第24話 空へ

 鍛えられているプロの口から、絶叫が漏れる。それを無表情に聞き流し、ヴァネッサは銃を構えた。

 だがそれよりも二人の男がヴァネッサに銃口を向ける方が早い。

 正確な狙いがヴァネッサを捉え――

 正確な狙いゆえに、弾丸は外れた。

 再び視界を薄く覆う、黒い光によって。


「ちっ!」


 男たちが舌打ちし、背中を合わせるようにして周囲を警戒する。

 その固まった二人に、紫の光が襲いかかる。


「はあああああああああっ!」


 命を振り絞るような声を上げ、カテリナが力を振るう、しかしその気合のせいで、わずかに男たちが動く時間を与えてしまった

 浅い。カテリナが舌打ちする。男が銃を構える。

 狙いはカテリナの姿がある場所からわずかにずれた、剣の根元。

 それを阻むのは、魔法ではない。

 それを阻むのは、カテリナが培った、戦う者としての動き。


「おおおおおおおおおっ!」


 ぐるん、とその場で回転し、横薙ぎに紫光の剣を振るう。

 男たちは破邪の力に耐えきれず、その場に膝をついた。

 そこを、ヴァネッサが見逃すはずもない。乾いた銃声が二回響いて、男たちは脱力して倒れ伏す。


「戦える魔法使いを、なめるんじゃないわ」


 息も荒く、血を流しながら、それでも黒い魔女は嘯いた。




 全員が確実に意識を失っていることを確認し、縛り上げてから、ヴァネッサとカテリナは地面に座り込んだ。


「……参ったわね」

「ええ。思っていたよりも時間がかかってしまいました。それに、私たちは戦える状態ではありません」


 呟くカテリナに、ヴァネッサが同意する。

 勝利の余韻もわずか、二人して深刻な表情を浮かべた。


「結局、シェリエ頼みね」


 強力な魔力を持つ、未熟な魔法使いの姿が脳裏に浮かぶ。

 不安はあるが、それでも託すしかない。二人はそう考えて、何気なく空を見上げた。

 翔達のいる慰霊碑がある、南の空を。

 そして、異変に気づく。

 何かが、やってきている。

 初め小さく、次第に大きく、南の空に姿を表していくそれは、一艇の飛行機だった。

 明らかに制御を失った動きで、ぐんぐんとマギス島に向かって加速してくる。


「何よ! あれ!」


 まるで一〇年前の再現のようなその光景に、怒りをあらわにしてカテリナが叫んだ。


「プランBワースト……まさか、本当にやるとはね」


 ヴァネッサが顔を蒼白にして、呟く。

 ヴァイスの建てたプランBは、翔の拉致に比べれば可愛い、いわばただの実験であった。

 中に乗せられている子供たちにとってはたまったものではないだろうが、それでも死者が出ないという一点において、それは誰からも容認されていた。

 しかし、ヴァネッサは気づいていた。

 あるいは、本当に墜落する可能性があることを。

 それでもまさか、本当に起こすとは思わなかった。あくまでも、保険のつもりだった。

 だが今となってはその保険にすがるしかない。


「頼んだわよ、我が妹」


 黒い魔女はもう一人の黒い魔女に、小さくエールを送り――

 そして、意識を失った。


「お疲れ」


 ヴァネッサにそう声をかけて、カテリナは逆に立ち上がる。

 傷つき痛む身体を引きずるように、ゆっくりと車に向かって歩いていく。


「翔……」


 うわごとのように家族の名前を口にして、普段の倍以上の時間をかけて、カテリナは運転席に身体を預けた。

 意外なほどスムーズに、静寂を打ち破るエンジン音が響き、そして遠ざかっていった。




 その場にいた全員が、同時にそれに気づいた。

 それほどに、その光景は異様で、そして注意を惹きつけるものであった。

 はじめ太陽を背にした、小さな黒い影であったそれは、次第に大きさを増していく。

 とりわけ、日高翔という少年には、それは特別な感情を否応なく引き起こすものだった。


「あ、ああああ……」


 翔はがくがくと震えながら、それを見つめた。

 ――飛行機が、落ちてくる光景を。

 十年前は中に乗っていた。そして今は外からそれを見ている。

 世界の残酷さを半ば以上本気で呪いたくなった翔の横を、高速で何かが通り抜ける。

 弾丸のようなスピードで、先ほどまでの争いなど、まるでなかったかのように。

 飛び出したのは、シェリエ=ミュートだった。

 同じように驚きと衝撃を受けたはずの少女は、翔とは違い、わずかも立ち止まらなかった。

 すぐさま箒に飛び乗り、今だ空高く、しかし確実に落下している飛行機へと向かっていく。

 それでも、翔は疑問に思う。

 いかなミュート家でも、落下する飛行機を止める手立てはあるのだろうか?


「ないわね」


 疑問は口に出ていたらしい。アイナが苦笑と共に、否定する。先程まで地面に置いていた、重そうなボストンバッグを肩にぶら下げて、翔のすぐ横に立つ。


「だからって、じっとしていられないのよ。シェリエはね」

「……」


 その言葉に翔は沈黙した。ただパニックを起こしかけただけの自分が、恥ずかしくなる。

 それでも、俯くことを懸命に堪えて、翔はしっかりと顔を上げ、飛行機を視界に収めた。


「僕も……」


 行かなくては。そう言いかけて、言葉は消える。

 空を飛ぶ魔法は、膨大な魔力と、繊細な技術が必要となる。

 シェリエですら、箒という媒介を使わなければ、空を飛べないように。

 手段を探して、焦る翔を見透かしたように、アイナが笑みを浮かべながら、魔動機を手渡してきた。

 大きなランドセル型をした、見たこともない魔動機を見つめ、翔は思わず尋ねた。


「これは……?」

「空を飛びたい、って言っていたでしょう」


 疑問の声を上げる翔に、アイナは真っ直ぐには答えず、ただ翔が呆然と受け取った魔動機をぐいぐいと押しつける。


「それが、翔の翼になるから」


そう言うと、アイナは翔から一歩、離れた。


「使い方は、わかるでしょう?」


 言われて、そのランドセルに似た魔動機を見る。

 空を飛ぶというからには、背負って発動させるのだろう。それはわかる。

 けれども、ついさっきようやく本当の意味で魔法を使えるようになったばかりで、空を飛ぶなどという高等な魔法が使えるのだろうか?

 なおも悩む翔に、アイナは声をかける。

 離れた位置から、優しく、そして厳しく。


「ねえ、翔。もう翔は飛べるよ。それだけの力がある」


 黒い魔女は、その優しさから、大切な人を抱き寄せずに、そっと背中を押す。


「今飛ばなくて、いつ飛ぶの?」


 その言葉に、翔は殴られたような衝撃を受けた。

 両手で抱える、魔動機をじっと見つめる。

 独特の光沢を放つ金属に、背負えるように肩ひもがしっかりとつけられている。

 翔は決意の表情を浮かべ、それをしっかりと背中に背負った。


「いい顔ね」


 アイナが一言だけ、翔を褒める。それに笑みを返して、翔は翼をくれた幼馴染に答えた。


「行くよ」


 翔の視線がアイナから外れ、空へと向けられる。

 その先にあるのは、今やその全容がはっきりとわかるほど大きくなった飛行機の姿。

 その今行くべき場所を見据え、背中にある魔動機に魔力を送り込む。

 異様な大きさの『炉』を備えたそれは、貪欲に翔の魔力を取り込み、そして指向性を与えて具現化する。

 ――空を飛ぶ。その願いを現実へと変える。

 地面へと吹きつけられる魔力の風が、推力となって翔の身体を浮かせた。

 そして、そのまま白い光を残像のようにたなびかせ、翔は空へと消えていく。


「行ってらっしゃい」


 アイナは満足気に、軽く手を振って翔を見送った。

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