三十四話(後) シルフィン苦闘する
偵察を出した後も相変わらず戦闘は続いていた。城内の兵士も避難民も疲れ果てていたので、私はなるべく毎日城壁各所を巡って彼らを励ました。
食料や水を届けたり、矢や投石用の石を届けるのもやったわね。これにはレイメヤーやミレニーも参加し毎日城内を走り回ったわ。時には私も石を投げて遊牧民に応戦したわよ。
しかしながら兵も避難民も疲労は覆い隠し難く、これ以上の籠城には耐えられそうも無かった。半月の筈がもう二十日を超えてしまったのだ。援軍の見込みの無い籠城の末路は飢え死にだ。士気が上がろう筈も無い。
偵察の者が戻って援軍の見込みを伝えてくれれば良いけど。そう思っていた時に、城門の前で遊牧民がなにやら交渉を申し入れているという連絡が届いた。
私が慌てて城門上の指揮所に行くと、アーセイム曰く、遊牧民の男がこちらに向けて降伏を呼び掛けて来たとの事だった。
「降伏して、城を物資や財宝と共に明け渡せ。そうすれば人命は保証しよう」
とのこと。捕らえる事もせず、逃がしてやるから城を明け渡せというのだ。
うーん。私は考え込んだ。
「どう思う? アーセイム」
「信用出来ませんな。城を出たら我々は無防備になってしまいます。襲われたらひとたまりもありません」
そうよね。でも、なんでこのタイミングで降伏を勧告してきたのかしら?
「あちらもいよいよ兵糧が苦しいのでしょう。煮炊きの煙が少なくなったとの報告を受けております」
こちらもそれほど潤沢な食料があるとは言えないけれど、まだ十日は保つ。しかし、これはあと十日で援軍が来なければ尽きて飢えてしまうという事でもある。
降伏を言下に断って、こちらの物資が尽きてしまってから降伏したらその後の待遇が悪化してしまう事を考えれば、ここで降伏する選択肢が無しとは言えまい。
それに兵も避難民も限界近い。ここからまた戦い続ければ、どのようなミスを犯してそこから守備がほころんで落城してしまうかもしれない。
私は考えた挙げ句、交渉を継続することにした。返答を促しに来た遊牧民の使者に「降伏条件について交渉したいから、貴方たちのリーダーを来させなさい」と申し入れたのである。
遊牧民には血族の長はいるけど、国王みたいな存在はいないので、血族の連合軍みたいな形であるこの集団にはリーダーと呼べる者はいないはずだけど、とりあえず交渉役ということなのだろう。一人の族長らしき人物が馬に乗ってやってきた。
私は城門の見張りの塔からその男を見た。あら? 私は見張り塔の上から身を乗り出し、大きな声で問い掛けた。
「貴方、市場に来ていた人ね? 私を覚えていますか?」
男は侵攻前に市場に家畜を売りに来ていた男だった。私の事を見て目を見開き、少しバツが悪そうな顔をする。恐らく、家畜を売りに来た態で偵察に来ていたのだろう。そういえばこの人、流ちょうな帝国語を話していたわね。
「ああ。覚えている。お前はここの姫君だったか? なら話は早い。俺たちが求めているのは食料だ。そこに溜め込んでいる食料をこちらに引き渡せ。そうすればお前らに手出しはしないと約束しよう」
……誤解があるようだ。私は正直に言った。
「ここには食料なんて溜め込んでいませんよ。私達が食べる分しか有りません」
驚く男に、私は公爵領は季節的に、今が一番食料の備蓄が少ないのだと説明した。なので貴方たちが今まで略奪した食料が公爵領の食料の全てであると説明する。
そもそも、公爵領の農村でも冬越しは大変な難事で、不作であればたちまち困窮して冬越しが出来なくなる。そうならないために、不作の年には公爵家がお金を出して余所の領地から食料を輸入して、困窮世帯に配るのだ。そんな冬が終わって、まだ夏作物の収穫が終わらないこの時期に、そんなに各村や町が食料を溜め込んでいる筈が無い。
「そんな馬鹿な……」
「残念ながら本当の話ですよ。帝国は豊かですが、豊かすぎて麦が余っているほどでは無いのです」
遊牧民の間で考えられている帝国は、どうやら飽食の国であるらしい。
これは、交渉の糸口になりそうね。私は彼に提案してみた。
「貴方たちが侵攻を止め、自分の土地に戻ってくれれば、私は次期公妃の名において、貴方たちへの食料援助を約束しますよ? 略奪した物を返せとも言いません。どうですか?」
「そこには食料は無いと言ったでは無いか」
「お金はあります。それで余所から購入すれば良いのですよ。でも貴方達がお金を手に入れても、食料を買うあては無いのでしょう?」
随分と低姿勢な交渉だが、置かれている立場を考えればやむを得ないだろうね。しかし男は私の事を懐疑的な目で睨んだ。
「そんな事は信じられぬ。俺たちがここを出たら、たちまち後ろから襲い掛かってくるのだろうが」
「そんな事はしないと約束しますよ。このままだとせっかく奪った食料も食い尽くして、貴方たちは次の冬に死滅する事になるでしょう? 何より優先すべきは食料をを手に入れる事では無いですか」
私の言葉に、男は馬上で考え込んで動かなくなってしまった。ふむ。考える価値はあると思えた訳ね。私も遊牧民には詳しくない。どんな事を考えているか分からない、言葉通じない蛮族とは怖くて交渉は出来ないけれど、言葉が通じて私の言った事を吟味出来るのなら、交渉が可能だ。私は揺さぶりを掛けてみることにした。
「早くしないと、帝国軍の援軍がここにやってきます。大軍ですよ。貴方たちなどひとたまりもありません。全滅しますよ」
「な!?」」
男が驚愕する。……のだが、援軍の可能性がある事ぐらい遊牧民も知っている筈よね。なのに驚きが大きすぎるような?
「……南の領境に既に援軍が来ているのでしょう?」
「なぜ、それを……」
私のかま掛けに、男が呻いてうっかり自白してしまった。私は内心ホッとする。やはり援軍は来ていたのだ。だが、領内の情勢が分からず迂闊に領境を越えられずにいるのだろう。偵察の使者が南の領境にまで到達出来れば、援軍は敵の数や疲弊の状況など詳しい情報を得ることが出来て、心置きなくこちらに向かう事が出来るだろう。
「私は帝国の皇族です。もしも私が害されるような事があれば、帝国は貴方たちをけして許さないでしょう。貴方たちの土地を焼き尽くし、貴方たちを全員血祭りに上げるまで追い掛けることでしょう」
ヴィクリートならきっとそうするわよね。それを聞いて男は表情を硬くする。
「ならばお前を捕らえて、帝国軍と交渉するしか無い」
「だから、その必要はありませんよ。今ここで引いてくれるのなら、私は我が名を賭けて、貴方たちを害さぬと誓いますし、食料援助も約束いたします」
これは本心だ。遊牧民たちとの戦いではこれまで、避難が上手く行ったお陰で公爵領にはほとんど死者は居ないはずだ。このお城の戦いでは兵士や避難民に数名の死者は出ているけどね。でも、遊牧民側にもこちらの反撃で少なからぬ犠牲が出ている筈なのでこれはお互い様の範疇だろう。殺戮の嵐が吹き荒れた訳では無く、復習戦を必ず挑まなければならないという程でも無い。
そして、このような侵攻を再び起こされないようにするには、遊牧民に食料援助をする必要はどうしてもあるだろう。侵攻までされて弱腰過ぎるという批判は当然あるだろうけど、今回のような戦が起これば大変な被害が出て、復興にそれ以上の時間とお金が必要になるだろう。
それなら最初から遊牧民との間に食料援助の取り決めを作っておいた方が、費用は安く済む。そうして遊牧民が帝国からの援助に依存するようになれば、略奪を受ける可能性はより低くなるだろうね。公爵領の北の遊牧民は元々は平和的な部族で、そもそもは公爵領との関係も上手く築けていたと聞いている。十分関係再建の余地はあると思うのよ。
男は他の族長と話し合うと言って戻って行った。あの感じだと、もう一押しあれば交渉成立出来そうじゃ無い?
ネックになるのは、私達がお城で孤立していて、追い詰められているこの状況だった。援軍が来ると言ったって、いつ来るかは確定では無い。その前に遊牧民たちが最後の猛攻を仕掛けてお城を陥落させる事が出来れば遊牧民達の完全勝利になるのだ。それこそ私を捕らえて帝国と交渉すれば、私が約束した援助よりももっと大きな見返りがあるのでは無いか、と彼らが思ってしまったら交渉は成立しないだろう。
その彼らの考えを覆すには、もう一押し。何かが必要だ。私達は別に追い詰められているのでは無い。こちらがその気になればいつだって勝てるのだぞ、という事が遊牧民達に示せればベストよね。
……実は、私達には切り札が一つある。一発逆転というほどの手札では無いのだけど、落城のピンチになったら使おうと思っていた切り札だ。私はそれをここで使う事に決めた。
翌日の朝、城門前に数騎の遊牧民が進み出て来た。どれも立派な身なりの男達だ。おそらくは族長達なのだろう。声を上げたのは昨日と同じ男だった。
「再度降伏を勧告する。大人しく城を明け渡せば安全は保証する。ただし、その女は残れ。人質にして帝国と交渉する勿論丁重に扱う事は重ねて約束しよう」
そう来るとは思ったわよね。皇族である私の素性が知れた以上、人質としてはこれ以上無い人材だもの。どうしても手に入れたいわよね。私の言葉を信じるよりも確実だと思ったのだろう。
でも、そういう訳にはいかない。私を捕らえると、逆に彼らの未来は詰んでしまう。多大な身代金と引き換えに私を解放した瞬間、遊牧民達の土地に帝国軍が雪崩れ込んで彼らを皆殺しにする事になるだろう。自分が虜囚にされておいて、それを止めるほど私は善人にもなれない。でも、まだ囚われていない今なら、彼らが殺されたら可哀想と思うことくらいは出来る。まして罪の無い彼らの妻や子供達が帝国軍に皆殺しにされるのは、あまり寝覚めの良い想像では無い。
うん。私は決断し、アーセイムに合図をした。
「貴方達は勘違いしています!」
私は堂々と見張り台の上で立ち上がり、髪を風になびかせつつ叫んだ。
「私達はこれまで、無益な殺生を控えるために使いませんでしたが、貴方たちを殲滅させる事が出来る武器を私達は持っています」
族長達が驚きの声を上げる。族長を守るためか、離れた所に待機していた遊牧民達が駈け寄ってきて、こちらに矢を放ってきた。何日も彼らの矢に立ち向かっていればいい加減慣れる。初日のような恐怖を感じることも無くなっていた私は構わず右手を高々と上げ、振り下ろした。
「撃て!」
私の合図と共に、城門の上に設置されている魔力砲が火を噴いた。魔力を凝縮した砲弾が光の尾を描きながら飛んで行くと、城門前の石畳に突き刺さった。
瞬間、爆裂が起こる。遠くから見ている私にも驚きの大きさの光と音、そして飛び散る石と土煙だったので、間近にいた遊牧民達には更に衝撃的だっただろう。族長を含め彼らは残らず馬ごと吹き飛び、落馬した。
ちょ、威力大き過ぎじゃない? 殺しちゃったんじゃないでしょうね? 死んじゃったらこっちが交渉の最中にだまし討ちをした事になっちゃうじゃ無い!
私はハラハラしたのだけれど、馬は驚いて逃げ散ってしまったが、遊牧民の男達はどうやら全員無事で、フラフラと立ち上がっていた。良かった良かった。ホッと一息だ。わざと外したのに想定外の威力のせいで、この後の交渉がおじゃんになるところだった。
この魔力砲は最初から城門に設置されていたものだ。本来はこれが七門もある。最初からこれが使えれば遊牧民は最初の戦いで壊滅していただろう。飛距離も麓の公爵屋敷辺りまで届くので、あそこに連中が群がっている内に全滅させられた可能性もある。
だけど、魔力が足りなくて使えなかったのよね。それを籠城中、アーセイムとレイメヤーが自分の魔力で一生懸命充填してくれて、どうにか使えるようになったのだ。でも、一門だけ。打てて十発という状態なので無駄遣いは出来ない。お城が大ピンチに陥った時にだけ使おうと思っていたものだ。
だが、そんな事情は遊牧民達には分かるまい。私はここぞとばかりにドヤ顔で叫んだ。
「どうですか! これでも私に逆らいますか! 私の言うことを聞いて、大人しく引き上げなさい! 今なら許してあげますよ!」
族長を含む遊牧民は後ろも見ずに逃げていったわよね。さて、これでこの後彼らはどう出るかしらね。あれだけ脅かせば、こっちを迂闊に攻めてくるような事は無いと思うけれども。
私は引き続き警戒を指示していたのだが、街の方を見張っていた者から、遊牧民が慌てて荷物をまとめているとの連絡があった。私も一番高い塔に登って街を見てみたが、確かに大慌てで何かしている。天幕が収容され、やがて領都の北の門から遊牧民達は次々と脱出していった。馬蹄の音と土煙が地平線の向こうに消える頃には、領都には人影一つ見えなくなっていた。
……おやまぁ。脅しが効きすぎたようだ。まさか挨拶も無しに逃げて行くとは流石に予想していなかった。遊牧民達もかなり限界に近かったのだろう。そこへこちらが新兵器を見せ付けたものだから、これ以上の継戦を諦めたものと見える。
しかし、もしかしたら撤退は擬態かも知れない。私は引き続き警戒を指示したのだが。翌朝になってもやはり領都に人影が無い。
私はアーセイムに偵察隊を組織させ、領都を見て回らせた。その結果、完全に遊牧民がいなくなった事が分かったのだった。
その報告を受けて、お城の中に兵や避難民達が喜びを爆発させたのは言うまでも無い。歓声が上がり、お互いに抱き合い、涙を流しあって皆で喜んだ。私もミレニーとレイメヤーと一緒に抱き合って喜んだわよ。
でも、いきなりお城を出ることは避け、私は使者を出して南の領境に向かわせた。遊牧民が戻って来たら困るからね。すると、使者を出して程無くして南の地平線に土煙が見えた。目をこらすと、それは騎馬の大軍だった。一瞬身構えたけど、南から来るのだもの。援軍よね。よく見ると遊牧民よりも重武装で煌びやかな騎馬の部隊だった。数はそれほど多くは無い。千騎くらいかな。随分早いわね。使者はまだ領境まで辿り着いていないと思うんだけど。
彼らは領都の開きっぱなしの南門を一気に通過してお城へと一目散にやってきた。狭くて急な城門への坂道を一気に駆け上る。
そして、城門まで辿り着くと、先頭の騎兵がもどかしげに馬を止め、兜の面を跳ね上げると叫んだ。
「シルフィン! 無事か!」
ああ!? 私は目を疑った。栗毛の馬に跨がり、全身鎧に身を包んでいるものの、しかしあれは間違い無い。私の愛しの婚約者様だ。
「ヴィクリート!」
私が叫ぶと、ヴィクリートは私の方を見上げ、大きく口を開けて叫んだ。
「おおおおおお!」
ビックリするような大きな声だったわよね。私は身を翻し、見張りの塔から駆け下りる。その時には城門が、もの凄く久しぶりにゆっくりと開かれ始めていた。私は城門に駈け寄り、ようやく人が通れる幅に開くのももどかしく、身体をねじ込むようにして城門の外に出た。
「ヴィクリート!」
「シルフィン!」
ヴィクリートは馬を飛び降り、私は全力で彼に駈け寄る。ヴィクリートは兜を投げ捨てた。懐かしい赤茶色の髪が露わになる。グレーの瞳が歓喜に潤んでいる。
私はそのまま彼の胸に飛び込んだ。鎧にぶち当たったんだから痛かった筈だけど、感じなかったわよね。愛の力だ。
「よくぞ、よくぞ無事で!」
ヴィクリートの声が震えている。彼の腕の力を感じて、私はようやく身体から力が抜けてきた。怖かったし、緊張したし、何度も挫け掛けたけど、今ここで彼に抱き締められて全てが報われたし、もう大丈夫だという安心感が沸き上がってくる。今更足が震えているし、涙が止まらないけれど、もう良いわよね。もう大丈夫なのだから。
「お帰りなさい! ヴィクリート!」
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