神器鳴動

@merbotan

序章①

 カラスたちの不気味な鳴き声が響き渡る薄暗い木々の中に、縋る様なか細い声が聞こえた。

「ころ丸、どこお?」

 小さな少年だった。

 年端は五歳かそこらだろうか、自らの体をかき抱きながら小さな足をふらふらと林の中へ運んでいた。

「ころ丸う」

 少年は突然いなくなった愛犬を探していた。

 小さく可愛らしい白い犬。

 活発でどこにも行くのも一緒だった。

 今朝から一日中、住人たちと町中を探し回ったが見つからなかった。

 やがて夜が近づくにつれて諦め始めた薄情な大人たちに反抗するように、少年は村のはずれまで足を延ばした。

 そこには立ち入り禁止の柵が張られていて、その警告を促すだけの貧弱な柵を少年は勢いよく踏み越えた。

 そして今、少年は自身の行いに後悔の念が生まれるのを自覚しているのだった。

「うわっ!」

 不意に張り出していた木の根に足を取られて、少年は派手に転んだ。ぬかるんだ地面に顔から突っ込んで、全身泥まみれの状態になった。

 その不快感にまるで風船に穴が開いたかのように少年の気力は萎み、胸中が圧倒的な孤独感に支配された。

「ひっく……っく」

 少年の哀れな姿に頭上のカラスたちが鳴いた。嘲笑めいた鳴き声に、少年は町の人間たちの言葉を思い出した。

 諦めたような、冷めたような、憐れむような言葉。

「だめだ……」

 少年の心に再び火がついた。

「ころ丸……絶対に見つけてやるからな」

 再び少年は進み始めた。

 大切な家族のために。

 そんな少年の勇気が神に見初められたのだろうか、少年の視界の隅で何かが動いた。

「ころ丸!」

 少年は勢い込んで駆け出した。

 いよいよ日も落ちてきた焦りからか、少年の心は不意に目の前に現れた希望に自身の命運を全て委ねた。 

 それが少年にとって絶望しかもたらさない存在であることも知らずに。

「……え?」

 少年の瞳がを捉えた。

 まず目を引いたのはその巨大さだった。猪を一回りも二回りも大きくしたような鈍色の体躯が、まるで大木が地面に根を張るように四つ足で大地に立っていた。

「あ……あぁ……」

 愛犬とは似ても似つかないような風貌をどうして見間違えてしまったのか、少年は自身の迂闊さを呪った。

 そしてなにより不気味だったのは。

「……っ」

 それには

 頭部のようなものは確認できた。

 しかし、その前面はまるで失敗して捏ねなおした粘土細工のようにつるりとしていた。

 自然界の動物の摂理に背く無貌の体躯。

 あるべき部分に何もないという事は、想像以上の怖気をもたらした。

 その圧倒的埒外の容貌を、少年は知っていた。

「ケガレモノ」という、人を食らう異形の存在。

 そして、今更ながら理解した。

 自分がいるこの場所が、なぜ立ち入り禁止とされていたのかということを。

「……ひっ」

 ケガレモノがついに少年の方を

 目玉がないにも関わらずそいつが自身を認識し、そして犯すかのように検分している事を少年は本能的に悟った。

「グオオオオオ」

 ケガレモノが口を開いた。

 今まで何もないと思っていたその頭部が、まるで食虫植物のように縦に真っ二つに割れたのだ。

「う、うわああ」

 視覚と聴覚を凌辱されて、少年は思わず悲鳴を上げながら腰を抜かした。先ほどまで高所から見物をしていたカラスたちも身の危険を感じて慌ただしく飛び去っていった。

「う、うわ、こ、来ないで」

 必死に身を捩りズボンを泥まみれにしながら後ずさる少年をケガレモノがゆっくりと追いかけてくる。

 異形の存在が近づいてくる様は、今まで少年が感じたどんな存在よりも巨大で、恐怖で、理不尽だった。

 ケガレモノが少年の鼻先まで接近した。

「あっ……」

 圧倒的な絶望感に支配されながら、少年は唐突に理解した。

 恐らくころ丸は、この異形に食い殺されてしまったのだろうと。

 根拠などない。

 しかし目の前の、邪悪がまるで形を成したかのような存在を見て、なんだかとても納得してしまったのだ。

 そして、自身がこれからどうなるのかも。

 少年の感情は既に擦り切れて、一歩も動けなくなっていた。

 それを知ってか知らずか、ケガレモノは徐々にその顔を少年に近づけていき、先ほどと同じように口を大きく開いた。

 やがて少年が迫りくる恐怖から硬く目を閉じて――

「グオオオオオオオオオオオオオ」

「っ!?」

 突然の耳をつんざく雄たけびに、少年は思わず声を漏らした。

 予想していた痛みが来ないことに、少年が恐る恐る目を開けると。

「……え?」

 驚くべき事に、目の前のケガレモノがその巨体を苦悶に捩じらせていた。苦痛の元凶を取り除こうと、ケガレモノが振り払うように腕を薙いだ。

 それに合わせて一つの影がケガレモノから距離を取った。

 一人の青年だった。

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