二十九話 シルフィン隣国の王妃様と対決する(上)

 歓迎の祝宴のために大広間に入ってこられたアンガルゼ王国の王妃様、ファルシーネ様は御年二十六歳。私はこの歳十七才だから結構年が離れている。黒髪で長身で、緑色の切れ長な瞳も迫力のあるもの凄い美人だ。


 うん。似ている。流石は実の母娘だわね。


 ファルシーネ様は皇帝陛下と皇妃様の実のお子である。皇太子殿下とイーメリア様はご愛妾の子供だ。つまり皇帝陛下と皇妃様の唯一の実のお子という事になる。なので皇妃様とその姉妹であるお義母様に瓜二つというほど似ていてもおかしくは無いだろうね。


 ファルシーネ様は確かもう七年も前に隣国であるアンガルゼ王国に嫁がれた。アンガルゼ王国は帝国の三分の一くらいの規模の王国で、帝国の友好国だ。交易や帝国東方の海上ルートの確保の観点から重要な隣国で、その重要性から第一王女のファルシーネ様が嫁がれたのだった。


 ただ、この輿入れの時にはなんだか、かなり大もめに揉めたらしいのよね。ファルシーネ様がいらっしゃると聞いた時に、皇太子殿下やお義母様から色々お話を聞いたのだけど。なのでそのファルシーネ様がお里帰りをなさると聞いて、皇帝陛下も皇太子殿下も頭の痛そうな顔をしていたし、皇妃様も実の娘に会えるのは嬉しいけど……、となぜか困った顔をなさっていた。


 しかし、せっかく里帰りに来たいというのも無碍には断れない、ということで一応は式典と宴を開いて歓迎することにしたのだけれど、皇帝陛下も皇太子殿下も皇妃様も全然嬉しそうでは無かったのよね。お義父様もお義母様も気乗りがしない様子で、ヴィクリートに至っては仏頂面と言っても良いくらいの表情になってしまった。


 私と皇太子妃殿下は事情を知らないから、そういう皆様の反応に戸惑うばかりだった。私は屋敷でヴィクリートに聞いてみた。


「ファルシーネ様は一体何をしでかしたの?」


 ヴィクリートはちょっと答えたく無さそうな顔をした。しかし私の質問は、彼には断れないので仕方なさそうに答えてくれた。


「……ファルシーネ様は、皇帝になりたかったようなのだ」


 は? 皇帝? 私は意外な言葉に目が丸くなってしまう。


 帝国史上、女性が皇帝になった事は流石に無い。高位貴族の家で、男性の後継者がいない場合には、暫定的に女性が「夫人」の称号を帯びて家を引き継いで当主になる事があることはある。しかし、皇帝の場合、もしも皇帝陛下に男性のお子が生まれなくても、傍系皇族に適当な年齢の男性がいれば、その方が皇帝になる事になるだろう。今までそうなった事例は無いのだけど。


 それなのにファルシーネ様は皇帝を目指したのだという。なぜ? 一体どうやって?


「……今になれば分かるが、ファルシーネ様は自分が皇帝陛下と皇妃様の、唯一の実のお子である事を知っていたのだろうな」


 あ~……。それか……。


 うん。知っていてもおかしくは無いわね。そしてその当時は皇帝陛下と皇妃様の関係は微妙だった。その事と、弟の皇太子殿下が皇妃様の実のお子では無い事が結びついた時、女性であっても正当な血を引く我こそが皇帝に相応しい、という考えに結びついてもおかしくは無い。


「それで、ファルシーネ様は熱心に貴族達に自分を皇帝に推挙するように運動して回った。色々便宜を図る約束もして、それなりに支持を集めたようだ」


 皇太子殿下が愛妾の子である事は知る人は知っていたから、皇妃様の実のお子の方が皇帝に相応しいと考える人もいたんでしょうね。血統を重視する人に中には特に。


 でも、それでも男性が継ぐと決まっている皇帝位を、弟殿下がいるにも関わらず女性が継ぐ事はかなり難しいと思うのよね。ファルシーネ様がもの凄く有能でも難しいと思うのよ。何しろちょっと政治に口を差し挟んだだけで「男性の領分を侵す」って文句を言われる位なのが帝国貴族界なのだ。


「どうやってそういう煩い方々を丸め込んだのかしらね?」


「どうやってだと思う?」


 ヴィクリートが私に試すように問い返してきた。うーん。そうねぇ。


「……結婚、婿取りの相手によっては認められる可能性もあるのかしらね? ご夫君も皇族であれば、二人とも皇帝みたいなものなんですよ、という言い訳が出来るかも」


「……流石はシルフィンだな」


 ヴィクリートが呆れたように溜息を吐いた。……待てよ? ということは? その相手というのは?


「もしかしてヴィクリートがそのお相手に擬されていたのですか?」


 ファルシーネ様は二十六才。ヴィクリートは今年で二十才。ファルシーネ様の方が六歳上だ。ないない、とは言い切れないのが貴族の婚姻で、家同士の繋がりのために無理を承知でそういう縁談が組まれる事もあるのよね。


「……一応、ターゲットとしては私だけでは無く、同じ歳のドローヴェンも候補になっていたようだがな」


 えーっと? ファルシーネ様が隣国に嫁がれたのは十九歳の時。その時ヴィクリートは十三歳という事になる。……犯罪だ。ちょっと待ちなさいファルシーネ様! これはアウトです!


「一応、十三歳以上なら婚姻が可能になる。ファルシーネ様は私とドローヴェンが結婚可能年齢になるまで、持ち込まれる縁談を全て断って、自分が皇帝になるという野望を達成しようとしたのだ」


 ヴィクリートは彼にしては珍しくげんなりとしたような表情を見せていた。なんぞファルシーネ様とは嫌な思い出がいくつもあったようだ。当時まだ十代前半の(というか十歳になっていない頃からだろう)ヴィクリートをしきりに誘惑していたんじゃ無いかという事が想像が出来てしまうわね。もしかしてヴィクリートの女嫌いはその辺りに理由があるんじゃないでしょうね?


 それは兎も角、皇帝陛下のご意向はメルバリード様を後継者とする事で固まっており、家臣筆頭であるお義父様を含め近しい高位貴族も同じ。なのでファルシーネ様は皇帝陛下が遠ざけている、つまり皇帝陛下に批判的な貴族や問題の多い貴族に声を掛けまくって自分への支持者を増やしていたらしい。


 これは皇帝陛下の意向に逆らうばかりか、国を二つに割るような行為だ。困った皇帝陛下はファルシーネ様をとっとと嫁に出してしまおうとしたのだが、彼女は頑強に抵抗して縁談を受け入れない。なので女性にしては珍しく十九歳の歳まで未婚で来てしまった。


 業を煮やした皇帝陛下は隣国からの婚姻の打診(傍系皇族の誰かを次期国王の妃にくれないか? という打診だったそうだけど)を受けてファルシーネ様を半ば無理矢理嫁に出してしまったそうだ。


 ファルシーネ様は怒るやら悲しむやらで大変な騒ぎになったらしいけど、これを逃したら神殿に入れて巫女にして、一生世俗と縁を切らせる! と皇帝陛下が宣告して、ファルシーネ様は泣く泣くアンガルゼ王国へと嫁に行かれたそうだ。


 ……それは皇帝陛下も皇太子殿下も頭が痛そうなわけだわね。嫁入り時の事情が事情なので、ファルシーネ様が里帰りを希望する事はこれまで無かったそうだ。それが何故か一月ほど前に、熱心な里帰り希望の書簡が届き、どうしても帰るのだと言ってきたらしい。


 あのヴィクリートが「正直、もう会いたくなかった」というくらいなのだからよっぽどな人物なのだろうね。私は皇太子妃殿下にお会いして、他からも集めた情報も統合した結果、ファルシーネ様は相当やっかいな方であるようなので、覚悟してお会いしましょうとお伝えしておいた。


 妃殿下は真っ青になって震えだしてしまったわよね。私は妃殿下の手を取ってさすって落ち着かれるようにと励ましの言葉を掛けた。


「大丈夫です。歓迎式典や祝宴の最中は私がお側にいてお守り致しますから」


 すると妃殿下はほぅ、と息を吐いて、気を取り直したように言った。


「そうですわよね。シルフィン様に勝てる女性がいるわけがございません。シルフィン様が側にいて下されば怖いものなどございません」


 私をなんだと思っているのか。しかし妃殿下が信頼して下さるのなら、側近としてはしっかりと妃殿下をお守りせねばなるまい。私はかなり気合いを入れてファルシーネ様の歓迎式典に臨んだのだった。


 大謁見室で行われた式典は型通りに終わり(皇帝陛下もファルシーネ様も能面みたいな顔をしていたけれど)続けて祝宴になった。私は薄桃色のドレスを身に纏い、ダークブルーのコート姿のヴィクリートとファルシーネ様を出迎えた。


 ファルシーネ様は赤に金糸の刺繍が入ったもの凄く派手で豪華なドレスだった。これは凄い。遠慮する気が全然無い。確かに、ファルシーネ様は今日の主賓である。目立っても良いのだが、いくら何でも赤は無いでしょう赤は。私はこれまで真っ赤なドレスなんて着ている方は見たことが無い。あからさまに今日の主役は自分である! という主張だろう。


 ……覚悟していたけれど、これはただでは済まなそうだ。単なる里帰りならこうも自分を主張する事など無いだろう。一体何を考えているのかしらね。


 まだ皇帝陛下ご一家は入場されていない。ファルシーネ様は堂々と大広間の中央に出てくる。するとそこに何人もの貴族の男女がそそくさと集まってきた。


 見ると、フレイヤー公爵家のドローヴェン様、その婚約者であるワイヴェル様。そしてサッカラン侯爵夫人やその取り巻きなどだった。つまり、私とあまり仲が良くない、つまり現在の皇帝陛下からも皇太子殿下からも遠ざけられている方々だった。


 嫌な感じだ。かつて皇帝陛下に逆らって、皇帝陛下から遠い者達の支持によって次期皇帝の地位を得ようとしていたファルシーネ様が、フレイヤー公爵一族(ただし公爵閣下ご本人はいない。公爵閣下は現在ご病気で社交には出てこられないのだ)とその派閥に囲まれている。勿論、もう他国の王妃であるファルシーネ様に帝国の皇帝になる目は無い筈なのだけど。


 ふと、ファルシーネ様の目がこちらを見た。皇帝陛下との血縁を強く感じさせる鮮やかな緑色の瞳が細められる。うひっ! こっち見た。私は身をすくめそうになるのを我慢して、何食わぬ顔で微笑んだ。


 するとファルシーネ様は静々とこちらに歩いてきた。当然のようにフレイヤー公爵一族の方々を引き連れて。ファルシーネ様は他国の王妃。私は準皇族とはいえ、彼女の方が地位は上だ。私は跪いて胸に片手を置いて頭を下げた。


「初めまして。アンガルゼ王国王妃様のご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じます。私は……」


「久しぶりねヴィクリート」


 ファルシーネ様は私の挨拶など無視してヴィクリートに声を掛けていた。ファルシーネ様の後ろから失笑の声が上がる。……ま、良いでしょ。挨拶が省けたということで。


 明るく弾むファルシーネ様の声に反してヴィクリートの声は儀礼の範囲を少しも出ない冷淡な声だった。


「お久しぶりでございます」


「元気にしていたかしら?」


「大地に女神と皇帝陛下のお陰をもちまして」


 ヴィクリートは社交の場では貴族微笑を貼り付ける事くらいは出来る男だ。それがあたかも執事にでもなったかのように謹厳な顔のまま目線をファルシーネ様に向けない。よっぽど嫌なんだろうな。ファルシーネ様と話すの。


「どう? 今からでも遅くないわよ? 私の愛人にならない?」


 は? 私達の周辺にいる方々が呆れ果てたような表情になった。それはそうだろう。一国の王妃が隣国の皇族に、旧知とは言え、愛人にならないかなどと堂々と誘うとは。正気を疑われてもおかしくないだろう。


 これは、ちょっと想像よりも遙かに面倒くさそうな王妃様だぞ? 私はこの時点で彼女との対決は不可避であると覚悟した。本当は穏便に済ませたいけど、この調子では彼女の方が穏やかに里帰りを終える気はあるまい。


「お戯れを」


 ヴィクリートは言下に断った、断ったと言うより受け取らなかった。目も合わせず吐き捨てるように言って、貝のように黙ってしまう。それを見てファルシーネ様は一瞬不快気に目を細め、そして初めて私を一瞬だけ横目で睨んだ。


「……ふん。そんなにこんな身分卑しい女に籠絡されてしまったのね? つまらない男にお成りだこと」


 私は手を伸ばしてヴィクリートの手を掴んだ。激発しようとしていたヴィクリートはそれで我に返ったようだ。帝国の皇族が隣国の王妃に無礼を働いたら国際問題になる。たかが私が理由でヴィクリートにそんな汚名を背負わせてはならない。


 しかし、ファルシーネ様は私が身分卑しいということを知ってらした。一体どこで……、ってフレイヤー公爵家の方々に決まっているわよね。ファルシーネ様に情報を伝えたのは。そこまで考えて私は気が付いた。フレイヤー公爵一族の方々は、私もだが皇帝陛下ご一家について色々秘密を握っているのだ。


 ……不味いわね。フレイヤー公爵家がもしもファルシーネ様を全面的に支援する事に決めてしまっていた場合、皇太子殿下ご夫妻が不利な状況に陥る可能性があるじゃない。もしも私の考えた通りに事態が進んでしまった場合、最悪の可能性として帝国は内戦や分裂してしまうかも知れないじゃないの。


 考え過ぎかも知れないけれど、事が事だ。対策をしておくに越したことは無いんじゃないかしらね? お世話になっている皇帝陛下や皇妃様。皇太子殿下そして私を慕ってくれる皇太子妃殿下のためだ。それにあんまり問題が大きくなったらせっかく準備を進めている私達の結婚式に影響が出るかも知れないし、新婚旅行代わりに計画を考えている、帝国西部の視察旅行も出来なくなるかも知れない。


 私は思案を巡らせると計画を定め、レイメヤーを呼んで彼女の耳元で囁き伝言を頼んだ。そしてミレニーにも別方向への伝言を頼む。二人だけでは足りないから、ヴィクリートの従僕二人にも同じく伝言を頼んで使いに出す。


「何を企んでいるのだ? シルフィン」


 ヴィクリートが楽しそうな顔で言った。何ですかその顔は。別に企んでいると言うほどの事ではございませんよ。対策です。面倒ごとに対する。


「そうか。なら私は君のお手並みを楽しみに見物するとしよう」


 通常であれば、皇帝陛下ご一家は主賓の方が入場なさったらその後すぐに入場なさる。しかしこの時は中々入場していらっしゃらなかった。ただ、帝室の皆様はお忙しいし、場合によっては遅れてこられる事もあるからと誰も気にしていないようだった。相変わらずファルシーネ様はド派手なドレスで主にフレイヤー公爵一族の皆様と楽しげに話していらっしゃるし。


 レイメヤーとミレニーが息を切らせて私の後ろに戻ってきた。


「首尾良く」


 レイメヤーが短く報告してくれる。うん。これで準備は整ったわね。それじゃぁ、始めましょうか。


――――――――――――

「私をそんな二つ名で呼ばないで下さい! じゃじゃ馬姫の天下取り 」(SQEXノベル)イラストは碧風羽様。「貧乏騎士に嫁入りしたはずが!? 」(PASH!ブックス)イラストはののまろ様です。好評発売中です! 買ってねー(o゜▽゜)

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