八話 シルフィン次期公爵に愛を打ち明ける

 帝宮に行ってから半月後、私とヴィクリートの婚約にはようやく元老院から認可が出たらしい。


 元老院というのは貴族たちの会議みたいなものらしく、帝国の色々な事についての議論をする場、らしい。そこでは帝国の政治について様々な事が話し合われ、その中には上位貴族の婚姻の認可もある、らしい。


 何しろ庶民同然というか庶民そのものの男爵令嬢と某系皇族たる公爵家の跡取りの婚姻であるので、これは極めて異例な事だ。元老院では侃侃諤諤の議論が行われたのだが、私には何をそんなに議論する事があるのか分からない。普通に考えてダメ一択だと思うんだけど。


 しかし、当の公爵家の意向は婚姻成立。一族(この場合は皇族)の長である皇帝陛下は婚姻を承認。少ないし薄いとはいえ貴族の血を引き、ブゼルバ伯爵家の養女にもなり家柄の問題もクリアしている事から、問題が無いとは言えないまでも元老院で却下するほどでも無いという事になり、結局元老院も私たちの婚姻に承認を与えたのだった。


 ……正気か? 私はちょっと頭が痛くなったわよ。大貴族の皆様が頭を寄せ合って議論した結果がそれなんですか? 貴族って家柄とか血筋とかうるさいくせに、そんな良い加減な事で良いのですか?


 と私が愚痴ったらレイメヤーが教えてくれた。実は貴族は当主の血をきちんと繋いでいるのなら、それほど血統の純血性には拘らないのだと。なにそれ。


「だってご夫婦に子供が出来ない場合、当主が愛人に産ませた子を養子に取ったりしますからね」


 そういえばそうだったわね。その時は愛人の血統にまでは拘らないのだそうだ。愛人はあくまでも当主との相性だけが問題なので。ただし、子供に魔力が発現しないと困るので、全く貴族の血を含まない庶民ではダメらしいが。


 元老院に出てくる貴族の皆様の中にも相当数の愛人の子供がいるはずで、実の母の血統を問題にしてしまうと自分の身にも火の粉が降り掛かってくる可能性がある方がいるのだろうとのこと。


 なのできちんと伯爵家の養女になるという段階を踏んだ私の事を悪し様に庶民扱い出来なかったのだろうという。なるほど。納得だ。


 しかしそれにしてもどこの馬の骨か(というほど酷い血筋ではない筈だけど)分からないような女が皇族に入って自分たちの上に立っても構わないのだろうか?


「構わないわけは無いでしょう。権威と理屈の問題で婚姻を認めざるを得なかっただけで、感情の問題は別ですよ」


 ……そうでしょうね。だって公爵邸の上級使用人も、まだまだ私の事認めてくれて無いっぽいもんね。レイメヤーは帝宮に上がって色々やらかした私を見て認めてくれたようだけど。


 先が思いやられるわよね。私は既にもう疲れ果てていた。


 お義母様(仮)の公妃様は宣言通り、私にスパルタで貴族教育を受けさせていた。……まぁ、鞭で叩かれこそしなかったけど、それはそれは厳しいものだったのだ。


 立ち方、歩き方、笑顔の作り方から始まって、テーブルマナー、お茶会の詳しい作法はまだ序の口。


 貴族らしい言葉遣い、手振り身振り、婉曲な物言い、視線でものをいう方法とか。あるいは社交の華であるダンスの踊り方、このステップを何種類も習い、詩作を教わり、貴族の夫人が趣味にする事が多いという刺繍を教わり、横笛が今の流行りだからと教わった。


 まだ半月しか経っていないのだからまだどれもこれも不完全だ。そもそも上記の事を並行してダーッと教わっているのだから無理がある。教わるそばから忘れちゃうわよこんなの。


 しかしながら覚えなければ結局は私が困る。それだけでなく婚約者であるヴィクリートの恥にもなると言われれば泣く泣く必死に教育に食らいつくしかない。


 そんな訳で正式な婚約もまだなのに、私はもうお腹いっぱいな気分だったのだ。


 これで婚約すれば公の場、つまりお貴族様の社交界に出なければいけないのだ。公妃様曰くそこでの厳しさは教育に来て下さる講師のご婦人の指摘の比では無いそうで、些細なマナー違反がすぐさま噂となり冷笑となってこちらに向けられてしまうのだそうだ。


 やだもう。そんなの。私は正直、女性社交界についてはこの間の帝宮東屋での一件で懲り懲りなのだ。一つも出たくない。だが、婚約すれば私は正式に公爵家の一員として扱われる事になり、そうなればお屋敷に引きこもっているわけにはいかなくなるのだそうだ。


 なんだって私がこんな苦労をしなければならないのか。私は深刻に疑問に思い始めていた。


 なんでってそりゃ、ヴィクリートと結婚するからなんだけどね。


 ヴィクリートはそれはそれは私を愛してくれている。うん、それは疑い無い。あんまり口数が多くない方である彼が、私には一生懸命話し掛けてくれる。そして照れながら何度も「愛しているよシルフィン」と言ってくれる、


 彼は軍務にも領地経営にも忙しく、これまでは帝都にはあまり居なかったほどなのだが、その仕事をほとんど放り出してまで帝都に留まり、私の側に居てくれる。


 彼を良く知る人にとっては驚きの変わりようらしい。彼は何しろ仕事人間で、女っ気が無く、公妃様も彼の結婚は諦めていたのだと仰っていた。その彼が全てに優先して私を愛してくれている。


 その事は嬉しいし面映い。ニヤニヤしてしまう。しかしながら同時に「なんで私?」という思いが浮かんでしまう。


 それは、私は彼を助けたわよ? 確かにヴィクリートは私が助けなければあのまま遠からず死んでしまっていたかも知れない。その事に感謝してくれているのは分かる。


 でも、それと男女の愛情は別なんじゃないの? と私は思うのよね。助けられた感動で発作的に私へ求婚しただけなのなら、今頃はとうに私に飽きている筈なのに。


 何しろ私は自分で言うのも何だけど別に特別美人じゃない。子供っぽい顔だと自分でも思う。赤みを帯びた金髪もその印象を助長していると思うのよね。水色の瞳もなんの変哲もない。


 背も低くスタイルも普通。強調出来るところは何にもない。まぁ、少し身が軽くてすばしっこいけど、それが何だという話よね。公妃様やイーメリア様みたいな派手な容姿の美人とは比べるまでもない。完敗だ。


 その私にヴィクリートみたいな素敵な男がべた惚れ。そんなわけあるかい。話が上手すぎるわよね。彼の愛を信じない訳じゃないけれど何か裏が、誤解があるんじゃないかと疑うのは当然だと思う。


 だけどそんな事は言えない。ヴィクリートにも公爵家の誰にも。言えそうなのは……。


「別に気にしなくて良いんじゃないの? 結婚なんてそんなもんでしょ」


 ミレニーが呆れたように言った。そう。思い余った私はミレニーに相談してみたのだ。ミレニー一人だけを付けて庭園を散歩する機会に。私に日傘を差し掛けながらミレニーは言う。


「貴族だって庶民だって結婚は勝手に親が決めて来るのよ? 結婚式で初対面なんて普通の話なんだから」


「そ、そうなの?」


 私には姉もいないし、自分の結婚話が持ち上がる前に親が亡くなったので、結婚事情というものが良く分からないのだ。


「そうよ。あなたの場合は相手と気心も通じているだけでも恵まれてるのよ。ましてヴィクリート様はあんなにあなたにべた惚れじゃない。そんな良い結婚中々無いわ」


 そうなのかしら……。うーん。


「そうよ。いいなぁ。私も玉の輿とは言わないけど結婚したいなぁ」


「え? ミレニー結婚しないの?」


「しないんじゃなくて出来ないの! お嫁に行くにはお金が掛かるもの。ウチでは出せないわ」


 嫁入りの際は結婚に関する費用は全て妻の家が負担し、持参金を持たせるものなのだという。だから何人も(ミレニーの家には姉が三人いたそうだ)娘がいる場合、全員を嫁に出すのは難しくなるのだそうだ。


 ちなみに故郷ではあんまりそういう話を聞かなかったので。おそらくその辺は地方差もあるのだと思われる。


「難しく考えること無いんじゃない? あなただってヴィクリート様の事好きなんでしょう?」


 ……そりゃ、嫌いじゃない。いや、むしろ、好き。そりゃ、あんなに素敵なんだもの。好きにならなかったら女じゃ無いわよね。うん。好き。


「じゃぁ良いじゃない。貴族やるのは大変だろうけど、その辺は頑張ってよね。私のためにも」


 ミレニーにとってはそこが一番重要な所らしい。私とヴィクリートの関係が破綻したら私ごとお屋敷を追い出されちゃうだろうからね。


   ◇◇◇


 そんな風にして私はちょっと悶々としていたのだけれど、そうこうしている内に私とヴィクリートの婚約への障害は着々と取り除かれて、いよいよ婚約の話が具体化してきた。


 庶民では婚約をせずにいきなり結婚という事も少なくないが、上位貴族の場合は結婚までに大概は一年から二年くらいの婚約期間を挟む。


 これは結婚式や新居の準備が大変だという理由の他に、家の都合で勝手に決めた結婚に当人たちを馴染ませる。つまり結婚してから全然上手くいかないと困るから、様子見期間を挟むのである。


 そんなわけで私たちも婚約後、一年くらいは婚約期間を挟む予定だ。この婚約期間中はもうほとんど結婚したも同然であり、私は正式に準皇族として扱われる事になる。


 それだけに婚約式は結婚式とどこが違うのか? というくらいの大騒ぎになる予定だ。皇帝陛下ご夫妻のご臨席を賜り、帝宮の大神殿で行われるらしい。ちなみに婚約式は一族(つまり皇族)しか出ないけど、結婚式は帝国の上位貴族が一堂に会する事になるんだとか。想像も付かなくて恐れ慄くことも出来ませんよ。


 そんな盛大な婚約式の準備だからそれはもう大変で、まずは式で着るドレスの準備。これは式で着る儀式正装と披露宴で着るドレス数着(色直しがあるらしい)を含み、ついでに言えば私に同伴する侍女達も同様に儀式正装とドレスを作る(ミレニーは役得だと無茶苦茶喜んでいた)。


 儀式手順の暗記、独特な儀式作法の習得。披露宴の段取りとお会いする皇族の方々のプロフィールの暗記。儀式で踊るダンスや慣例としてお披露目する楽器演奏の練習。もちろんこれらは普段のスパルタ教育の合間に行われるのだ。


 忙しくて大変で目が回りそうだったわけだけど、この頃、私は忙しさとは別に気になる事があった。


 ……ヴィクリートが何となく元気無いのだ。


 ヴィクリートは元々朗らか元気一杯、という性質ではない。物静かで無口。一緒にいても会話があまり無いのは普通だ。それが分かっていれば気にならないけど。


 でもここ数日、様子が変なのだ。彼とは毎日朝食で同席するし、晩餐もほとんど一緒に食べる。彼が休みの日はそれ以外にもお茶を飲んだり庭園を散歩したりする。


 なんだかんだで一ヶ月以上、毎日毎日顔を合わせて触れ合っていれば彼の事は大分分かるようになっている。だから気が付いたのだ。私といる時に放っていたキラキラしたオーラが二割ほど減少している事に。


 ……良くない兆しね。私はちょっと不安を感じた。


 遂にヴィクリートが私に飽き始めたのではないか、と思ったのだ。とうとう来たか、と。当たり前よね。私は彼に愛されるに相応しいものを何も持っていないし、何もしていないもの。


 元々、大した理由も無く愛されていたのだから飽きられても文句を言う権利なんて無いわよね。そう思いつつもやっぱり私の心はズーンと沈むんだけど。


 いよいよ終わりかぁ。お貴族様生活。大変だったけど、物凄く大変だったけど。ヴィクリートと結婚するためだと思って頑張ったんだけどなぁ。やっぱりダメだったか。仕方がないとはいえ、困ったなぁ。


 お屋敷追い出されたってまさか元のブゼルバ伯爵家に戻れないだろうし。ミレニーと二人、路頭に迷うわね。公爵邸でお姫様改め侍女にしてくれないかなぁ。でも公爵邸に庶民出身の侍女なんていないのよね。


 ……とここまで一瞬で考えてしまったのだけれど、ヴィクリートをもう良く知っている私なので、彼がいきなり私を追い出すような酷いことをする男ではないと分かっているし、愛が冷めたからいきなり婚約を取り止めるような不誠実な男でもないと知っている。


 それに私を優しく抱き寄せ、私の手を包んでくれる彼の温かさには何の変わりもない。照れながら「愛している」と言ってくれる言葉に陰りもない。私への愛情には変化はないのだ。多分。


 じゃあなんで元気が無いのだろう? 


 ヴィクリートは次期公爵だ。その為、北東の国境付近にあるという公爵領の経営を任されている。現公爵閣下ももちろん携わっているが、働き者のヴィクリートは領地まで頻繁に赴いているのだそうだ。


 そして彼は帝国軍の中将でもある。出会った時に立派な軍服を着ていた事から分かるように彼はこちらの仕事でも大活躍で、帝国の広い国境線の防衛のために帝国各地を飛び回り、実際に国境紛争で軍勢の指揮をしたことも何度かあるらしい。


 ヴィクリートはとにかく働き者。いやワーカーホリックとして有名らしく、彼が一ヶ月以上も帝都にいること自体が極めて稀なことなのだという。


 でも、帝都にいても彼の仕事が無くなっている訳では無い。その証拠にこのところ彼は毎日軍務省に出勤して行くのだ。帰りが遅くなって晩餐が一緒に摂れない事があるくらいなので多分すごく忙しいのだろうね。


 ……もしかして忙し過ぎるんじゃないかしら。


 私も婚約式の準備で大忙しなんだから、ヴィクリートだって婚約式の準備が負担でない筈は無いと思う。


 そう言えば、ヴィクリートは私と出会って半月くらいはお仕事を休んでいると言っていたわね。それでお仕事が溜まって余計に忙しいのかも知れない。


 五日間も飲まず食わずで死に掛けた後にあんなに仕事をしたせいで、もしかして身体のどこかに異変が起きているのかも知れないわね。疲れていると病にも罹りやすい筈だし……。


 そんな風に考えていたら。私はなんだか心配になってきてしまった。心が落ち着かなくてソワソワする。彼の愛が冷めたのでは無いかと思った時には落ち込んだが、彼が父や母のように病で突然居なくなるかも、と思ったら居てもたっても居られない気分になってしまったのだ。


 なんとかしなければ……。


 私はその日の晩餐が終わり、サロンに移動して寛いでいる時に思い切ってヴィクリートに言ってみた。


「ヴィクリート。最近お疲れじゃないですか?」


 ヴィクリートは少し驚いたように明るいグレーの瞳を見開いた。


「……どうしてそう思う?」


「ちょっと元気が無いように見えます。お仕事をお休みした方が良いのではありませんか?」


 サロンにいる公爵ご夫妻や執事、侍女達が興味深げにこっちを見ている。視線を集めてしまったヴィクリートは苦笑しながら顔を手の平で撫でた。


「そんなにか? 自分では分からぬものだ。だが、君が言うのならそうなのだろう、どうすれば良いと思う?」


 ヴィクリートは私の事を見つめながら言った。


「とりあえず明日はお休みしましょう」


 私が割と真剣な顔で言うと、ヴィクリートはあっさり頷いた。


「分かった。明日は休暇にしよう。君と一日一緒に、ゆっくりと休むとしよう」


 彼の言葉に、私はホッと息を吐いたのだった。


  ◇◇◇


 翌日、朝食を終えると私はヴィクリートと庭園に出た。


 私もヴィクリートも室内より屋外が好きだ。花が好きで木が好きで、土の匂いが好き。そういう所は私たち二人はすごく気が合うのだ。


 だから最近屋内に閉じ籠って仕事をしているらしいヴィクリートを癒すなら外だと思ったのである。まぁ、外と言っても公爵邸の庭園なんだけどね。


 公爵邸の庭園は広くて、花壇や植え込みだけではなく林や小川、池なんかもあって面白いのだ。その割に公爵閣下やお妃様はあんまり外に出て散策なんかしないのよね。勿体無い。私がそう言ったらヴィクリートは笑って言った。


「シルフィン。貴族にとって庭園はほとんど邸から眺めるためのものなのだ」


 私たちみたいに庭園をブラブラするのが好き、という貴族は少数派なわけね。確かに日焼けするとレイメヤーが怒るものね。今もミレニーが日傘を差してくれている。


 私は何回も散策をしていて目を付けていた場所にヴィクリートを導いた。


 そこは大きな楡の木が木陰を落としているところで、下には柔らかな草が生えそろっている。涼しくて真夏の今は気温が丁度気持ちの良い場所だ。ゆっくり休むには良い所だろう。


 ヴィクリートは意外な所に連れて来られたという表情をした。


「良くこんな場所を知っているな」


「何回も庭園を歩いたからね」


 お貴族様教育のストレスを解消するために、休憩時間の度に散歩に出ているからね!


 私たちは布を地面に敷いてもらい、その上に腰を下ろした。直接草の上に座っても良かったのだけど、そんな無作法はレイメヤーの許可が出なかったのだ。


 風は涼しく穏やかで、少し歩いて汗ばんだ身体に心地良い。ミレニーがすかさず水をコップでくれたので一息に飲む。そしてもう一杯をヴィクリートに。彼も一気に飲み干して、にっこり笑った。


「うまい水だ」


「行き倒れてた時に飲んだ水と比べたら?」


「それはあの時君が口移しで飲ませてくれた水の方が美味かったとも」


 私たちは顔を見合わせて吹き出した。大笑いをする。お作法的には零点だけど、彼と二人(侍女と侍従が合計五人もいるけど)の時は良いのではないかしら。


「あの水は、あの噴水で汲んだのよ」


 私は少し離れた所にある涼しげに噴き出す噴水を指差した。あそこに走り寄って何か汲むものをと探し、桶を見つけてそれに水を一杯に汲んで、結構遠い門のところまで運んだのだった。


 必死だったなぁ。無我夢中だったから記憶がちょっと曖昧だ。


「……シルフィンはどうして私を助けてくれたのだ?」


 ヴィクリートが静かな声で言った。……今更ね。そういえば彼からは聞かれたこと無かったかしら。他の、皇太子殿下とかからは聞かれたけれども。うーん。そうねぇ。


「助けないといけない、と思ったからかな」


「……倒れているのが誰でも、助けたのか?」


「うーん。どうかな。危なそうな人ならそもそも近付かなかったし、助けなかったわね」


 それはそうだ。身の危険がある。こっちはうら若い乙女なのだ。


「あなたの顔を見て、大丈夫そうだな、と思ったから助けたのよ」


「それは、安全そうと言う意味で?」


「そう。それと……」


 あの時、美男子、良い男だと思ったのよね。言い方を変えると……。


「あなたの顔が気に入ったのよ。気に入らない人はいくらお人好しの私だって助けないわ」


 私が言い切ると、侍女や侍従たちが失笑するような気配がした。ミレニーなんてはっきり呆れた顔をしている。そりゃ、好みの顔だったから助けたなんてあからさま過ぎる。どこの好きモノ女だって感じだ。だって他に言いようが無かったんだもの。


 でも、ヴィクリートだけは笑わなかったわね。真剣な、それでも柔らかな表情で私を見ていた。

 

「気に入ったか……」


「そう。気に入らない相手に口付けするほど、私はお安い女じゃ無いつもりだからね」


 まぁ、あの時は必死だったからそんな事考えて無かったけどね。


 ふと、ヴィクリートが私の手を取った。温かい手。私は彼のこの温かさが好きだ。


「今はどうなのだ。今でも、私の事を気に入っているか?」


 ……何を言い出すのか。私は首を傾げたが、ヴィクリートは笑顔ながら真剣な目付きで聞いてきた。


「……私と、婚約しても良いと、思っているか?」


 はい? 一体何を言い出すのか。そう思いながら、私はなんとなく気が付いていた。この質問が、おそらくこの所ヴィクリートが憂鬱そうにしていた理由なのだと。


「ここまで、私は君の都合を考えずに来てしまった。どうしても君を妻に迎えたくて必死だったからだ」


 ……気にしてくれていたのか。なんだか新鮮な感動を、私は覚えた。


 何しろ、貴族、皇族の連中ときたらこちらの都合や考えはおよそお構いなしなのだ。私はある意味それに慣れ過ぎてしまってなんとも思えなくなっていたけど、やっぱりそれは不意に憤りを浮かび上がらせる事でもあって、その事をヴィクリートが気にしてくれていた事は、なんというか、そう、ホッとする事だった。


「だが、ここに来て気になっているのだ。君が、私との婚姻を望んでいないのでは無いかと」


「……どうしてまた、そんな事を思ったの?」


「君が教育や婚約準備で疲れ果てているのを見て申し訳なくなったのだ。君に無理をさせているのではないかと」


 ああ、そうか。彼も私がヴィクリートを心配するのと同じで、私の事を心配してくれていたのだわ。


 うふふふふ。なんだか心も温かくなってきた。しかしヴィクリートは少し目を伏せてこうも言った。


「それに、私は君から一度も『愛している』と言われたことがない。もしかしたらこの想いは一方通行なのではないか、私の独りよがりなのではないかと気になってな」


 ……そうだっけ? 言われてみればそうかも。私は思わず冷や汗をかく。


 ち、違うの。そうじゃないの。そういう事じゃないの。


 そのね。改めて言うのが恥ずかしかっただけなのよ! だって今更というか、もう婚約は決まっているのだし、公妃様には「愛します!」って言ったし。


 それにヴィクリートと会う時は二人きりじゃないし。今みたいに従僕や侍女がいつも周りにいるじゃない? そんな中で愛を告白するなんて庶民には難易度が高すぎるのよ!


 ……だが、ちょっとしょんぼりしているヴィクリートを見ていると、そうも言っていられない気分になってきた。そわそわして落ち着かない。ヴィクリートは毎日のように愛していると言ってくれて、それに甘えて何も返さなかったのは私だ。


 うぐぐぐ。私は決心してヴィクリートの顔を両手で掴むと私の方に向けさせた。


「良いですか? ヴィクリート。良く聞いて下さい!」


 ヴィクリートの麗し顔を目の前に、私は一世一代の告白をする。


「もしも相手があなたじゃ無かったら、私はあんな厳しい教育をされたらとっくに逃げ出しています」


 お屋敷を抜け出して故郷に逃げ帰っていると思うわ。


「相手があなただから頑張れるの。あなたじゃなきゃダメなのよ!」


「で、では……」


「もちろん。私もあなたと結婚したいです。その為なら頑張ります。私もあなたを愛しているから」


 くおー! 恥ずかしい!


 わ、私がこんな台詞を吐く事があろうとは、正直一ヶ月前には想像もしていなかったわよ!


 でも仕方ないじゃない! ここで言っておかないと、二度と機会は無いし、ヴィクリートは多分一生気にすると思う。


 私はこの人と望んで結婚する。そう決めたのだ。だから彼に告白するのは私の責任だ。


 でも、でも! 恥ずかしい! だってミレニーなんて真っ赤な顔で飛び跳ねているじゃない。他の従僕や侍女もすました顔しているけど内心ではヒューヒューって口笛吹いているに決まっているわ!


 恥ずかしさで悶える私を、ヴィクリートは感激も露わな表情で見つめていたが、やがて静かに言った。


「……ありがとうシルフィン。胸のつかえが取れた気分だ」


 そして私の頭を胸に抱き寄せる。


「私も君を愛している。一生、君だけを愛するとここに誓おう」


 その辺は、信じていますよ。言うまでも無い事だから言わないけどね。


「……だが、無理はしなくていい。君に無理をさせることは私の本意ではない」


「大丈夫よ。ちょっと大変だけど、あなたと結婚するには必要な事なんでしょう?」


 次期公爵の妃ともなれば、あの怖い皇妃様を始めとした貴族夫人と渡り合って行かねばならないのだ。そのための教育。ホント、自分のためなのだ。


 今ここでヴィクリートと想いを確かめ合ったのだ。彼の立派な妃になるために私は頑張らなければならない。やる気が出てきたわよ!


「大丈夫だ。君を帝都の社交界に出す気はないから」


 ……はい? 気勢をそがれた私は思わず顔を上げてヴィクリートを見上げてしまう。


 何を言っているの? どう考えても、婚約したら私は帝都の社交界に出なきゃいけない筈よね? 公妃様もそう言ってたし。


 しかしヴィクリートは優しく私の頬を撫でながら言った。


「出るとしても最初だけだ。私は君と婚約したら、領地で暮らすつもりだから」


 ……領地って、公爵領? 北の国境近くにあるっていう?


「そうだ。田舎だが、君は田舎が好きだろう? 私も帝都より領地にいる方が好きなのだ」


 確かに田舎が好きだと言っていたわね、それに外にいる方が好きなのだと。彼も帝都の社交界が好きでは無いとも聞いていた。


「だから婚約したら、すぐに帝都から領地に行こう。向こうで誰にも邪魔されずに暮らすのだ」


 ……ということは、面倒で窮屈なお作法も、お芸術もお勉強も必要無し? 怖い怖い女性社交界ともオサラバ? 田舎の領地でヴィクリートと二人、甘々スローライフ?


 そんな、そんな事って、そんなのって……!


「素敵! やっぱりヴィクリート最高!」


 私は思わずヴィクリートに全力で飛び付いていたのだった。


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