第3話 カテリナ先生の課外授業

 教室に入った三人を出迎えたのは、クラスメイト達の冷ややかな視線だった。それにはもう慣れたもので、頓着せずに三人はそれぞれの席に着く。

 不自然に速く冷ややかな視線は霧消し、アイナとシェリエの机にはたちまちに人が集まる。

 だが、翔は一人のままだ。彼にとってはただの日常で、それを不快に感じることはない。そもそも、この状態は自分が招いているといえる。

 魔法を学び、使い、磨いていくためのこの学舎で魔法を使わないことを選んでいるのは、自分なのだから。

 もちろん、理由はある。

 ただその理由を他人に示す意味を、翔自身が感じていないために、何の説明もしていない。

 空気のように教室に存在感なく溶け込む、わずかな時間が過ぎ、次の授業を知らせるチャイムが鳴った。

 全員が席に着き、教師の到着を待つ。次の授業は基礎魔法理論。誰もが睡魔と戦いながらの一時間となることで有名だ。

 ガラリ、とドアを開けてグレーのパンツスーツに身を包んだ、妙齢の女性が入ってくる。講師のカテリナ=マクスウェル、彼氏いない歴一二年目に突入し、目下不倒記録を更新中。

 後半は誰でも知っているが、誰も触れてはいけない情報として生徒間では有名。

 そんな彼女は朝の挨拶を告げると、すぐに講義に入るのが常だが、今日は違った。


「さて、来月はみんなお待ちかねのダンスパーティーよ」


 そんな生徒達を喜ばせる言葉をまず投げかけ、


「けど、その前に期末考査が待ってるわ! 落第者はダンス当日に補習よ! あーっはっはっは!」


 そして奈落に突き落とす。

 このS属性のせいでいない歴を更新してしまうのでは? とまことしやかな噂も流れるが、なぜか流した人間は行方不明になるという都市伝説がある。


「では授業を始めます」


 恋愛絡み以外ではいたってまともなカテリナ教諭(三五歳、独身)は生徒がドン引きしたことになど頓着せず、何事もなかったかのように教科書を読み、重要部分を板書し始めた。

 今日の講義内容は、魔力とは何か、という魔法さえ使えればいい学生にとってはとても眠気を誘発する講義となっている。

 しかし、大半の学生と違って翔はこの基礎魔法理論が嫌いではなかった。自分の力の源を分析することは翔にとって必要な行為でもあり、好奇心を満たしてくれるものでもあった。

 これまでの講義の内容を、自らの脳内にまとめなおす。




 一言で表せば、魔力とは魔法を使うために必要な力である。逆に言えば、その力を魔力と定義している。この定義に疑問をはさむ意味はない。魔法使い達は魔力を感じ、そして自らの中に形として纏め上げる。纏め上げられた力は人が足を動かすように、車が前へと進むように、指向性を持って振るわれる。

 この指向性を持たせて解放する技術を、魔法技術と呼ぶ。

 この一連のプロセスは、しかしあまり重要視されない。

 何故か? 翔はその疑問に簡単に答えることができる。

 魔法使いは、それを細かく考えずとも魔法を使えるからだ。ちょうど、意識せずとも人が歩く方法を知っているように。自然、いかに振るうかに興味は集中する。

 だから、大半の魔法使いは考えない。自らが振るう力は、そもそも何なのか。

 魔力とは、どこから来るのか。


「魔力の正体はいまだはっきりとわかっていません」


 カテリナの説明は、否定から始まった。


「現在最も支持されている説は、魔力は粒子であるというものです」


 それも、電子のようなごくごく小さな粒子です、とカテリナは補足した。

 眼には見えず、それ自体がある程度のエネルギーを持つ。普通の人間には知覚できないほどの小さな、しかし確かなエネルギー。


「電子が配置を変えて様々な原子を形作るように、魔力を配置することで指向性が生まれます」


 言葉とともに、カテリナの指先に光が灯る。常夏のこの島では今更どうというほどの光量でもないが、たとえば密林の奥深くであれば、希望の光となるだろう。

 しかしそれは、すぐに霧散する。

 翔は嘆息したい気分になった。つまりはこれが、現代の魔法使いの実力なのだ。

 魔力を知覚できる。

 感覚的に指向性を持たせられる。

 その結果、魔法を発動できる。

 しかし――一度に扱える魔力の総量が、絶望的に小さい。

 だから、魔法使いは頼らざるを得ない。

 魔力を溜め込み、効率的に運用するための機械、魔動機に。




 クラス総勢四〇名のうち、二〇名強という壮絶な犠牲者を出して、基礎魔法理論の講義が終わった。クラスメイト達が次の魔法技術の講義への準備に余念がない中、翔はカテリナに声をかけられ、教室を後にした。


「カテリナ先生、僕は次の授業の準備があるんですけど」


 場所を変えましょう、と言って歩き始めたカテリナの背中に声をかける。


「それはわたしが欠席と伝えてあるわ。大丈夫、扱いは出席になるから」


 カツカツ、とパンプスの音を響かせながら、カテリナは振り向くこともなく答えた。その口調は、教室で講義をしているときよりも幾分柔らかく、砕けたものになっている。

 そのまま、職員室ではなく、カテリナの研究室の前まで歩き、ドアを開ける。


「入って」


 翔は軽く頷いて、慣れた様子で中に入った。

 大き目の窓に暗幕が引かれているため、中は暗い。床面も煉瓦を黒く染めているのが、入ってきたドアから差し込む光でわかる。

 バタン、と音を立ててカテリナがドアを閉めると、部屋は闇に包まれた。視界を奪われた翔のすぐそばをカテリナが通り過ぎ、少しして仄暗い明かりが灯った。部屋の中心にある魔動機が浮かび上がる。

 翔が思わず明かりの方向に視線をやると、髑髏の上に乗せられた蝋燭があった。

 髑髏の保存状態もよく、見事な逸品だが、以前訪れたときはなかったものだ。


「先生……また衝動買いですか」


 翔の非難に答えず、カテリナは部屋の端においてある机に腰掛けた。そのまま足を組んで、頬杖をつきながら翔を見つめる。


「翔。ここでは先生と呼ぶ必要はないわ」


 口元に浮かぶ微笑は他の生徒はめったに見たことがない、しかし翔にとっては昔からの見慣れたものでしかない。


「カテリナ姉さん」


 そのために翔は半眼になった。昔からこういう顔をしたこのお姉さんは、ロクなことをしない。

 先月は、超高速回転機なるものに乗せられ、その名称の意味を思い知らされた。

 その前は、巨大なフラスコに閉じ込められて、ピンクがかった液体を入れられてから、撹拌された。

 翔は警戒心を全開にするが、それもいつもと同じ結果しか呼ぶことはない。

 つまり、無駄な抵抗だった。

 カテリナが指を鳴らすと、床面に紫色に輝く魔法陣が浮かびあがった。描く図形は五芒星。破邪を意味する図形だ。翔がいる位置は、その魔法陣のすぐ外側。カテリナは、大きく離れている。

 魔法陣の力は、その外側に降りる。この場合、破邪という魔法使いに害する指向性を持った魔法は、翔に襲いかかる。魔動機は安全な位置から力を増幅している。

 驚愕に目を見開く翔の視界に、カテリナのにんまりとした笑みが広がった。


「さあ、今月の課外授業よ! あっはっはっは!」


 いつの間にかSモードになっている。翔は気持ちが絶望で満たされていくのを感じたが、そのまま沈んでいくわけにもいかない。

 自分は、もう簡単には死ねない。

 あの日、ただ一人拾った命なのだから――

 簡単に、ドブに捨てるわけにはいかない。


「行くわよ! 翔!」

「この……真性サディストおおおお!」


 カテリナのトランスした叫びと共に部屋に紫の光が満ち、魔法陣の外側にカーテンのように光が落ちてくる。魔力を打ち消す、破邪の力が。

 燭台が倒れ、魔動機の一種であったらしいそれが光に飲み込まれて一瞬で朽ちていく。

しかし、破邪の光は翔の身体に届くことなく、消えていく。

 いつの間にか、翔の身体が白く輝いていた。

 紫の光は翔の髪一筋揺らすことなく、消えていく。


「危ないでしょうが!」

「やっぱり、身を護るためになら展開できるのね」


 翔の抗議を無視して、カテリナが評価を下す。


「魔動機で増幅したわたしの魔法を苦も無く吹き散らすとは、腹が立つわ」


 机から降りたカテリナの表情は言葉とは裏腹に、柔らかい。


「まさに、絶対不可侵領域といったところかしら?」

「そのネーミングは色々と……」


 もごもご、と翔は控えめに突っ込むが、カテリナにわかるはずもなく、彼女は眉をひそめただけだった。

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