十一話 レイメヤー男爵令嬢の侍女になる

 私はレイメヤー・ホウステン。ホウステン侯爵家の三女で、現在はレクセレンテ公爵家で上級侍女を務めております。先日、公爵家のご嫡男、ヴィクリート殿下の婚約者に内定なされたシルフィン様の主任侍女を拝命致しました。


 レクセレンテ公爵家に侍女は何十人とおりますが、その階級はしっかりと分かれております。最上位は侍女では無く執事長です。執事長はお屋敷の全ての使用人の統率監督を任されております。


 その下に侍女長がいます。公爵家ではエマリアという者が務めておりまして、この方が侍女の事実上のトップです。その下に各部門の主任がおります。私はこの度ここに入ったことになります。この前は奥様(お妃様とお呼びすべきですが、ご希望により使用人は奥様とお呼びしております)付きの侍女でしたから出世ですね。


 ちなみに下級侍女を統括する侍女は上級侍女扱いで侍女頭と呼びます。下級侍女が上級侍女に上がれるのは侍女頭になった時だけですね。


 私は二十七歳で独身です。もうとっくに結婚は諦めております。貴族は二十までに結婚しないと嫁ぎ遅れと見做され、嫁入りが非常に難しくなってきますので。


 侯爵家の三女である私ですが、嫁入りには多額の費用が必要なため、三人目の私は嫁入りが最初から難しいと考えられておりました。ですから十三歳で本家であるレクセレンテ公爵家の侍女に入ったのです。その後、実は縁談が公爵家から提示された事もあったのですが、仕事が面白くなってしまってお断りしました。


 それは兎も角、私は念願の主任侍女になった訳ですが、お仕えするシルフィン様については何も知りませんでした。御屋形様と奥様がご旅行の間、私は友人と休暇を取って友人宅でのんびりしていたのですが、急遽呼び戻されて執事長から「シルフィン様の主任侍女になり、お部屋を大至急用意するように!」と命令を受けたのです。


 上位貴族の淑女の大部屋を整えるなんて簡単な話ではありません。大至急と言われても困ります。私は主任昇格と同時に付けられた上級侍女の部下三人の他、下級侍女を大動員して早速お部屋の整備に掛かりました。


 とはいえ、シルフィン様のお好みも何も分からなければお部屋の整えようがありません。私は何故かブゼルバ伯爵邸に滞在なされているという殿下にお手紙を出し、シルフィン様のお好みや人となりを尋ねます。すると「花が好きで活発な少女」であるという返答がありました。


 お花ですか。私は公爵邸のお部屋を見て歩き、全体が薄桃色に統一された調度のお部屋に決めました。そこに保管されていた家具類の中からお部屋に合うものを選んで運び込み、お部屋を整備してゆきます。


 本来であれば、殿下のご婚約者のお部屋ですからこんな中古品では無く新しい家具類を注文してお部屋を造るべきですが、時間が無いので仕方がありません。それと、不思議な注文が殿下からありました。身の回りのものを何も持っていないので、ドレスからお化粧品から装飾具から下着類まで全て一通り用意せよというのです。


 どういうことなのでしょうと私は訝りましたね。公爵家への嫁入りともなれば、花嫁は嫁入り行列を仕立てて何台もの馬車を連ねて自分の私物を大量に持ち込むのが普通です。ドレスなんて仕立てなければ身体に合わないではありませんか。嫁入りではありませんが、私だって侍女として公爵邸に入る時には馬車二台分の私物を持ち込んだのです。手ぶらで嫁入りなんてあり得ません。


 ところが、殿下が書いてきたところによれば、シルフィン様は身分の低い方だそうで、公爵家に見合う私物は何もお持ちで無いので一から準備する必要があるのだそうです。なんだか雲行きが怪しくなってまいりましたよ? 公爵家にそんな身分低い方が嫁入りするなんてあり得るのでしょうか?


 そもそも殿下の結婚相手には、皇帝陛下の第二皇女であるイーメリア様が噂されていた筈です。それがシルフィン様に急遽決まったそうですが、一体どこのどなたなのでしょう。少なくとも私の知る限りで上位貴族の中にそんな名前の該当するご令嬢はいらっしゃいません。名前も帝都風では無い気が致します。


 そのような疑問を抱えながらも、私はお部屋の整備に奔走致します。ドレス他は仕方が無いので「小柄である」という情報を元に出入りの仕立屋に相談致しますと、ある程度調整の利く既製品のドレスというものがあるそうで(初めて知りました)、そのサイズ違いをありったけ注文致しました。シルフィン様ご本人がいらしてから改めて採寸してドレスを注文するつもりですが、ドレスは完成まで一月は掛かってしまいます。その間の繋ぎです。


 装飾品も宝石商を呼び、当座の物を注文します。お花が好きだということですのでそのような意匠の物を一パリュール揃えます。これもご本人がいらしたらまた注文して頂きましょう。


 お化粧品とか下着とかその辺りはお好みが分かりませんから何種類か揃えて、どうにか三日後には体裁を整える事が出来ました。この間は本当に忙しく、大変でした。お部屋のお掃除の確認で徹夜まで致しましたよ。


 そうしてようやく、シルフィン様を迎え入れる準備が出来たわけです。殿下とシルフィン様がお帰りになる事になり、私は緊張しながらも新たなご主人様を主任侍女としてお迎え出来る名誉に誇らしい思いでおりました。上級使用人が総出でご家族口にお迎えに上がる中、馬車が到着し、いよいよシルフィン様が馬車を降りていらっしゃいました。


 あれ? っと思いましたね。ストロベリーブロンドの滑らかな髪の可愛らしいご容姿の方で、水色の大きな瞳が活発な印象を与えるご令嬢でした。それは良いのですが、馬車から殿下のエスコートで降りてきたのですが、明らかに馬車から降り慣れていない感じでよいしょよいしょと降りてこられたのです。居並ぶ使用人を見て顔を引きつらせていることを見れば、これは恐らくかなり身分の低い方なのでは無いかと思われました。お屋敷の中をお部屋までご案内しても口を開けてキョロキョロと辺りを見回しておりまして、落ち着きがありません。


 ……本当にこの方がシルフィン様で間違い無いのでしょうか? 私は深刻に疑問に思いましたが、他ならぬ殿下が愛おしそうに抱き寄せるようにエスコートをしているのですから間違い無いのでしょう。多分。


 いよいよお部屋にお通ししたのですが、持ち込み侍女のミレニーという者と二人、呆然としています。どう考えても上位貴族の方の反応ではありません。こ、これは間違い無く下位貴族。まかり間違ったら平民の少女なのではないでしょうか。殿下、何を考えているのですか!


 私は混乱致しましたが、とりあえず自己紹介をいたしました。すると、いきなりシルフィン様がぶっちゃけたのです。


「聞いていると思いますけど、私は男爵の娘で先日まで侍女で、ぶっちゃけて言えば何もかも知らないし分からないの。……私は何をすれば良い?」


 ……聞いておりませんが。


 何ですと? 男爵令嬢? 先日まで侍女? 予想はしていましたが流石にこれは衝撃のカミングアウトでした。私は衝撃のあまり不覚にも固まってしまいましたが、何とか気を取り直します。私達にとってご主人様からの命令は絶対です。公爵家の方々、ヴィクリート殿下がお決めになり、命じられた以上、私はシルフィン様の忠実な侍女なのです。ですからシルフィン様がどこの馬の骨出身だろうが関係ありません。そう。先ほどの殿下のお話では既に公爵家の養女にもなっているという事です。ならば私の職務に変化はありません。私の仕事はシルフィン様を全力でお支えすることです。よし。


 と必死に心に言い聞かせて、私はシルフィン様の主任侍女としての職務をスタートさせたのでした。


  ◇◇◇


 どうなることやらとシルフィン様にお仕え始めた訳ですが、シルフィン様は面白い方で、すぐに姫君としての生活に慣れておしまいになりました。非常に順応性が高いようですね。私たちにお世話される事にも特に拒否反応を示すことも無く、それでいて威張り散らす事も無く、あたかも昔からお嬢様生活をしていたんですよ? と言わんばかりの余裕ある態度でいらっしゃいます。


 お作法については私や他の者に色々聞いて一生懸命に直していらっしゃいましたよ。もちろんそんな一朝一夕に直るものではありませんが、懸命に直そうと努力する姿勢には好感を覚えましたね。むしろ持ち込み侍女のミレニー(この者も男爵令嬢だそうです)がシルフィン様となれ合ってダラダラしていましたから、厳しく叱ると共に、シルフィン様の真面目さがより浮き彫りになりました。


 ただ、シルフィン様が男爵令嬢だと聞いた上級侍女たちはあからさまにシルフィン様を馬鹿にし出しましたから、私は厳しく叱ってシルフィン様を敬うよう指導致しましたよ。もしもシルフィン様に無礼な態度でも取って、それがヴィクリート様のお耳に入ったなら、殿下が激怒するのは間違い無いと思ったからです。


 殿下はそれはそれはシルフィン様を溺愛していらっしゃいましたからね。ヴィクリート様は以前は女嫌いで通っていまして、浮いた噂一つ聞かない方でございました。上位貴族のご令息の中には未成年の頃から侍女との肉欲に溺れる方など珍しくはありませんから、容姿端麗なヴィクリート様とのロマンスを期待する若い侍女は多かったのですが、殿下は侍女なんか一顧だに致しませんでしたね。


 それがシルフィン様とお会いになる時はデレデレなのです。何しろ仕事人間、ワーカーホリックという評判のお方であるヴィクリート様が、シルフィン様とお帰りになって半月ほどは軍務省へのご出仕をなさらず、シルフィン様とお屋敷でべったりとお過ごしになったほどでしたから。


 シルフィン様はヴィクリート様にはまったく遠慮の無い態度で接していらっしゃいまして、たまにヒヤッとするほど殿下にぞんざいな態度をなさいます。ですがヴィクリート様は逆にシルフィン様のそういう態度を喜ばれておりましたよ。お二人ともお外がお好きで夏の熱い日差しも構わず仲良く庭園を散歩なさるご様子は非常に絵になりました。


 そんなこんなしている内に、御屋形様、奥様、そしてヴィクリート様とシルフィン様のご家族揃って帝宮に参内なさるという事になりました。おそらくはヴィクリート様とシルフィン様の婚姻について皇帝陛下のご許可を頂くためだと思われます。


 私も流石に緊張致します。奥様付きの時に何回となく帝宮には上がりましたが、今回は皇帝陛下とお会いするのですから外宮である本宮だけではなく内宮にまで上がる筈です。内宮は皇帝陛下のプライベートスペースですから、家臣が立ち入る事は滅多にありません。


 奥様と共に昇殿する時は社交の為ですからほとんど本宮止まりだったのです。内宮に立ち入る時には奥様付きの主任が同行するのが常でしたし。


 今や私も主任侍女ですからシルフィン様に付いて内宮に上がらなければなりません。まだまだお作法が頼りないシルフィン様を何かとフォローして差し上げなければならないでしょう。しかし、帝宮に上がる際の事を打ち合わせていると、シルフィン様はこう仰りました。


「ミレニーも連れていってくれると心強いわ」


 ……ミレニーも男爵令嬢で作法がかなり頼りないのですが、シルフィン様のご希望では仕方がありません。実家から(正確には実家ではなくブゼルバ伯爵邸で一緒に働いていた仕事仲間だそうですが)連れて来た持ち込み侍女を頼りにする気分は分からないではありませんからね。


 という訳である天気の良い朝、公爵家の皆様は帝都の中心にそびえ立つ帝宮に向けて出発したのでした。ご家族のお乗りになる馬車一台と、私たち使用人が乗る馬車が二台。そして騎乗で護衛する衛兵が十騎です。


 公爵邸は帝都の郊外にある貴族街にありますから、帝宮までは結構掛かります。私が乗った使用人馬車には奥様付きの主任侍女であるエマリアと上級侍女が同乗していました。奥様付きの主任侍女は侍女長が兼任しますから、彼女は公爵家侍女の最高位なのです。


 ふと、奥様付きの上級侍女のハイアミーが微笑みながら言います。彼女は当然元同僚です。


「貴女も大変ね。レイメヤー」


「何の事ですか?」


 するとハイアミーが侮蔑の表情を露わに言いました。


「あんな男爵家の娘になんてお仕えしたくはないでしょうに。ホント、主任になるのが私でなくて良かったですわ」


 ……シルフィン様の主任侍女を選ぶ時、私とハイアミーが候補だったのです。彼女は自分ではなく私が選ばれた事に不満を持っていたのですが……。


「殿下も酔狂な事。ま、あんな卑しい娘、すぐに飽きられて離縁されるに決まっているでしょうけどね」


 ……彼女のこの物言いは恐らくお屋敷の上級侍女の共通認識なのでしょう。それは確かに、私だってヴイクリート様は何考えているのかと思いますが……。しかし私はシルフィン様の侍女です。公爵家からそう命じられたのですから従わなければならないのです。


 しかし私も内心ではシルフィン様にお仕えする事に納得出来ていなかったのかも知れません。私は一瞬黙り込んでしまいました。その時です。


「しつれいね!」


 突然私の隣で大きな声が響きました。私の隣に座っているのはミレニーです。そのミレニーが真っ赤な顔をして怒っています。そして立ち上がるとハイアミーに指を突き付けて更に叫びました。


「シルフィン、様に対してのそんな物言い許せません! 謝りなさい!」


 ハイアミーは唖然としています。


「な、何ですか貴女は?」


「シルフィン様の侍女のミレニーよ! 侍女の癖に主人を侮辱するなんてとんでもないわ!謝りなさい!」


 ……これは、ミレニーの言い分が正しいです。ハイアミーは公爵家の侍女。ならばシルフィン様は彼女の上に立つ方です。元が男爵令嬢だろうが関係ありません。何しろいまや正式に公爵家に迎え入れられている方なのですから。


「あ、あの娘にくっ付いてきたとかいう身分卑しい侍女ね? 何ですかその態度は! 身分をわきまえなさい!」


 ハイアミーが一喝致しますがミレニーは引きません。


「身分をわきまえないのは貴女でしょう! それに私も上級侍女。私は貴女と同格よ! 私には主人を侮辱した貴女に抗議する義務があります!」


 その通りです。私はミレニーの言葉に頭を殴られたような衝撃を受けました。侍女は主人と一心同体。主人への侮辱は私への侮辱。許してはなりません。私も気を取り直してハイアミーを怒鳴りつけました。


「その通りです! 貴女のその言動は許せません! 奥様に報告させて頂きます!」


「な、なによ! あんな娘に肩入れするなんてレイメヤー、貴女おかしくなったのでは……」


「いい加減にしなさい。ハイアミー」


 その時、ハイアミーの隣に座る侍女長エマリアが言いました。


「レイメヤー、ミレニー。私から謝罪を致します。シルフィン様にお許しをお願いして下さい。ハイアミーには奥様に私から報告して必ず罰を与えると約束致します」


「じ、侍女長! 何を!」


「主人を侮辱するような者は公爵家侍女に相応しくありません。帝宮に上げるわけにも参りません。馬車に残りなさい」


 ハイアミーは愕然としていますが、侍女長は厳しい目付きでハイアミーと、私を睨みます。


「シルフィン姫は殿下の婚約者。次のお妃様です。心しなさい」


 これは一瞬侮辱への反応が遅れた私への叱責でもあるでしょう。私は立ち上がって侍女長に深く頭を下げました。


 それにしてもハイアミーの侮辱にミレニーが真っ先に反応するとは思いませんでした。私は後で彼女の事を褒めました。するとミレニーは照れながら言ったのです。


「シルフィンは私が守らなきゃ、って思ってますから。その、妹みたいなものですからね」


 ……主人を妹扱いにするのはどうかと思いますが、シルフィン様がミレニーを頼りにする理由が分かった気が致します。


  ◇◇◇


 帝宮に到着して(ハイアミーは馬車に残され、その後、お屋敷に戻った後正式に罷免されて実家に戻されました)シルフィン様の後ろに付いて帝宮に上ります。シルフィン様は帝宮のあまりの規模に呆然としていらっしゃいますが、ヴィクリート様の腕に掴まりながら結構楽しげにしていらっしゃいましたね。


 内宮のサロンに入り、皇帝陛下をお迎えいたします。シルフィン様は流石に緊張しているご様子で、不安そうにちらちらと私とミレニーの方を見ております。私は微笑んでシルフィン様のお心をほぐす様に努めました。先ほどの件で、ミレニーが頼られる理由が、ミレニーが心からシルフィン様を労り守ろうとしているからだと痛感したからです。


 私はシルフィン様の主任侍女。ミレニーに負けてる場合ではありません。心よりシルフィン様に寄り添い、お守り出来なくて何の主任侍女でしょうか。


 やがて皇帝陛下がお出でになり公爵御一家とお話を始めます。話題はやはりシルフィン様とヴィクリート様の結婚についてです。皇帝陛下はお二人の結婚に難色を示されました。無理もない事です。体裁は整えたとはいえ、前代未聞の貴賤結婚である事は間違い無いからです。


 皇帝陛下は妃はイーメリア様とし、シルフィン様はご愛妾にされてはどうかと提案なさりました。妥当なご提案です。しかしながらヴィクリート様はこれを一蹴いたしました。ヴィクリート様は皇帝陛下の甥とはいえ、主君である皇帝陛下のご意見を却下するのは本来不遜な事であるはずです。しかしヴィクリート様は不興を買う事を十分覚悟なさった上で堂々とした態度で皇帝陛下に仰いました。


「そんな不誠実な事は出来ません。イーメリア様にもシルフィンにも失礼極まりない」


 私はブルっと震えました。これは、もしも先ほどのハイアミーの発言が殿下に知れたら、ハイアミーの首は飛んでしまうだろうと思ったからです。私は再度、シルフィン付きの侍女にシルフィン様への忠誠を徹底させようと思いました。ヴィクリート様は皇帝陛下に逆らってでもシルフィン様を娶る覚悟がおありなのです。心変わりなどあり得ません。


 皇帝陛下はヴィクリート様の強硬な態度に苦笑なさった後、今度はシルフィン様に問いました。


「ふむ。ではシルフィン。其方はどうだ? 自分で考えよ。自分に公妃が務まるのかどうか?」


 皇帝陛下のお言葉は巧妙でした。ほとんど平民の男爵令嬢に公妃など務まる筈が無いのですから、出来るといえば皇帝陛下に出来ぬことを出来るという嘘を吐いた事になります。その罪を指摘すれば、皇帝陛下は婚姻を却下出来るでしょう。では正直に出来ないといえば、皇帝陛下は「公妃が務まらぬ者を公爵家に嫁がせるわけにはいかぬ」と婚姻を却下する事でしょう。


 つまり皇帝陛下はシルフィン様とヴィクリート様の婚姻に強く反対なのです。その意向をこのお言葉で明確にされたのです。これには御屋形様も奥様も少し表情を厳しく致します。皇帝陛下が強く婚姻に対して反対なされた場合、公爵家としても難しい対応を迫られる事になるのでしょう。


 全員の注目を浴びたシルフィン様は青くなっていらっしゃいましたが、ふと、その表情が緩みました。見るとお隣に座るヴィクリート様がシルフィン様の右手を両手で包んでいます。シルフィン様はヴィクリート様を見上げ、柔らかに微笑みました。


 そして皇帝陛下をしっかり見据え、こう言い放ちました。


「自分が公妃になる自信なんてございません、そもそも貴族がどんなお仕事なのかも全然知らないのですもの」


 全く飾らないお言葉です。しかし、真心が籠っています。自信はない。知らない。そう仰っているのに引け目や遠慮は全く感じられません。そしてシルフィン様は自信はなくて知らなくても、出来ないとは仰いませんでした。


「でも、何とかやってみせますわ。私にしか出来ないのであれば」


 ああ、私はこの時悟りました。シルフィン様がどうしていつも、知らない場所や知らない境遇に来ても自然でいられるのか。その理由はシルフィン様のこの姿勢にあったのです。自信も無く知らなくても最善を尽くしてやってみせる。そしてそれは……。


「ヴィクリートは私以外とは結婚しないと聞いています。ですから私にしか出来ないのです」


 ヴィクリート様のお相手は自分だという絶大な自信によるものなのでしょう。ヴィクリート様が自分を選んでくれたのだから、その責任を果たす為なのだから、全力を尽くして頑張る。そういうお心をお持ちだから、あのように自然な態度でいられるのです。


「ですから自信なんかありませんけど、私にしか出来ないのですもの。ならば私がヴィクリートと結婚して公妃になります! きっと立派にやってみせます!」


 私は感動いたしました。今この瞬間、私はヴィクリート様が身分の壁を超えてでもシルフィン様を欲した理由を理解いたしました。確かに、この方は得難い人物です。困難に立ち向かう気持ち、運命を受け入れて最善を尽くすという気概。同時に自らを飾らず正直に評価し、不足を認め改善するという心意気も持っています。


 今はまだ不足ばかり、知らぬ事、出来ぬ事ばかりでしょうでしょうけど、この性根を失わなければきっと何でも出来るようにおなりになるでしょう。


 私と同じことを皇帝陛下もお考えになったに違いありません、皇帝陛下は思わずという感じで大きな声でお笑いになりました。これは恐らく自らの不明、身分だけで相手を推し量ろうとした過ちを自嘲したのだと思われます。皇帝陛下は大きなお声で仰いました。


「気に入った。その意気やよし! 昨今の貴族にはその気概が足らぬ。案外、其方が公妃になることは我が帝国にその気概を注入する事になるやも知れぬな! ヴィクリート! 結婚を許す! シルフィンを大事にせよ!」


 シルフィン様とヴィクリート様は立ち上がって、誇らしげに皇帝陛下に一礼いたしました。私はもう全身が震えて止まりません。これは武者震いです。


 こ、これは責任重大です。この素晴らしい気概をお持ちですが、今はいろいろな意味で不足ばかりのシルフィン様を、立派な公妃に育て上げて差し下げる事が、主任侍女たる私の使命だと悟ったからです。


 お作法や社交界や帝国政界の知識、公爵領の事や魔力に関わることなどなど、お教えしなければならないことは沢山あるでしょう。


 しかし、シルフィン様がこのシルフィン様である限り、きっと全てを吸収し、身に付け、きっと素晴らしい貴族女性に、公妃様にお成りになるに違いありません。そういうふうにお導きするのが私に課せられた使命だと、私は確信致したのです。


 私はこの瞬間から、生涯をシルフィン様の為だけに捧げることを決意したのでした。


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「私をそんな二つ名で呼ばないで下さい! じゃじゃ馬姫の天下取り 」(SQEXノベル)イラストは碧風羽様。「貧乏騎士に嫁入りしたはずが!? 」(PASH!ブックス)イラストはののまろ様です。好評発売中です! 買ってねー(o゜▽゜)

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