、しかし制御を離れた魔力の塊を、追いかけるように意識を凝らす。

 一瞬にも満たないコンマ以下の世界で、翔ははっきりと意識する。

 本能などという曖昧な物には頼れない。それすらも自覚しながら、時の止まった世界で翔は手早く、魔法のプロセスを踏む。

 魔力を体内から呼び覚ます。粒子か何かすら分からないそれを掴み取るようにして、中から外へと向ける。

 外へ出た白い力を、まとめあげ、一つのものとして発動する。

 自分ではない、誰かを――アイナを守るための力として、日高翔は正しく魔法を展開した。

 その力は狙いをあやまたず、まず同じ光でありながら先に放たれた光に追いついて、飲み込み打ち消した。

 そのまま消えずに、アイナの周囲を覆うように展開し続ける。

 魔法使いなら誰にでもわかる。それにどれほどの魔力が必要なのか。

 ヴァイスは肩の痛みを忘れたように、呆然とその光景を見つめた。

 立ち上がったシェリエもまた、箒を拾うことすら忘れて、立ち尽くす。

 そして、日高翔の魔法に囲まれ、護られるアイナは――

 嬉しそうに、心地よさそうに、そっと眼を閉じた。




 ヴァイスは完璧に敗北を認めていた。

 もはやどうしようもない。あれだけの魔力に、アイナを守護するだけの繊細な魔法技術。アンチマジックの魔動機もつぶれた今、ヴァイスに翔を制するだけの力は残っていなかった。

 ただ、厳しい視線をこちらに向けてくる翔から、いかに逃げのびるか。それだけが現在の彼の課題だった。

 まったく、なんという化け物か。もはやミュート家など問題ではない。本物の魔法使いはまさしく彼のことを指す言葉となるだろう。

 プランAは完全に崩壊した。

 しかし、プランBは――何回かの急降下、急上昇などの強烈なストレスを子供たちに与える実験は――まだ生きている。

 犠牲者が出ないはずのプランB。できればリスクの少ないこのプランを、いじりたくはなかった。

 それでも今は、自らが無事に脱出することだけを考えなければならない。

 ヴァイスは証拠隠滅のために用意していた保険を、ポケットの中でぐいっ、と押し込んだ。



 それは電波となって、遥か上空の飛行機へと送られる。

 まずは確実に受信するために操縦席の無線へ。

 それから、両翼に配置された装置へ。

 飛行機の乗客はもちろん、関係者も存在を知らない二つの装置は、きちんと電波を受信して、その役割を果たすために起動する。




 青い空の向こう側で、ボン、と二つの爆弾が破裂した。

 空気を切り裂いて、機体は急速に下降を始める。

 その先にあるのは、岩山にしか見えない、魔法使いたちの楽園――マギス島。

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