三十九話 ミレニー親友の暴走に呆れ果てる
私も大概、シルフィンのやることには慣れたつもりだったんだけどね。
でもね。逃げれば良いものを「私が公爵領を守るんだから!」ってお城に立てこもるとは予想外だったのよね。ちょっと待ちなさいよ。そんなのお嬢様、奥様の仕事じゃないでしょうよ。
ただ、シルフィンはその前から領地の農業を改革したり、帝国各地を飛び回って農業指導したりしてたから、彼女がお嬢様らしく無い事しでかすのは今更だったんだけどね。それにしてもいくら何でも戦争は女の仕事じゃないと思うのよ。
でもシルフィンはそれはそれは張り切っていたわよね。私はレイメヤーと顔を見合わせて溜息を吐くしか無かったわ。シルフィンが逃げないならお付きの私達だって逃げるわけにはいかないんだもの。
でも、私達に戦闘が出来るわけが無いのよね。だから私達はシルフィンの護衛に付けられたアーセイムという軍人さんの指示を受けるしかなかった。アーセイムは三十歳であごひげを少し生やしたダンディな方でね。どこかの伯爵の次男だから独身なんだそうで、あら? これはちょっと狙い目かも、とこの時の私は思っていたのよね。
というのは私もシルフィン付きの侍女として、彼女の口利きで階位が上がって子爵夫人になっていたのだ。実家の階位を越えちゃったのよ。大出世よね。夫人と言っても独身だから、お婿を迎えなきゃいけないんだけど、そのお婿に伯爵家次男ならぴったりじゃない? と思ったのよ。歳は随分上だけど。
まぁ、それは兎も角、私達は荷物を運び込ませてお城に立てこもったわ。勿論だけどありったけの物をお屋敷から運び込み、食料も魔道具も持ち込んで、シルフィンのお部屋も快適に整えた。シルフィンやアーセイムの話だと半月くらい立てこもれば援軍が来ることになっていたから、井戸もあるこのお城ならなんとかなるかな? と私は思っていた。
シルフィンの張り切り方は凄かったわね。彼女は何しろ身が軽いし体力があるからいつも付いて行くのすら大変なんだけど、この時は岩山に建つお城なんだもの。中に平らなところなんてほとんど無い。見張りの塔なんて狭くて急な螺旋階段を上らないといけないのよ? ところがこれをシルフィンは軽く駆け上って、また降りて、また違う塔に駆け上るのよ。待ってよー! 私は兎も角レイメヤーはとてもついて行けなかったわね。
お城には兵士の他、避難民もいたんだけど、老人や身寄りの無い子供や女性がほとんど。でも、シルフィンはそういう人たちにも「見張りくらいはできるでしょう」と命じて塔に登らせて監視の任務をさせていた。そういう所はシルフィンは容赦無かったわね。働かざる者喰うべからずというのかしら。あの娘はとにかく働き者だから。
お城に籠もって三日後くらいかな? 遊牧民達が領都に現れた。遠目で見るともの凄い数の人がもの凄い馬に乗って地平線の向こうからうわーってやってきた。それで領都の城門を壊すと中に乱入してきたのよ。私もレイメヤーも恐ろしくて震え上がったんだけど、シルフィンは意気軒昂で、走り回って警戒を指示して、兵士や避難民を励まして歩いていたわ。
そして遊牧民達はお城に攻め寄せたんだけど、お城は岩山の上にあるから入るには城門に続く坂道を登ってくるしか無くて、そこをひしめくように上ってきたわ。そこへアーセイムの号令一下矢が一斉に射かけられた。
矢が遊牧民に次々と突き刺さる様は、帝都育ちの私には刺激が強くてね。腰が抜けてしまった。お嬢様育ちのレイメヤーなんて気を失い掛けていたわよね。でも、シルフィンは目を逸らさず、きつい目つきで敵を睨んでいたわ。
反撃の矢が私達がいる高い見張りの塔の上にも飛んできたんだけど、私なんかもう震えてしまって立ち上がれないし、レイメヤーなんて失神してしまう程恐ろしかったのに、シルフィンは「怯むな! 撃ち返しなさい!」なんて怒鳴ってたわね。どういう神経しているのかしら。あの娘。
それで戦いが夕方に終わって、私やレイメヤーなんてこの日だけで半死半生になっちゃったのに、シルフィンはお城中を走り回ってみんなを激励して、それから身体を拭いて(私達にお風呂を入れる気力が無かった)晩餐もしっかり食べて、礼拝堂で大地の女神様にお祈りをして、そしてベッドでぐっすり寝てたわよね。私はスースー寝息を立てるシルフィンを見ながらもう呆れ果てたわよ。
でも、初日なんて序の口よね。シルフィンは籠城戦が長引くに連れて戦いにも慣れたのか、アーセイムと一緒に普通に兵士達を指揮していたからね。特にアーセイムは城門の指揮所から動けないから、その代わりにシルフィンが城壁の上を走り回って、崖を登ってこようとする遊牧民達を叩き落とす指揮を買って出るようになったのよ。
それはもう、膝丈ドレスにブーツという動きやすい服で、城壁の上を全力で駆け回って変事のあったところに駆け付け、兵士や避難民を指揮して遊牧民に攻撃するのよ。石を投げつけて崖にへばり付いている遊牧民にぶつけるんだけど、シルフィンもドンドン石を投げつけていたわよ。私には怖くてとても無理だった。だって、石を投げようと城壁から顔を出すと、矢が飛んでくるのよ? でもシルフィンはお構いなし。「下からだし遠いから、飛んできたのを見てから避けられるわよ」なんて言ってた。
流石に私もレイメヤーも危ないから止めろって言ったんだけど、シルフィンは聞かなかった。戦いが長引く内に負傷者も増えたし、疲れて思うように戦えなくなる兵士や避難民も多かったから、慢性的に手が足りなかったのは確かだけどね。でも、言わば城主であるシルフィン自ら、荷物運びや投石用の石にするための塔の分解現場で働いたり、見張りの塔で夜通し見張りの任務をするのはやり過ぎだと思うのよね。
シルフィンが率先して働いたお陰で、城内の士気は高かったわよ。半月と言っていたのに二十日経っても一向に援軍は来なかったんだけど、あんなに頑張っているシルフィンの前では不満や弱音は吐けなかった。私だって頑張ったわよ。怖くて攻撃には参加出来なかったけど、石運びはやったもの。
でも、レイメヤーはとにかくシルフィンをどうにか逃がせないか、アーセイムと話し合っている様だったわ。それはそうよね。正直に言って、このお城の中の物、人の中で一番価値のある存在はシルフィンだ。万が一シルフィンが流れ矢にでも当たって死んじゃったら、お城をたとえ最後まで守り切れたとしても、私達は全員縛り首か打ち首よね。ヴィクリート様がそうなさるでしょうよ。あのシルフィンを溺愛する事この上無い殿下が、シルフィンの危機を知ったら何をしでかすか分からないし、死んじゃったなんて事になったら怒り狂って遊牧民の土地を全部燃やしちゃうかもね。
まぁ、シルフィンが逃げる事なんて承知するはず無いのよね。レイメヤーやアーセイムの勧めを断って、ますます張り切って戦っていたわよ。
レイメヤーは本当にシルフィンを心配して、体力が無いのに涙ぐましいまでに頑張ってシルフィンをサポートしていたんだけど。初めての経験の(いや、私も初めてだったんだけど)籠城戦に疲弊してしまって、遂には寝込んでしまっていたわ。私が頑張るから休んでいて、と言って、シルフィンも休んでいなさいと言ったんだけど、レイメヤーは不甲斐ない、申し訳ないと泣いていたわね。アーセイムに「くれぐれもシルフィン様をお願い致します!」と頼んでいた。
護衛隊長のアーセイムはヴィクリート様がシルフィンを任せるくらいだから有能で、働き者だったんだけど、そんな彼でもシルフィンの活躍には目を白黒させていたわ。
「一体何者なのですか? あの方は?」
なんて聞かれて私もレイメヤーも返答に困ったわよ。あの娘が何者かなんてこっちが聞きたいわね。私もそんな事とっくに分からなくなっていたわ。
私は確かにシルフィンの元同僚で、仲良しで、まぁ親友と言っても良いくらいの関係だと思うのよ。でもね、あの娘はドンドン変わっていってしまった。
性格は変わっていないのよ。働き者で優しくて少しお人好し。夢中になると周囲が目に入らなくなるから、危なっかしい。そんな所は侍女時代と同じだった。
でも、公爵家に入ってからの彼女はなんというかな、水を得た魚のようでね。今から考えると、ブゼルバ伯爵家での彼女はあれでも優秀な侍女だったんだけど、自分の才能を使う宛が無かったんじゃないかと思うのよ。
シルフィンはどんな人に会っても物怖じせず、自分の意見をはっきり言うのよね。相手が皇妃様だろうが余所の国の王妃様だろうが、一歩も引かないのよ。アレにはちょっと私も呆れたわよね。この娘、確かに私と同じ男爵令嬢だった筈なんだけどね。ただ、思えばシルフィンは農村の出身で、伯爵家で働き出してからも身分についてよく分かっていないようだったから、身分よりも相手そのものを評価するという事が彼女にとっては普通の事になってたのかも知れないわね。
それにしたって、公爵閣下や皇帝陛下や皇太子殿下に平気で意見を言って、時には皇帝陛下のご意見を却下しているのは、それだけじゃ説明が付かないし、あまつさえ意見を却下された皇帝陛下の方が感心するっていうのは、どういうことなんだかよく分からないのよね。それだけシルフィンの意見が正しかったという事なんでしょうけど。
侍女時代から物覚えは早いと思っていたけれど、帝宮の図書館でもの凄く分厚い本を何冊も持って来させて一心に読みふけると、農業とか魔力とかにあっという間に詳しくなってしまった。そういう風に頑張って知識を身に付けて行くものだから、周囲のお偉い人もだんだんシルフィンの知識を頼りにするようになったわ。特に農業については貴族の中にはシルフィンより詳しい方はいらっしゃらないようだったわね。
それと人望よね。これはもう天性のモノ。多分侍女時代からそうだったのよね。確かに彼女の事を嫌っている使用人はいなかったし、奥様もお嬢様も侍女頭もシルフィンには目を掛けていた。
それにしても公妃様も皇妃様も皇太子妃殿下も、そればかりかお偉いお貴族様のご婦人方が誰も彼もがシルフィンを頼り、敬い、あるいは畏れているのは不思議な光景だったわ。またシルフィンもそれが当然みたいな顔をしていたしね。私はある時にシルフィンに聞いた事があるわ。どうして皆様がシルフィンを頼るのかしらね? って。そうしたらシルフィンは首を傾げながら言ったわ。
「私に利用価値があるからでしょうね?」
「どういうこと?」
「私は他の方々が持っていない知識や経験があるし、次期公妃だし、皇帝陛下にも信任されているわ。だから、私は貴族の方々にとって高い利用価値があるのよ」
意外にドライな考え方に、私は驚いたわね。シルフィンはどちらかというと情緒や感情で動く娘だと思っていたから。
「私が頼られると無碍には出来ない性格だという事も皆様に見抜かれているのよ。だから皆様、私を頼るんでしょうね」
「シルフィンはそれで良いの?」
「良いのよ。私は自分を頼りにされたら嬉しいし、何かをしてあげてしまいたくなる。感謝されればやってあげて良かったな、と思うし。私に価値があるならそれを役立てて、皆様に感謝されたいじゃない」
シルフィンはうふふっと笑った。
「理由はともあれ、皆様の感謝や尊敬の念に嘘は無いわ。それくらいは分かるもの。そうやって皆様に感謝されて、頼られれば、私は貴族界でちゃんと認められて、ヴィクリートの役に立てる。私にとってそれが一番大事なのよ」
シルフィンはそういう感じで、味方をどんどん増やしていった。挙げ句に最後までシルフィンに非好意的だったフレイヤー公爵家の皆様は、ファルシーネ様がお里帰りなさった時の大騒ぎで全員捕らえられてしまった。
あの事件は一見、ファルシーネ様が何もかも悪いように見えるんだけど、本当の所はシルフィンがあまりにも早く、大きく貴族界を牛耳ってしまって、それに焦ったフレイヤー公爵家一派の方々がファルシーネ様を利用して逆転を企んだから起こった事だと思うのよ。
それをシルフィンは眉一つ動かさないで、事が大きくなる前に押さえてしまった。まぁ、そのために私やレイメヤーは色々走り回ったんだけどね。いきなり「今から言うことをよく聞きなさい。まずミレニーは近衛兵を最低でも五十人集めて、広間を包囲しなさい。それから……」なんて指示を出されて面食らったわよ。
そんなシルフィンだもの。アーセイムや兵士達が心酔するのは当たり前で、お陰でお城は一ヶ月以上もの間、綻び一つ無く遊牧民達の侵攻を耐え切ったわ。最後にはお城の魔力砲に驚いた遊牧民達は、遂に諦めて北へと逃げていったわよ。
私達はもう歓喜してシルフィンもレイメヤーもアーセイムも大騒ぎだったわ。特にアーセイムとレイメヤーは抱き合って……。あれ?
どうやら、あの二人、協力してシルフィンを守るために色々と打ち合わせる事も多かった内に、なんだか仲良くなっちゃったみたいなのよね。良い雰囲気だなぁとは思ってたんだけど……。ちぇ、仕方が無い。先輩にここは譲ってあげましょう。レイメヤーの方が年齢的にもアーセイムと合うしね。それにしてもレイメヤー「私は生涯、シルフィン様をお守りするのですから結婚なんていたしません!」って言ってたのにね。
◇◇◇
街に偵察を出して調べている間に、南の方から騎馬の大群がやってくるのが見えたわ。南から来るんだから味方だとは思ったけど、まさかヴィクリート様だとは思わなかったわね。だって、殿下は遙か遠くの戦場でアンガルゼ王国と戦っているはずだったんだもの。殿下はシルフィンの無事を知って獣のような声で吠えたわよね。ああ、良かったわシルフィンを守り切れて。シルフィンが死んでたらヴィクリート様に食い殺される所だったわよ。
シルフィンもそれはそれは喜んでお城を飛び出してヴィクリート様に飛びついていたわ。多分喜び過ぎて腰が抜けたんでしょうね。立てなくなってしまってヴィクリート様にお姫様抱っこされてお城に戻ってきた時には全員が笑ったわ。
ヴィクリート様はアーセイムやレイメヤーや私、そして戦い抜いた兵士達、避難民の一人一人に感謝のお言葉を下さったわ。次期公爵殿下が平民にまで感謝をなさるなんてほとんど無いことだ。それだけシルフィンの無事が嬉しかったんだろうね。
そうして私達はようやく戦いを終えて、領都のお屋敷も可能な限り整備して(兵士達や市民達が積極的に働いてくれたからあっという間に整ったわ)普通の生活に戻れてホッとしたんだけど、シルフィンはまぁ、ひと味違ったわね。私よりも遙かに遠くの事を見ているシルフィンは、もう次の事を考えていたのよ。
それは今回攻めてきた遊牧民との講和ね。こっちはようやく籠城の緊張と疲れが抜けたかな? と思っている時に、シルフィンはもう遊牧民に使者を送って講和の話をしていたのよ。なんというか、タフよね。あの娘。
しかも援助をして融和して、今後の侵攻を防ごうと言い出して、ヴィクリート様が怒っていたわ。あまりにもお人好しすぎるって。私もそう思ったんだけど、シルフィンはヴィクリート様の意見ですら退けたわ。結局は、ヴィクリート様もシルフィンの意見容れられて、遊牧民との交渉のために北の草原地帯に向かうことになった。
ただ、この時、ヴィクリート様は五千騎もの帝国軍を連れて行かれたのよ。ヴィクリート様の本音が透けて見えるわよね。あの方が愛しのシルフィンを脅かした者たちを許す筈が無いのよね。怖いわ~。
私は出発前にシルフィンに釘を刺したわ。
「シルフィン。これ以上あんまりやらかさないようにね」
シルフィンは不思議そうな顔で首を傾げたわ。
「やらかす? 何を?」
「あなたね。これ以上非常識な事をすると、ヴィクリート様と結婚出来なくなるわよ?」
そう。シルフィンはその性格と能力を今や存分に発揮して、既にとんでもない存在になっているんだけど、それに加えておそらくは外敵を撃退した功績でシルフィン個人に「武勲」が認められるらしいのよ。
これは儀式だとか夜会だとかで入場する時に、紹介の方が入場者を呼ばわるんだけど、その時に称号として名前の前に付けられるものだ。例えばシルフィンはこれまで「レクセレンテ公爵家、次期公妃。シルフィン様のご入場です」という感じで紹介されたんだけど「武勲」が認められるとこれが「北の蛮族を畏れさせた勝利者」みたいな称号がその前に付く訳ね。
これは軍人でも指揮官にしか認められない大名誉で、男性でも持っていない方の方が多いくらいの物なのね。そう。シルフィンは遂に、武勲を得て、そこら辺の貴族男性よりも大きな名誉を持つ女性になっちゃう訳よ。
こんな凄い女性は帝国に他にいないわよ。これだとあまりに凄すぎて、逆に嫁のもらい手が無いくらいなのよね。実際、あまりにも身分以上の名誉を帯びてしまったせいで、釣り合う男性がいなくて、結婚出来なかった女性がかつていたと言うわ。勿論、シルフィンとヴィクリート様はもう婚約しているんだけど。
ヴィクリート様も今回の戦いで武勲を認められるから、不釣り合いという訳ではないんだけど、実はヴィクリート様は社交嫌いなこともあって、貴族界での評価があまり高く無いのよね。勿論、皇帝陛下や皇太子殿下のご信任が厚いのは認められているけど、社交界で絶大な支持を集め、男性からも女性からも受けが良いシルフィンよりも評価が低いのよ。
で、実はあまりにシルフィンの評価が上がり過ぎて「シルフィン様には次期公妃でさえ不足なのでは?」とか「次期皇妃に相応しいのはシルフィン様では?」なんて声もチラホラあったのよね。で、今回の武勲でしょう? ヴィクリート様も戦いに勝って武勲を得たんだけど、男性が武勲を得るのは普通の名誉なんだけど。女性が得るのはあり得ないくらいの名誉だもの。非常識なのよ。
そんな非常識な事しでかしたシルフィンを「皇妃に」と推す動きが強まってしまう事も予想されるわ。皇太子殿下が妃殿下を溺愛している事は知られているけど、例えば「聖女」と認定されたお方は、既にいた皇妃様を押しのけて皇妃になられる慣例があるらしいのよ。シルフィンの業績が「聖女並みである」と思われたら、もしかして、まかり間違えばシルフィンがヴィクリート様と引き離されて、皇妃に推される可能性も無いとは言えないのよ。
私がそう言うと、シルフィンは苦笑したわ。
「分かったわ。気を付ける。でも、もう戦争がある訳でも無いし、私もこれ以上何も出来ないと思うわ。遊牧民との和平はヴィクリートの手柄になるんだし」
そうね。私だってこれ以上シルフィンが何を出来ると思って言っている訳ではない。でもね。シルフィンはそう思う私の予想を易々と裏切って、とんでもない事をしでかして来たんじゃない! そう思うと私は少しも安心出来なかったわよ。
私はシルフィンが、ヴィクリート様に相応しくなるためにって頑張ってきたのを知っている。夜も寝ないでお作法の復習や、社交のための勉強をして、自分には無い魔力をどうにか出来ないかと難しい魔力についての文献を一生懸命に読んでいたのも、ずっと間近で見ていたのだ。その努力がちょっと行き過ぎちゃった訳だけど、私はシルフィンの努力が報われて、無事に二人に夫婦になって欲しいのだ。
◇◇◇
遊牧民の土地へと行ってみると、噂とは違ってそれはもう寒々しい荒れ地で、どういうことなのかと思ったんだけど、どうもこれが遊牧民達が攻めてきた原因らしい。確かにこれじゃぁ大変だったでしょうね。冬は寒そうだし。
で大きな岩の下でシルフィンとヴィクリート様は遊牧民達との会談に臨んだんだけど、遊牧民の偉そうな態度には私もカチンときたわよね。こっちは一ヶ月も大変な籠城生活をしたんですからね! 何ですかその態度は! そこで一緒に怒っているレイメヤーとアーセイムみたいに良い感じの出来事があったなら兎も角、私は大変なばっかりだったんですからね!
と私怨を込めて私は遊牧民達を睨んでた訳なんだけど、シルフィンはどうも遊牧民達の窮状を何とかしてあげたいと思っているようだったわね。ちょっと待ちなさいよ。お人好しすぎるわよ。私は呆れちゃったんだけど、ヴィクリート様も同じように思ったらしかったわ。でも、ヴィクリート様はシルフィンには甘いからね。
そして、遊牧民の集落に行ったシルフィンはその悲惨な状況に、それはもう悲しそうな顔をしてしまって、なんとかならないか、どうにかならないかとしきりに考え込んでいるのが見え見えだった。本当にこの娘は優しいし人が良いんだから。でも、私達に出来る事なんて何も無いわよね。遊牧民の全員が何人居るかなんて私は知らないけれど、全員がこんなに困窮していたらどうにもならない事は私でも分かる。私に分かることがシルフィンに分からないはずは無い。
結局、泣きそうなシルフィンに押し切られたヴィクリート様は渋々遊牧民に援助を約束していたわ。ただ、あの感じだとお情け程度、少しの間の食料を与えるといった感じで、それでは多分この窮状では冬まで持たないんじゃ無いかしら。
でもそれ以上はどうにも出来ないとシルフィンも理解していたらしく、彼女はヴィクリート様に促されて大人しく馬車に乗り込もうとした……。
のだけど不意に、シルフィンは身を翻して、すぐ近くに聳え立っている大岩に歩み寄った。
従者用の馬車に乗りこみ掛けていた私とレイメヤーは慌てて馬車から飛び降り、それを見たアーセイムも駆け寄ってくる。何が起こるのかと護衛の兵士も騒然としていたわね。
シルフィンは手を伸ばして岩に触れ、そして額を岩に押し付けるようにしながら祈り始めた。
「天にまします大いなる大地の女神よ。この大地に恵みを齎したまえ。我は心より祈りを捧げ、我が魔力を奉納せんとす。どうか大地に潤いを、大気に暖かさを、人々の顔に笑顔を……」
――待ちなさい! シルフィン! 嫌な予感がして私が声を出そうとした時にはもう遅かった。
突然シルフィンが光を放ったのだ。レイメヤーが悲鳴を上げ、それを聞いたアーセイムがレイメヤーを守るように前に出る。
シルフィンの輝きは次第に強くなり、遂には爆発的な輝きとなった。同時に熱風が吹き荒れる。私もこれでは目を開けていられない。
「シルフィン!」
私は思わず叫んだわよ。
そして光が止み、目を恐る恐る開けると、なんとまぁ。風景が一変していた。見渡す限りの大草原。そして青い空だ。先ほどの寒々しい様子はどこへやらだ。な、なにこれ。私は呆然としたが、犯人は誰だかはしっかり分かっていた。シルフィンだ。
シルフィンが何かとてつもない事をしでかしたのだ! だから! だからあの娘は安心出来ないのよ! 目を離せないのよ!
途方もない事が起こった。シルフィンには魔力はほとんど無かったはずなのに、何がどうやってかシルフィンは魔力を得て、大地を癒やし潤したのだ。そう。おとぎ話に大地の女神様に平民女性が認められて、魔力を得て大地を回復させて、村を救ったという話があった。そういう女性は「聖女」と言われる。これは帝国では有名な話だ。
この所業は明らかに聖女の御業だ。つまりシルフィンは大地の女神様にお力を授かり、聖女になったのだ。
聖女は、皇妃になるのが習わしだ。既にして「皇妃に」と推される事も多くなっていたシルフィンが聖女になったなら、これはもうシルフィンが皇妃になる事は確定では無いか? それはつまり、あのラブラブなシルフィンとヴィクリートが引き離されてしまうことを意味する。
どうしよう。どうする気なのか。私は不安と心配が怒りに転化してしまい、目を覚ましてキョロキョロしているシルフィンを思わず睨んでしまった。
シルフィンはヴィクリート様と抱き合いながら、すっかり豊かな草原となった風景をそれは嬉しそうに眺めていたわね。兵士達も遊牧民達もシルフィンの所業に恐れ入ってしまい、レイメヤーとアーセイムも並んでシルフィンに祈りを捧げていた。私はもうなんだか呆れ果ててしまって、跪く気にならなかった。一体どうする気なのよシルフィン。だから私が忠告したのに!
……でも、幸せそうに微笑むシルフィンを見ていると、まぁ、仕方ないわね、という気分になってきた。この娘はこれからもずっと、こんな感じで暴走して私と周囲を振り回して行くんだろうね。私がどこまで彼女を守ってあげられるかは分からないけれど、ま、私の出来る範囲でずっと彼女の事を支えて行くようにしましょう。
それに、頼もしく婚約者を抱き留めるヴィクリート様と、見つめ合ってキスなんてしているシルフィンを見ていると、この二人ならその強烈な愛で色んなモノをぶっ飛ばして、必ずや結ばれるに違いないと思えた。どんな事情やどんな障害もお構いなしにこの二人は自分たちの愛を貫くでしょう。これまでもそうだったものね。私が心配する事は無かったのだ。
私はそれでも、跪いてシルフィンをでは無く、大地の女神様に祈ったわよ。
どうかシルフィンの頑張りが報われて、二人が無事に結婚出来ますように、って。
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