七話 シルフィン女の争いに巻き込まれる

 無事、皇帝陛下から結婚の認可を頂いた私とヴィクリートはとりあえず御前から退出した。


 これから公爵ご夫妻は私とヴィクリートの結婚についてもう少し計画を詰めるのと、皇帝陛下に旅行の土産話をしなければならないのだという事で残られた。


 その話を聞いてヴィクリートが嫌そうな顔をした。


「先に帰ってしまって構いませんか? 父上」


 ヴィクリートは言ったのだが公爵閣下は呆れたように言い返した。


「皇太子殿下と約束をしていただろうが。早く行け」


 どうやらヴィクリートは皇太子殿下のところに行きたくないようだ。


「皇太子殿下と仲が悪いのですか?」


 私が聞くと、ヴィクリートは複雑な表情で首を横に振った。


「いや、そんな事はない。メルバリードとは従兄弟だし仲は良い。ただ、今回の場合絶対に根掘り葉掘り聞いて揶揄われるだろう?」


 それはそうよね。事情が事情だし。それに親しい人の結婚事情なんて絶対に何もかも知りたくなるに決まっている。私だってミレニーが結婚するなんて事になったら、捕まえて何もかも白状するまで離さないもの。


「それにどうせ、メルバリード一人ではあるまい」


 しかしながら皇太子殿下に呼ばれているのに行かないわけにもいかないのは確かだった。仕方なくヴィクリートは帝宮の侍従に案内を命じた。


 侍従はしっかり皇太子殿下からヴィクリートと私を連れて行く場所を知らされていたようだ。彼は迷い無く私たちを帝宮の内部庭園へと導いた。


 花が咲き乱れる灌木で造られた素晴らしい庭園回廊だった。私は花が好きなので嬉しくなってしまう。所々にやはり花が咲く木があり、溢れるように花を頭上に被せてくる。見事なお庭だ。


 そうやってヴィクリートと一緒に花を愛でながら歩いて行くと、その先に小さな東屋が見えた。少し土台は高くなっていて、その上に白い屋根が架かっている。中にはテーブルと椅子があり、数人の人が座っているのが見えた。


 東屋の下には二十人ほどの兵士が立っていた。こんなに護衛がいるという事は、東屋にいる数人の男女の身分がいかに重要であるかを示していると言って良い。ま、またお偉いさんか!


 まぁ、皇太子殿下がいることは確定だしね。皇太子殿下は帝国のお偉いランキングナンバースリーだ。それ以上のお偉い方はいない筈よね。それに私は今さっき帝国で一番お偉い皇帝陛下とお話をしてきたのだ。


 皇帝陛下とお話が出来たんだもの。もう怖いものなんかないわ! という勢いで私は東屋に乗り込んだのだが、いや、私の些細な経験なんかでお貴族様の恐ろしさを侮ってはダメよね。


 東屋の中には四人の男女がいた。正確には男性一人女性が三人。男性はもちろん皇太子殿下。


 一人は三十代から四十代前半くらいの紫色のドレスを着た黒髪の女性。すごい美人だった。……あれ? なんか見覚えがあるような。


 女性二人目は茶色の髪の女性でこれも美人。鋭い目をしていて、ややきつい印象を受ける。オレンジ色の艶やかなドレスをお召しだ。


 最後の一人はいかにも穏やかそうな可愛らしい女性。ふわふわした栗色の髪をしている。ドレスもふわふわしたピンク色。


 私とヴィクリートが東屋に入ると全員が立ち上がった。私たちが頭を下げようとすると、皇太子殿下が叫んだ。


「いらんいらん。礼など必要無い。ここに来たという事は父上のお許しが出たという事だろう? ならばシルフィンも準皇族だ。遠慮はいらん。座れ」


 そ、そうは言われましても、私は女性のお三方とは初対面なわけで。しかも今の仰りようだと全員皇族だということになるわけで。


 私が当惑しながら女性たちを見ると、一番年上の黒髪の方がニッコリと笑って言った。


「そう急くものじゃありませんよ。メルバリード。ご挨拶は大事です」


「面倒な。ならとっとと済ませてください。母上」


 ……母上?


 あ、あああ! わ、忘れていた!


 そう、私は皇帝陛下と皇太子殿下の間。帝国お偉いさんランキングナンバーツーの存在をすっかり忘れていたのだ。


 それは皇妃様。皇帝陛下のお妃様にして皇太子殿下のお母様! 


 ついでに言えば、我が義母(仮)であるところの公妃様のお姉様だという方だ! そういえば容姿がそっくりだ!


「皇妃イセリアーネです。よろしくね。シルフィン」


 ぎゃー! 私は慌てて跪いた。さ、先にご挨拶をさせてしまった! 目上の方に先に! その失礼を相殺するには略式ではなく正式な礼をするしかない。跪いて頭を下げる。


「し、シルフィン・アイセッテ、じゃなくてブゼルバでございます! 正式な婚約はまだですが、ヴィクリートの婚約者として公爵家に入っております! えええと……以後、お見知り置きを! 大地の女神に感謝を!」


 大慌ての私の挨拶に皇妃様は気にした様子もなく笑っている。ううう、でも、女の笑顔は信じちゃダメ。これは庶民も貴族も皇族も一緒だろう。


 私は続けてその隣の方にも頭を下げる。


「わ、私は…!」


「いいわ。聞こえた。私は第二皇女イーメリア」


 ツンとしたお声だった。こ、この人がヴィクリートの結婚相手に擬されていたという第二皇女様か! どうもこの冷たい態度からして、結婚するかもしれなかったヴィクリートを横から攫って行った庶民女にいい印象は持っていなさそう。


 そして最後のふわふわした方が言う。


「私にも挨拶はいらないわ。私はフレイヤー公爵家の娘スイシスよ」


 う、その名前は教わったわ。そう。スイシス様は皇太子殿下の婚約者よね? 本当はサッカラン侯爵のご令嬢なんだけど、皇太子殿下と婚約するにあたって私と同じように公爵家の養女扱いになっている方だ。


 と、とんでもない! とんでもないメンバーだわ!


 ここには帝国の最上位の女性が上から三人 (皇太子殿下の姉君である第一皇女様は隣国へと既に嫁がれている) 勢揃いしているのだ! 女性社交界の頂点の会合なのだ。ぎゃー! そんなところに私が来て良いものなの?


 私が恐れ慄いていると、皇妃様がサラッと言った。


「そう。陛下は婚姻の許可を出されたのね。意外。陛下はヴィクリートをイーメリアの夫に欲しがっていたのに」


「ふ、ふん。別にわたくしはヴィクリートと結婚する気などありませんでしたわよ!」


 と言いながら今、イーメリア様ギリっと歯を食い縛りませんでしたか? そりゃ、ヴィクリートはこんなにいい男なのだから、イーメリア様も憎からず思っていらしたに違いない。


 しかしヴィクリートは涼しい顔で言った。


「そうですとも。私はイーメリア様と結婚する気などこれっぽっちもありませんでしたよ」


 ちょっとヴィクリート黙ってて。イーメリア様の眼光が痛いくらいになってきちゃったから。どう考えてもあのご様子ではヴィクリート本人よりも私を恨んでいらっしゃる感じよね。ううう。女の恨みは恐ろしいもの。この方にはなるべく近付かないようにしましょう。


「それよりもどうやって二人は出会ったのだ? 馴れ初めを聞かせろ!一から十までな!」


 皇太子殿下の明るい声が冷え掛けた空気を温める。良かったわ皇太子殿下がいてくれて。反対にヴィクリートが渋い顔になってしまっているけれど。


「話しても良い? ヴィクリート?」


 私が尋ねると、ヴィクリートは渋々許可を出した。


 許可が出たので私はヴィクリートが行き倒れていた件から話し始めたのだが、あまりにも間抜けな話だったので皇太子殿下は常に爆笑状態だったわね。明るい王子様だ。


 その過程で私が本当は男爵令嬢でほとんどというか完璧に庶民だというお話をしたら、イーメリア様とスイシス様は随分と驚いていらっしゃった。それはそうよね。皇妃様はおそらく知っていたから驚かず、皇太子殿下はその前から笑い通しだったからどう感じたのか分からなかったわね。


 ヴィクリートは自分の失敗を晒されて少し不機嫌にはなったけど「しかし自ら口移しで水を運ぶとは、あたかも砂漠を甦らせる大地の女神の神話のようではないか!」と皇太子殿下がやや大袈裟に私を讃えたら機嫌を直した。


「そうとも。シルフィンは私の女神だからな」

 

 と言って私を抱き寄せる。皇妃様とスイシス様は華やいだお声を上げ、イーメリア様はフンと横を向き、皇太子殿下はゲラゲラと笑っている。私はまぁ、大人しくしていた。


 私が本当にこのままヴィクリートの嫁になるとすれば、私は女性社交界でおそらく皇妃様、皇太子妃殿下(仮)、第二皇女イーメリア様に次ぐ地位を占めることになる。全員私よりも上位の存在のまま(イーメリア様のみ嫁入り先によっては逆転の可能性があるけど)なのだ。下手なことをして睨まれたく無いわよね。


 ひとしきりお話が終わると、お茶の用意がされる。単にお茶が出るだけでなく、お菓子が何種類も並べられるのだ。こ、これが女性社交の代表格とも言うべきお茶会か。初めて見た。


 初めて見たけど、お作法は付け焼き刃で一応習った。えーっと。お茶やお菓子を食べる順番は偉い人順だったわよね。これを間違えると大変な事になるからとレイメヤーに特に念を押されたのだった。


 ここでは私は最下位。最後に食べれば良いのよ。本当は圏外なんだからなんとも思わないわ。私はだから悠然と構えていた。


 男性陣は二人同時にカップを取った。この二人はお互いの上下をあんまり気にしていなさそうだ。次に皇妃様。これは良い。しかし次が問題だった。


 イーメリア様とスイシス様は一瞬、視線を交わした。


 見間違いで無ければバチッと火花が飛び散ったわね。な、何事?


 そう。この時の私には良く分からなかったのだけど、実はこの時のお二人は関係が実に微妙だったのだ。


 この時点では第二皇女であるイーメリア様の方の身分が高いのは間違い無い。しかし、スイシス様は何しろ皇太子殿下の婚約者。つまり近い将来の皇太子妃。スイシス様が皇太子妃になればその時点でお二人の立場はほぼ同格になる。


 しかし先ほども述べた通りイーメリア様は他家に降嫁なさる筈でその場合は臣籍に降りる事になる (傍系皇族である公爵家に嫁ぐとしても)。すると明確に皇太子妃であるスイシス様が上位になる。


 つまり現状はイーメリア様が上位だが将来的にはスイシス様が確実に上位になるのだ。現状を優先するか将来的な身分を優先すべきかは難しい問題なのだ。そうらしのだ。


 お二人は数瞬、笑顔で睨み合っていたが、ここはスイシス様が引いたようだった、イーメリア様が先にカップをとり、スイシス様がゆっくりとカップを取る。も、もう大丈夫かな? それから私がそーっと白いカップを手に取った。ううう。お茶の味なんてしない。


 なんというか、やっぱり女性社交界は随分と面倒なところようだ。あんまり近付きたいとも思えない。男性陣はというと、皇太子殿下とヴィクリートで勝手に何か楽しげに話をしている。仲が良いというのは本当らしい。


 目の前には高価なお砂糖をふんだんに使ったと思しきお菓子がずらっと並んでいる。私はもちろん、ブゼルバ伯爵家で働き始めるまでお砂糖なんて見たことも舐めた事も無い。お菓子を食べたのは伯爵家で養女扱いになってからだった。


 甘いものは好きなので、お砂糖入りの菓子も好きは好きなんだけど、まだどれがどんな味かも分からない。ちなみにこういうお茶会ではお茶も自分の好みを指定出来るのだけど、私にお茶の銘柄なんて分からない。


 私は皇妃様のお食べになるお菓子をよく見て、同じものをミレニーに取ってもらう事にした。ミレニーは並ぶお菓子を見て羨ましそうな顔をしていたわね。


 見ると、他の方も大体皇妃様の選択に倣ってお菓子を食べているようだった。良かった。私の選択は間違っていなかったっぽい。


 そうして数種類のお菓子を食べ、お茶を飲みながらお話をする。お話は社交界の噂話に移っていた。どこそこのお家のご令嬢が誰それに懸想しているとか、どこそこの伯爵がなんとか子爵の妻と不倫をしているとか、そんな話。女性が噂話恋バナが好きなのは庶民も貴族も皇族も変わんないのね。


 私は社交界にはまだ出た事が無いし、知らない人の話ばかりだから曖昧に微笑んでただただお菓子を食べていた。……いい加減疲れたから帰りたい。しかしヴィクリートはなにやら皇太子殿下とお話が盛り上がってしまったらしく、席を立つ気配が無い。ひーん。


 そうして、優雅にお話を(私は内心ヘロヘロになりながら)しながら、次のお菓子を取ってもらった時のことだった。ちなみにこの時、何故かミレニーとは違う侍女が、ミレニーにお皿を押し付けるように渡していた。


 そのお菓子は一口サイズの小さなケーキで。茶色い色をしていた。こういう茶色いのはちょっと苦っぽい味がするのよね。なんだろうねあれ。なんでわざわざ甘いものに苦い味混ぜるのかしら。


 その小さなケーキの上に小さな木の葉、ハーブが乗っている。こういうハーブを乗せたお菓子やお料理は何度か目にした。ハーブ自体は庶民のお料理でもたくさん使うので珍しくはない。ただ、ケーキに乗っているのは初めてで目を引かれた。


 へーっと見ていて気がついた。あれ? このハーブ……。


 見間違いかと思ったけど、よく見ても間違いなさそうだ。私は故郷で毎日のようにハーブを採ったし父や母や地元の人から教わったからハーブや薬草にはそこそこ詳しい。


 見ると、そのケーキは皇妃様や他の方にも取り分けられているようだ。もちろん上にはハーブがちょこんと乗っている。……どうしたものか。私は一瞬考えた。指摘するとちょっと面倒な事になるかも。


 ……でも、やっぱりそのままにはしておけないよね。私はケーキにフォークを伸ばそうとする皇妃様に向けて声を上げた。


「お待ちください!」


 皇妃様もイーメリア様もスイシス様も驚いて動きを止める。皇太子殿下もヴィクリートも話を止めてこちらを見ていた。しまった。ちょっと声が大きかったかしら、だけどやり直しが効くような事では無い。


 私は構わず、テーブルに身を乗り出し、腕をよいしょと伸ばして皇妃様の前に置かれたケーキの上に乗っているハーブをちょいとつまみ取った。


「な、何を!」


 イーメリア様が怒ったようなお声を出すが、ちょっと待っててね。私はつまんだハーブをポイと口に放り込むとモグモグと噛んだ。……うん。間違いないわね。


 そして飲み込まない様に気をつけながら、口の中のそれを東屋の外にぺっと吐き出した。護衛の人に掛からないようには気をつけたわよ?


 皆様唖然呆然だ。ヴィクリートでさえ目を丸くしている。まぁ、完全無欠に非マナー行為で、普通なら大問題になりかねない行為だろうからね。でもここは緊急避難という事で許して頂きたい。私は全員を見渡しながら言った。


「食べないで下さい。これ、毒ですよ」


 その瞬間女性陣からは悲鳴が上がり、男性陣は思わず立ち上がった。


「毒だと!」


 皇太子殿下が叫ぶ。あ、ちょっと大袈裟だった。毒は毒なんだけど。


「お待ちください。毒とは言っても大したものではありません。こんな小さな葉なら誤って食べてもお腹が少し痛くなるくらいでしょう」


「しかし、毒なのだろう?」


「ええ。まぁ。その、便秘の時に噛む事があるので薬でもあるハーブです」


 他にも悪いものを食べた時に噛んであえて下痢を起こして体から毒を排出するのにも使う、結構使い所のあるハーブなので、故郷の人なら大体知っていると思う。私も何度かお世話になったから味を知っているのだ。


「君は食べたではないか。大丈夫なのか?」


「飲み込まなければ大丈夫ですよ」


 少しは影響があるとは思うけど、まぁ、このところ食べ慣れないもの食べて便秘気味だったから丁度良いかもね。


 しかし、皇族が集うお茶会でケーキに毒性のある葉が乗せられていたなんて大問題だ。ただ、よく似たハーブもあるからね。だから私は一応噛んで確かめたのだ。料理人が間違えた可能性はある。


 しかしその時イーメリア様が叫んだ。


「スイシス! また貴方の仕業ですね!」


 ……また? スイシス様は笑顔を崩さないまま首を傾げている。


「なんの事でございましょう?」


「とぼけるんじゃありません! どうして貴方だけこのケーキを取っていないのですか!」


 見ると確かに、スイシス様だけ皇妃様が選ばれたケーキを取っていない。これまでは皇妃様が選ばれたお菓子は必ず取っていたのに。確かに不自然だ。しかし証拠としては少し弱いかも。


「この腹黒女! これで何度目ですか! 私のドレスに悪臭の元を擦り付けたり、足元に滑る油をこぼしたり! 貴女の仕業なのはわかっているんですからね!」


 どうやらイーメリア様はスイシス様から嫌がらせの類を何度も受けているらしい。これだけ怒るのだから証拠は掴んでいるのだろう。けど。


 スイシス様は少し悲しげに微笑みながら言う。


「まぁ! そんな事は致しませんわ。何の証拠があって……。それにイーメリア様の仰り様だと、私はイーメリア様のみならず、皇妃様にも毒を盛った事になるではありませんか」


 イーメリア様が流石に黙り込む。確かに、現状ほぼ同格で、ゆくゆくは間違い無く上位になるスイシス様が、現状の腹いせにイーメリア様に嫌がらせをするのと、これからも死ぬまでスイシス様の絶対的な上位で居続ける皇妃様に毒を盛るのでは、問題の大きさが桁外れに変わってくる。


「私はそんな事は致しませんよ。それより、そのハーブは本当に毒なのですか? 確かめた方がよろしいのでは? その、人に取り入る為にに嘘を手柄にする方も庶民の中にはいるそうですし……」


 ヴィクリートの目つきが険しくなった。遠回しに私の自作自演の犯行ではないのかと、スイシス様は言っているのだ。いや、そんな事をして私に何の得が……。


 ふと、自分の目の前にあるケーキを見て気が付く。……あれ?


 何故か私の前に取り分けられたケーキに乗っている葉だけ、普通の香り付けのハーブなのだ。なんで? 一枚だけ間違えた?


 ……ああ。私は気が付いてしまった。スイシス様の、今この瞬間に彼女の犯行だと確信したので断定してしまうけど、その狙いを。


 あのまま、私と皇妃様とイーメリア様がケーキを食べると、お二人は腹痛を起こす。なのに同じケーキを食べた私のみ、平気だという状況が生まれる。これはおかしい。怪しい。そう。私が。


 私が皇妃様に毒を盛ったと疑われるわけだ。命に関わる毒ではないし、証拠は無い(あるわけない)から犯人扱いされて罰せられる事は無いと思うけれど、そういう噂が拡がれば、私とヴィクリートの結婚の障害になりかねないだろうね。


 その辺りが狙いなのだろう。まったく、ふわふわ可愛らしい見た目のくせにとんでもない女だわ! 


 だけどここで私が彼女に対して怒るのも悪手だろうし、黙っていても話の雲行きによっては犯人役を押し付けられてしまうかもしれない。


 ……馬鹿馬鹿しい。私は腹を立てた。むかっときた。例え相手がお貴族様、皇族だろうと、人を貶め陥れるような事が許されてなるものか。まして私が黙って陥れられなければならない理由は無い。それなら!


 私は何やかやと言い合いをしているイーメリア様とスイシス様を見ながら、ちょいちょいちょいと問題のケーキの上のハーブを(私のところの無害なものまでまとめて)拾うと、まとめてパクッと口の中に放り込んだ。そしてもぐもぐと咀嚼するとゴクリと飲み込んだ。


「し、シルフィン、何を……」


「い、今其方がそれは毒だと言ったのではないか!」


 女性陣は唖然とし男性陣が慌てている。そうね。このままだと確実にお腹を壊すわね。こんなに食べたら大変な事になっちゃうかも。だけどね。


 私は身を翻すと東屋を飛び出して、程近いところにある木に咲いていた花を摘んで、花の付け根からその蜜を吸った。さっき歩いていた時に見つけていたのだ。ちょっと苦い味のそれを我慢して飲み込む。近くにいた護衛の兵士がびっくりした顔をしていたわね。


 そのまま何食わぬ顔で東屋に戻る。静まり返る東屋の中。私は堂々と言った。


「実はあの花の蜜も毒です。吸うと同じようにお腹を壊します」


「な、何?」


「でも、あのハーブと同時に吸うと、不思議と相殺されて効果が出なくなるのですよ」


 まぁ、もうちょっと厳密に量らないと完全に相殺されるとは言えないんだけどね。


 そして私は手を叩いた。パチンといい音がして、おそらくそんな事をしないのだろう皇族の皆様は目を丸くしている。私は東屋の中の皆様を見渡して言った。


「はい。この話はこれでお終いにしましょう。証拠のハーブは私が食べちゃいましたし、誰にも被害は出なかった。それで良いではありませんか」


「し、しかしだな」


 皇太子殿下が何か言いかけたので、私は彼を睨む。


「犯人なぞ探しても良い事は何もありませんよ。あのハーブは庶民の間では良く知られているものですけど、実はその花みたいにはたくさんは自生していません。帝都では買うしか無いのです」


 まぁ、私は地元では山奥まで行って自分で摘んだけどね。干して売ると良いお小遣いになったのだ。地元でもちょっと珍しいものだったから。


「帝宮にハーブや薬を売る業者は限られるのでは? でもそんなところを調べても良い事はありませんよ? ねぇ、スイシス様?」


 私が話を振るとスイシス様はちょっと笑顔のまま固まっていらしたわね。あの悪巧みは私がまさかハーブを見抜いて実行を阻止するなどとは思っていない、失敗した時の事を考えない粗雑なものだ。多分きちんと捜査すれば証拠はボロボロ出てくるだろう。


 笑顔だがスイシス様は割と追い詰められている筈。でも、未来の皇太子妃の犯罪を暴き立てても良い事など何にも無い。スイシス様も困るだろうし皇太子殿下も困るだろう。そんな事件に巻き込まれるなどごめん被る。面倒臭い。


 なら無かった事にした方が良いですよ。そうですよね?


 私はそういう思いを込めてヴィクリートを見る。ヴィクリートになら私の思いは伝わったはず。彼だってこんな事件のおかげで婚約まで長引いてしまうような事は望まない筈よね?


 ヴィクリートはさすが、私の意図をちゃんと察したようだった。多分事件の真相にも気が付いているはず。彼は私のところに来て私の腰を抱きながら優しく微笑んで言った。


「そうだな。購入したハーブにうっかり紛れ込んだけだろう。よくあることだ。君がいて助かった。お手柄だったが、それで、君は大丈夫なのか?」


「大丈夫ですよ」


 私はウフフっと微笑んだ。そうね。


「でもお腹が少し心配ですから、席を外したいです」


「そうか。それならこのままお暇しよう」


 こんな怖いところにこれ以上いられないわ! 私は帰らせてもらいます!


「ということでメルバリード。私はシルフィンが心配なので帰るぞ。皇妃様。ご無礼をお許し下さい」


「失礼を致しました。皇妃様。皇太子殿下。イーメリア様、スイシス様」


 私も事態を飲み込めていない感じの一同に慇懃に頭を下げた。さぁ、皆様が我に返って騒ぎ出さない内に! 長居は無用よ! 行きましょうヴィクリート。


「シルフィン」


 皇妃様から声が掛かる。うひっ! 何でしょう。有耶無耶にしようとしているなんて怪しいとか言わないで下さいね! そうしたら私も自衛のためにちゃんと捜査してもらうしか無くなるんですからね!


 だが、振り返って見た皇妃様はそれはそれは満足そうに笑っていらっしゃったわね。そしてニンマリと唇の端を吊り上げて仰ったわ。


「大儀でありました」


「きょ恐縮です!」


 私は頭を下げると、ヴィクリートと共にお作法の範囲内で可能な限りの速度で東屋を離れた。


 あのご様子では皇妃様は何もかもご承知のなのだわね。もしかすると、スイシス様の計画を知りながら、わざとスルーして私を陥れようとしたまであるかもね。


 ひーん! 怖い! 女性貴族界怖い! あんな得体の知れないご婦人がゴロゴロいるんじゃないでしょうね!


「お、お腹が痛くなってきました」


「! それは大変だ」


 ヴィクリートは慌てて私を抱き上げ、お姫様抱っこをして丁重に急いで運んでくれた。私はもう何だかくたびれ果ててしまって、ヴィクリートの胸にしがみついたまま目を回してしまったのだった。


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