四話 シルフィン公爵家の養女になる

 馬車は進んで、レクセレンテ公爵邸。つまりヴィクリートが行き倒れていたまさにその門に差し掛かった。


 見ればあの時とは違ってしっかりした衛士の服を着て長い槍を持った門番が二人門の前に立ち、馬車を見るや恭しく頭を下げ、門を大きく開いていった。因縁の場所なんだけどヴィクリートには特に何の感慨も無さそうだったわね。


 馬車はゆっくりと庭園の中を進む。視界の端に私が水を汲んだ噴水が見えた。ここまででも門から結構離れていた筈だけど。しかし、馬車はそれからゆっくり百を数えるくらい進んでからようやく停車した。どんだけ広い敷地なのか。


 馬車が停止してゆっくりとドアが開く。後から知ったがここは一族の者しか使えない通用口だった。車寄せには大きな屋根が掛かっている。その下に紺色の絨毯が敷かれ、大きく開いた入り口から屋内へと真っ直ぐに伸びていた。


 そしてその絨毯の左右に使用人が二十人ほども並んでいた。使用人とは言ったけれどそれにしては随分身なりが良いような? 服の形式は侍女や従僕みたいなんだけど、髪も肌艶もピカピカだし服には汚れ一つない。ブゼルバ伯爵家も身だしなみにはうるさくて、三日に一度は必ずお風呂に入らされたものなんだけどね。


 そしてその身なりの良い使用人が一斉に頭を下げた。


「「お帰りなさいませ。殿下。姫様」」


「「ひうぅ!」」


 思わず私とミレニーは引き付けを起こしかけたが、ヴィクリートはごく自然に微笑むと「ああ、ただいま」と言って私の手を取ると立ち上がった。


 そして私より一歩先に降りる。馬車の床は高い。そこから御者が持ってきてくれたステップを使って降りるのだが。これが結構傾斜が急で怖いのだ。それをヴィクリートが一段下からエスコートという名の補助をしてくれるのである。


 私は履き慣れないヒールの靴だし余裕なんて無い。確かお嬢様がやっていた、馬車から降りる際の優雅な作法とかもあった筈だけど、そんなモノ思い出す余裕も無い。


 必死にヴィクリートの腕に縋り付くようにしてえっちらおっちら降りる。絨毯の上に降り立ってホッとした。やれやれ。……じゃ無いわよ。目の前には真っ直ぐ屋内まで伸びる絨毯。左右にお澄まし顔の公爵邸の使用人たち。


 私はもう気圧されて後ろに下がって、また馬車に乗り込んで引き篭もりたかったわよ。どう考えても場違いだ。競走馬の中に引き出されたラバだ。


 しかしヴィクリートは全く私の怯えに頓着する事なく、私の腰に左手を回し、右手で私の右手を引くと優雅に進み出した。使用人の列の間を。


 この本格的なエスコートの姿勢で歩くにはコツがいる。お互いの息が合っていないと本当に難しい。しかしヴィクリートはちゃんと戸惑い乱れる私の歩様に合わせて進んでくれたので、私はどうにかひっくり返らずに済んだ。


 入り口を潜り、エントランスホールに入る。ここは家族用玄関のような物なので、客を迎える正面玄関より実は全然小さいのだけど、それでもホールはブゼルバ伯爵邸のそれの二倍はあった。そもそも伯爵邸には客用と家族用の区別などなかった。


 大きな窓ガラス(ガラスは大きくなればなるほど高価だ)が何枚も嵌っていて、陽光が差し込むから屋内とは思えないほど明るい。シャンデリアも沢山下がっているから夜も多分かなり明るい筈だ。さて、このシャンデリアに必要な蝋燭は何十本にもなると思うけど、これ全部に火を付けるのは大変だろうね。


 建物内部の絨毯は濃い青。そして壁には白に金糸で紋様が描かれた壁紙が貼られ、様々な大きさの絵画が何枚も飾られていた。天井は高くそこにも絵が描かれている。何というか、ここまでで既に情報量が多過ぎて私の頭は飽和状態だった。兎に角もう凄い。


 私は公爵邸の侍女に先導され、ヴィクリートにエスコートされてお屋敷の中を進んだ。廊下からして延々と豪華だったのだが、途中で通り抜けた小部屋やホールはもう目が滑ってよく分からないほどキラキラピカピカしていたわね。


 しかし本番はここからだった。私たちはあるお部屋の前で停止した。あれ? ここに何かあるのかな?


「こちらが姫様の為に用意させていただいたお部屋でございます」


 ……姫様ってまさか私のことじゃあるまいな? と当惑したのは私だけで、ヴィクリートは簡単に頷いた。そして侍女の手で大きく重い扉がゆっくりと開かれる。


 そこはもう豪華というか物凄い部屋だった。まず広さがブゼルバ伯爵邸でお借りしていた客室の倍くらいある。


 全体が薄い桃色で色合いが統一されていて、いかにも「女性のお部屋」という感じだった。壁やベッドのカーテンやソファーの色は薄桃色。木製の部分はマホガニー。そこここに金で飾りが入り、壁紙にも金糸の紋様が入っている。


 大きな天蓋付きのベッドのほか、テーブルセット、応接セット、大きな鏡台があり、窓際には出窓があってそこにも柔らかそうなソファーがある。大きな窓からは燦々と陽光が降り注いでいた。この季節には必要無いだろうけど、大きな暖炉もあったわね。


「素敵なお部屋……」


 あまりにも豪華だったけど、可愛らしくて私好みな部屋である事は確かだった。私のつぶやきを聞いてヴィクリートはフム。と頷いた。


「ちょっと狭いと思ったのだが、シルフィンが気に入ったのなら良いか」


 ……ちょっと待ってよ! まさかここ、本当に私の部屋なの? というか。


「……なんで私が姫様なの?」


 恥ずかしい、むちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。


 しかしヴィクリートは何でも無いような顔で言った。


「ああ。君はまずブゼルバ伯爵の養女になったわけだが、実は公爵家、というか皇族に嫁ぐにはそれでも不足なので、君は今日から公爵家の養女にもなっている。皇族の未婚女性の尊称は姫だから」


 とんでもない事言い出した!


 な、何よそれ! 私は平民同然の男爵令嬢だって言っているでしょう! 


「男爵令嬢からいきなり皇族入りは無理なので、一度伯爵家の養女にする必要があったのだ。皇族に嫁入りする場合、侯爵家の娘でも慣例で一度婚家の養女になるのは同じだから、別に君を冷遇している訳では無いぞ」


 冷遇じゃ無く、厚遇し過ぎだと言いたいんだけど……。


 ということで、ここは私のお部屋という事で間違い無いようだった。


「何しろ、三日で用意させたものだからな。不足はあろう。何でも侍女に言って用意させるのだぞ」


 ヴィクリートはそう言うと私の額に軽く口付けて、去って行った。まぁ、恐らく晩餐の席で会うんだろうけど。


 というか、私はこの豪華極まりない可愛いお部屋で今日から暮らさなければならないようだった。……えーっと。ここで私は何をどうすればいいのか。私はミレニーは途方に暮れた。お部屋には他に侍女が三人いる。


 胸のリボンの色が桃色である侍女が進み出て言った。彼女がこの部屋のチーフ侍女なのだろう。


「姫様。姫様のお世話はこのレイメヤーが主に務めさせて頂きます。何なりとお命じ下さい」


 金髪青目の真面目そうな美女だった。多分三十歳くらい。私の五倍くらいは仕事が出来そうだ。そして多分、私よりも遙かに高い身分の人だろう。気品が違うもの(後で聞いたら侯爵家の三女だった)。


「れ、レイメヤーさん? よろしく……」


「呼び捨てにして下さいませ。私達が叱られます」


「じゃ、じゃぁ、レイメヤー? 聞いていると思いますけど、私は男爵の娘で先日まで侍女で、ぶっちゃけて言えば何もかも知らないし分からないの。……私は何をすれば良い?」


 あまりにも豪快に私がぶっちゃけたために、レイメヤーは流石に一瞬呆れたような顔をしたが、すぐに謹厳な表情に戻すと淡々と言った。


「まずは、晩餐に向けての身だしなみを整えさせて頂こうと思います。その前にお部屋を案内致します。気に入らないところやご要望があれば即座に対応させて頂きます。それと、そちらの持ち込み侍女のミレニーは私達と同じ上級侍女として扱いますがそれでよろしいでしょうか」


 スラスラと並べ立てられ、私はただうんうんと頷いた。ミレニーは真っ青になっているけど。


「その、私はブゼルバ伯爵の所では下級侍女だから下級侍女で結構ですよ! 身分も男爵家の四女だし!」


「駄目です。姫様が特別に婚家に持ち込んだ侍女なのですよ? 姫様から許可無く離す訳には参りません」


 ミレニーの意見はレイメヤーに粉砕された。うん。ミレニーにいなくなられたら私も困る。置いていかないでよミレニー! と私がうるうるしながら見ると、ミレニーはがっくりと肩を落とした。彼女には公爵邸の裏庭にある寮の部屋が与えられるそうだ。


「では姫様。まず……」


「ちょ、ちょっとレイメヤー! そのお願いがあるんだけど!」


「何でしょう。姫様」


「その姫様を止めて欲しいんだけど」


 あまりにも居たたまれない。私は誰がどう見てもそんな大層な尊称に相応しい人物では無い。


 レイメヤーはまた呆れたような表情をしたが、私の要望は優先される事になっているらしく、頷いてくれた。


「分かりました。ではどのようにお呼び致しましょうか」


「シルフィンで良いわ。シルフィンと呼んで!」


「分かりました。ではシルフィン様で。皆、良いですね?」


 レイメヤーが言うと、二人の侍女が深々とお辞儀をした。レイメヤーはミレニーにもチラッと視線を向ける。ミレニーも慌ててお辞儀をした。例外は許さず、という事だ。その、様もいらないんだけど……。


 それからお部屋の案内を受ける。私の私室はメインの広間と、浴室(マッサージ場所付き)、トイレ、クローゼットルーム、お茶室、書斎から成り立っていて、近接して侍女が待機して仕事をする使用人部屋がある(でも私は使用人部屋には入ってはいけないと言われた)。


 基本的には広間で生活する事になり、ベッドもここにある。これはブゼルバ伯爵家でも同じだったのだが、古い形式なのだそうだ。近年はベッドルームを別に置くことも増えているそうで、要望があればそうしますと言われたが、これ以上部屋が増えられたら居たたまれないのでこのままで良いです。


 家具はおそらくは超高級品で、しかもアンティーク。ベッドも大きく布団もフカフカ(夏だから薄手だったけど)。クロゼットルームには何故か既に数十着のドレスが下がっていた。……なぜ? いつの間に?


「こちらは既製品です。明日の午後にも職人に来させてシルフィン様の採寸をさせて頂き、オートクチュールのドレスを仕立てさせますのでご安心下さい」


 何を安心すれば良いというのか。こんなにあるのだからもういらないと思うけど。


 一通りお部屋を案内されても、まだここが私のお部屋だなんて実感は沸かない。図々しくベッドにダイブするなんて無理そう。うーむ。私は応接セットのソファーの隅ににちょこんと座り、即座に出されたお茶をとりあえず啜った。


「……レイメヤー? そういえば晩餐って言ってたけど、誰がお出でになるのかしら。公爵閣下はご旅行中なのよね?」


「御屋形様は殿下のトラブルを聞きまして、急ぎ帰京致しましたから現在お屋敷におります。晩餐にもお出になられますよ」


 ……何ですって? それは予想外だ。私は旅行中だから公爵閣下といきなり対面することは無いだろうとある意味安心していたのだ。それなのにどうやら今日の晩餐で対面することになるらしい。


 た、大変だ! 公爵。傍系皇族の当主。帝国貴族界の重鎮。というかヴィクリートのお父様!


 私はガタガタ震え出してしまう。どうしよう。


 多分怒っているわ! というか絶対怒っているわ! ヴィクリートがよりにもよって庶民同然というか完全に庶民である私を「嫁だ」といって連れて来た事に。「何を考えているんだ!」と怒り狂っているに決まっているわ! そりゃ、私のせいでは全然無いんだけど、余所から見ていたら分からないもの。「お前がヴィクリートをたぶらかしたふしだらな女か!」とか怒鳴り付けられるに決まっているわ。


 そしてお屋敷を叩き出されて鞭打ちでもされるんだわ。もしかしたら打ち首にされて帝都の門前に晒されちゃうかも! いやー!


 ブルブル震えだした私を見てレイメヤーは正確に私が何を考えているのかを察したらしかった。


「ご安心下さいませ。シルフィン様。御屋形様はご寛容な方でございます。突然罰を下すような方ではございませんよ」


「で、でもレイメヤーだって思うわよね! 公爵家の嫁にこんな農家の娘連れてくるなんて無茶苦茶だって!」


「それはそうですね」


 レイメヤーはうっかり口を滑らして、慌てて口を塞いだ。そして少しだけ早口で付け加える。


「いえ、でも、殿下は昔から言い出したら聞かないというか、頑固な所がございます。それに、人を見る目は確かです。その殿下があれほどシルフィン様を愛していらっしゃるのですから、御屋形様も耳を傾けて下さると思いますよ。多分」


 不安しか無い。


 時間になり、私はお風呂に入れられ(ミレニーともう一人の侍女にお世話をして貰う。いや、ミレニーに裸を見られる方が恥ずかしいんだけど)、いろいろ艶々ツルツルにして貰い「既製品で申し訳ありません」と言われながら薄黄色の綺麗なドレスを着る。お化粧もお任せでして貰う。お化粧なんてしたこと無いから何をどうして欲しいなんて要望出せないもの。


「大丈夫よ。シルフィン、あなた意外と美人だし。ストロベリーブロンドの髪も水色の瞳もチャーミングよ」


 緊張で震える私をミレニーが小声で励ましてくれた。ううう。ありがとう。勝手に連れてきてしまったのになんて友達甲斐のある奴……。


「貴方が追い出されたら私も一蓮托生に路頭に迷うんだから頑張って!マジで!」


 ……はい。


 そして私はレイメヤーの先導で食堂へと向かった。公爵邸は広大だけど、一族の住まうエリアは近接していて、食堂やサロンなどという家族が共用で使う場所はあまり住居から離れない区画に集中して造ってあるそうだ。公爵邸の他の部分は来客や社交のためのスペースであるらしい。


 それでも随分と歩かされて(ドレスとヒールの靴で静々歩くのだから大変なのだ)ようやく白い大きなドアの前にたどり着いた。私が到着すると同時にドアが開く。私の前に立つレイメヤーが深く一礼する。


「姫様がご到着でございます」


 私も慌てて一礼する。そして恐る恐る食堂へと足を踏み入れた。


 その部屋は意外に小さかった。いや、勿論豪華で広いんだけど、ブゼルバ伯爵邸の食堂と同じくらいだったのだ。ただ、装飾の華麗さや見事さは流石で、シャンデリアもそれほど大きくない部屋なのに三つも下がっている。そのため非常に明るかった。その下に二十人くらいが座れると思しき長テーブルがあった。白いテーブルクロス。そして白磁の食器や銀のカトラリーが並んでいる。


 テーブルから一人が立ち上がった。ヴィクリートだ。テーブルには彼しかいない。私はちょっと、いやかなりホッとした。


「シルフィン。美しいな」


 ヴィクリートが私を褒めた。……そういえば、この人が私を美しいと褒めたのは初めてじゃ無いかしら。可愛いとは言われた気がするけど。


「ドレスをしてちゃんと化粧をするとこんなに大人っぽくなるのだな。でかした。レイメヤー」


「いえ、恐縮でございます。姫様の素材が良かったのですよ」


 どうやら私の童顔をお化粧の力で大人っぽくしたようである。これから公爵閣下に紹介するのに、子供子供した娘では支障があったのだろうと思われる。


 そ、そういえば、公爵閣下は?


「ああ。父はすぐ来るとも。君に会うのを楽しみにしていたぞ」


 楽しみって何ですかねぇ! 何をどのように楽しみにしているかにもよるんじゃ無いでしょうか! もしかしたら勘違いした庶民娘をどう罰してやろうかと手薬煉引いて楽しみにしているかも知れないじゃありませんか!


 私が涙目で震えるのを見て、ヴィクリートが苦笑する。


「大丈夫だ。父は厳しいが理不尽な方では無い。それに、君は私が守る」


 頼もしいが、頼もしくて嬉しいが、不安は消えないわよね。ううう。怖い。帰りたい。


 そしてヴィクリートのエスコートで席に導かれようとした、その時だった。


「公爵閣下がお出でになりました」


 その声が聞こえた瞬間食堂の空気がピリッと引き締まった。ヴィクリートが私を促してドアの方に機敏に振り返り、深く礼をする。侍女や執事たちが一斉に腰から折れる見事な礼をした。ミレニーも慌ててそれに習っている。私も頭を下げて目を伏せながらも額に浮かぶ汗を止める事が出来ない。


 ドアが開く音がして誰かが入室してきた気配がした。すると、ヴィクリートが私の背中を軽くたたく。顔を上げて良いという合図だろう。私はゆっくりと顔を上げた。


 ドアの前に二人、体格の良い男女が立っていた。私はこの瞬間まで忘れていた。ヴィクリートには両親がご健在である事に。つまりヴィクリートのご両親。公爵閣下と公爵夫人がこのお屋敷にはいらっしゃる。つまり今日お会いするのは公爵閣下だけでは無く夫人ともなのだ。


 ぎゃー! 公爵閣下とのお話のシミュレーションはしたけども、夫人、いや、公爵は皇族だからお妃様、公妃様だ、との会話は全く想定していなかった。私はアウアウと動けなくなる。


 公爵閣下はもの凄く大きな方で、それほど大きくは無い女である私よりも頭二つ分も大きい。ヴィクリートもかなり大柄だが敵わないくらいだ。ヴィクリートと良く似た赤茶の髪に青みがかったグレーの瞳をしている。口ひげを生やし、女顔のヴィクリートはあまり似ていないがっちりしたお顔をしていた。


 公妃様も大柄だ。私よりも頭半分くらい高いから女性としては驚くほど大きいと言って良い。黒髪黒目のもの凄い美人だ。いや、凄い美人。思わず状況を忘れて見入ってしまう。ヴィクリートは公妃様に似たのね。臙脂色の豪奢なドレスを当たり前のように着こなしていて、その迫力にはひたすら圧倒されるしかない。彼女は艶然と笑って私の事をジッと見ていた。ひー!


 公爵閣下はお部屋に入ってくるとヴィクリートを睨み、いきなり怒鳴り付けた。


「ヴィクリート! この馬鹿者が!」


 ぎゃー! 怒られた! やっぱりこんな庶民の嫁を連れて来たのが気に入らないのだわ! お許しを!


 と私は平伏しそうになったのだが、公爵閣下のお怒りの原因はそれでは無かった。


「門の前で行き倒れただと? 何をしているのだこの馬鹿者が。おかげで旅行を早めに切り上げ無ければならなくなっただろうが!」


 ヴィクリートはしれっとした顔で言った。


「それは申し訳なく思っておりますが、そもそもは父上が門番にまで休暇を出したりするからいけないのではありませんか」


「お前が何の連絡もよこさず遊び歩いているからいかんのだ。それに、帰る前に使者を出して一報入れれば良いだけのことだろう」


「遊んでなんていませんよ。領地と軍の任務で忙しいのですから。此度の帝都行きも突然決まったので連絡出来なかったのですよ。しかし、お陰で良いこともありました。生涯の伴侶と巡り会う事が出来たのですから」


 ヴィクリートが私を抱き寄せ見せ付けるようにした。それを見て公爵閣下が少し目を細めた。


「そうよ。お前がそんなとんでもない事を手紙に書かなんだら、わざわざ旅行先から飛んできたりはしなかったぞ」


 そして公爵閣下ははっきりと私に視線を向けた。うう、なんというか圧が凄い。流石はこの広大な帝国で四番目に偉い人だというだけの事はある。しかしその視線に敵意は無く、むしろ優しいものだった。


 そしてあろうことか、公爵閣下、帝国で四番目に偉いヴァレジオン・レクセレンテ様は私にゆっくりと深々と頭を下げた。公妃様、ロイメヤ・ウィプバーン・レクセレンテ様もそれに習う。侍女や執事が思わずどよめいた。私は硬直する。な、何が起きているの?


「息子を助けてくれたこと、心より礼を言う。ありがとう。シルフィン。そして我が家へ来た事を心より歓迎する」


「ありがとうございました。シルフィン」


 公爵ご夫妻の心の籠もったお礼に、私は愕然とするしか無かったのである。


――――――――――――

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