三十六話(前) ヴィクリート苦戦する(上)

 アンガルゼ王国は帝国の東に位置する国だ。大きさは帝国の三分の一程度で、人口は五分の一。国力に至ってはそれ以上の差がある。


 そんな王国が帝国に戦いを挑むなど滑稽なことなのだが、ファルシーネ様は自信満々だった。まぁ、女性がどの程度軍事について理解しているものかとは思うのだが、戦争の勝敗は女神の思し召し。油断は禁物だ。


 皇帝陛下の命を受け、私とメルバリードはアンガルゼ王国との戦争準備に入った。勿論、その前に外交交渉での解決を目指すが、ファルシーネ様のあの態度では戦争突入は恐らく避けられないだろう。私は部下や同僚の将軍と協議して、アンガルゼ王国には三万人の軍隊を送り込むことにした。


 帝国の最大動員兵力は二十万人と言われているが、これは帝国中の領主貴族がそれぞれ兵を最大まで動員したものの合計で、勿論だが帝国皇帝と言えど、動員を領主貴族に強要することは出来ない。領主貴族が兵を出した場合、その軍費は貴族本人が持たなければならないからだ(例外もある)。


 一応、帝国貴族が皇帝陛下の要請に従って兵を出す事は義務であるとされているが、そうはいっても予算が無いのに兵は出せないし、兵を出したら領内の統治が崩壊してしまうようなら無理強いは出来ないというのが実情である。


 しかもアンガルゼ王国に気を取られている間に他の国から侵攻を受ける可能性も排除出来ない。そのため、国境要所に駐留させている帝国軍や艦隊を動かすことはあまり出来ない。そのため、なんやかやの事情を考えると、三万人というのは帝国軍としては最大限の動員であると言えた。


 そのアンガルゼ王国遠征軍の司令官は私である。これは衆目の一致するところであったらしく、自然と決まった。


 いや、私よりも経験豊富で優れた将帥はいるはずだと思うのだが、戦時には帝国軍自体の総司令官は皇太子殿下が務める事になっており、そうであればメルバリードの腹心である私が遠征軍司令官を務めるのは自然な流れであるということらしい。


 勿論、参謀や前線指揮官には経験豊富な将帥や佐官が務めてくれるので、問題は無い。総司令官に必要なのは、高い地位に相応しい家名と皇帝陛下、皇太子殿下からの信頼なのだ。


「頼むぞ。ヴィクリート」


 と皇帝陛下とメルバリードに異口同音に言われれば、それは名誉な任務であるから引き受けざるを得ない。私は緊張に身を引き締め、奮い立つような思いで謹んで司令官の任務を拝命した。


 私はハイフェンを始めとした私の軍における部下たちと協議して対アンガルゼ王国の軍事行動の詳細を決めていった。帝国にはこうした大規模軍事行動のノウハウが蓄積されマニュアル化されているので、基本的にはそのマニュアルに沿って準備を進める。


 アンガルゼ王国は帝国を成す半島の付け根に近接している。形状としては東西に細長く、南北方向は短い。北部は山脈を背負っていて、東西交易と海上交易の拠点として栄えてきた国だ。


 何百年か前に帝国の属国化しており、それ以来帝国に逆らう事はなかった。それなのに皇女が嫁いだ途端に帝国と敵対することになるのだから、婚姻政策も良し悪しでだな。


 実際、ファルシーネ様が嫁いで直ぐぐらいからアンガルゼ王国は軍備の増強を図っていて、常備軍を一万人も組織するようになっていた。そして、海上警備の名目で艦隊の増強も行っていたのである。


 常備軍や艦隊というのは壮大な金食い虫で、帝国でさえ帝国全体で国境警備を含めても、精々二万人しか抱えていない。それを国力五分の一というアンガルゼ王国が一万人もの兵員を維持するなど無理に決まっている。


 私はこの報告を最初に受けた時、アンガルゼ王国は何を考えているのかと思っったのだが、近い内に帝国と戦争しようと思っていたのならさもありなんといった感じだ。それなら確かに長期維持による予算の膨大化を考える必要はない。


 アンガルゼ王国は帝国と関係が深いため、帝国貴族の血が随分入っているからだろう、魔力兵器が相当数配備されているらしい。これは多少厄介だ。


 私は参謀やメルバリードと協議の上で、まず帝国艦隊を派遣することにした。帝国東側の艦隊基地であるグレンアイはアンガルゼ王国に近い。艦隊を出撃させれば、半日もあれば到着する。


 艦隊でアンガルゼ王国の港を封鎖してしまい、動きを封じた後に陸路でアンガルゼ王国に攻め入る。今回の帝国としての戦争構想としては、アンガルゼ王国を屈服させたらファルシーネ様への重い処罰と、港湾利用権や航路優先や、関税の大幅引き下げを要求して講和するというものになる。


 完全に滅亡させてしまうと、アンガルゼ王国の東にある国を刺激してしまうし、海上交易で繋がりがある他国が干渉してくるかも知れない、これまでも属国だったが、もう一段支配を推し進める程度で留めておくべきだろう。


 そうやって着々と戦争準備を進めていた私だったが、気がかりな事が一つあった。もちろんシルフィンの事だ。


 シルフィンと分かれて戦地に行かなければならない事はもちろんだが、シルフィンは戦争が起こるこの春に、公爵領に一人で滞在すると言い出したのである。


 農業革命の結果を確認し、不足があれば手直ししなければならないという意見は分からないものではないが、状況が状況である。


 公爵領は帝国の東北のはずれで、東側は山岳地帯で他領ではあるけど細い山道しか通じておらず、ほとんど没交渉。北は草原地帯で遊牧民が暮らしている。東と南は帝国貴族の領地である。この百年ばかり小競り合い一つ起こっていない平和な土地だ。


 しかし、戦争が起こる時はその他の所でも不穏になるのが普通である。平和な公爵領とはいえ、たまには山賊がやってきたり、農民達が一揆を起こすことも、かつてはあったと聞く。不作の年に遊牧民が略奪に来たこともあったようだ。


 そういう事態が起これば、シルフィンの身が危険に陥ってしまう。なので流石に彼女を一人で公爵領に残すことに、私は難色を示した。


 しかしシルフィンは「どうしても必要だから」と言って私を説き伏せた。シルフィンは頑固だし弁は立つし、しかも今回の場合、私だってシルフィンの主張に理がある事は認めざるを得ない。


 結局私はシルフィンを一人で公爵領に行かせる事に同意せざるを得なかった。私はアーセイムという士官に命じて、兵三百をもって護衛に当たるよう命じた。


「なんとしても、必ずシルフィン様をお守りいたします!」


 とアーセイムは頼もしく請け負ってくれた。彼は優秀な軍人であることはよく知っている。しかしそれでも私は言った。


「シルフィンを失ったら帝国は滅びる、帝国そのものを守るつもりで警護せよ」


 アーセイムは身体中を緊張させて頷いた。


 そうやってさまざまな準備を終え、ついに帝国軍が帝都を進発する日がやってきた。帝宮の門前広場に集合した私を含む貴族の士官や騎士たちが五百名ほど。帝宮の門の上に正装に身を包んで立った皇帝陛下が私たちに大地の女神の祝福を下さる。


「天にまします大地の女神よ! 戦いに向かう戦士たちに祝福を。彼らの手足に力を漲らせ、その心に勇気を与えたまえ! 神よ帝国を守りたまえ!」


 我々出征軍は右手を突き上げて雄叫びを上げる。戦いの高揚に自然と声は大きくなる。


 騎乗した私たちは帝宮を出て帝都の大路を進む。そこで平民の軍勢と合流して隊列を組むと、帝都市民の歓呼と撒き散らされる花吹雪の中を行進した。


 そして帝都の東の城門へとやってきた。ここを出て一気に東の国境を目指すのだ。


 その城門の前に、一人の女性が待っていた。薄緑色のスラッとしたドレス。桃色掛かった金髪を素直に後ろに波打たせ、大きな水色の瞳が真っ直ぐに私の方を向いていた。少し照れくさそうに笑っている。


 シルフィンは先頭を行く私の馬の前に立ち塞がった。これは私の行軍の邪魔をしているわけではない。


 私は鎧姿のまま馬を降りた。シルフィンは私の側に歩み寄る。周囲には軍勢や平民の見物人が十重二十重と取り囲んで注目しているのに、恐れ気一つ見せない。大したものだ。


 そして彼女は私の正面に立つと、小さな花冠を両手で高く持ち上げた。私は跪く。


 出征の儀式の一つ、処女による花冠の授与である。


「戦いに向かう者たちに大地の祝福を」


 シルフィンはそう言うと、私の頭に白と赤の花で作った花冠を乗せた。これは捧げる処女が自分で制作するものだから、私の頭に乗せられたこれはシルフィンのお手製だという事になる。


 この時、門前の広場のあちこちでは、恋人や娘たちから兵士たちに花冠が捧げられている。この時のために意中の娘に花冠を頼む者も多いと聞く。


 私はこれまで花冠を被せられた事は無かったが、悪い気分では無いな、と思った。もちろん、愛するシルフィンが自ら作った愛情溢れるものであったからだろうし、彼女の表情が愛情と寂しさと、不安と期待に満ち満ちていたからでもあろう。


「行ってくる。シルフィン」


「ええ。必ず勝ってお帰りを。今度は月桂冠を準備してお待ちしていますからね」


 シルフィンの笑顔に私も笑顔で頷いて、私は再び馬上の人となった。そして歓声に後押しされるように帝都から東へと向かったのである。


_____________

今日はここまでです(´・ω・`)

 

 

 

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