三十五話(後) シルフィン奇跡を起こす
私は、こんな状態の人々を目にしておきながら、知らん顔出来るような性格ではない。ごく自然にどうにかしてあげたくなってしまう。
甘いと怒られるかもしれないけれど、ここにいる女子供は公爵領への略奪には関係無い人々ではないか。
しかし、そんな私の心情をよく理解してくれている筈のヴィクリートは、私の肩に手を置いて厳しい声で言った。
「無理だ。シルフィン」
「? どうして?」
「余りにも困窮し過ぎている。当座の食料を与えれば良いという問題ではないぞ。これは」
確かにそれはその通りだ。例えば、この十日ばかりを食い繋げる食料を与える事なら出来るだろう。しかし、まだ今は春で、それでこの状態である。天候が回復して草原に草が満ちれば良いのだけど、そうで無かった場合、この先冬まで、いや、冬越しのための食料まで援助しなければならなくなる。
おそらく何万人という単位の食料だ。いくら公爵領、帝国にもそんな余裕は無い。まして対価無しで与え続けるなど出来よう筈がない。
黙り込む私にヴィクリートは続ける。
「ここまで酷いのなら、全員にこの地を捨てさせて公爵領に移住させ、小作人として雇うしかないだろうな。そうすれば援助の名目が立つ。しかし、ついこの間公爵領を荒らし回った連中を、公爵領の庄屋が許して小作として雇うわけがない」
そうね。いくら何でも公爵領の農民達に、恨みを捨てて彼らを雇ってくれなんて言えない。人的被害は無かったとはいえ、彼らは自分たちの家を焼いた者達なのだ。
全ての結論として、無理、どうしようもない、という事になる。間に合わせに多少の食料を援助して「約束は守ったぞ」と言って国境を封鎖し、後は彼らが死んで行くのを見ないふりをするしかないだろう。
……分かる。ヴィクリートの言っている事は理屈としては理解出来る。
だけど、感情として、私の信条として納得が出来ない。ただ滅んで行く者たちを見捨てることが、悲しくて苦しくて、辛い。
しかし、どうにもなるものでも無い。私はヴィクリートに促されて集落を出る。その時、座り込んでいた子供と目が合った。
私は子供に好かれる性質だ。そこへ行ってもまず子供と仲良くなれる。その子も、私を見上げてニコッと笑った。しかし、そのまま立ち上がる事も無く、直ぐに顔を伏せてしまった。
私はたまらなくなった。涙が浮かんできてしまう。私の肩を抱きながらヴィクリートが慰めるように言ってくれる。
「援助はしよう。だが、その程度でどうにも出来ない事は君にも分かるであろう?」
先ほどの怒りようからすれば、これでもヴィクリートは随分と私の思いに寄り添って譲歩してくれた方なのだ。彼に、これ以上を望む事は出来ない。彼の妻として、次期公妃として、それ以上を望んではならない。裕福な公爵家にだって、出来ることと出来ないことがあるのだから。
「……ありがとう。ヴィクリート……」
私は何とか絞り出すように言った。それを聞いて彼はホッとしたようだった。
私たちは族長達に「当面の援助はする」と伝えた。彼らは随分喜んでいたが、そんな程度でどうにもなるものではない、という事は、理解していないのか目を逸らしているのか。
私たちは遊牧民達の見送りを受けて、馬車に乗り込もうとした。
その時、馬車のすぐ横に聳え立っている大岩が目に入ったのである。
……岩といえば、領都のお城だ。あのお城の魔力奉納をする礼拝堂は、床面が岩山を削って平らにしてあった。その岩に手を当てて魔力を流して、大地に魔力を奉納するのである。
もしかして、この岩に魔力を流したら、この遊牧民の大地も豊かになったりしないかしらね? と私は漠然と考えたのだった。
……無理ね。まず、私の魔力は極小だ。私が魔力を捧げても草原を潤す事など出来やしないだろう。ヴィクリートやレイメヤーなら? 彼らの魔力は帝国、公爵領のためのものだ。こんな所で使わせる訳にはいかない。
そもそも、礼拝堂ではないこんなただの岩に魔力を流しても意味はないかもしれない。
……そんな事は分かっていた。分かってはいたけれど、私はこの時、このまま何もしないで、多くの人の死に背を向けて帝都に帰り、知らぬ顔でヴィクリートと結婚して幸せになるなんて、とても耐えられない気分だったのだ。
単に何かがしたかった。何かをした気になりたかったのだろう。それだけだったのだ。私は自分に対する言い訳のために、やる事はやってみたのだ、と言いたかったがために、大岩に手を当てた。
「天にまします大いなる大地の女神よ。この大地に恵みを齎したまえ。我は心より祈りを捧げ、我が魔力を奉納せんとす。どうか大地に潤いを、大気に暖かさを、人々の顔に笑顔を……」
自己流の祈りの言葉と共に、岩に向かって魔力を流す。すると、掌から魔力が流れる感触があると共に、手の辺りからパチパチっと火花のような物が飛んだ。領都の礼拝堂で魔力奉納した時と同じだ。
魔力が通る。私は思わず全力で魔力を流した。私の微細な魔力でも、もしかしたらほんの少し、この周りだけでも、草が生えるくらいはしてくれるかも知れない。
どうか、どうか。この地が少しでも肥え、草が生え、あの子供達に笑顔が戻りますように……。私はいつしか目を閉じ、必死に祈っていた。
「どうしてそのように祈るのですか?」
突然、声が聞こえて、私は思わず顔を上げた。目の前は岩がある筈よね。でもそこはなぜか鏡のようになっており、そこに私の姿が映っていた。
しかし、それは私の写し身では無い。ストロベリーブロンドの、痩せた小さな女性。その姿は確かに私だ。しかしその水色の瞳は興味深そうに私を覗き込んでいる。
「貴女には何の関わりも無い土地でしょう? どうしてそのように祈るのですか?」
……なぜ? 何でだろうね。私はそう思いながらもこう答えた。
「助けたいからです。助けられるのなら助けたい。無理でも、出来る事は何でもしたいんです」
「その結果、自分が死ぬことになっても?」
そこまでは無理かな。私は無事ヴィクリートと結婚したいし、彼と幸せな生活を楽しみたい。これからもずっと。
でも、それとは別に、何をしても助けたいという思いもある。矛盾かな。でも人間の感情なんてそんなに簡単に割り切れない。
「分かりません」
「正直な人間ですね。そこはもちろんです、と言うところですよ」
『彼女』は呆れた様に言った。
「ま、良いでしょう。ただ、これだけは約束しなさい。『力』は大地のためだけに使いなさいね? 授けた力を変な道具に使う者が多くて困ります。私の力を大地に注がせるために人間に与えているのに。これでは中々私の土地が肥えないじゃありませんか」
『彼女』が何を言っているのかは全然分からない。分からないけど、私は素直に頷いた。
「はい。約束します」
「ま、これでまた私の土地が増えるのだから、悪い話ではないわね。貴女が祈ってくれて助かったわ。でも、責任をもって、これからずっとこの地に力を注ぎ続けなさいね。そうしないと他の神にこの土地を取られてしまうから」
私は『彼女』が何者かが分かり始めていた。私は心から誓った。
「約束します。これから一生、私はこの地を慈しみ、魔力を注ぎ続けるでしょう。大地の女神よ。貴女に授かった力を使い、大地を肥やし潤し大気を暖めるでしょう。私が死んだら、子供達がその跡を引き継ぎ、この世が終わるまで」
「その誓い、しかと聞きましたからね。ゆめゆめ忘れぬように」
『彼女』ニッコリと笑って、そして次の瞬間、虹色の輝きを放ち、光の中に消えていった。まぶしい。私は目を閉じて……。
……あれ?
気が付くと私は倒れていた。ヴィクリートが私を抱き留め、支えている。
「シルフィン!」
ヴィクリートが心配そうに呼びかけている。なんでそんな顔をしてるのかしら? 私は大丈夫よ。私は微笑んでみせた。
ほら、とっても暖かくて良い天気じゃない。草の香りも気持ち良い。
……あれ?
私は目を瞬いてしまう。身体を起こしてみる。……あれ? ここ、どこかしら。
そこは一面に緑が広がる、大草原の真ん中だった。草の中にはチラホラ控えめな色の花々も咲いている。そして風も暖かだし、空は青い。なんだか凄く良いところね。
でも、ここ何処かしらね? いつの間にこんな所に来たのかしら。
ふと見ると、すぐ傍に巨大な岩がそそり立っていた。……え?
私はようやくハッキリ目を覚まし、辺りをキョロキョロと見回す。
白い天幕の集落が見える。遊牧民の騎兵達が見える。族長達は呆然とし、帝国の騎兵も驚きの表情も露わに辺りを見回している。レイメヤーとアーセイムが二人して目を丸くしている。ミレニーは何故か呆れ果てたわよ、という顔をして私を見ている。お説教でもしたそうな顔ね。そしてヴィクリートは私を抱き留めながら感動極まれりという面持ちだった。
場所は、変わっていない。風景だけが変わったのだ。なんとまぁ。一体何が起きたのだろう。
……って、それはいくら何でもとぼけ過ぎね。あれよね。あの夢うつつでお会いした大地の女神様が大地を癒やして下さったのだろう。いや、あの大地の女神様の口ぶりだと、女神様は私に『力』を下さっただけなんだろうね。私が、この大きな岩を通じてそれを大地に注ぎ込み、大地を肥やしたということなのだろう。
私は立ち上がり、ヴィクリートを見る。
「いきなり君が光り輝き、そして光が去ったと思ったらこの光景だ。一体君は何をしたのだ?」
うーん。説明しにくいわね。そうね。
「……大地の女神様にお会いしました」
流石のヴィクリートも驚愕を隠せないという顔をした。アーセイムとレイメヤーなどはもう我慢出来ないという感じで跪く。ミレニーは胡散臭そうな顔をしていたけれどね。
「……聖女になったのか? シルフィン?」
「そんな大層なものじゃ有りませんよ。大地の女神様は……」
どうも大地の女神様のお言葉を要約すると「その地を大地の女神様の領域にするには、女神様の『力』を注ぐ必要があるんだけど、女神様本人には出来ないから信者に代行させる。そのために信者に与えられた力が『魔力』である」という感じよね。なんだか、土地を自分の物にするための遊びをしているような感じで、もしかしたらあれは他の神様と陣取りゲームを楽しんでいるような風情だったわ。
要するに私はこの地を手に入れるための手駒にされたんだわね。でも、それでもそのおかげで私は魔力を授かり、それでこの地が癒やせたのだから、大地の女神様には感謝すべきだろうね。
「聖女だ」「聖女様だ!」「シルフィン様が聖女様になられた!」
そういう声が帝国軍の者達の間に広がって、彼らは次々と下馬して跪き、両手を胸に当てて私を拝み始めた。ちょっと! 止めて! そんな大層な物じゃ無いんだってば!
しかし、その様子を見て、一瞬で気候を変え辺りに草花で一杯にした犯人が私だと、遊牧民達にも知れたようだった。彼らも走ってきて、何やら祈りの言葉を叫びながら、次々と私に向かって膝を突き頭を地面に擦りつけ始めた。おそらくこれが彼らにとっての最上の敬意の表し方なのだろう。
集落の人々もやってくる。子供達は周囲の変わりように大喜びして、笑いながら転がりながら走ってきた。家畜でさえ跳ね回って喜んでいるようだった。
良かったわ。私は素直にそう思った。大地の女神様の思惑などどうでも良い。私にとっては大地が蘇り人々に笑顔が戻った事が全てなのだ。
「一体君は、どこまで凄くなるのだ? シルフィン?」
ヴィクリートが若干緊張した声色で言う。何よ。この人ともあろう者が、何を勘違いしているのだろうね。私は彼の手を握り、フフフっと笑う。
「別に凄くなんてありませんよ? 私は貴方の可愛い婚約者。それ以上でもそれ以下でもありません」
私の言葉に、ヴィクリートは虚を突かれたような顔をして、そして照れたように顔を赤らめた。
「……そうか。そうだな。その通りだ」
ヴィクリートは私の腰を引き寄せ、頬にキスをして破顔した。
そして私とヴィクリートは抱き合いながら、むせかえるような草の匂いと、暖かい風と、二種類の祈りの言葉に包まれながら、同じ未来に目を向けたのだった。
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