四十話(後) シルフィン結婚する(上)

 帝宮に上がり内宮のサロンに通されると、すでに皇帝陛下御一家が(イーメリア様はいなかったけど)寛いで待っていらした。もったいぶって待たせるのが文化の筈の帝宮で、これは極めて異例な事だった。


 そして、レクセレンテ公爵一家が入ると皆様が立ち上がってお迎え下さった。これも異例だ。異例づくめだ。


 極め付けは皆様がこちらに、というかどう見ても私に、頭を下げられた事だ。え〜! ちょ、ちょっと待ってくださいませ! なんで私? 何がどうなったの?


「まさか聖女様にお会い出来る日が来ようとは。大地の女神に愛されし聖女よ。帝国をお守りください」


 皇帝陛下が恭しく仰った。ぎゃー! 待って! そんな、私そんな大したものじゃ無いんだから!


「陛下。お戯れが過ぎますぞ」


 お義父様が呆れたように仰った。すると皇帝陛下は悪戯っぽく微笑みながら顔をお上げになった。その表情に少しホッとする。


「なんの。まるっきり冗談ではないぞ。大地の女神に直接お会いして魔力を授かった聖女様は、いわば皇帝よりも神に近しい存在だ。大地の女神との契約によって帝国を預かっている皇帝としては、聖女を崇めぬわけには行かぬのだ」


 ああ。私はその陛下のお言葉を聞いて内心手を打った。


 確かに、大地の女神様は私に魔力を与えるから、大地に魔力を注ぎ続けるようにと仰った。それが女神様との契約だとすれば、きっと皇帝陛下のご先祖様。初代皇帝の祖だったという聖女様が女神様とした契約を、連綿と守り続けて成立しているのがこの帝国なのだろう。


 ……あの時の女神様の口ぶりだと、どうも他の神様と陣取り合戦をして遊んでいる臭いのよね。流石は神様。壮大で気の長い遊びだわ。とすると、他の神様が魔力を与えた国が他にもあるって事なのかしら?


「シルフィン様が聖女になられるなんて! 流石はシルフィン様です!」


 皇太子妃殿下が感激の面持ちで仰った。目がうるうるしている。ちょ、ちょっと待って!


「いや、妃殿下? 私はただ、女神様に大地を癒すための魔力を頂いただけです。聖女じゃありませんわ」


「そういう者を聖女と呼ぶのではないか」


 皇太子殿下は呆れたように仰ったが、いや、私は異議を申し上げたい。聖女というのはもっと、なんかこう、清らかで慈愛に満ちて、麗しい何かでは無いだろうか。こんな農民上がりの図々しい女に相応しい称号ではない。


「確かに、シルフィンは聖女というより聖なる戦乙女ではございませんか? 公爵領で遊牧民を追い払ったと聞きましたよ?」


 皇妃様が笑いながら仰る。いや、それもおかしいです。追い払ってなんかいません。籠城してただけです。


「シルフィンが一喝したら、恐れ慄いて逃げて行ったのではなくて?」


「違います! 尾鰭、尾鰭が付いてます!」


 私が必死に否定すると、皇妃様は明るくお笑いになった。


「何にせよ、ヴィクリートとシルフィンのおかげで帝国の東と北の脅威は取り除かれた。北の草原を帝国に付け加えた旨も聞いている。ご苦労だった。其方達の功績には報いるものも思い付かぬ」


 皇帝陛下のお言葉に、私とヴィクリートは頭を下げた。


「勿体無いお言葉でございます。全ては皇帝陛下のご威光の賜物でございますわ」


 私はそうスラスラと定型の台詞を返したのだが、ヴィクリートは少し詰まって、言葉を選びながらゆっくりと言った。


「勿体無いお言葉でございます。……ファルシーネ様をお助けできず……申し訳なく……」


「言うな! ヴィクリート!」


 皇太子殿下が大きな声で言うと、歩み寄ってきてヴィクリートの両手で肩を掴んだ。


「よくやってくれた。本来は私の役目であったのに、辛い役目をさせてしまった。許せ!」


「そうとも。こうなることは覚悟の上。全ては帝国のためだ」


 皇帝陛下は力強く仰ったが、その表情はもの凄く厳しいものだった。皇妃様も、完璧な笑顔で微笑んでいらっしゃるが内心は如何ばかりか。


 帝国を背負う、その強さと寂しさと悲しさに、私は胸が痛くなった。実の娘を失っても、それでも帝国の平和を優先させなければならないお立場というのは、私にはちょっと想像を絶する。


 でも、他人事では無い。私は公妃になったら公爵領と遊牧民の民の両方を守り導いて行かなければならない。その時はそのためにあらゆるモノを犠牲にする覚悟がいるだろう。


 今回は比較的穏便に済んだが、もしもまた他国が公爵領に攻めてきた場合は。大量の血を流してでも領地と民を守る覚悟がいる。私はその覚悟をしておかなければならないのだろうね。


 私たちは全員席に座った。お茶を飲みつつ、ヴィクリートの戦地での話や、私の籠城の際の活躍、公爵領の状況、そして私が大地の女神様とお会いして草原を癒した話などをする。


 皇帝陛下も皇妃様も、両殿下も、特に大地の女神様とお会いした話は目を輝かせて聞いていらしたわね。


 一通りお話が済むと、人払いがなされ、従者は全員サロンの外に出された。


 それを確認すると、皇帝陛下が改まって仰った。


「最初に言っておくが、シルフィンを私やメルバリードの妻にする事は考えておらぬ」


 その言葉を聞いて私もお義父様もお義母様もほーっと息を吐いた。だがヴィクリートだけは憮然として言った。


「当然でしょう。シルフィンは私の婚約者です」


「そうだが、話はそんなに簡単ではない」


 皇太子殿下がヴィクリートを揶揄うように仰った。


「聖女は皇妃になる。しかも出身が平民身分であろうがどうだろうが関係無く。何故だか分かるか? さっきも言った通り、聖女は皇帝よりも上位の存在だからだ」


 だから聖女には皇帝が謙って、是非皇妃になってください、とお願いして入内してもらうものなのだと皇太子殿下は仰った。


「聖女が皇妃にならないと、帝国に皇帝よりも尊い存在が出来てしまう事になる。それが他人の妻なら最悪だ」


 このままでは私とヴィクリートが皇帝陛下よりも上位の存在になってしまうのだという。そんな事になったら帝国の身分制度の危機だろう。確かにそれはよろしく無い。


「ではどうするのだ。シルフィンは誰にも譲らぬぞ!」


 ヴィクリートは頼もしく言い切った。すると皇太子殿下はニヤッと笑って、軽い口調で言った。


「ヴィクリート。お前、皇帝になれ」


「「は?」」


 私とヴィクリートの声がハモった。あまりにも予想外の言葉に二人して間抜けな声が出てしまう。それを聞いて皇太子殿下は笑い転げているが、こっちはそれどころではない。どういう事なのか。


「聖女が皇妃になる慣例は譲れぬ。この先に聖女が出た時に、他の貴族に奪われる口実になりかねぬからな」


 皇帝陛下の言葉に流石のヴィクリートも狼狽する。


「し、しかし、私は……」


「落ち着け。ヴィクリート。其方が皇帝になるつもりが無い事はよく知っている。故に形式だけだ。私が退位する際、一度其方に位を譲る。そしてすぐに其方はメルバリードに位を譲るが良い」


 ……なにそれ? つまり、ヴィクリートは一瞬だけ、中継ぎで皇帝になるだけ? そんなの良いの?


「そうすればシルフィンは一瞬皇妃になる。聖女は皇妃になるという前例は踏襲出来る。そして退位後ヴィクリートは上皇となり、公爵に復すればいい」


 あまりといえばあまりな計画に、ヴィクリートも私も口ポカンよね。その様子を見て皇太子殿下はまたも笑いながら言った。


「まぁ、そういう計画だと発表するだけだ。実際に行うのは何年も先になる予定だからな」


 というのは、皇帝陛下が位をお譲りになるのはまだまだ先の話になるからだそうだ。そうね。皇帝陛下はまだお若いしね。公爵家は結婚するか二十歳超えると家の継承が行われるけど、皇位は陛下がお亡くなりになるか、皇太子が経験を十分に積んでから、大体三十歳くらいで譲位が行われるのが普通らしい。


「その前になんとか誤魔化す方法を考えるさ。そうだな。其方達に娘が生まれたら、私とスイシスの間の皇子と娶せるのはどうだ。それなら聖女の血が帝室に入る事になるではないか」


 ……気が早くて長い話ではあるけど、考えとしては悪くない。大魔力を持った聖女の血が帝室に入る事が大事なのだ。そもそも皇族で大魔力を持つヴィクリートと聖女である私の娘ならきっと大魔力をもって生まれるでしょうし……。


「都合の良いことを考え過ぎでは無いか? メルバリード。其方。自分が親の言う通りに結婚しなかったくせに、息子は思い通りに出来ると思っているのか?」


「そうですよ。結婚相手が自分で選べないのは可哀想ではありませんか」


 私とヴィクリートがまだ見ぬ娘たちのために憤慨すると、皇太子殿下は苦笑いした。


「ま、それは追々考えれば良いのだ。という事だから、ヴィクリートには『皇嗣』の地位を与える。本来は皇太子にすべきだが、それは其方が承知するまい?」


 ヴィクリートはムッツリと頷いた。本当は皇嗣などにもなりたくなかったんだろうけど、どうもそれ以外に私と結婚する方法がなさそうだと考えたのだろう。


 確かに私にも他に良い方法は思い付かなかった。皇太子殿下の案もかなり無理矢理だと言って良いのだ。皇帝陛下と皇太子殿下がかなり頭を悩ました末での案だったとは後日聞いた話だ。曰く。


「其方みたいに恐ろしい女を娶りたく無いから必死で考えた」


 との事だった。失礼な。だれが恐ろしいんですか。


 結局、ヴィクリートは皇嗣、私は皇嗣妃になる事が決まった。実際に皇帝になってしまう前になんとかしてくれるように、ヴィクリートは陛下と殿下に念を押して頼んでたけどね。


 それで、皇嗣になる事の正当性を明らかにするためにも、ヴィクリートの戦勝を華々しくアピールした方が良いという事になった。そのため、凱旋式はヴィクリートを戦勝将軍として扱う事になった。


 本当は陸上軍を指揮して戦った、ハイフェン様を戦勝将軍にする事になっていたのだ。しかし、皇嗣にして聖女の夫になる程の男だと、全国民に宣伝しなければならないという事で、ヴィクリートに変更する事になったのだ。


「ハイフェンの方が活躍したではないか」


 とヴィクリートはハイフェン様の手柄を横取りしたくない、と嫌がったのだが、ハイフェン様は「ヴィクリートの艦隊での勝利が無ければ、陸上での勝利も無かったのだから」と喜んで譲って下さった。


 結局、周囲に押し切られ、ヴィクリートは帝都の凱旋式で、派手な儀式鎧に身を包んで、パレード用の馬車の上に立って帝都市民の熱狂的な歓呼の声を浴びる事になったのである。


 凱旋式のパレードはまず、帝都の東門から(これは戦争の起こった場所による。今回は東の国境で起こったので東門から)派手派手しい馬車に乗ったヴィクリートを先頭に一万の帝国軍が帝都入りし、帝都の大通りを練り歩く。


 そして帝都大神殿に戦勝の御礼のお参りをする。ここには皇帝陛下以下、帝都の貴族全員が集合しており、ここで皇帝陛下より祝福をして頂くのだ。


 何しろ羽飾りだとか飾り布だとか、金銀細工や宝石などで飾られた華美過ぎるくらい華美な鎧で、これも同じく花々などで飾り立てられた白馬四頭に轢かれた白い無蓋馬車の上に立ち、大観衆の注目を浴び続けるのは、シャイな所があるヴィクリートにはかなりの苦行だったらしく「二度とやりたくない」と言っていたわね。でも、私はあまりの凛々しさに目が眩みそうになったから何度でもやってほしい。


 皇帝陛下の祝福を受けると、大地の女神様の大きな像の前にある階段を上がる。この階段の上は神聖な場所で、よっぽどの事が無ければ皇帝陛下でも登ることが出来ないのだそうだ。


 戦勝将軍のヴィクリートは華麗な格好のままゆっくりと階段を登って像の前に上がってきた。


 そこに待ち受けているのがこの私。白と水色の巫女装束を着て、頭には金冠を載せている。なんで私がそんな格好をしているのかというと、聖女仕様だからだ。


 本来、凱旋式の月桂冠授与は、皇帝陛下の祝福が終わったら、将軍の親族の女性か恋人が陛下に場所をお譲り頂きそこで行うものだ。


 しかし、今回は私は聖女であるし、ヴィクリートが皇嗣になる説得力を増すために、この神聖な場所で行う事になったのだ。聖女聖女した格好をするのは私も嫌だったが、ヴィクリートと無事に結婚するためには仕方が無い。


 聖女じみた格好の私と、あたかも戰の神のような華麗な鎧姿のヴィクリートが、真っ白な石造りの聖なる座で向かい合う。こうしてみるとなんとなくしっくりくるのはどうしてかしらね。まるで神話の一シーンのよう。


 私の前にヴィクリートが跪く。私は進み出て、その彼の頭の上に瑞々しい月桂冠をそっと置いた。


「お疲れ様でした。ヴィクリート」


「ああ。ありがとう。シルフィン」


 立ち上がったヴィクリートと私は、そっと抱き合った。


 途端に歓声が湧き上がる。神殿内部にいる貴族達だけでなく、神殿を囲む平民達からもだ。この聖なる座は神殿の外からもよく見えるらしい。高い場所にあるからね。


「帝国万歳!」


「戦勝将軍ヴィクリート万歳!」


「『アンガルゼ海戦の勝利者』ヴィクリート殿下万歳!」


「聖女シルフィン様万歳!」


「聖女よ帝国を守りたまえ!」


 そういう様々な声が響く中、私とヴィクリートは並んで観衆に手を振ったのだった。……もう、これが結婚式でも良いじゃない? と私は思ったわよね。


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「私をそんな二つ名で呼ばないで下さい! じゃじゃ馬姫の天下取り 」(SQEXノベル)イラストは碧風羽様。「貧乏騎士に嫁入りしたはずが!? 」(PASH!ブックス)イラストはののまろ様です。好評発売中です! 買ってねー(o゜▽゜)

 

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