エピローグ シルフィン家族で故郷に帰る
ヴィクリートの馬に三人乗りはきついんじゃ無いの? と言ったのだけど、意外と大丈夫だった。
ヴィクリートの前に私。そして五歳になる娘のテレシアは馬の首にがっちりと抱き付いている。この娘はバランス感覚が良いのか、そんな事をしてても全然落ちない。まぁ、ヴィクリートが上手いことバランスを取ってくれているんだと思うけどね。
私と同じストロベリーブロンドの髪と明るいグレーの瞳のこの娘は、結婚翌年に生まれた。びっくりするほど懐妊が早かったので、お義母様に婚前交渉を大分疑われたけれど、女神様に誓ってそれはありませんよ。でも女神様が子供を早く恵んで下さった可能性はあるけどね。
テレシアは予定通り、皇太子殿下と妃殿下の長子、今六歳のブッフハルト様との婚約が決まっている。オレンジに近い色の髪と茶色い瞳のブッフハルト様は凜々しいけど大人しい子供で、活発なテレシアとの相性は良さそうだ。お互い仲が悪かったら可哀想だと思ったけれど、既にかなり仲が良く、テレシアがブッフハルト様を引っ張り回している状態なので、まぁ、良いかな、と私もヴィクリートも思っている。
私はテレシアの次に男の子、また次には女の子と立て続けに子供を産んだ。……ちょっと。大地の女神様。やり過ぎですよ! 私は大神殿に行って、少しは休ませてくれと女神様に苦情を申し立てた。
ということで、テレシア五歳の今年、久しぶりにお腹に子供が居ない状態になった私は、ヴィクリートと共に全国を視察旅行に行くことにしたのだ。私が進めてきた全国の農業改革の成果を確認したかったし、西北の草原地帯に魔力を注いでこなければならなかったからだ。
子供たちは当然、乳母に預けて帝都に留守番させる予定だったのだけど、テレシアだけは、なんというか、行きたがって手が付けられないくらい暴れたので、仕方なく同行させる事にしたのだった。まったくもう。誰に似たのかしら。
ただ、テレシアを連れて行くと言ったらお義父様とお義母様がもの凄く悲しんだ。お二人は初孫、しかも自分らにはいなかった女の子であるテレシアを、それはそれは可愛がって下さっていて、旅行に連れて行くことを大変残念がっていた。でも反対はしなかった。テレシアが言い出したら聞かない子だとは知ってらっしゃるから。ホント、一体誰に似たのかしらね。
そういうわけで私達は西へ向かって旅立った。テレシアはそれはもう喜んだわよね。この娘はもう既に一度、公爵領には行った事があるんだけどその時の旅でも元気いっぱいだったからね。特に領都のお城にもの凄く興味を示して、あの急な坂道をダッシュで駆け上って、中を走り回っていた。
特に魔力兵器にもの凄く関心を示したんだけど。ダメ。私はテレシアのお付きの者に言って厳重に遠ざけさせた。この娘はもの凄く魔力が多く生まれてしまったので、下手をすると発動させてしまう懸念があったのだ。おかしいわね。結婚してすぐに出来た子供の筈なんだけどね。
西から北の草原に行き、魔力を少し奉納する。草が生える程度で良いのだから大したことないと思ったのだけど、隣接する侯爵家の方々には少し大変だったようだ。あんまり肥やして草の種類が変わると困るので、調整して奉納した。その辺の魔力の使い方は私も上手くなったものね。
そして各地を見て回り、懐かしいハイアッグの港に滞在し(テレシアは大喜びで海に突撃したから慌ててヴィクリートが追い掛けて行ったわよ)、直轄領内の農地も見て回る。案の定、導入したコメの生育は気候に合っていて、毎年ドンドン収量が増えているらしい。これを海上交易で他の物産に変えたり、あるいは近辺で消費を増やす方法を考えなければならないけど、直轄領の豊作を見て、コメを導入したいと近隣の領地の領主が言ってきているそうだから、だんだんと上手く行くでしょう。
そして南に行き、帝国を構成する半島の先まで行き、ぐるっと東側に出て北上。ヴィクリートが戦争の時に出撃したグレンアイの港に行く。この辺の海はハイアッグや南の海に比べて暗くて、波も荒い。この沖でヴィクリートが戦ったのかと思うとちょっと怖かった。
そしてフェラージュ要塞を見学して(例によってテレシアが大興奮した。この娘、軍事施設が好きみたい)そしてそこから帝 都に戻るために西へと向かったその道中。
私の故郷に立ち寄ったのだった。
帝都の真東へ馬車で三日か四日という位置。この辺りは、昔アンガルゼ王国が強勢だった時期には争奪の対象だった時代があり(もう二百年以上昔の話らしいけど)その頃にブゼルバ伯爵家に与えられ、護らされていた土地らしい。その頃のブゼルバ伯爵家は結構名門だったのだ。
しかし、国境が東へ遠ざかると共に重要性は薄れた。戦乱で荒れた土地であったために多くの魔力を必要ともしたようだ。ブゼルバ伯爵は加増でもっと豊かな土地を与えられたのでそちらをメインに治めるようになり、見返りが少ないこの地方には子供や一族を分家として封じたようだ。
そういう分家は魔力に乏しく、土地を肥やすことも出来なかったために、この地方はますます貧乏になり、それから脱するために農業を様々に工夫してきたという歴史があったようなのだ。今やその知識が帝国を富ませている。そう思うと私はこの故郷が誇らしくなったわよね。
ブゼルバ伯爵家には私の口利きで、ウィプバーン公爵家の三男が婿に(つまり私がお仕えしたお嬢様の婿に)行った。これに伴って伯爵家は侯爵家に格上げされる事になった。皇族との血の繋がりが出来たからだ。公爵家の血が入ればブゼルバ侯爵家の魔力もかなり増える事が予想される。そうすればこの地方に回す魔力の余裕も出てくるだろう。
故郷の風景は長閑な田園地帯の田舎で、昔と変わらなかった。昔はこの風景の中を裸足で走り回ったものなのよね。今は流石にそんなことは出来ないけど。
多分その辺で働いている農夫にも色々知り合いはいるはずだけど、通り過ぎる私達に深々と頭を下げている彼らに「私の事覚えている?」なんて聞くことは出来ない。私の生家も既に誰か知らない家族が暮らしていたのを、遠目に見ることしか出来なかった。
お父様の生まれたエミレル子爵家の小さなお屋敷に行って歓待されるのが精一杯だった。ここはお父様と何度か来た思い出もあるけど、故郷を去る時に相続の交渉をして、邪険に扱われたあんまり良くない思い出もあるんだけどね。
ヴィクリートの馬の上で揺られながらぼんやり故郷の風景を眺めていると、不意に視界が歪んできた。あら?
気が付くと少し涙を浮かべてしまっていたようだ。あらあら。どうしたのかしらね。
「お母様。泣いてる」
テレシアが馬の首にしがみ付きながら私を見上げて指摘して、ヴィクリートも気が付いたようだ。
「どうしたシルフィン」
……どうしたのかしらね。別に悲しくも無いし怒ってもいないんだけど。嬉しくも寂しくもない。そうね。なんとなくもの悲しいのかしらね。
私はかつて、この故郷で父の後を継いで農業をするつもりで、父が死ぬまではその未来を疑ったことも無かった。
でもそれは幻想で、父を失い同時に家をも失った私は、訳も分からず帝都のブゼルバ伯爵邸に放り込まれた。私はこんな性格だから、別に悩みも凹みもしなかったんだけど、だけどやはり、この故郷でずっと過ごして行くという未来に、少しは未練があったのだと思う。
今やもう無理だけどね。私は公爵夫人で、皇嗣夫人で、皇帝陛下と皇太子殿下に帝国全体の農政を相談される政治家で、そして大地の女神様から魔力を直接授かった聖女だ。
そんな大それた存在になりたいと、思った事は無いんだけどね。でも、私はヴィクリートを助けてしまった。助けて、好きになってしまった。だから彼に相応しくなろうと懸命に努力した。やり過ぎてしまった感はあるけど、私はその努力を誇らしく思っている。後悔はしていない。
だけど、そうね。やっぱり失ったものへの未練があるんでしょうね。新たに得た物も沢山有るんだから贅沢だと思うんだけどね。
「お母様。元気出して」
テレシアが手を伸ばして私の頬を引っ張った。痛い痛い。馬の揺れで伸びたり縮んだりするから凄く痛い。私はさっきと違う理由で涙目になってしまう。でも娘の気持ちは嬉しいから、邪険にも出来ない。そっとテレシアの手を外して笑う。
「ありがとう。テレシア」
この子も、私がこの地にあのままいたら得られなかったものの一つだ。そうね。失ったものより、今の幸せの方がもう間違いなく大きい。昔を懐かしんで今を軽んじてはならない。
テレシアは私が笑うと自分もにーっと笑った。
「それよりお母様。早く帝都に帰りましょう。早くブッフハルトにお土産を渡したい」
あらあら。この娘には田舎は退屈みたいね。仕方ないかな、という気はする。この娘は帝都の生まれだし、あそこが彼女の故郷なのだ。私とは違う。でも、ヴィクリートは帝都生まれなのに公爵領が好きなのよね。この人は家臣筆頭大臣になった今でも、公爵領や他の地方に出張したがって周囲が困っているのだ。まぁ、この人のそれは社交が嫌いな事による逃避なんだろうけどね。でも、今では結構頑張っているのよ? 私が妊娠中社交に出られない時期には特に。
最後に、私達は小さな神殿に立ち寄った。こっそりとね。本当はダメなんだけど。だって領地への魔力奉納は領主の義務で、他の家の助けを借りる時には本来は多額の代償を払うのが普通だ。まして聖女の魔力は帝国の国有財産。勝手に私用に使ってはならない。だから内緒。
故郷へのせめてもの恩返しだ。ほんの少し。魔力を奉納して、この地の昔なじみが少しでも楽な生活を送れる様にしようと思ったのだ。
神殿の祭壇は女神様の石、黒い岩で出来ている。これに魔力を奉納する事で土地に魔力が流される。多分、この石にはお父様も生前、必死に魔力を奉納していたんだろうね。その頃は魔力の事なんて何も知らなかったなぁ。もしも故郷で家を継いでいたら、私は聖女になる前の微少な魔力で、一生懸命に土地を癒やそうとしたことだろう。
そんな風に感慨深く、祭壇に見入っていた、その時だった。
テレシアがタタタタっと走って行ってしまい、祭壇の黒岩に手を当てた。止めた時にはもう遅かった。
テレシアの周りに虹色の光が飛び交う。ヴィクリートが駆け寄って即座にテレシアを黒い岩から引き剥がした。私も駆け寄る。
「大丈夫? テレシア!」
「大丈夫か!」
幼子がやり方もよく知らず、魔力奉納をするなんて! 魔力を使い過ぎれば命にも関わる。私は青くなってテレシアを抱き上げ、異常が無いか確認した。
テレシアはきょとんとした顔をしていた。良かった。意識はあるししっかりしている。魔力を使いすぎたという訳でもなさそうだ。すぐに引き剥がしたのが良かったのだろう。私はほうっと息を吐き、流石にテレシアを叱った。
「テレシア。母の許しも無く勝手なことをしてはなりません! 危ういところだったのですよ!」
しかしテレシアはいまいち聞いていないという顔をしていた。全くもう。私はプリプリと怒ったのだけど、テレシアは不思議そうな顔をして言った。
「さっきの、女の人だれ?」
ギクッとした。
「さっき、その石を触ったら女の人がいたの。なんだか、楽しそうな顔で『あなたなら、もっと北まで私の土地を広げてくれそうね』って言ってた」
こらー! 大地の女神様! 私の娘を変な風に唆さないで下さい!
この娘がいかに大きな魔力を持っていて、魔力兵器に興味を持っているからと言っても、この娘に戦争なんてさせませんからね! 私はこの娘の教育方針を、平和万歳。内政重視のお妃に育てる方針にする事を決定した。帰ったら早速お義母様とも図って教師を集めないとね!
テレシアはもの凄く不思議そうな顔で首を傾げていたけれど、知らなくても良いことは教えない方が良い。それに、テレシアの大魔力に目を付けたのなら大地の女神様はまた現れる事でしょう。そして大地の女神様とお会いしたんだから、魔力は授かっていなくてもこの子は聖女だと言っても良い。……内緒にしましょう。この子はもう皇妃に内定しているんだから、聖女の称号なんて必要無い。
結局私自身は奉納せず、神殿を出て……、ビックリだ。
風景がキラキラと輝いている。どう見ても緑は鮮やかに土は潤いを増している。空気も暖かだ。テレシアは大して魔力を出した様子は無かったのに……。ヴィクリートも苦笑している。
「どうもやることが予測の遙か上を行く事、母娘でそっくりだな。君とテレシアは」
「……それは褒めているの?」
「勿論だとも。さぁ、では行こうか。帝都に帰ればやることが山積みになっている事だろう。……ここのこの事を誤魔化すのも含めてな」
そうね。こんなに魔力を奉納してしまったら、ちょっと誤魔化しきれない。エミレル子爵家の本家であるブゼルバ侯爵家に謝っておかないと。でも、この様子なら今年は絶対豊作だし、病気もしばらくは流行しにくくなる筈よね。
テレシアはキラキラ輝く風景を見て上機嫌になり、その辺りを闇雲に駆け回っていた。それを見て、私はまたこっそり涙を拭った。色んな感情が心の表面を流れて消えて行く。
私はヴィクリートに抱えられて馬の上に乗せられ、その前にテレシアがはしゃぎながら乗せられる。そして私達を包むようにヴィクリートが馬に飛び乗った。
「では行こうか」
「そうね。帰りましょう。ヴィクリート。グランゼズとシェリアは元気にしているかしらね」
テレシアの弟と妹の名を呼びながら私は笑った。
そして私達を乗せた馬は、ゆっくりと故郷の道を歩いて行くのだった。
終わり。
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