腐敗
幸太郎は自室に戻っていた。椅子に座り、何をするでもなくただ無為に時間を浪費していた。
七海に三下り半を突き付けてから、この自室に帰って来た時にある変化に気付いた。
七海のバイクがなくなっていた。その意味することを考えて、幸太郎は自分がお門違いの感情を抱いていることに気付いた。
それは寂寥だった。
幸太郎は最後に見た七海の表情を思い出した。
七海は幸太郎の罵詈雑言を受けて、その顔を悲痛に歪めていた。
しかし、それでも最後まで涙は流さなかった。
強いと思った。
意志が弱く、すぐに現実逃避をしてしまう自分とは違う。
その七海を幸太郎は決定的に傷つけた。
自分勝手な言い分を並べ立てて、感情に任せて彼女を詰った。
そんな自分が七海が去っていったことに対して寂しさなど感じる資格はない。
彼女をそうさせたのは、ほかならぬ自分自身なのだから。
「……はあ」
幸太郎は何もない天井に視線を向けた。
不規則な木目が目に入る。その出口のない迷路のような模様が、自身の心を表している気がした
しばらくぼんやりと思案していると、ドアのほうから何者かがノックするのが聞こえた。
幸太郎は立ち上がる気力もなく、そのまま椅子に座りこけていた。
再び扉を叩く音。
幸太郎はこのまま返事をしないことでノックの主が諦めて帰ってくれることを期待していた。
だが、そんな幸太郎の思惑とは裏腹に、ドアのノブが回されるのが聞こえた。
そこまで来ても、幸太郎は動こうとはしなかった。誰であろうと、何が目的であろうと、もう抗う気力は無かった。
やがて来訪者が椅子の上で腐っている幸太郎を見て心底呆れたように口を開いた。
「ひどい顔だな」
「……くれは」
近づいてきたくれはに幸太郎は問いかけた。
「どうかしたのか?」
「君に謝っておかなければいけないと思ってな」
「謝る?」
「ああ、剛毅さんの事だ」
その名前を出されて、幸太郎はちくりと胸に痛みが走った。
しかし、くれはには関係ないはずだ。
「私はあの時、君と剛毅さんの加勢に入ることが出来なかった……そのせいで」
くれはが懺悔するように俯いた。
その様子は、真摯ではあったがしかし今となってはどうしようもないことだ。
彼女に非はないし、仮にあったとしてももう剛毅は帰ってこない。
お互い返す言葉がなく所在ない沈黙が訪れた。
それを嫌ってか、あるいは本当に今で気づかなかったのかわからないがくれはが言った。
「七海さんはどこいった」
「……わからない」
くれはが眉をひそめた。
「分からないというのはどういうことだ」
「別に、ちょっと喧嘩したんだ……昔からたまにあるんだ、だから気にしなくてもいい」
「そうか……君がそういうなら私にはどうしようもないが」
言いつつも、くれはは言いたいことがあるようだった。
「七海さんは君の事を常に想っていた」
「え?」
「私といる時、彼女は君の話ばかりしていた。こうちゃんは、とても優しくて、一緒にいて楽しくてと……それで君と私の中を邪推するような言動もあったな」
くれはは苦笑して、やおら顔をしかめた。
「だが、同時に辛そうだとも言っていた」
そんな風に思っていたとは、幸太郎は気づかなかった。
「君をなんとかして救ってやりたいと。自分にできることなら何でもしたいとずっと言っていた……だが、最近それが分からなくなってきたと言っていた」
「……どういうことだ?」
「詳しくはわからない。ただ、自分のやっていることが、君にとっていいことなのかわからない。そして、言っていた。彼女は君に対して嘘をついているのだと」
「……嘘」
「そうだ……後は君が直接聞いてみるんだな。だから、こんなところでくすぶってる場合ではないぞ」
「……」
「私は村を立つ……やらねばならないことがあるのでな。七海さんにはよろしく言っておいてくれ。要件は以上だ」
「ああ」
くれはが踵を返した。
部屋を出る直前、一瞬くれはが幸太郎を振り返った。
その表情には見覚えがあった。
それは、幸太郎が腕を切り落とされた時。
死に急ぐ幸太郎を見つめる双眸の奥にある、憐みの光。
そんな相好に幸太郎が何か言葉をかける間もなく、今度こそくれはは去って言った。
幸太郎は一人残された。
去り際のくれはの顔が、脳裏にこびりついて仕方なかった。
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