三十八話(前) ヴィクリート嫁の凄さを再び思い知る

 私は馬を全力で走らせ、単騎でアンガルゼ王国内を駆け抜けた。先ほどまで戦争をしてた敵国を護衛も無しに走破したわけだが、恐れなど一切抱かなかった。考えもしなかった。


 実際、この時私の前に立ち塞がる者があれば、その者は私の剣で瞬時に斬り伏せられる事になっただろう。それくらい私には怒りと気合が漲っていたし、恐らく魔力で全身が光り輝いてすらいただろう。


 港から帝国との国境までは行軍三日といったところだ。私はこれを一日で走破した。昼夜無く走り続けたのだ。私は疲労など感じなかったがそろそろ馬が限界だ。どうしたものか、と思ったその時、前方に数十名の人影が現れた。こちらに合図をしている。


 誰だ? と思ったのだが、それはなんと帝国軍陸上部隊を任せたハイフェンだった。しかし考えてみれば不思議な話ではない。彼はフェラージュ要塞での戦いの後、国境付近にそのまま駐屯していたのだから。


 私が馬を止めると、金髪に紺色の目を持つ長身の男、ハイフェンが駆け寄ってきた。


「ヴィクリート! 馬を持ってきた! 乗り換えろ!」


 長年の付き合いである。私が何をしようとしているのか、言わなくてもわかるのだろう。私は馬を飛び降り、ハイフェンの連れて来た馬に乗り換えた。


「途中の領主達には早馬を出して、馬の準備をするように言ってある! 遠慮無く乗り換えろ!」


「分かった!」


 私はそう叫び、馬を駆けさせようとし、思わずハイフェンに確認した。私は一応、今の自分のやっていることが、軍隊の司令官失格の所業だと自覚していたので。


「いいのか?」


 するとハイフェン紺色の目を細めてニヤッと笑った。


「俺の気持ちが分かったかこの朴念仁め! 婚約者の危機は自分の危機も同じ。何をおいても駆けつけるのが当然だと、今ならわかるだろう!」


 ハイフェンの婚約者が倒れたとの報が届いた時、私は任務を放り出す事を最初は渋ったのだった。その事をあて擦っているのだろう。


「ウーミリヤが病気になったあの時。なんだかんだ言いながら。結局は付き合ってくれた、あの時の礼だ!」


 ハイフェンに付き合って帝都に予定外の帰宅をした結果、私は自邸の門前で行き倒れた挙句、最愛の婚約者を得るに至ったのだから、むしろ私はハイフェンに感謝していたのだが、ハイフェンは律儀に借りを感じてくれていたようだ。


「分かった! これで貸し借り無しだな!」


 私はそう言い残すと馬腹を蹴り、後ろも見ずに北へと向かった。


 用意周到なハイフェンは五千名の援軍を既に公爵領に向けて進発させていた。速度を優先して全て騎兵だ。


 しかし私はその騎兵隊を追い越して先を急いだ。軍勢の移動は隊列を維持しなければならないから遅くなるし、替え馬もほとんどいないから無理は出来ない。


「なるべく急いで、後からついて来い!」


 私は彼らを追い越しざま叫んだ。遊牧民と戦うには軍勢が必要だ。しかし、この時の私は、一騎でも公爵領に突入する気でいた。


 私は途中の領主の用意した馬に次々乗り換え、公爵領を目指した。何人かの領主には休憩を勧められたが、全て断って水と食料だけを受け取った。私は馬を走らせながら水を飲み、パンを齧った。


 フェラージュ要塞から公爵領までは馬車で十日くらい掛かる。私はこれを五日に短縮した。一度の小休止も取らなかった結果である。しかし疲労など一切感じなかった。これぞ愛の力だろう。


 タルティアン侯爵領と公爵領の境には、侯爵の私兵と、帝都から送られてきた援軍が合計二千ほどいた。私はここで初めて馬を止め、帝都から送られた援軍の指揮官に状況を説明させた。私はこの時、シルフィンが公爵領を脱出していないかと思ったのだ。


 しかし、当然顔見知りである援軍の指揮官、ハーベルは言った。


「シルフィン様は未だ公爵領都の城に籠城中のようです。しかし、遊牧民どもは数がおそらく一万騎近くいるようで、とてもこの数では救援に向かう事は出来ません」


 後にこの見積もりには遊牧民の女子供までが含まれた過大な数である事が分かるのだが、二千対一万では救援に二の足を踏んだとしても無理はない。


 私はシルフィンが敵に囲まれているという恐怖と、彼女が無事であるという喜びの相反した思いに心を焦がしながらハーベルに向けて叫んだ。


「よし! 分かった! ではこれより公爵領へ突入してシルフィンを救援する!」


「は? し、しかし!」


「恐れる者は付いて来なくても良い! 私一人でも行くぞ!」


 私は馬に飛び乗ると、そのまま馬を駆けさせて領地の境を越えた。


「こ、これはいかん! 殿下一人を行かせるな! 殿下に続け!」


 ハーベル以下、帝国軍の者達は、慌てて馬に乗り、私の事を追い始めた。


 待っていてくれ! シルフィン! この私が今すぐ助けるからな!


  ◇◇◇


 ……という私の気合は結局空回りに終わった。


 私が領都に到着した時には、遊牧民は一足先に逃げ散った後だったのだ。私は先頭に立って領都に突入して呆然とした。略奪された痕はあるものの。人っこ一人いない。これは何としたことだ?


 公爵邸の横を抜け岩山の上に建つ城への坂道を馬で駆け上がる。ここには激しい戦闘の痕があって、ここに間違いなく遊牧民どもが攻め寄せた事が分かった。


 しかし、城の城門は固く閉じられ、落城していないことは明らかだった。


 私は城門の前で兜の面覆を跳ね上げ、叫んだ。


「シルフィン! 無事か!」


 するとすぐに、城の見張りの塔の上にストロベリーブロンドの髪が靡いたのである。


「ヴィクリート!」


 間違い無い。あれは、あの姿は我が愛しの婚約者! シルフィン! 無事だったか! 良かった!


 私は歓喜が爆発し、雄叫びを上げてしまってシルフィンを驚かせたようだ。門から駆け出してきたシルフィンと抱き合って感動の再会をする。


「お帰りなさい! ヴィクリート!」


 と呼び掛けるシルフィンの声の何と甘美なことか。無事で良かった。会いたかった。駆けつけて良かった。遅くなって済まない。そんな思いが溢れ出して口で渋滞してしまって、言葉にならない。


 シルフィンも私と抱き合って、ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れたようだ。足が震えてしまって立っている事も出来なくなってしまった。


 余程怖かったのだろう。それはそうだ。彼女に強い胆力や精神力が備わっているのは知っているが、遊牧民の軍団に日夜脅かされる生活を一ヶ月も続けたのだ。さぞかし恐ろしかった事だろう。


 私は彼女にそんな恐怖を味合わせてしまった自分に腹を立てた。そしてそれは倍化して遊牧民への怒りとなった。許せぬ。北の草原を焼き尽くして、奴らを一人残らず皆殺しにしてくれん!


 しかし、一休みして(私も流石に疲労が出てしまい、ベッドに入ったら丸一日起きなかった。シルフィンはなかなか起きない私に随分と気を揉んでくれたらしい)。シルフィンと話すと、驚いたことに彼女は一切、遊牧民への処罰感情を持っていないようだったのだ。


「こちらもあちらも、お互い様だと思わないと」


 などと言う。それだけでなく、シルフィンは遊牧民への援助の事まで口に出した.

私は思わず言った。


「あのような目に遭わされて、どうしてそのような事を言える。脅されてした約束など守る必要は無いのだぞ?」


 しかしシルフィンは、遊牧民への支援は公爵領の利益にもなる事だからと私を説得した。シルフィンがそこまで言うのなら、と私も仕方無くシルフィンに同意して、遊牧民に交渉のための使者を送った。


 やってきた遊牧民側の使者は帝国語を話す者で、どうやらシルフィンは戦前から知っていたようだ。気易く声を掛けている。私は声を掛ける気にもならず、ジロッと睨み付けてやっていた。族長の一人でヨゼムと名乗ったその使者は、遊牧民の窮状をしきりと訴えていたが、私は良く聞いてもいなかった。奴らが何を言おうと、私には彼らを助けてやる気など無かったのだ。


 そんな私に対して、シルフィンの方は彼らの窮状に同情したようで、様々な条件を付けた上ではあるが、援助に同意し、そのためには彼らの謝罪が無ければならないと言って彼らを説得していた。


 自らに剣を向けてきた相手を滅ぼすのでは無く、謝罪を受け入れて援助までしようというのは、私には到底理解出来ない考え方だった。


「君を傷付けようとした者達だぞ? お人好し過ぎはしないか?」


 私はかなりきつい調子でシルフィンに言った。シルフィンの優しさは美徳だと思うが、それにしたって限度があるであろう。無制限の優しさは相手につけ込ませる余地を与え、それが彼女の足を引っ張りかねない。


 しかし、シルフィンは静かな表情で、その水色の瞳で私の目を真っ直ぐに見据えた。私は気圧された。アンガルゼ王国艦隊の砲撃にも、ボステニア王国海軍の奇襲にも感じなかった怖れを、私はシルフィンの視線に覚えたのだ。


「私は、困っている人は助ける性分なの。知っているでしょう? ヴィクリート」


 静かだが、重い一言だった。私はそれだけで一言も口を開けなくなってしまった。


 そうだ。私はシルフィンのそういう優しさに助けられたのだ。その私に、彼女の優しさの何に文句が付けられるというのか。


 私は彼女の好きにさせるしか無かった。その代わり、彼女の隙は私が塞ぎ、彼女の事は何があっても私が守るのだ、という事を自分自身に誓ったのだった。


――――――――――――

今日はここまでです(´・ω・`)


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