三十五話(前) シルフィン奇跡を起こす

 どうやらヴィクリートは、アンガルゼ王国との戦争を片付けてから公爵領の変事を知り、不眠不休で駆け付けて来てくれたものらしい。


 アンガルゼ王国との戦争はやはり結構苦戦したようで、そのせいで帝都はこちらに援軍を出せなかったようだ。いや、正確には出したけど、遊牧民を圧倒するほどの軍勢では無く、領地境で遊牧民と小競り合いをして時間を空費していたようだ。


 そこへヴィクリートが駆け付けたのだそうだ。少数である筈のヴィクリートの勢いに遊牧民達は驚いて逃げ散ってしまい、彼はそのまま一気に領都にやってきてくれたのだった。


 感動の再会の後、怒り狂ったヴィクリートはそのまま遊牧民を追撃しようとしたのだけど私が止めた。いくら彼が名将でも軍勢は少数だもの。危なすぎる。


 彼の後に援軍が次々と到着したけれど、それでも合計で二千ほど。確かにこれでは総数も不明な遊牧民との決戦をためらうわよね。援軍さえ来れば遊牧民なんてあっという間に破れる、なんていう私の考えが甘過ぎたのだ。


 私はヴィクリートを宥め、疲れている彼をお城で休ませた。残念ながら公爵邸は略奪に遭いボロボロだからね。お風呂に入れて、ベッドで休ませる。


 すると彼はそこから丸一日寝続けた。戦場から不眠不休で駆け付けたという言葉に嘘は無さそうだ。私はなんだか申し訳ない気分になった。彼がどれほど私のことを心配してくれたかと考えると不甲斐無い。私がもっとしっかりしていれば。もしくは自分も避難していれば……。反省である。


 ただ、起きてきたヴィクリートは私の事を賞賛してくれた。


「君がこのお城を守り切ってくれて助かった。ここは公爵領の聖地だからな」


 どういう事かというと、このお城は魔力奉納をする聖地であるので、ここを遊牧民に奪われてしまい、もしも遊牧民達が礼拝堂を傷付けるような事があると、大地に捧げた魔力が抜けてしまい、大地が一気に痩せて気候も寒冷化してしまう可能性があったのだという。一度抜けた魔力を再度満たすには膨大な魔力が必要で、恐らくお義父様お義母様、ヴィクリートや一族の者が必死に奉納しても何年も掛かってしまうだろうという。


 なので、もしも今回のような事があった場合、何をさておいてもこのお城を守り切る事は必須だったのだそうで、本来であれば城門の魔力砲の他、お城の防御設備にもちゃんと魔力を充填しておく筈が、長年平和でそれを怠ってしまったとの事らしい。


「お陰で君に危険な思いをさせてしまった。済まない」


 ヴィクリートは謝ってくれたが、でもあんな威力の魔力砲やその他の兵器で遊牧民を皆殺しにする事を考えると、そんな事が出来なくて良かったとも思うのよね。ヴィクリートは兵を出して北の国境を警戒させる一方、帝都にも使者を出して更なる援軍を要請。同時に近領や各地の砦に避難していた住民に連絡して、元の居住地に戻らせた。領都にも人々がだんだんと戻って来始めた。


 遊牧民の略奪は酷く、領都でも丸ごとに燃やされた家も少なくは無かった。村によっては灰燼と化した所もあったという。ただ、貴重品や種籾、農具や食料などは避難する前に埋めて隠していた者がほとんどで、被害は見た目ほど多くないとのことだった。領都を見て回ると、意外な速度で復興が進んでいて驚いた。勿論、公爵家としても復興支援のための援助をすることにしており、帝都から食料他物資を輸送して貰うように頼んである。


 この様子だと復興は結構早く進みそうね。あと残る問題は一ヶ月近く放置してしまった農地で、麦の刈り取りも迫ってきている。種まき時期、刈り入れ時期を逃してしまうと大変だ。農民達は大慌てでこちらの準備もしているという。私は、援軍に来てくれている兵達に復興と農作業の手伝いもしてくれるように頼んだ。


 ヴィクリートはもの凄く怒っていて、準備が出来次第草原に進出して、遊牧民をなで切りにしてくれん! と叫んでいたけど、私は彼を止めた。そして、約束した通り遊牧民に食料援助する事を提案した。ヴィクリートはそれは驚いたわよね。


「あのような目に遭わされて、どうしてそのような事を言える。脅されてした約束など守る必要は無いのだぞ?」


「それはそうだけど、遊牧民に援助をして彼らに恩を売り、北の国境を安定させる事は帝国にとっても利益が大きいことだと思うのよ。実際、これまでは平和だったお陰で公爵領は領地の発展に注力出来た訳だし」


 お陰で平和ボケしてしまって、領都やお城の防備に手を抜いて、今回困った事になったので、ここは見直す必要があると思うけど、遊牧民と年中戦うようにでもなって、北の国境に大軍を貼り付けておかなければならなくなるようでは大変過ぎる。彼らとは和解し、出来れば取り込んでしまいたい。


 私は使者を出して遊牧民との交渉を試みた。連絡はすぐに付いて、あちらからも使者がやって来た。例の、家畜を売りに来ていた族長だ。彼はある程度修復された公爵邸のサロンで待ち受ける私とヴィクリートの前に、かなりおっかなびっくりな感じでやって来たのだけど、ヴィクリートの顔を見て後ずさった。


 ヴィクリートが物凄く怖い顔をしてたからね。私はヴィクリートの腕を抱いて彼を宥めると、使者に椅子を勧めた。


「この間はどうも。お怪我は無かったですか?」


 私が言うと、遊牧民の男は顔を引き攣らせた。彼はヨゼムと名乗った。ちょくちょく帝国の者と交易をしていたので帝国語に堪能らしい。


「ここに来た、という事は、帝国と和平したいという意思があるという事ですね?」


「……帝国の姫よ。お前はあの時、兵を引けば援助すると言ったな?」


 そうね。確かに言った。でも、もう状況は大きく変わってしまった事くらいはヨゼムにも分かっているわよね。


 何しろ領都には大勢の帝国軍が入っている。国境にも警戒部隊が走り回っている。これを見れば、帝国が復讐戦のために遊牧民の土地に雪崩れ込んでもおかしくない状況だと分かるだろう。ましてヴィクリートのこの怖い顔だ。


 だけど私は鷹揚に言った。


「ええ。約束しましたね」


「その約束を果たしてもらいたい。……虫の良い要求である事は分かっている」


 ヴィクリートがふん、と鼻で笑ったけど、私は微笑みを浮かべたまま言った。


「略奪したものでは足りませんでしたか?」


「到底足りぬ。このままでは我が一族は冬まで保たぬ。食料以外の物は返す。だから頼む」


 これは、想像以上に遊牧民の土地の状況は悪そうだ。ふーむ。私が考え込んでいると、ヴィクリートが私に言った。


「何を考える事がある。奴らが飢えて死ぬなら自業自得というものではないか。援助が欲しかったのなら、略奪に来る前に言うべきだっただろう」


 まぁ、それはそうなんだけどね。そこは民族の誇りとか伝統的に難しかったんだと思うのよ。それに援助には対価が伴う。困窮してる彼らには対価が無かったのだろう。


 ヴィクリートの言う事にも一理あって、侵攻まで受けておいて、許して援助をくれてやるなんて、帝国の、公爵家のプライド的に許されない行為だ。援助をするなら今回の侵攻の責任者の族長の首を全員刎ねるとか、対価に人間を奴隷として差し出すとか、それくらいさせなければなるまい。


 しかし、それもなんか嫌よね。ここは何とか恩を売って服従させて、公爵領の北の国境を安定させたい所だけれど。


「とりあえず、二度と公爵領に略奪的侵攻をしないと約束してもらいたいですね。それと、謝罪が欲しいです」


「謝罪だと?」


「攻め込まれておいて、そのままあなた方に援助をする訳にも行かないんですよ。ケジメが必要です」


 私の言っていることの意味は分かったのだろう。ヨゼムは顔を歪めた。


「……仕方が無い。どうすればいい?」


「そうですね。あなた方の土地まで出向きますので、族長を集めておいてください。そこで謝罪を受けましょう」


 ヨゼムは了承して帰って行った。ヴィクリートは憤懣やる方ないという表情だった。


「なぜこちらが出向くのだ。あいつらに来させれば良いであろう」


「それだと怖がって来ない可能性があるのと、私が遊牧民の土地を実際に見てみたかったのですよ」


 ちょっと興味があったのだ。ヴィクリートは呆れたような顔をした。


「本当にあいつらに援助をするつもりか?」


「ええ。後で対価は何かと頂こうとは思ってるけどね」


「君を傷付けようとした物達だぞ? お人好し過ぎはしないか?」


 そうねぇ。私はヴィクリートをジッと見詰めた。


「私は、困っている人は助ける性分なの。知っているでしょう? ヴィクリート」


 ヴィクリートは私に見詰められて困ったような顔をした。私は微笑んで彼の頬にキスをする。


「大丈夫。公爵家や帝国に迷惑を掛けない方法は考えるわ」


 実際、これ以上遊牧民を追い詰めてしまうと、彼らがやぶれかぶれで再び侵攻してきたり、他の遊牧民や他国と手を結んで帝国と長く敵対するようになったりする可能性もあると思うのよね。


 善意だけど善意だけでは政治は出来ない。私はもうそれくらいは知っているのだ。


  ◇◇◇


 遊牧民の土地へは馬車で向かった。悪路も走れる小さな馬車に私とミレニー、レイメヤーが乗り、ヴィクリートとアーセイムが率いる五千の兵が護衛してくれる。護衛というよりもう軍隊よね。これ。


 国境を越えた瞬間、馬車の中にいても分かるくらい気温が下がった。これには驚いた。魔力奉納の効果で気候が温暖になっていると聞いてはいたけれど、まさかこれほど体感出来るほど気温が違うとは思わなかった。


 窓の外を見ると、荒涼とした風景が広がっていた。私はもちろん、草原地帯になんて来た事が無かったのだけど、草原というくらいなのだから緑が一面に広がる光景を想像していたのに、一面灰色というか茶色というか、そういう色合いなのだ。


 ……なるほど。これでは家畜を肥やすことは出来ないだろうね。遊牧民が困窮するわけだわ。


 荒野の中央に大きな岩が聳え立っている場所があり、それが会談場所の目印だった。約束の地点に到着すると、遊牧民たちは既に待っていた。人数はこちらと同じくらいいたけれど、装備の違いは明らかだし、元気も無い。進み出てくる騎馬が七騎。これが代表の族長だろう。


 私は馬車を降り、ヴィクリートと一緒に迎える。彼らは馬を降りて、跪いた。遊牧民には跪く文化は無いそうだけど、おそらくヨゼムがそう指示したのだろう。


 彼らは元気の無い声でボソボソと言った。


「帝国へ謝罪を。我らが神に誓って二度と先のような事をせぬ」


 ヴィクリートが額に青筋を浮かべていたけれど、私は彼の手を握って宥める。まぁ、謝る気あるのか? というようなやる気の無さだけどね。


 彼らの後ろからやってきた遊牧民達が、何台かのソリのような物を引いてくる。その上には何やらいろんな物が載っていた。農具だとか厨房器具だとか、あるいは布類である。略奪品だろう。約束通り変換してくれるらしい。


「これで奪ったものは返した」


 ヨゼムは言ったけど、焼かれた家や踏み荒らされた畑などはどうしてくれるのよ、と私でも言いたい。だけどヨゼムは約束は守ったのだから、今度はそちらの番だと言わんばかりの態度だった。文化の違いかしらね。これでは領地を荒らされた帝国の者は納得すまい。ヴィクリートもアーセイムも、レイメヤーなんかも怒りの感情も露わにヨゼムを睨み付けている。


 ヴィクリートの怒り具合を見るにつけ、このまま公爵領に帰ったら、約束なんて守る必要はない! と叫ぶだろうね。彼が強硬に反対したら、私も流石に彼の意向を無視して援助を強行する事など出来ない。


 どうした事だろうね。私はヴィクリートのご機嫌を宥めるために、ヨゼムに言ってみた。


「あなた達の暮らしぶりを見せてもらえないかしら?」


 会談場所のほど近いところに白い天幕で構成された集落があるのが見える。私がそこを指差すと、ヨゼムは首を傾げながら同意した。


 ヴィクリートは農村も好きだし、族長ではなく庶民の様子を見れば態度が和らぐかも、というくらいの軽い気持ちだった。


 ところが、集落の状態を見て、私は絶句した。あまりにも酷い状況だったので。


 何しろ、そこにいる五十名位の人々は、誰も彼も痩せ衰えてボロボロだったのだ。目は落ち窪み、手足は細く、そして顔色は青白い。飢えている事がありありと分かる。


 子供もいたが、公爵領なら元気よく走り回っているものが、座り込み、俯いている。そして赤ん坊がいない。……いたのだろうけど、おそらく冬が越せなかったのだ。


 そして家畜は少ない上にこれもボロボロ。痩せた羊が必死に地面を掘って舐めている。草の根っこを食べようとしているのだろう。


 壮絶な状況に、私は立ち尽くすしか無かった。


_____________


今日はここまでです。

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