二十六話(前) ヴィクリート嫁の凄さを思い知る

 シルフィンは花が好きで木が好きで、農村を懐かしがっている事は出会った時から知っていた。二人で談笑する時にも好んで庭園を散策したがったし、故郷の農村の事を楽しげに語っていたからだ。


 私も外に出るのは好きだ。そして公爵領の農村を愛している。なので私達は話が合って、二人でいて本当に楽しいのだ。


 なので私はシルフィンを一刻も早く公爵領に連れて行きたかった。私が愛して止まない公爵領に彼女を連れて行き、麦畑の中を歩きながら語り合えたらさぞかし幸せだろう、と考えたのだ。


しかし、これは母に無茶苦茶に叱られて断念せざるを得なかった。確かに、この先末長くシルフィンと夫婦して帝国貴族界で生活してゆくのなら、シルフィンを社交界に受け入れてもらうのは大事だ。


 しかし、私が見ても明らかに作法が拙いシルフィンを、上位貴族婦人が見て劣らない一流の貴婦人にする事が大変だろう事は容易に予測出来た。私としてはいよいよとなればシルフィンと二人、領地の屋敷に行ってしまって、二度と帝都に帰って来なくても良いのではないかとまで思っていたのだが。


 だが、シルフィンは意外な速さで淑女教育を終えてしまったらしい。母は感動していた。しかし私はそんな事が出来るものかと半信半疑だった。というのは、シルフィンは私と二人でいる時は、以前と変わらない気安い飾らない態度だったからだ。ただ、よく見れば食事の時などの所作はかなり良くなっているようだった。


 だがそれどころでは無かった事は私とシルフィンの婚約式で明らかになった。


 皇族である私の婚約式なので、帝室を始めとして皇族が全員集まった婚約式。某系皇族であるウィプバーン公爵家、フレイヤー公爵家の者達の表情は明らかに私とシルフィンに対して批判的だった。無理も無い。フレイヤー次期公爵ドローヴェンなどはあからさまに私を嘲笑したほどだ。


 ところが、シルフィンはそういう批判的な者達に対して堂々と応対した。しかも自分は公爵家の姫であるという威厳をもって。これには私も驚いた。


 シルフィンに言わせれば、既に皇帝陛下や皇妃様、そして父や母の相手をして上位貴族にも慣れたのだ、という事であったが、それと自分が威厳をもって振る舞えるというのは話が違うと思うのだが。


 とにかく堂々と挨拶を受け、公爵家の姫らしい態度で談笑し、時に混じる嫌味や中傷は微笑んですり抜け、しつこい者は笑顔のまま睨み付けることで黙らせるなど、完全に上位の者の振る舞いが出来ているのだ。


 おかげで皇族の者達は「あれは本当に男爵令嬢なのか? 情報が間違っていたのでは?」という感じで批判的な見方は消え失せた。そして皇帝陛下と皇妃様、そしてメルバリードが親しげな態度を取った事もあり、指輪の交換をした私とシルフィンは無事に、全員の拍手で祝福される事が出来たのである。


 式の後での披露宴では苦行のような料理の取り分けの儀式も笑顔でこなし、その際の受け答えも如才無い。私は感心してしまった。どうやら私はこれでも、シルフィンを過小評価してしまっていたようだ。


 そして披露したダンスである。シルフィンのダンスのレッスンには私も何度か付き合ったので(お披露目で私と踊る事は分かっていたので)シルフィンのダンスが達者である事は分かっていた。しかし、本番では緊張もあるし萎縮するだろうからどうだかな?


 と思っていた。ところがシルフィンは曲が始まるのを待っている時から実に自然に、美しく笑っていた。私はこれを見て思わず「君はどんどん美しくなるな」と言ってしまったほどだ。


 そして滑り出すように踊ったダンスは躍動感リズム感、そして私との同調も完璧で、その表情や肢体の美しさはその場の全ての者の目を奪った。


 これには出席者の全員が大拍手で讃えるしかなく、これをもってシルフィンは皇族の間では完全にレクセレンテ公爵家の姫として認められたのであった。


  ◇◇◇


 シルフィンはその後社交界でも当たり前のように馴染んでいったそうなのだが、私はシルフィンが無理をしているのではないか、我慢をしているのではないか、という事を一番心配していた。


 ストレスを溜め込んでしまうのは一番良く無い。メルバリードの婚約者であるスイシス様は、伯爵家から帝宮入りした時に教育の厳しさと環境の変化にストレスを溜め込んでヒステリーを起こし、しばしばメルバリードと喧嘩をして、私が侍女を送って宥めて差し上げなければならなかったのだ。


 同じようにシルフィンがストレスを溜めて、あの天真爛漫なシルフィンが私を詰ったり侍女に当たったりするようになるなんて想像もしたくない。


 しかし、シルフィンは、それは緊張したり疲れた様子を見せはするものの、私といる時の態度には変化がなかった。むしろ私といる時は社交的な仮面を外して良いと思っているようで、気安くざっくばらんな姿を見せてくれた。


 私はほっとしたし、そんな彼女を更に愛しく思うようになった。そしてそういう彼女と過ごす時間は、忙しい私を癒してもくれたのである。


 面白いのは、シルフィンは人付き合いは好きで、人の話をよく聞くし、社交が嫌いでは無いようなのだ。これは人付き合いの範囲が狭い私とは大きく異なる点だった。度量も大きいためか、人望もあるらしく、シルフィンと仲良くなった婦人の夫や兄弟などから「シルフィン様によろしく」と言われる事が非常に多くなった。


 いつの間にか社交界ではシルフィンは「ヴィクリート様の婚約者」から私こそ「シルフィン様の婚約者」という扱いになっているようだった。私の方が社交に熱心では無いのだから当然の帰結だ。


 なので私とシルフィンが揃って社交に出ると、出席者は私では無くシルフィンに親しげな挨拶をして楽しげに会話を始めるのだ。おかげで私は横にいるだけで良く、非常に楽だった。私は世話話や愛想笑いが苦手で、社交を非常に苦手にしていたのだが、シルフィンと一緒であれば社交も苦では無くなったのである。おかげで一部で問題視されていたらしい私の社交嫌いが直ったと、母などは喜んでいた。


 私は婚約したので、そろそろ今まで抱え込んでいた軍務を他の者に移管する準備をしなければならなかった。結婚すれば遠からず公爵家を継ぐことになるからだ。軍から完全に離れる訳では無いが。公爵として政治にも関わらなければならなくなるからである。


 皇太子のメルバリードなどは明らかにそのつもりであり、自分が皇帝になった時の家臣筆頭は私であると前々から明言していた。迷惑な話だ。私は旅をするのが性に合っているというのに。


 そんなわけだから、シルフィンが帝都の社交が嫌いでは無い事は私にとっては好材料の筈だった。私の苦手を彼女が補って、二人で帝国貴族達を相手に社交界をコントロール出来れば今後のためには何よりだ。


 だが、勝手な話ではあるが、私はシルフィンが帝都社交界で楽しんでいるのを見て少し失望したのだ。彼女は田舎生活が好きなのだろうと思っていたから。


 二人とも帝都ではなく田舎生活が好きなら、帝都の社交界や政治など放り捨てて公爵領に引き篭ろうと思っていたが、シルフィンが帝都の社交界が好きなのではそうも行かないだろう。そういう失望だ。彼女はもう田舎よりも華やかな帝都の方に心を奪われてしまったのだろうか。


 しかし、そんな懸念は母が魔力奉納のための領地行きにシルフィンを伴うと決めた時のシルフィンの喜び様で綺麗に払拭された。


 シルフィンはそれはもう喜んだ。晩餐でも領地の事を頻繁に話題にし、食後の私との語らいの時間も私に領地の事を聞き、楽しそうな顔で「どんな所なのかしら。早く行ってみたい!」と言うのだった。


 それだけでなく、領地の地図を見て街や村の位置や名前を覚え、豪族やその勢力圏を覚え、ここ数年の収穫量やそれによる税収まで記憶しているようだった。何とも勤勉な事だが、彼女は何かをする時には手抜きをしないタイプだ。しかも実に楽しそうに何事にも取り組む。ウキウキした様子で領地の地図を眺めながら私に色々質問してくる様は可愛らしいが「ここは川沿いだから水はけが悪そうね」などという感想は断じて貴婦人的ではない。


 こんな風に準備をして公爵領に向かったのだから、彼女が即座に公爵領のおかしな所に気が付いたとしても何も驚く事は無かったのかも知れない。


 シルフィンは公爵領の麦畑を見るなり首を傾げ出し「なんで麦畑ばかりなのかしら……」と呟いていた。そして農村に出向くなり、公爵領の不作の原因は同じ土地で麦を作り続けてきた事による連作障害だということを看破してしまったのである。


 私は呆然とした。シルフィンの言う、連作障害、輪作、休耕地などの用語は、もうずいぶん公爵領の農村を巡ってきた私にも初耳の言葉ばかりだったのである。当然だろう。公爵領の農民の誰もが知らない事だったのだから。


 シルフィンは魔力頼みの強引な農法が原因だろうと言った。そして農地を夏作物、麦、休耕地(家畜を放牧すると良いそうだ)に分けて毎年入れ替える事を提案してきた。


 驚き喜んだ私は大至急、その村の庄屋を呼び集めた。そして顔馴染みの彼らに新農業の協力を要請してみた。


 しかし、彼らの反応は鈍かった。後でシルフィンが言う事には田舎の者達は新しい事、変化を嫌うのだから当然の反応だったという事らしい。失望し、怒る私を見てシルフィンは立ち上がり、パンパンと大きな音を立てて手を叩いた。


「あなた達の言い分は分かりましたけど、却下致します。私の言う事を聞きなさい!」


 言葉だけ聞けば傲慢な言い草であったが、口調には妙な親しみと愛嬌があった。シルフィンは自分は公爵から改革を命じられた農業の専門家だと言い、更に彼らに自分の指導に従えば大きな利がある事を示し、彼らをうまくその気にさせ丸め込んだ。


「では、全員私の言う事を聞いてキビキビ働きなさい! 私はレクセレンテ次期公妃シルフィンです! 公爵家の名の下に、あなたたちに農業革命をもたらす者です!」


 シルフィンがそう叫んだ時には村人達はその気になり、シルフィンの言葉に「おおー!」と応えていた。なんというか、私は呆れ果てた。これは、もしかして私はまだ、シルフィンという女性の正体が見えていなかったのではなかろうかと。


 父の許しを得てシルフィンと私は公爵領の農業革命に取り組むことになったのであるが、シルフィンの張り切りよう、喜びようは大変なものだった。シルフィンは農業が好きで、農地が好きで、農地で働く者たちが好きだった。彼女は貴婦人らしい格好こそしていたが、平気で人々の中に分け入り、親しく声を掛け、粘り強く説得して人を動かした。


 彼女は非常に子供に好かれる女性で、どの村に行っても農村の子供達はシルフィンに懐いた。農村の子供であるから手も服も汚れている。そんな子供が飛びつくのだからドレスは汚れてしまうのだが。シルフィンは一切気にしなかった。レイメヤーは悲鳴を上げていたが。子供に懐かれれば親はシルフィンを信用するようになる。


 真摯な態度と、気さくで朗らかな人柄。シルフィンはあっという間に公爵領の農民達の心を掴んでしまった。シルフィンの真に恐るべきところはこの、誰にも好かれる人柄と性格であろう。シルフィンがシルフィンでなければ、かなり強引な施策でもあった農業革命は、絶対に成功しなかったであろう。


 その夏の終わりまで私たちは公爵領に滞在し、毎日農村を走り回って農業革命に取り組んだ。シルフィンが帝都から取り寄せた夏の作物は順調に育っているようで、それを見て希望を持った(その作物は農民のものになるという約束だったから)農民達は大喜びし、収穫祭の宴に私たちを招いてくれた。


 農民達と肩を組んで輪になって踊るシルフィンは実に楽しそうで嬉しそうで、その様子を見ながら私はシルフィンを自分の妻に、次期公妃に選んだ事を心から誇りに思うと共に、その出会いの幸運をくれたことに、私は大地の女神に深い感謝を捧げたのであった。


 そうして私たちは農民の歓呼の声に見送られながら帝都に帰ったのだが、領地の農地革命が上手く行った事に満足しきっていた私には、まさかシルフィンがそれ以上の事をその後すぐに成し遂げようとは思いもよらぬ事であった。

______________


すいません。今日はここまで(TдT)

 

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