五話 シルフィン公妃様にうっかりぶち切れる

 公爵閣下もお妃様も食事中、非常に友好的な雰囲気だった。ヴィクリートもなんとも無いように応対していて、いつも通り私を気遣ってくれる。


 公爵家の食事は大皿に何種類もの料理を乗せてどさっと出し、給仕が取り分けてくれる形式だった。ブゼルバ伯爵家では小さな皿で一人づつに出た。公爵家の方が伝統的なスタイルなんだとか。ヴィクトールは私の分を自分で取り分けてくれた。


 食事中の話題は公爵ご夫妻のご旅行中の出来事が主だった。ご夫妻は半月ほど前から南の海際にある離宮(!)にまで旅行に行っていたそうで、そこからゆっくりと帰京する途中でヴィクリートの手紙を受け取り、そこから慌てて帰京したとのだとのこと。


「お陰でブルックナー侯爵領で歓待して貰う約束を断らねばならなくなったでは無いか。あそこのスパークリングワインは絶品だというのに」


「帝都に送って貰えば良いではありませんか」


「分かっとらんな。シャトーでブドウ畑を見ながら開けるのが良いのでは無いか」


 確かに畑でもいでそのまま囓る野菜は美味しいものね。似たようなものよね?


 話を聞いている限りでは公爵閣下も公妃様も飾らないお人柄で、回りくどい言い方はしない方のようだ。ヴィクリートとも遠慮の無い親子の会話を繰り広げている。ブゼルバ伯爵家では伯爵とお嬢様の関係が微妙で、はっきり喧嘩はなさらないけど自室に引き上げてからお嬢様は伯爵への愚痴や恨み言をブチブチ呟くのが常だった。あれに比べれば随分と親子仲は良いように感じる。


 相変わらずマナーが拙い私の食事風景にも特に不快感は感じておられないようで、私にも普通に声を掛けてきて下さる。私の故郷は帝都の東へ四日ほど離れたところで、その辺りは主に小麦の産地だ。私がその事を語ると公爵閣下は興味深そうに聞いて下さった。


「我が公爵領はそこからもっと北に行った国境地帯でな。同じく小麦の産地なのだが気候が少し寒冷で苦労しておる。来年春には領地に出向いて儀式をせねばならん。ヴィクリート。去年の収穫はどうだったのだ?」


「例年通りです。ですが今年はもう少し収穫が欲しいところです。もう少し大地の女神へ多めに魔力を奉納してみませんか? 父上」


「無理を言うな。これ以上魔力を奉納したら私の寿命が縮んでしまう。其方がすれば良かろう」


「家督を継ぎましたら、領主の責任ですからしますとも。ですが、今はまだ魔力は軍務のために溜めておかねばなりません」


 貴族には大地の女神から賜った魔力があり、その力で大地の女神の加護を齎す儀式を行い、土地を肥やすことが出来ると聞いている。だから貴族は土地を私有出来るのだと。私の父も少しは魔力があったようで年に一度村の神殿で何やら儀式に参加していた筈。まぁ、私には無いと思うけどね。


 良いなぁ。魔力で土地を肥やせるなんて。牛とか豚の糞を腐らせて森の土を混ぜ込んで積み上げて堆肥を作るよりは楽だろうなぁ。農家時代、堆肥作りはもの凄い重労働で、それを更に畑の土に混ぜるのは本当に大変だったのだ。


 まぁ、お食事の席に相応しいお話では無かったからそんな話はしなかったけどね。


 お食事が終わると公爵夫妻は私達をサロンに招いた。ゆったりとソファーに腰掛け、優雅な談笑のお時間だ。……私にそんな余裕があるとでも? カチコチになって座っているしか無かったわよ。ヴィクリートは私の隣に座り、肩を抱き寄せてくれたけど。


「で、父上。私とシルフィンの結婚話は上手く進みそうですか?」


 ヴィクリートは何でも無いように言ったが、どうしてそんな簡単に話が進むと思うのか。公爵閣下もそう思ったらしく、少し眉を顰めた。


「一応、皇帝陛下と元老院、紋章院には手紙を出した。紋章院からは仮にだが、シルフィンを我が家の養女にする所までは許可が出ている」


 許可出ちゃった。私は愕然としたのだが、私が一応でも貴族の血を引き、伯爵家の養女のステップを踏んでいる以上、公爵閣下とヴィクリートが認めていれば紋章院が却下する筈は無いのだそうだ。


「だが、皇帝陛下は驚いていらっしゃったそうだ。直接の説明を聞きたいと仰られたそうだから、数日後には参内して直接説明しなければなるまい」


 ……今、皇帝陛下に直接説明するって言った? まさかそれに私も行かなきゃいけないわけじゃ無いわよね!


「となると、皇帝陛下のご許可を頂き、元老院の承認を受け、そして紋章院の認証があれば私とシルフィンは婚約出来るという訳ですな」


「そうだな。ただ、皇帝陛下が簡単に許可を下さるかは分からんぞ? 陛下は第二皇女のイーメリア様を其方の妃にしたがっていたからな」


「イーメリア様は私の従姉妹ではありませんか。血が近すぎます」


 ヴィクリートの母君。そこにいる公妃様はウィプバーン公爵家のお生まれで、そのお姉様は皇帝陛下のお妃、つまり皇妃様なのだそうだ。……もの凄い血筋だ。そして第二皇女のイーメリア様がヴィクリートのお妃に擬されていたと。……そこへこの庶民の私が割り込んだと。……ぎゃー! 私、不敬の罪で罰せられるんじゃないの?


「それ以前の問題として、男爵家の娘を無理矢理妃にしようというのだ。反発する者は多かろう。覚悟はあるのだろうな?」


 公爵閣下は少し厳しい目をしてヴィクリートを睨む。


「勿論です。覚悟の上ですよ。私は何もかも乗り越えてシルフィンを妻に迎えると決めたのです」


 か、かっこいい。こうも自信満々威風堂々と惚気られると私だって胸が熱くなってしまう。公爵閣下もそんなヴィクリートを見て重々しく満足そうに頷いた。


「うむ。分かった。其方がそうまで言うなら私はもう何も言わぬ。見事シルフィンを妃にしてみせるが良い」


 ……いや、ちょっと待って。私は恐る恐る口を挟んだ。


「あの、大丈夫なのですか? そんな事をしたらヴィクリートが、というか公爵家が皇帝陛下から怒られたり、他の家から非難されたりしませんか?」


 たかが私の事で、帝国屈指の名家であるレクセレンテ公爵家と帝室、帝国貴族界の関係が悪くなったりしたら大変では無いか。私にそんな価値など無いと思うんですけど……。


 しかし公爵閣下は厳ついお顔を優しく緩めてこう放言した。


「なんの。其方が気にすることは無い。惚れた女を妻にも出来ず何の人生か。自分の決めた事を全う出来ないような奴に帝国は背負えぬ。もしもヴィクリートが其方を妻に出来なかったら、こいつに家督など任せられぬ」


「そうだ。君が気にすることは無い。私は私のプライドに賭けて君を妃にしてみせる」


 だ、だから私にそんな価値は無いですって! 家督だとかプライドを賭けて貰わなくても大丈夫ですって! 私は内心悲鳴を上げたのだが、公爵閣下とヴィクリートはそこから具体的な皇帝陛下や元老院への根回しの方法の検討に入ってしまった。何でも皇族の長老から話を持って行き、有力貴族の間に根回しをしてから元老院の承認を得た方がスムーズに話が進むからとかなんとか。


 そんな感じで私に対して一切厳しいことが無かった食後の談笑が終わり、私はヴィクリートのエスコートを受けて自室に帰った。


 緊張で疲れ果てソファーにもたれてぐったりしていると、着替える前にドアが叩かれた。レイメヤーが対応し、私に報告した。


「お妃様がシルフィン様をお呼びだそうです」


 ……こ、これは! 私は慄いた。


 これはあれよ。男性方がいたあの場では言えなかった事をヴィクリートのいない場所で言うつもりなんだわ。お妃様は。


 具体的には「貴方なんかがヴィクリートの妃になれる訳無いでしょう!」とか「身分を弁えなさい!」とか挙げ句に「手切れ金を渡すからどこへとなり行っておしまいなさい!」とか言われてお屋敷を追い出されるんだわ。……そうだと思ったのよ。無理よね。やっぱり無理なんだわ。


 と、私はある意味納得し、しかしヴィクリートと離れるのはもう嫌だなぁ、などと思いながら、ちょっとお化粧を治してからレイメヤーの先導でお妃様のお部屋に向かった。


 お妃様のお部屋はそれほど遠くでは無かった。聞けばそこはお妃様個人のお部屋で、公爵夫妻としてのお部屋はまた別にあるのだそう。わざわざ個人的なお部屋に招くのだからやはり内緒話だろうね。


 ドアが開かれ、私のお部屋よりも大きなお部屋に入る。お妃様は奥の私室付属のサロンにいらっしゃった。恐れ多くも立ち上がってお迎え下さる。


「わざわざ悪かったわね」


「と、とんでもございません」


 私はへこへこしながら勧められたソファーにこわごわ座る。お茶が出されると、お妃様は人払いをして侍女を全員サロンの外に出してしまった。頼りのミレニーもレイメヤーもだ。ひー!


 しかし、お妃様は静かな表情で私を見て微笑んでいる。な、何を言われるのだろう。恐れる私にお妃様は言った。


「貴女は、苦労するでしょうね」


 は? 私が目を見開くと、お妃様はお美しいお顔に苦悩するような表情を浮かべた。


「馬鹿息子がごめんなさいね。アレも自分の行動が他人に迷惑を掛けることを弁えてくれないと。自分が貴女にどれほどの無理を強いているのか、分かっていないのよ」


 流石はお母様。ヴィクリートが馬鹿息子扱いだ。そして私を労るような、沈痛な表情で言った。


「事がここまで進んでしまっては、もう何としても貴女をあの息子の嫁にするしかありません。貴女がどんなに苦労するか分かっていてもです」


 ヴィクリートは公爵閣下にお手紙を出すと同時に、皇帝陛下や元老院にも既に話をしてしまい、既にその界隈では大騒ぎになっているらしかった。まぁ、その理由のほとんどは「今まで女気が無かったレクセレンテ公爵家の御曹司が結婚だと!」という騒ぎであるらしいが。


 この状態で「やっぱり止めた」とヴィクリートが言い出したり公爵家が縁談を無しにしようとすると、ヴィクリートや公爵家の信用問題になってしまうらしい。だからもう私はヴィクリートと一度は結婚しなければならないのだそうだ。


「あの息子は誰に似たのか頑固ですし、こと女性問題には極めて潔癖で、一生結婚しないのではないかと思われていたくらいです。そのヴィクリートがあれほど入れ込んでいるのですから、本気なのでしょう。だから貴女にはどうしてもあの息子と結婚して貰うしかないのです」


 は、はぁ。どうも話の雲行きがおかしいわね。なんだかお妃様が私にすまないけど嫁に来てくれ、という話になっているような。


「無論、私達もできる限りフォローは致します。公妃になるに相応しい教育を施し、危険からは遠ざけ守ると約束致します。だからあの息子と結婚してやって欲しいのです」


「ちょ、ちょっとお待ち下さい!」


 私は慌ててお妃様に言う。


「その、私などが嫁に入る事についてはどう思われていらっしゃるのですか? 私は田舎育ちの男爵の娘で、ただの農家の娘なんですよ?」


 ここが一番の問題では無いか。身分卑しいとは自分で言いたくは無いけれど、どう考えても私が公爵家に相応しい身分であるとは思えない。


 しかしお妃様はあっさり言った。


「そこはもう諦めました」


「諦めた?」


「あの堅物の息子は、貴女を逃したら結婚しない可能性が高いです。どんな縁談を持って来ても逃げ出してしまったあの女嫌いが、まさか自分で嫁を連れてくるとは思いもよりませんでした。つまり、貴女以外にあの息子の嫁になれる者はおりますまい」


 思っていたよりもヴィクリートの女嫌いは激しいようだった。私には最初からあからさまに優しかったから全然気が付かなかったけど。


「それに、あの息子の人を見る目は確かです。それは単に命を救われたからと言うだけでは曇らぬ筈と信じています」


 お妃様はそう言うとニッコリと微笑んだ。


「ですから貴女がもう何を言っても逃がすつもりはありません。ごめんなさいね」


 ……そうですか。どうやら、公爵家は総出で、本気で私をヴィクリートの嫁に押し上げるつもりらしい。私はちょっと呆れてしまう。お妃様はお茶を口に含むと微笑んだまま言う。


「それで? どうですか? 貴女はヴィクリートをどう思っているのですか?」


 今、どうあろうと私を嫁に迎え入れると言ったのだから、私の気持ちなんてどうでも良かろうと思うんだけど。しかし、お妃様は続ける。


「嫌いな者同士でも家のためなら結婚するのが当たり前なのが貴族というものですが、その場合はそれなりの結婚の仕方をするんですよ」


 夫婦がお互いに嫌い合っているのであれば、お屋敷の内部で完全に別居して、お互いに愛人をお屋敷に入れて、愛人が生んだ子供を夫婦の子供として育てる、という事が普通にあるらしい。問題なのは家同士の関係と、直系の家の継続なので、子供など当主の血を引いていれば誰でも良いらしい。凄い世界だ。


 普通の夫婦でも子供が出来なければ当主に何人でも愛妾を娶らせ、子供を何としても産ませるのが当たり前だという。そういう世界なので、夫婦の間に愛情など全く必要では無いのである。


「幸い、家は夫婦仲は良好で、子供も生まれましたし、夫が愛妾と娶るのを嫌がりましたけどね」


 お妃様は軽く惚気た後、頬に手を当てて首を傾げる。


「ヴィクリートはあんな感じですから、貴女以外の愛妾を娶るとは思えません。ですから、貴女がヴィクリートを愛せないとなると困った事になるのですよ」


 その場合は私が望むような愛人を私に(!)あてがうので、愛情はそちらで発散して貰って、愛情が無くても義務としてヴィクリートとの子作りをして貰いたい。という話だった。とにかく公爵家に跡継ぎが出来ないと(最悪ヴィクリートの弟君であるベンティアン様がいらっしゃるのだが、当主となったヴィクリートに子供がいないのは家の恥になるので)我慢して欲しいとの事だった。


 私はそれを聞いて、呆れ、そして次にフツフツと怒りが沸き上がってきた。なにそれ。なによそれ! なんという人を馬鹿にした話なのか!


「何ですかそれ!」


 私は思わず立ち上がって叫んでいた。


「そんないい加減な話がありますか! 全然愛のない結婚なんて考えられない! 人を馬鹿にするのも程があります! 私は愛してもいない人と結婚なんてしません!」


 公妃様は私を気遣うような視線で見上げる。


「でも、貴女は何の同意もなく無理矢理ここに連れて来られたのでしょう? ヴィクリートを愛している訳では無いのでしょう? 我慢しなくても良いのですよ? あの息子の妻の役目さえ果たしてくれれば良いのです」


「馬鹿にしないで下さい! その気があったなら私はとっくにここから逃げ出しています! 私がここにいるには私の意志です!」


 そう。もしも私がヴィクリートの嫁になるのが絶対に嫌だと強く思っていたのであれば、私はブゼルバ伯爵邸でこの話が持ち上がった瞬間に逃げ出していた。私にはそれくらいの行動力はある。


 それをしなかったのだから、私は、その、別に嫌では無かったのだ。ヴィクリートと結婚すること自体は。あまりにも身分差があって、あまりにも私が相応しくなくて、周囲やヴィクリートが「駄目だな」と言い出すと思い込んでいただけで、私自身はヴィクリートと結婚する事が嫌だと思った事など一度も無い。


 むしろあの素敵で誠実で優しいヴィクリートの妻になるだなんて夢のようだとさえ思っている。というか夢に違いないと、今この時まで思っていた。きっとその内夢から覚める事になるだろう、と思い込んでいた。


 夢で無いのなら、本当に彼と結婚出来るのなら、それはどんなに素敵な事だろうか。うん。彼がたとえ公爵で無かったとしてもあんなイケメンで性格も素晴らしく気遣いも出来る男などそこらにはそうはいまい。というか私はこれまで会った事が無い。


「ヴィクリートは素敵な方です。凄い方です! あんな素晴らしい男性を好きにならない女がいるでしょうか? いませんよ!」


 お妃様は興奮する私にスルッと水を向けた。


「では、貴女はヴィクリートを愛することが出来るというのですね?」


 私は興奮していたので思わずしっかりと全力でこう宣言してしまった。


「ええ! 愛します! ヴィクリートが私を愛してくれるなら、私も彼を力の限り愛します!」


 興奮に任せたなんとも恥ずかしいカミングアウトだったが、これを聞いて公妃様はニーっと会心の笑みを浮かべた。計算通り。まんまと上手く行った、という笑顔だった。それを見て私は我に返る。は! も、もしかして謀られた?


「それを聞いて安心致しました。ではその愛情に相応しい行動、努力を、公爵家は求めます」


 はうっ! ズズズズっと公妃様からの圧が強まった気がした。そう公妃様はこの時から私を、お客様では無くて義理の娘、嫁として扱いだしたのだ。これはお姑さんの圧の圧なのである。


 思わず後ずさりしそうになる私に、座ったままの公妃様はうふふふふっと微笑み掛けながら楽しそうに言った。


「その覚悟があれば、どんな苦労にも耐えられるでしょうね。具体的には公爵家に相応しい教育です。何の教育も受けていない貴女には過酷なものになるとは思いますが、愛があれば大丈夫でしょう。耐えられますよね?」


 ひ、ひぇ! 顔を引きつらせる私に公妃様は更に言う。


「他にも公爵の妃には領地経営の勉強も求められますし、社交でのリーダーシップも必要です。もしも貴女が泣く泣くお嫁に来るのなら、その辺は代理人でも立てようと思ったのですが、それほどやる気があるなら大丈夫ですわね」


 だ、大丈夫じゃ無いです! と叫びたかったが、自分でああも華々しく宣言してしまったのだ。今更撤回は出来ない。


「良かったわ。本当に良い嫁が迎えられそうで。勿論、子作りも頑張って貰いますからね。シルフィン?」


 公妃様の微笑みは蛇のようだわ! 私は蛇に睨まれた蛙のように、ただただ震えることしか出来なかったのである。


――――――――――――

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