二十四話(前) 皇太子はシルフィンに頭が上がらない(上)
私は帝国の皇太子メルバリードだ。私がシルフィンに初めて会ったのは十八才の時である。レクセレンテ次期公爵、ヴィクリートに婚約者として紹介されたのが最初だ。
ヴィクリートは私と同い年の従兄弟で(母親が姉妹なのだ)幼い頃から仲が良かった。いつも帝宮の大庭園を共に駆け回ったものだ。
この従兄弟は女性が苦手で、社交が嫌いだった。そうは言っても彼は次期公爵でもあるし、結婚しないわけにはいかないだろうに、と私も心配していたのだが、そのヴィクリートが突然結婚を決めた、という話が聞こえてきたのだ。
私は仰天したが、同時に喜んだ。当時、ヴィクリートとは私の一つ下の妹であるイーメリアとの縁談が進んでいた。しかし、乗り気であったイーメリアと比べ、ヴィクリートは明らかに乗り気では無かったのだ。彼が意に沿わぬ結婚をさせられるのは可哀想だと思っていた。私は自分が無理を通してでも好きな女性と婚約したから余計にそう思ったのだ。
私の婚約者のスイシスは少し格の低い伯爵家出身だ。そのため、婚約には非常な困難が伴った。その時に、私を励まし、父や母や有力貴族に根回しをして婚約を実現に導いてくれたのがヴィクリートだった。彼は「恋愛事はよく分からぬ」と言いながら、色々動いて、自分の父母や友人(ヴィクリートは軍務で若い貴族を中心に友人が多い)に働きかけ、スイシスを密かにサッカラン侯爵家の養女とすることで、私との婚約を実現させたのである。
ついでに言えば私とスイシスはよく喧嘩をした。その仲裁ももっぱらヴィクリートが務めてくれた。母は私とスイシスの結婚には反対で、そういう仲裁などはまったくしてくれなかったのだ。
スイシスとは彼女の社交界デビューの時に出会った。格が低いとは言え伯爵家の次女であるので、社交界デビューの時には皇族に挨拶に来る。その時に私が一目惚れしたのだ。
私はヴィクリートと違って女性は苦手では無く、それまでも色んな貴族女性と付き合っては来た。深い関係になった女性も少なくなかった。が、スイシスを見た瞬間、それらの女性は全て色あせた。
栗色の髪に藍色の瞳。全体的にフワフワして可愛らしい。そして私が一番惚れたのが声だった。
「初めてお目通りをお許し頂き、恐悦至極にございます。皇太子殿下」
とスイシスが澄んだ声で挨拶をしてきた時に、私は彼女に囚われたのだった。
私の猛アピールにスイシスは戸惑っていたが、やがて私を愛してくれるようになった。スイシスは大人しくあまり強いアピールをしない女性だった。こう言っては何だが、私の周りには母を始め、イーメリアもそうだが押し出しの強い女性が多い。高位貴族女性というのは、社交で少しでも他に抜きん出る事を狙っているものだから、大体において我が強く出るのだ。
その点スイシスは、私の恋人になってからも大人しく、前に出ようとしない女性だった。そこが私には新鮮で気に入ったのだ。
もっとも、その大人しさは色々な不満を溜め込むことにも繋がるのだろう。それがたまにヒステリーとして表に出る。彼女にとって、皇太子である私と密かに付き合う(最初は身分低い彼女の結婚は無理だと思っていたので社交界には内緒で付き合っていたのだ)事は甚大なストレスだったらしく、それが臨界点を突破すると彼女は泣き喚き「もう殿下とはお会いしません!」などと叫んで屋敷に閉じこもってしまう。そういう時に私に泣きつかれたヴィクリートが仕方なさそうに自分の侍女を送って彼女を宥めてくれたのだ。
私にはそんなスイシスも愛おしくて、どんどん彼女にのめり込んだ結果、私はスイシスを妃に望むようになったのだが。当たり前だがこれには反対意見が非常に強かった。
特に父と母はかなり強硬に反対した。これには理由がある。
実は皇妃である母は、私の実の母ではない。私を産んだ母は父である皇帝の愛妾で。丁度スイシスと同じように格の低い伯爵家出身だったのだそうだ。
父とその愛妾が出会ったのは父と母が結婚する前だった。しかし、身分低い伯爵令嬢と皇太子が結婚できる筈がないと、父はその令嬢と結婚することなど考えもしなかったそうだ。
そしてウィプバーン公爵令嬢だった母を妻に迎え、私の実の母は愛妾に留められた。その事実をもって父は私にこう言った。
「スイシスはこのまま隠して愛妾にすれば良いではないか。私はそうしたのだから」
ちなみに、私の実の母は私が一歳の内に亡くなっていて、私の記憶には無い。だから私の母は。皇妃様一人だと思っている。
父の言い分は分からない事はないが、私にはスイシスを日陰のままにする事が出来そうに無かった。それに、父と母が不仲とは言えないまでも、どこかよそよそしいのは結婚時の事情が元だとも聞いている。
スイシスはストレスを溜め込んでしまう性質だ。日陰の身にしていたらその内耐えられずに私の元から去っていってしまうかも知れない。
母も身分は弁えるべきだ、という言い方で反対したが、父ほど強硬には反対せず、私が頑強に抵抗すると、諦めたように「それなら貴方の好きにしなさい」と言ってくれた。
私はヴィクリートの意見を参考に、サッカラン侯爵家とフレイヤー公爵家と密かに話を付け、スイシスをサッカラン侯爵家の養女にする事に成功した。
これはかなり上手く行き。貴族界のほとんどの者はスイシスをサッカラン侯爵家の実の娘と信じたほどだ。
こうして私はスイシスを婚約者に迎えることができた。この時点で私は私のために何かと動いてくれたヴィクリートに物凄く感謝しており、頭が上がらなくなりつつあった。
そんなヴィクリートが妻を迎えるというだけでも大事件なのだが、聞けばヴィクリートの選んだ嫁というのがどうやら非常に身分が低い女性であるらしかった。
これは父が調べさせて判明したらしい。母が私にそう話してくれた。私はそれを聞いて笑ったものだ。ヴィクリートはその女性を即座にブゼルバ伯爵の養女にして、身分を誤魔化しに掛かったらしい。スイシスの件を参考にしたのだろう。
父はこのことについて結構怒っていた。私の時よりも怒っていたので、これはもしかしてスイシスよりも身分が低いのだろうかと思っていたのだが、まさか男爵令嬢だとは思わなかった。
何しろ男爵と言えばほとんど平民だ。後でシルフィン本人に聞いたが、農業をやっていたというのだから本当に貴族とは名ばかりだ。
父はヴィクリートの婚約を却下するつもりだったようだ。まぁ無理もない。ただ、私は自分とスイシスの事を後押ししてくれた事もあり、ヴィクリートにも本当に愛する者と結ばれて欲しかった。
それで、私は婚姻事情の説明に登城してきたレクセレンテ公爵一家を、内宮に向かう廊下で待ち構えたのだった。ヴィクリートに自分は賛成する。味方すると言おうと思って。
この時に私はシルフィンを初めて見たのだった。
第一印象は小さくてすばしっこそうな女だな、という事だった。実際、私が顔をよく見ようと覗き込むと、機敏な動きでヴィクリートの影に隠れて私の視線を避けた。
そしてヴィクリートだ。シルフィンにちょっかいを出す私を睨む女嫌いの筈の従兄弟の顔は真剣だった。その顔と態度を見れば、皇帝たる父が何を言って反対しようと揺るぎ無くこの小さな少女を妻に迎えると決意しているのだろうという事が分かる。
これは。私は嬉しくなった。この堅物がこうも本気になったのなら、これは私も全力でサポートしてやらねばなるまい。私は彼と後で会う約束をして、すぐにスイシスと母、そして妹を呼び出して庭園の東屋でお茶会を開催する事にした。
もしも父が面会でどうしてもダメだと強硬に反対した場合に、母や妹に味方してもらい、父を説得しようと考えたのだ。
ところが、あにはからんや、ヴィクリートとシルフィンはそれほど時間も開けずに東屋に案内されてきた。私は拍子抜けした。どうやら父はあっさりとヴィクリートに説得されたらしい。しかしあんなに怒ってた父がどうしてそんなに簡単に意見を翻したものか。
何しろ庭園の遊歩道を歩いて近付いてくる二人はごくリラックスしており、立ち止まっては花を鑑賞し、二人で微笑み合うなどしていたのだ。どう見ても婚約を却下されたような様子では無かったのだ。
二人は仲睦まじく東屋に入ってきた。それを見た私は色々考えて気負っていたことが馬鹿馬鹿しくなり、二人が挨拶をしようとするのを止めさせたのだった。
シルフィンは赤み掛かった金髪と水色の瞳の少女で、これは最初からなのだが態度が非常に大きかった。何しろこの時、彼女の周囲に座っているのは、帝国で最高位の女性三人と、皇太子なのだ。恐縮してくれなければ嘘である。
ところがシルフィンはほとんど緊張した様子さえ見せず、普通にお茶を飲んでお菓子を食べていた。私は母のお茶会に何度か同席したが、若い貴族令嬢は母の前では萎縮し、カップを持つ手は震え、声も出せず、お菓子など喉を通らない、という状態になるものなのだ。
それがシルフィンはジッと周囲を観察し、お作法を破らないように、自分が最低位であるので最後に飲食をするように気を付ける余裕さえ見せていた。なんというか、この時点で私はなかなかの大物だな。流石はヴィクリートが選んだだけのことはある、と感心し始めていた。
ヴィクリートとの出会いの事情や彼女の生い立ちを説明させても非常に分かり易く、簡潔鮮明で虚飾が無い。頭が良いのだな、と私は感心した。これで男爵令嬢だと? 作法に不足はあるようだが、これほど賢いのならすぐに覚えてしまうだろう。
私はそのように考えたのだが、女性陣はどうやら三者ともシルフィンにあまり好意的な様子では無かった。後でスイシスに聞いところでは、彼女には粗野で図々しい、さすがは男爵家の娘だわ、という女にしか見えなかったようだ。
イーメリアはヴィクリートに憧れていたこともあり、自分との縁談を台無しにしたシルフィンに好意的ではあり得なかった。
そして母は、私には窺い知れない表情でシルフィンを見つめていた。ただ、これは多分気に入らないのだろうな、思えた。母は婚約以降もスイシスに対して冷淡な態度だったからだ。身分を弁える、という考え方は皇族には、まして皇妃にとっては間違い無く正しい考え方だ。
身分階級は帝国秩序の拠って立つ基盤だ。それを守り維持する事は帝国の頂点に位置する皇帝と皇族の義務であり、それは自分たちの権力を護る事にも繋がるのだ。
それを皇族が自ら乱してどうするのか。皇族が身分制度を蔑ろにするなんて自分の足元を掘って崩して穴に埋まるような愚かな行為だ。
その理屈は正しい。完全に正しい。母がそう主張してスイシスに隔意を示すのも無理は無いと、私でも思う。
だが、それでも、私は母に私の結婚を祝福して欲しかった。私は実の母など記憶に無い。だから私の唯一の母がスイシスとの婚約以来、私に対してまでよそよそしくなったのが悲しかったのだ。
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本日はここまでです。スイマセン(>_<)連休中は忙しくて!明日後半上げます!
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