三十七話(後) ヴィクリート苦戦する(下)

 すると、やはりというか案の定というか、ボステニア王国軍はアンガルゼ王国に一万もの援軍を出している事が分かったのである。これはボステニア王国の総力に近い。かなり本気でアンガルゼ王国を手に入れようとしている事が分かる。


 帝国軍は二万五千。アンガルゼ王国軍は一万と援軍一万。


 まだ帝国軍の方が多いが、地の利があるアンガルゼ王国軍と五千の差では圧倒的に有利とまでは言えないだろう。


 ただ、魔力兵器の数では帝国が圧倒しているので有利は動かないだろう。私はハイフェンに書簡で警戒を命じようかと思ったが、止めた。あいつなら大丈夫だろう。とっくにボステニア王国の援軍や状況の変化に気が付いているに違いない。


 私は陸上軍はハイフェンに任せる一方、港の軍事施設を完全に制圧し、そこの兵士を追い払って帝国の管理下に置くと、港の代官に港の再開を命じた。あんまり長く港を閉鎖してしまうと、物流が滞って帝国だって困るからだ。


 そして海路でアンガルゼ王国の沿岸を威圧し、そのまま進んでボステニア王国の沿岸も脅かした。ボステニア王国は艦隊を繰り出してこちらを警戒していたが、あちらはつい先だって援軍に出した五隻の艦隊を失っている。こちらの強さを思い知ったばかりなので、迂闊に近付いて来ない。


 帝国海軍はボステニア王国の沿岸を我が物顔に航行して、この海の制海権を持っているのはどこの国なのかをまざまざと見せ付けた。ボステニア王国は騒然としたことだろう。本国が脅かされては帝国からアンガルゼ王国を奪うチャンスどころの話では無いはずだ。


 私達が艦隊を率いてアンガルゼの港に戻ると、陸上での会戦の勝負が付いたとの連絡が入っていた。ハイフェンは上手くやったようだ。


 ハイフェンはアンガルゼ王国、ボステニア王国の連合軍に押されるふりをして後退し、敵をフェラージュ要塞の魔力砲の射程圏内におびき寄せたらしい。要塞の魔力砲は最新型だ。その射程は長大で、その事をアンガルゼ王国は知らなかったらしい。


 偽りの後退する帝国軍をかさに掛かって追ってきた王国連合軍は、まんまと要塞砲の射程圏内に踏み込んでしまったのである。


 フェラージュ要塞の要塞砲が火を噴き、王国連合軍に襲い掛かった。一撃で戦闘艦を沈めてしまうくらいの新型砲には対人用の拡散魔砲弾まである。王国連合軍は一瞬にして地獄に足を踏み入れてしまったかのような惨状になったらしい。


 そこへ反転攻勢を仕掛けた帝国軍が襲い掛かり、王国連合軍は溜まらず降伏。捕虜の数は二千人という大勝利となった。一方の帝国軍の損害は軽微であるとのこと。


 流石は新婚のハイフェン。これで彼は侯爵家を継ぐ際に「フェラージュ要塞の戦いの勝利者」という称号を掲げる事が出来ることになる。貴族は全員軍務経験者である帝国では、勝利した戦いの戦闘指揮をしたという看板は、家の格を何段も上げるくらいの価値を持つものなのである。この後社交で他家との争いになった時に、これは重大な武器になる事だろう。


 敵の陸上戦力が壊滅したという報告を受けて、私はアンガルゼ港の代官が書いた降伏を勧める書簡を持った使者をアンガルゼ王国王都に向かわせた。降伏勧告と先に要求したファルシーネ様の処罰を再度要求をするためである。


 陸上軍も艦隊も壊滅した今、アンガルゼ王国国王にこれを拒否することは出来まい。私は軍勢を整えつつ返答を待った。もしも断ってきたら、即座に王都に向かって進発し、実力で制圧するつもりだったのである。


 しかしその必要は無かった。アンガルゼ王国国王の使者がやってきて、降伏勧告の受け入れと、ファルシーネ様への処罰の終了を申し入れて来たのだった。


 ファルシーネ様には死を賜ったそうだ。つまり自害を命じたのである。ファルシーネ様は毒を煽ったそうだ。


 流石にここまでやってしまってはそうなるしかあるまい。使者が届けてきた国王の書簡には、何もかもファルシーネ様の企みであったこと。帝国の貴族も多数味方に付くとファルシーネ様が吹聴し、王国の貴族や軍人を動かし暴走した事が書いてあった。まぁ、この国王に責任無しとは言えまいが、どうやらファルシーネ様はアンガルゼ王国を挙げて、帝国に対抗する体制を作り上げていたらしい。敵ながら大した手腕だと思う。


 そして、使者はファルシーネ様の遺書であるという書簡を持って来ていた。私宛、皇帝陛下宛、皇妃様宛の三通だった。正直、そんな物は読みたくも無かったが、遺書では仕方が無い。私は自分宛のそれを開封した。


 ……中には恨み言が満載だった。自分は皇帝になりたかったのに、なぜ支持しないのか。自分と結婚すれば皇帝の配偶者になれたのに、なぜ結婚しなかったのか。あんな無能なメルバリードよりも私の方が皇帝に相応しいのに云々……。


 私は溜息を吐いて、その書簡を破り、燃やすように命じた。結局、ファルシーネ様は有能ではあったのだろうが、それに溺れて現実が見えていなかったとしか思えない。女性が皇帝になるなんて非常に難しいのだし、それには才能よりも努力と人望が何より必要であろう。才能を鼻に掛け、見えない所で他人を虐げ、目的のためなら他者が迷惑を被る事を顧みないファルシーネ様には無理だったのだ。


 女性が皇帝になるなら、天性の人望と、不断の努力を涼やかにこなし、何時いかなる時も他人への配慮と思いやりと愛情を忘れない、そう、シルフィンのような者がなるべきだろう。彼女なら皇帝になっても帝国を真っ直ぐに見事に率いて行くに違いない。


 ……いやいや。そんな事になられては困る。彼女には私の妻になって貰わなければならないのだから。私は内心苦笑した。


 アンガルゼ王国との降伏交渉のために王都に向かう。この際の様々な折衝には港の代官を使った。同じ国の者の方が様々な調整が付け易いし話もし易いだろう。


 代官としては帝国が港の権益を手に入れた後にも自らの地位を守るためにも私に忠実にならざるを得まい。


 帝国は二つの事をアンガルゼ王国に要求した。アンガルゼ王国の海軍の保有を禁止し、代わりに帝国が港の軍事施設を租借して艦隊基地を置く事。もう一つはボステニア王国と絶縁する事だった。


 しでかした事に比較すると、ずいぶん些細な代償になってしまうが、やはりアンガルゼ王国はボステニア王国との緩衝地帯として独立を保ってもらわなければならないのだ。


 その代わり帝国東の海はこれで完全に帝国の支配下に置かれる事になる。アンガルゼの港は事実上帝国の支配下になるので、アンガルゼ王国が海上交易で得られる利益は制限される事になるだろう。


 王都に到着した私は王都の中には乗り込まなかった。罠を警戒したのもあるが、帝国軍が王都を我が物顔に行進すれば、アンガルゼ王国の民衆も貴族も帝国の横暴さに反感を抱くだろうと思ったのだ。


 シルフィンと出会う前の私なら、お構いなしに王都を練り歩いた事だろう。シルフィンはそういう民意への気配りを欠かさない女性で、それが彼女の人望の理由の一つだろうと思える。見習える部分は見習うべきだ。


 王都近郊の街に入った私の元に、目立たない馬車を使ってアンガルゼ王国国王がやってきた。交渉の場所は皇族と国王が対面するというのに宿の食堂。そこを出来得る限り片付けて使用した。


 そこで、一国の国王が私に跪く。国王が私に跪くことをあまり多くの目に触れさせないために、わざわざ国王を忍んで来させて、狭い宿の食堂で秘密裏に交渉するようにしたのである。


「ご配慮に感謝致す」


 アンガルゼ王国国王は私よりも十歳上の三十歳。クリーム色の滑らかな髪を持つ優男だったが、この時はいかにも疲れていた。


「アンガルゼ王国は二度と帝国と盟約を違えぬ。大地の女神に誓って約束する。全ては我が妃の暴走ゆえのこと。ご理解頂きたい」


 国王の言葉に、私は少し不快感を覚えた。それはファルシーネ様が妄執に取り憑かれ、暴走したのは事実だろうが、結局それはこの男が妻の言うなりになっていたせいだろう。その責任を取らず、全てを妻に擦りつけるのか。


「……我が偉大なる帝国の皇帝陛下は貴方に期待しておられた。だからこそ貴方に大事な娘を嫁がせたのだ」


 「大事な娘」を私は強調した。皇帝陛下と皇妃様のお二人にとっては、あれでもファルシーネ様は唯一の実子で、非常に可愛がっていたのを私は知っている。そのせいで少し扱いに甘さが出て、ファルシーネ様が我儘に育ち、今回の暴走に繋がったにせよ、可愛い娘を好んで断罪したかった筈はない。


 私はそのファルシーネ様を自死に追い込んでしまった。私はその事を、絶対に誰にも言えぬ事ではあるが、皇帝陛下と皇妃様に申し訳なく思っていたのだ。


 それを自らの無能でファルシーネ様の暴走を止められなかった挙句、敗戦の責を一身に負わせて自害させたくせに、何を他人事のような顔をしているのだ。この男は。それにこの男は一国に起きたことの全ての責任を負うべき国王ではないか。


「このような事になり、陛下も皇妃様も大変にお悲しみだ。貴方はお二人の期待を裏切ったのだ。その自覚がおありか?」


 アンガルゼ王国国王は目に見えて狼狽した。能力も胆力も精神力も何も無いのだな。私は更に失望した。


「いや、し、しかしですな…」


「娘を失った両陛下のお悲しみと失望は尋常では無いと心得よ。どのような事をすればお二人の宝を失わせてしまった、その罪に報いることが出来るのかを貴方は考えるべきだろうな」


 国王が真っ青になった。これは暗に、彼に自害を勧めているのである。当然だろう。帝国の皇女を自害させておいて、本来ファルシーネ様を制御すべきだった夫がのうのうと生き残るなど許されぬ。


 既に港の代官に命じて、他の高位貴族とも図って国王の弟のまだ小さな息子を次の国王に擁立する動きが進んでいる。国王の座を失った後のこの男の運命は生き残っても過酷なものになるだろう。なら、国王の内に名誉ある死を迎えた方が良いのではないか。


 アンガルゼ王国国王はフラフラと退出した。これは後日の話だが退位が避けられなくなった彼は自害して果てたそうだ。私はその報告をかなり後に聞いたが、一切同情する気にはならなかったものである。


  ◇◇◇


 こうして、アンガルゼ王国征伐戦役は終了した。


 ボステニア王国の参戦もあって。思ったよりも苦戦したが、結果的には帝国の大勝利に終わった。


 ちなみに。この後ボステニア王国は釈明のための使節団を派遣してきたが、帝国が許す筈もなく。私は海上通行の禁止を通達した。海上交易で利益を上げて国を運営しているボステニア王国に飲める話ではなかったものの、既に帝国艦隊はボステニア王国の港を実力で封鎖しつつあった。


 にっちもさっちも行かなくなったボステニア王国は、現国王の退位と、莫大な賠償金の支払いをするから許してくれと泣き付いてきた。


 私はそれに加えてアンガルゼ王国との国境の砦を全て破却する事を要求して、全ての約束が為された事を確認してから海上封鎖を解除したのであった。


 こういう事をなんだかんだやっていたら、丸々一ヶ月は掛かってしまった。戦争はやはり簡単ではない。私としてもこれほど大規模な戦争を指揮するのは初めての経験だったが、無事に勝利で終えられてホッとした。


 では帝都に帰って凱旋式を行い、シルフィンから月桂冠を受け取らねばな。私がそんな呑気な事を考え、気を抜き始めた、その時だった。


 アンガルゼの港にいた私の元に、国境に駐留していたハイフェンから緊急の書簡が届いたのである。


 緊急とは穏やかではない。既に戦争は後始末段階。それなのに緊急の事が起きたのだという。なんだ、帝都で何やら変事があったのか?


 私は訝りながらそのハイフェンからの書簡を開いて、絶句した。


 ──レクセレンテ公爵領に遊牧民が乱入し、略奪を繰り広げている。シルフィン様から帝都に救援要請があったのだが、帝都には余裕が無く援軍が出せていない。当方の軍を分けて救援を出しても良いか?


 な、なんだと! 私は驚愕し、呆然とし、次第に怒りが沸き上がってきて、そして最終的に怒り狂った。


 なんという事だ! 公爵領の北の遊牧民とは長く友好関係ないだったではないか! なぜそのような裏切りを! 許せぬ! しかもよりにもよって、シルフィン一人が公爵領に滞在している時に。


 私は即座に決断した。何もかもを投げ捨てた。この私にとってシルフィンよりも大事なことなど何一つ無いのだ。


「後の事は任せる! 代官と協議して上手い事進めよ!」


 私は副官や参謀達に言い捨てると、一体何が起きているのかと目を白黒させている彼らを置き捨てると屋外へと駆け出した。そして従僕に私の馬を引くように命ずる。


「何をするおつもりですか!」


 我に帰って私を追ってきた副官が、馬上の私を見上げて叫んだが、私は彼を一顧だにしなかった。北を、私はシルフィンがいる筈の北の方向を睨んでいたのだ。


「私のシルフィンを助けに行くのだ! 邪魔をする者は斬り捨てる!」


 私の怒鳴り声に、私の馬を止めようとしていた参謀達が思わず飛び退く。


 私はその隙に馬腹を蹴り、一気に馬を駆けさせた。


 北へ! とにかく北へ! シルフィンの元へ!


「シルフィン! 今行くぞ!」


 私は空に向かって叫び、馬の首を押して急かしたのだった。

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「私をそんな二つ名で呼ばないで下さい! じゃじゃ馬姫の天下取り 」(SQEXノベル)イラストは碧風羽様。「貧乏騎士に嫁入りしたはずが!? 」(PASH!ブックス)イラストはののまろ様です。好評発売中です! 買ってねー(o゜▽゜)

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