三十六話(後) ヴィクリート苦戦する(上)
帝国軍は東へ進軍しながら情報を集め、作戦を検討した。ちなみに帝都からアンガルゼ王国国境までは十日掛かる。道中は領主貴族から宿営地を提供され、私ほか幹部は領主の屋敷に泊まった。
アンガルゼ王国軍は両国を結ぶ街道に進出しているようだ。その数は一万人。帝国軍三万の相手では無いと思う。魔法兵器があるとは言っても、質も量も帝国側が圧倒しているのだし。
両国の国境には、帝国の要塞だけがある。フェラージェ要塞という。アンガルゼ王国が属国化した時に、アンガルゼ王国側の要塞は全て破壊されたのだ。
既にフェラージュ要塞には近隣の領主が集めた兵が一千名入っている。要塞には強力な魔力砲などの魔法兵器があるので、たとえ一万の兵に囲まれてもそう簡単に陥落しはすまい。
むしろ要塞攻略に取り掛かってくれれば幸いだ。背後から攻撃して要塞と挟撃出来るだろう。
そして既に帝国艦隊は出撃準備を終えている。首都を進発した三万の軍勢の内、二万五千は街道を進んでアンガルゼ王国軍と決戦し、残る五千は艦隊と合流して海路でアンガルゼ王国に向かう予定だった。
アンガルゼ王国の艦隊が港を抜け出し、我が帝国の港を襲うと厄介だし、王族が他国に亡命しても面倒だ。海上封鎖して、港に強行突入して上陸。港から少し内陸に入ったところにある王都を、港側と街道側から攻略するのだ。
艦隊の実力の比較でも、帝国の方がはるかに優っているのは間違い無い。単純に艦船の数も帝国が三十隻に対してアンガルゼ王国は十五隻で倍だし、魔力砲を多数搭載している帝国の艦は個艦の能力もアンガルゼ王国の艦船を圧倒している。
私は考えた末、艦隊の指揮を執る事にした。街道の戦いよりも艦隊の戦いの方が重要だと思ったからだ。それに、私は陸上の戦いは経験があるが、艦隊を指揮した事はない。良い機会だと考えたのである。
もちろん、艦隊指揮の経験がある者を副官や参謀に付けるし、各艦の艦長たちはベテランだ。経験の浅い私はお飾りとして乗って、必要なら決断を下し、責任を負うだけになるだろう。
帝国軍は東の国境近くで二手に分かれ、私が率いる五千人は帝国の艦隊基地グレンアイに向かう。私は何度も魔力供給で来ているのでグレンアイは馴染み深い。
西のハイアッグはいかにも南国といった風情の港だが、グレンアイはいつも曇っていて、波も荒々しい港だった。帝国の誇る三本マストの黒い帆船が三十隻並ぶ様はいつ見ても壮観だ。
基地に入った私は艦隊の指揮官達と作戦協議を始めたのだが、そこで嫌な話を聞いた。
「ボステニア王国が?」
「はい。どうもアンガルゼ王国に援軍を出しているという噂が」
……それは少し困った事になった。ボステニア王国はアンガルゼ王国の更に東にある大きな王国で、帝国とは海上交易の権益を争っていて、少し緊張状態にある。
当然アンガルゼ王国は我が国の属国だったので、ボステニア王国とは緊張状態にあった筈だ。それが帝国を敵にして手を結んだとなると……。
「正気か? ファルシーネ様は」
ボステニア王国は帝国には及ばないまでも大きな王国で、帝国と戦うために手を組むというのは分からないではないが。
「どう考えても血縁である帝国と手を結ぶよりもリスクが高かろうに」
ボステニア王国は支援の見返りに、ボステニア王国への属国化をアンガルゼ王国に求めるだろう。
帝国の属国からボステニア王国の属国に変わるだけではあるが、その場合、帝国の皇帝陛下の血縁であるファルシーネ様の扱いが悪くなる事は避けられまい。王妃の地位を保てなくなる事も十分に考えられる。そんな危険を冒してでも帝国に勝ちたかったのだろう。手段を選ばずとはまさにこのことか。
帝国としては、これまでボステニア王国との緩衝地帯として機能していたアンガルゼ王国がボステニア王国化すれば、国境の防衛にこれまでよりも予算や人員を振り分けなければならなくなるだろう。となるとアンガルゼ王国をボステニア王国に奪われるわけにはいかない。
ここはやはり、ボステニア王国の援軍を含めてアンガルゼ王国を打ち破って完全に屈服させる必要があるだろう。私は艦隊に出撃を命じた。
帝国艦隊三十隻の内、二十隻、そして兵員の輸送船団が出航する。私は海軍の視察や魔力供給も何年もやっているので、船には慣れている。灰色の荒れた海を見ながら、その内シルフィンとも船に乗りたいものだ、などと私はまだこの時は呑気な事を考えていた。
グレンアイの港からアンガルゼ王国の港町まではそう遠くない。半日もあれば到着する。しかし、その前に、偵察に出ていた快速艇が報告を齎した。
「港の前に艦隊が布陣しています」
どうやらアンガルゼ王国艦隊は、我が艦隊に港を封鎖する前に、港を出て決戦を挑む考えらしい。ふむ。それならそれで望む所だ。艦隊をやっつけてから港に乗り込んだ方が手間は少ない。
報告ではアンガルゼ王国の艦隊は十隻。こちらは倍の二十隻である。普通に戦えば負けないだろう。
私はこの時、アンガルゼ王国艦隊が事前の資料では十五隻になっていたのに、ここには十隻しかいない事をあまり深く考えていなかった。こちらも緊急と港の防御のために十隻を残して(ボステニア王国の話もあったので)いるのだし、アンガルゼ王国も同じだと思ったのである。
我が艦隊は兵員輸送船を後方に残し、旗艦を先頭に二列縦隊になって前進した。もちろん帆船であるからこれは簡単な事では無い。帝国海軍の練度の賜物と言えた。
対してアンガルゼ王国艦隊も二列、五隻ずつで縦列を作って前進してくる。アンガルゼ王国艦隊も魔力砲を装備しているようなので、砲撃戦を挑んでくるようだ。
我が艦隊の戦闘艦には片舷に五門ずつの魔力砲を装備している。これは魔力を充填した状態で三十発ほど発射出来る。その威力は、命中すれば敵艦を半壊させられるほどだ。しかし、アンガルゼ王国側はせいぜい二門の筈だ。魔力兵器の製造は難しいし魔力自体も膨大な量が必要なのである。
帝国の場合、家門を継ぐ前の上位貴族の令息や、家門を継げないために軍に止まった貴族男性が総出で各軍事施設に魔力を供給して回っているのだ。それに対してアンガルゼ王国には高い魔力の持ち主は、それこそファルシーネ様しかいないのではないか? 帝国軍と私の絶大な自信はこの魔力差での優位にある。
私の副官(事実上の艦隊司令官)と顔を見合わせて頷く。彼は大きな声で号令を掛ける。
「砲撃戦準備! 目標! 敵の先頭艦! 進路はこのまま維持!」
「了解!」
後方で命令が復唱されると共に、マストの上で見張り員が旗を揚げて後方の艦に命令を伝える。舷側の扉がギギギギっと音を立てて開き、魔力砲が迫り出してくる。
魔力砲での砲撃戦では司令官の目測で距離を測る。私も陸上でなら砲撃の目安になる距離の測り方を知っているが、海の上では不安がある。なので私はそれも副官任せにした。
副官が敵艦を睨み付けている。次第に敵の先頭艦の姿が大きくなってきた。そろそろか? 私が思ったその時、副官が言った。
「今です!」
私は右手を振り上げた。
「撃て!」
そして右手を振り下ろす。
次の瞬間、腹に響くゴーンという轟音と共に、舷側の二門の魔力砲が火を噴いた。この時点で敵艦は私から見て右側、斜め前といった位置にいる。戦闘艦は敵艦が真横にいた時は全ての砲門を敵に向けられるが、斜め前にいる時には二門しか向けられないのだ。
しかし、帝国軍の砲の方が遠距離までの射撃が可能である。そのため、その優位を活かすためにあえて二門だけを砲撃したのだ。
魔力砲は魔力の塊を撃ち出すものであるので、砲術士が狙いを正確に念ずれば、基本的には狙いを外すことは無い(あまりにも小さな的、例えば人一人を狙い撃ちにするような事は出来ないが)。そのため、こちらの先制攻撃は見事に敵艦に命中した。
帝国艦隊の艦より一回り小さなその艦は、その一撃で右舷を大きく損傷し、艦体を傾けて戦列を外れていった。しかし、その隙に敵の残りの艦隊は一気に前進してきた。恐らく、あれは囮艦だったのだろう。最初から捨て駒にするつもりだったのだ。ここまで接近すれば、帝国にも距離の優位は無い。
そして敵艦はどうやら、砲が少ない事を逆手にとって、砲を艦の前方に集中させているようだった。正面に四門向けられるようになっているのである。そして艦の正面をこちらに向けて突っ込んでくる。なるほど。中々考えられているな。
次の瞬間、敵艦隊が私が乗った旗艦に向けて発砲した。魔力砲独特のほとんどアーチを描かない軌道を描きつつ砲弾が飛んでくるのが見える。
「総員! 衝撃に備えよ!」
副官が叫ぶ。そして敵弾が私の乗った艦に命中する。
その瞬間、艦が虹色の輝きを放ち、魔力砲弾が四散した。魔力防御だ。艦に込められた魔力で魔力砲弾を相殺するのである。これには砲弾を放つのと同等の魔力が必要なので、あまりに多数の命中弾を浴びてしまうと相殺しきれなくなるが、そもそもアンガルゼ王国艦の魔力砲弾は威力が低いので問題無いだろう。
「反撃せよ! 撃て!」
私が命ずると、帝国艦隊の各艦が一斉に発砲する。確かに向けられる砲の数は少ないが、艦の数が多い。そして威力も段違いだ。
轟音と共に魔力砲弾が輝きながら宙を駆け、次々と敵艦に突き刺さる。あの様子では魔力防御が無いのだろう。魔力の無い相手と戦うのなら無くても良い魔法防御だが、アンガルゼ王国を始め帝国から魔力が流出した事で魔力砲使用する国や海賊が増えているため、帝国では数年前から艦隊や要塞には魔力防御が搭載されるようになっている。おかげで魔力供給が大変なのだが。
つるべ打ちに遭い、アンガルゼ王国軍の足が止まる。私は二列縦隊の内一列を構成する艦隊に指示してアンガルゼ王国の後方に回り込むように指示した。包囲して殲滅することを企図したのである。恐らく完全包囲すれば降伏旗が敵旗艦のマストに上がる事だろう。私はシルフィンと無益な殺生はしないと約束したからな、などとまだ呑気な事を考えていた。
ところが。
「後方より未確認の艦隊が突っ込んで来ます!」
見張りの兵が叫んだ。私が思わず振り向くと、艦隊の後方より十隻ほどの黒い船が一気に襲い掛かって来るのが見えるではないか。なんだ! どこの船だ!
「あれはアンガルゼ王国の艦と、ボステニア王国の艦です!」
ボステニア王国の艦は形状に特徴が有り、すぐに分かるのだそうだ。それは、魔力砲をほとんど保有していないために、帝国やアンガルゼ王国とは戦術が異なるからだ。それは……。
「一気に突っ込んで来ます!」
「いかん! 近付けるな! 撃ち払え!」
副官が叫ぶが、アンガルゼ王国が砲撃を掛ける内にボステニア王国の艦隊五隻は、真っ直ぐにこちらに突入してきた。
魔力砲を装備していない艦の最大の戦術は衝角を使った体当たり攻撃。そしてそこからの斬り込みである。五隻の艦は目標と定めた帝国艦にしゃにむに突っ込んで来た。その猛々しい姿に、私は背筋がゾクゾクするような興奮を覚えた。
ふ、ふふふふ、こしゃくな。こしゃくな事を。こんな事でこのヴィクリート・レクセレンテの裏を掻いた気か。勝ったつもりか!
むしろ私は楽しくなり、自然と笑顔になってしまった。私は副官に大声で命じた。
「艦底に『積んでいる』戦士達をたたき起こして甲板に上げろ! 切り込んでくるのなら望むところだ! 迎え撃ってやろう!」
帝国艦隊は艦の倉庫に、陸上で戦う時に備えて陸上軍の軍勢を詰め込んでいるのだ。流石に全軍五千人は詰め込みきらなくて、兵員輸送船にも積んでいるが、この艦だけでも三百人ほどは詰め込んでいる筈である。窮屈な思いをしている彼らに存分に戦って貰おうでは無いか。
私は腰に佩いていた剣を抜き放ち、舷側から突っ込んでくる敵艦に向かって吠えた。
「さぁ! 来い!」
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