二十六話(後) ヴィクリート嫁の凄さを思い知る

 領地では、父母が帰った後は私とシルフィン二人だけになったので、念願かなって私たちは二人で農村を巡る時間を持てた。


 二人して土の香り漂うまだ青い麦畑の間を、一頭の馬に二人乗りして進むのは甘やかで楽しい事だったのだが、何しろこの時は農業革命に忙しく、シルフィンの頭はその事で一杯で、あまり恋人同士らしい時間は持てなかった。


 もう一つ、シルフィンはまだ父母がいた頃に行われた魔力奉納で、自分の魔力が極小であったことに衝撃を受けたらしく、自分のような者に公爵領は支えられないのではないか? と気にしていた。


 私はシルフィンに魔力は、女性の場合はとある事によって増えるから心配無い、と言った。私はむしろ魔力奉納で、シルフィンが間違い無く貴族、尊い血を持つ者である事が分かってホッとしていたのだ。紋章院調査では間違い無いという事だったが万が一を恐れたのだ。


 この時私はうっかり、女性の魔力を増やす方法があると口を滑らせてしまった。魔力が少ない事を気にしていたシルフィンはこれに飛びついたが、私からは説明し難い事だったので、私は逃げて説明をレイメヤーに投げた。すると、レイメヤーから説明を受けたらしいシルフィンは、私への肉体的な接触を恥ずかしがるようになってしまったのである。失敗だ。


 もちろん、私は大地の女神の前で婚姻の誓いを立てるまで、シルフィンと閨を共にする気は無いと言って彼女を安心させたのだが、それでもシルフィンはどうしても恥ずかしいようで、私との触れ合いを避けたがった。手も簡単には握らせてくれなくなったのである。それで二人の領地生活は若干ロマンス的には不満が残ったのだった。


 帝都に戻るとシルフィンは、なんと皇帝陛下直々に帝国を悩ませる麦の不作の原因を探り、改善の方法を探すように命じられた。これはもの凄い事だった。貴族女性が皇帝陛下から政治的な任務を授かるなんて、ほとんど聞いた事が無い。政治は男性の役目。女性はその補佐、というのが帝国貴族の間では常識だからだ。


 しかしシルフィンは返答を濁していた。無理も無い。女性の身で、というのは当然あったと思うが、それ以上に帝国の農政という、帝国の根本問題に関わるという事の重要性に尻込みしたのだろう。何度も「私のやった事なんて故郷では常識で大した事じゃ無いんだから」と言っていたので、自分では力不足では無いか? と考えてもいるようだった。


 しかし私は考えた。実は私はこの後、帝国国境地帯を巡って国境の魔力兵器や砦に魔力を供給するという任務がある。例年であれば楽しみであったその任務も、今年は長い時間(大急ぎでやっても丸一ヶ月は掛かる)シルフィンと離ればなれにならなければならないので、気が重い任務になってしまっていたのだ。


 しかしシルフィンが農業視察の任務を受けてくれれば、私はその付き添いをしながらついでに魔力供給が出来る。そうすればシルフィンと離れずに居られるではないか。


 それにそういう風にすれば大貴族の領地へ出向くシルフィンを色々なものから守れるし、万が一(私はシルフィンなら絶対に成果を出すと思っていたが)成果が出なかった時に、シルフィンの代わりに私が責任を引き受けられる。


 何よりシルフィンと帝国の各地を旅行出来るのは心が躍る事だった。私は皇帝陛下にシルフィンの補佐を申し出て認められ、それでシルフィンも任務を引き受ける事にしたのだった。


 私はシルフィンが皇帝陛下に強い信任を受けたことと、二人でまた長い期間一緒に旅が出来る事に浮かれていたが、母は私を呼び出してこう叱った。


「あのような事、貴方が止めなければいけません」


「何の話ですか?」


「シルフィンに皇帝陛下から勅命が下った事です。あのようなこと、貴族女性として許されない事です」


 母の説明では、あのような極めて異例な事は、せっかく順調に貴族界に受け入れられつつあるシルフィンのためには良く無いとの事だった。男性貴族でも生涯の誇りとなるべき重大な任務を、女性であるシルフィンが受けたことは、必ずや妬みや嫉みの原因となるだろう。名誉なことであるのは確かだが、名誉過ぎるというのだ。


「シルフィンにとって一番重要なのは、貴方と無事に結婚してつつがなく女性貴族界を率いて行く事です。シルフィンならそれが出来ると私は信じておりますが、その時にあまりに大きな名誉は邪魔になります」


 分からない話では無かった。男性貴族でも皇帝陛下直々に何かを命じられれば、同僚貴族からの大きな嫉妬感情が向けられてしまうだろう。まして女性。しかも、元の身分が低いと有名であるシルフィンでは尚更だ。人の感情で嫉妬は一番醜くて強力である。大きな嫉妬が集まれば、公爵家の姫であるシルフィンであってもどのような攻撃を受けるか分かったものでは無い。


 実際、シルフィンからも予想以上に男性貴族から嫉妬感情を向けられているとの相談もあり、私とシルフィンは相談の上、皇帝陛下の命令は私が受けたのであり、シルフィンは農業に詳しいことから補佐するように命じられただけ、という体裁を取らざるを得なかった。


 私はシルフィンのために憤慨したが、シルフィンは笑って「貴族は家全体の名誉が大事なのでしょう?」と言ってくれた。確かに婚約者である私が名誉を受ければ、シルフィンの名誉も引き上げられるわけではあるが、それでも私は何となく釈然としなかった。


   ◇◇◇


 そうして私とシルフィンは視察の旅に出たのだが、最初から予想していた通り、シルフィンは各地で的確にその領地の農業の問題点を見つけ出していった。


 シルフィンは帝都にいる間に、寝る間も惜しんで膨大な量の農業研究書を読み込んでいて、公爵領にいた時よりも遙かに農業知識が増えていた。農業というのは地形と地質の理解も必要なのだということでそのような勉強もしたらしく、農業に向かない地形や地質を的確に指摘し、必要の無い耕地は森に戻す事を提案するなど、私には想像も出来ないような考え方を見せていた。


 最初は皇帝の使者が何しに来やがった、という感じで見ていた各地の領主も、シルフィンの説明には次第に耳を傾けるようになっていた。シルフィンは人当たりが良く、それでいて粘り強い。今回のような難しい交渉が必要な任務ではシルフィンの性格は強くプラスに働いた。


 最初は明らかに拒否的な反応を示していた領主が、晩餐を共にしてシルフィンの性格に魅了された結果、従順になり協力的になり、視察が上手く進んだなんて事は一再では無かった。何しろ領主は自領の政治に口出しされる事を嫌う。それが皇帝陛下の勅命を受けてやってきた皇族の使者であってもだ。面従腹背。言を左右にして協力を拒む。各地の軍事施設の補修や増強をするために、領主たちと交渉することも多かった私にはそれが分かる。


 それなのにシルフィンときたら、ほんの少し領主と接し、話をしただけで彼らの協力を取り付けてしまう。その気に入られ加減たるや、シルフィンに懐き過ぎたそこの夫人や子供たちに、どうしてもと請われて滞在を延ばした事があったくらいだ。どうも私の婚約者は天性の性格として人に好かれるものらしい。


 シルフィンの視察は順調で、しかもシルフィンはもの凄くアクティブに動き回ったためについて行く私が大変なくらいだった。その結果、私の本来の任務である軍事施設への魔力供給は、行く時間が無いためにシルフィンと寝間の前で分かれてから行ったり、早朝に出向いたりする事になった。


 そして私の狙い通り、私とシルフィンはそれこそ寝る時間以外はほとんど一緒に過ごすことが出来た。移動中は二人で馬車の中。農村の視察も歩きか馬で一緒。もちろん任務中なので公然と甘やかな時間を過ごすという訳にはいかないが、ちょくちょくとふれ合いの時間はあり、様々な風景の中、解き放たれたようにのびのびと動き回るシルフィンを見詰めて、私は非常に幸せで、満足した。


 視察を重ねて私達は帝国西の外れである、ハイアッグの港町にたどり着いた。ここは帝国最大の軍港で、直轄地だし農業は盛んでは無いので、完全に私の任務のための滞在である。


 それと、連れて来た従者が誰も彼もバテ始めてしまっていたので(私とシルフィンは元気だったのだが)休養の必要もあった。私はここに数日滞在する事にした。


 海を初めて見たシルフィンは微笑ましく、水色の目を輝かせて沈んで行く夕日を見ていた。私はそんなシルフィンばかりを見ていたのだが。


 しかし、市場に二人で繰り出せば、シルフィンはただ無邪気に楽しんでいるだけでは無かった。温暖な湿地に向く作物について考えたり、流通経路について思いを巡らせたりしていた。どうも彼女は今回の視察旅行で、強く農政や流通に関心を持ったものらしい。私は感心してしまった。私はどちらかというと自分に関心の無い事にはとことん関心が持てないタイプだ。


 しかしシルフィンは、一年前に出会った時には知りもしなかっただろう帝国全体の農政について、真剣に考えるようになっていた。彼女は領地にいた時から、領主の責任について強く意識した発言をしていた。領収は土地と民に責任を持つ存在であると。単に魔力を奉納して対価として収穫を召し上げる存在であってはならないと。そして彼女は帝国を視察して歩く内に、自分が帝国の最上位に近い公爵家の姫、次期公妃であり、皇帝陛下から勅命を受けた事で帝国全体の事を担う者の一人である、という自覚を強くしたようだった。


 その結果、単なる農地の改善に止まらない農作物の変更や流通の改善に深く考え始め、私にしきりに相談するようになっていた。私ですら答えに窮するような鋭い質問や提案をするのである。これが本当に去年まで男爵令嬢で侍女として働いていた女性なのだろうか?


 彼女はそして、考えるだけでは無く自覚を持って行動もしていた。しきりに皇帝陛下に書簡を出し、提案書を送り、皇帝陛下の許可を得ていた。農政だけでは無く他の領地の問題を領主から訴えられれば、即座に対応して書簡を帝都に届けてもいた。だからこそ領主たちがシルフィンの真摯な姿勢に打たれ、その真剣な言葉に耳を傾けたのである。私は正直に言って、そんなシルフィンの姿を見て反省せざるを得なかった。


 私は公爵家に生まれ、次期公爵として誰からも認められて育ち、従兄弟であるメルバリードからは頼りにされ、現在では家臣筆頭の第一候補だと言われている。


 しかし、私にとってそのような様々な事は煩わしいモノでしかなかった。私は公爵領が好きで、旅が好きで、ずっと自由に過ごして行きたいと思っていた。生まれ持ってしまった責任など放擲してしまいたい、いや、実際ほとんど投げ捨てて公爵領に引き籠もっていたわけである。


 しかしやはりそれは、責任の放棄、逃げに過ぎないのだとシルフィンを見ていて思い知らされたのだった。シルフィンは私に請われて、半ば無理矢理公爵家に迎え入れられた。現在彼女の背負っている様々なモノは、本来彼女が背負わなくても良いものであったのだ。投げてても文句は言われまい。いや、正直に言って私は、シルフィンが投げ捨てて、私と一緒に公爵領に逃げ込むことを望んでさえいた。


 しかしシルフィンは逃げる事無く、次々と背負わされる責任をしっかりと受け止め、取り組み、誰もが思いも寄らなかった実績を残しつつある。しかも涼やかに楽しげにだ。何ということであろうか。


 前向きで責任感を持ち、それでいて気負わないシルフィンの姿に、私は貴族の、皇族のあるべき姿を示される想いだった。彼女に比べて私は何と子供だった事だろう。いや、彼女に比べれば貴族達はどんなに幼稚で無責任であることか。これではシルフィンが抜きん出た実績を残すのはむしろ当然である。


 これはシルフィンが凄いのか、それとも貴族達が駄目なのかは判然としない。しかし確かな事は、今後私がシルフィンの夫として並び立つためには、このままでは駄目だということだろう。シルフィンの夫として恥ずかしくないようになるには、私は今のままでは駄目だ。とても彼女に見合わないだろう。生まれながらの公爵家嫡男たる私が、男爵令嬢だったシルフィンに劣るあまり、賢妻愚夫と言われては流石に情けないではないか。


 シルフィンを護り、いざという時に助けられるようになれる存在になるよう、研鑽することにしよう。今日この日から、シルフィンに負けないくらい頑張ろう。


 シルフィンだって無謬の存在では無い。失敗もするし、困難に見舞われる事もあるだろう。そういう時に私が横に控え、助け護り、救い出せる存在でありたい。そう、波にうっかり呑まれそうになったシルフィンを助け上げる事が出来たこの時のように、いつも彼女を見守り、備えていよう。


 抱き上げたずぶ濡れのシルフィンとキスを交わしながら、私はそう誓いを立てていたのだった。


――――――――――――

「私をそんな二つ名で呼ばないで下さい! じゃじゃ馬姫の天下取り 」(SQEXノベル)イラストは碧風羽様。「貧乏騎士に嫁入りしたはずが!? 」(PASH!ブックス)イラストはののまろ様です。好評発売中です! 買ってねー(o゜▽゜)

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