二十五話(前) 皇太子はシルフィンに頭が上がらない(下)

 一ヶ月後くらいに、ヴィクリートとシルフィンの婚約式が行われた。


 これには帝室を始め、傍系皇族たる三大公爵家の者全員が出席したのだが、驚いた事にシルフィンは、この時には既にいっぱしの貴婦人になっていた。


 作法やマナーに関してもそうだが、ゆったりと動き、慌てず、堂々と皇族に対する様は、男爵令嬢だと見下しに掛かった者達が思わず態度を改めるほどだったのだ。


 特に面白いのがむやみやたらと子供に好かれる事で、これは一体何故なのかは全然分からないのだが、ヴィクリートの年の離れた弟を始め、他の侯爵家の幼少の子女が、シルフィンを見るなり駈け寄って縋り付くのだ。シルフィンも子供が好きらしく、優しく抱き留めて頭を撫でる様は非常に微笑ましく、最初はシルフィンに反感を持っている風だったその子女の親などは、その姿を見た瞬間に態度が変わるほどだったのだ。


 シルフィンを非常に高く評価したらしい父母のシルフィンに対する態度は親愛と期待を表に出していたし、勿論私もヴィクリートを祝福する意味でシルフィンを讃えた。イーメリアでさえ敬意をもって接していたほどで、これでは他の皇族の者もシルフィンを疎かに扱えない。婚約式は盛大に行われ、そしてその日の夜会ではシルフィンは見事なホストぶりを示し、ヴィクリートと踊ったお披露目のダンスを見た私は、本当にこれが男爵令嬢だった者かと目を擦ったほどだ。


 そんなシルフィンにスイシスは近付こうとしなかった。挨拶だけをしてシルフィンの行く所から逃げて歩いていた。どうしたのかと聞くと、スイシスは私に震える声で言った。


「あの方が恐ろしいのです」


 恐ろしいとはまたご挨拶な。私は苦笑したのだがスイシスの表情は真剣そのものだった。どうも東屋の一件でシルフィンに苦手意識が付いたものらしい。まぁ、これから長く付き合うことになるはずの二人で、いずれ皇妃となり絶対者となるスイシスに苦手があるのは良いことかも知れぬ、と私は思ったのだが、彼女はかなり後にその時の気持ちをこう話してくれた。


「私も、社交界にほとんど縁の無い所から突然、皇太子妃になって表舞台に連れ出されましたから。シルフィン様がどれほど苦労なされたかは分かるつもりです。しかし、あの方はそんな事は欠片も表にお出しになっていませんでした。もの凄い事です。私は圧倒されてしまいました」


 確かに、私はシルフィンが血の滲むような努力をしたのだな、とは全然思わなかったのだ。シルフィンの様子があまりにも自然だったから。考えてみればそれが並大抵の事ではないと分かった筈なのだが。


 そして彼女は社交に出だすと、あっという間に社交界に馴染んでしまったのだった。帝宮では毎日のように何らかの社交が行われるのだが、頻繁に彼女の輝くようなストロベリーブロンドを見るようになった。


 シルフィンは小柄だが、存在感は強く、よく目立った。いるだけで目を引くのである。まぁ、それは公爵家に相応しい豪奢な格好をしているからでもあるだろうが、周囲に人が常に群がっている理由はそれだけはあるまい。


 そしてシルフィンはいつでもその中心で堂々と振る舞っていた。私はこの時はヴィクリートのためには良かったな、くらいに思っていたのだが、考えてみれば東屋で見た時にはフォークの使い方も怪しかったのだが、と考えれば異常な事だったのだ。芋くさい男爵令嬢があっという間に公爵家の姫として相応しい品格を身に付けてしまったのだから。


 イーメリアが驚いていたのは、シルフィンは観劇や演奏鑑賞の社交にも出てきて、いっぱしの感想を述べて周囲を感心させるのだ、という事だった。これも私はふーん、と聞いてしまったのだが、ちょっと待て、一体どこで教養を身に付けたのだ? と疑問に思わなければならなかったのだ。帝宮の夜会で私や父母と楽しげに会話している様は、もう何年も公爵家の娘だったのですよという感じで一切違和感が無い。本当は違和感が無い方がおかしいのだ。


 公爵邸で行われた夜会で主催を務めたシルフィンはどこからどう見ても立派な女主人。花で屋敷を飾り、皆に花の種類を解説して歩き、それを聞いて貴婦人たちが華やいだ歓声を上げるのを見て、私は「これでヴィクリートも安心だろう」などと思って安心していたのだが、実際にはそれどころでは無かったのだ。スイシス曰くこの時既にシルフィンは「社交界きっての才媛」「皇太子妃であるスイシス様よりも遙かに人望がある」「器という意味では皇妃様に匹敵する」とまで貴族婦人の間で評価されていたらしい。


 特に高く評価していたのは他ならぬ皇妃である母で、滅多に私をも褒めぬ母がシルフィンを褒めるの言葉を何度か聞いたほどだ。これにスイシスが強い危機感と嫉妬心を出してしまったとしても無理は無いだろう。私は全然気が付かなかったが、その焦りがスイシスにこの後の行動を行わせてしまったのだろうと今になれば気が付く。


 ヴィクリートとシルフィンは春になると公爵領に魔力奉納のために出向いたのだが、これが不思議なことに数ヶ月帰って来なかったのだ。不思議に思っていると、帰京した二人は父である皇帝陛下に呼び出され、何がどうしたものか、シルフィンは父から帝国全体で問題になっている麦の不作問題を視察するように命ぜられたのだった。な、なんだそれは? 私は驚いたのだが、ヴィクリートと父曰く、公爵領の不作の原因をシルフィンが突き止めたとの事で、原因不明の不作問題に悩んでいた父は、藁にも縋る思いでシルフィンに視察を頼んだのだそうだ。


 貴族女性が皇帝陛下から直々に政治的な任務を命ぜられることは、前代未聞とまでは言わないけれども非常に希な事だ。しかも事が帝国政治の基本部分である農業の問題である。貴族界でも大きな話題になったのだが、シルフィンは「いえいえ、私はヴィクリートの補佐をするだけですから。皇帝陛下も大げさですね」と笑って細かい事情は一切明らかにしなかった。このため、ほとんどの者は「女性がそんな重大な任務を課されるはずが無い」と納得したようだ。勿論、私は父から詳細を聞いているから違う。


 父がシルフィンをそれほど信頼しているという事実を目の当たりにし、私の心には焦りにも近い感情がわき上がってきた。


 そして実際に視察の旅に出たシルフィンの報告書が届く度に、皇帝陛下と大臣たちは驚く事になる。シルフィンが指摘したのは魔力に頼りすぎて地力を少しずつ消耗し続ける農法の問題と、野放図に開墾を推し進めたために森を失い生産性の低い農地が増えてしまっている現状と、農民たちの疲弊だった。


 シルフィンはこれに対して的確な処置を考え、そのために必要な施策まで記して皇帝陛下まで直に送りつけたのである。そんな事は皇族にしか出来ず、皇族が帝国中を視察する事など滅多に無く、その皇族が農業にこれほど詳しいことなどあり得ない事だ。つまりそれこそ皇帝陛下にとって前代未聞な報告だった訳であり、シルフィンからの報告を見た父は大喜びで大臣を招集し、シルフィンの報告を元に処置せよと命じた。


 ここまで行くと私はもう瞠目するしかない。どれもこれも私には到底真似の出来ぬことだ。私とて皇太子として日々研鑽し、こう見えても大臣たちのほとんどよりは有能だと自負し、父に信頼されているいう自信もあるのだ。


 しかしそれでもシルフィンがこの本の数ヶ月で成し遂げた事に対しては見劣りしてしまうだろう。私はスイシスがシルフィンに対して抱いた畏れをこの時に理解したのであった。


 この頃からスイシスは少し態度がおかしくなった。私への当たりがキツくなり、イーメリアだけではなく、私と親しくしている他家の令嬢にも嫌がらせをするようになったのだ。当然だが他家の令嬢は私に苦情を申し立ててくる。私がこれに対してスイシスに注意をすると、スイシスはヒステリーを起こして私を詰るのだ。


「殿下まで私は皇太子妃に相応しくないと言うのですか!」


 そんな事は一言も言っていないのだが。だが、後になって考えると、この頃からスイシスは「貴女よりもシルフィンの方が皇太子妃に相応しい」などと母に言われていたようだ。そして、その差を埋めるには他家の令嬢を脅かして畏れられるようにならなければならない、と思い込まされていたんだろう。


 この時、ヴィクリートとシルフィンはまだ帰京しておらず、仲裁してくれる者がいなかった事もあり、何度か喧嘩をするうちにスイシスは部屋に閉じ篭ってしまった。途方に暮れる私に母は言った。


「あれでは皇太子妃は務まりますまい。婚約は破棄してしまうが良いでしょう」


 確かに他家の令嬢に執拗に嫌がらせをして、帝室の評判を下げるような行為は婚約破棄に相当する失態ではある。だがもちろん、私はスイシスを愛していたし、せっかく婚約したのだし、それにもう結婚式まで秒読み状態なのだ。


 こんなタイミングで婚約破棄など出来ない。私がにっちもさっちも行かなくなっていたその時に、ヴィクリートとシルフィンがようやく帰京して来たのである。


 二人の面会依頼に対し、私は最速で彼らを呼び出した。二人はすぐに来てくれた。ヴィクリートとシルフィンの顔を見た瞬間、私は泣きそうになった。安心感が凄かったのだ。この二人なら私の心底味方でいてくれると思えたし、なんとかしてくれると思えた。


 幼少の頃より何かと頼りにしていたヴィクリートだけではなく、まだそれほど知りもしないシルフィンに対してもこれほど安心感を覚えるようになっているとは思わなかった。後から考えればこれも異常な事だ。


 そしてシルフィンが「私がスイシス様とお会いします」と言ってくれた時、本当に心から安堵したのだ。彼女ならなんとかしてくれると思えたから。シルフィンの揺るがぬ態度。真摯な姿勢。そして私が信頼するヴィクリートが与える絶対的な信頼が。私にその安心感を与えたのだと思う。


 シルフィンがスイシスと会うために席を立った後、すぐにヴィクリートは立ち上がり、やや厳しい目つきで私に言った。


「メルバリード、行くぞ」


「な、どこへだ」


「知れたこと。皇帝陛下にお会いして事情をお話しするのだ」


 なんだと? なぜ父に事情を話さねばならぬ。私は驚き、尻込みした。私は父に迷惑を掛けるのを恐れて、これまで父に相談した事など無かったからだ。


「どうもおかしい。スイシス様はヒステリー気質はある方だが、他人に嫌がらせをして喜ぶような方では無かろう。何か事情があるのではないか?」


 確かに、スイシスは元々内気で、他人と関わるのが好きではない女性だ。少なくとも付き合い始めた頃はそうだった。それがストレス解消のために他人に嫌がらせをするというのは、おかしいと言えばおかしい。私は皇族になったストレスで、性格が変わってしまう事もあるだろうと思ってしまっていたが。


 しかし、元々私とスイシスの結婚に反対だった父だ。事情を話すのは怖いことだった。「それ見たことか。伯爵令嬢なぞと無理して婚約するからそういう事になるのだ」と言われるのでは無いかと恐れたのだ。


 躊躇する私にヴィクリートは言った。


「しっかりせよ。自分の妻をも守れずして何の皇太子か。皇帝か。其方が最優先すべきは自分の妃であろう?」


 私は反射的にカッとなった。おのれ言わせておけば。つい先日まで女嫌いで結婚の事など頭になかった朴念仁に、男女の愛情について説教される謂れはないわ!


 私は怒りに後押しされて立ち上がり、侍従に皇太子権限で皇帝陛下との大至急の面会を申し入れるように命じたのだった。

_____________


ここまでです。今日もぶつ切り更新すいません(TдT)

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る