邂逅②

 しばしの休息の後、幸太郎は立ち上がった。

「そろそろ行く」

『もう、大丈夫なの?』

「ああ。それで、他には?」

『え?』

「ケガレモノの反応、他にどこに出てる?」

『ああ、えっと……多分さっきので最後、だと思う」

「……そうか」

 七海の返答に、幸太郎は声を沈ませた。

 先ほど異形を退けた勝利の余韻など微塵もなく、幸太郎の沈鬱の理由を理解した七海が気遣うように言った。

『今日はひとまずここまでにしようよ……その焦ったって良いことなんてないんだから』

 七海の提案に幸太郎が口を噤み、またぞろ七海との間に沈黙が生まれ静寂が訪れた。

 風に揺れて木々たちが囁くように揺れた。まるでそこには初めから何もなかったかのような静けさに、幸太郎の胸中は虚しさで満たされた。

「……そうだな、そうしよう

 幸太郎がその場を後にしようとした時、不意にこの場にそぐわぬ凛とした声が響いた。

「そこな人」

「……え?」

 幸太郎が振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。

「君はこんなところで一体何している?」

 美しい女性だった。

 かすかな月明かりに浮かび上がる均整の取れたプロポーションに、派手さはないがしっかりと目鼻が整った小作りな顔立ち、腰まで伸びた濡れ羽色の長髪。

 雅な美貌が月明かりにぼんやりと照らし出されて、どこか幽玄ささえ感じさせた。

 そして彼女の容貌と同じくらい幸太郎の目を引いたのが、女性の腰元に携えられた二本の刀剣だった。

 儀式用の象形文字のような文様が施された、刀というよりは剣といった形の太刀と、極限まで無駄を削ぎ落し研ぎ澄まされた形状の脇差が腰に差されていた。

「……どうした?」

 幸太郎が返事も忘れて見入っていると、女性が怪訝そうに言った。

 不審な者に対しての警戒だろう、女性の右手が脇差に油断なく添えられていた。

「ああ、いや」

「そうか、ならば先ほどの質問に答えてもらってもいいだろうか」

「えっと……なんだっけか」

「君はここで何をしているのか、という質問だ」

「何をっていっても……」

「……先ほど近くの町で少年が気を失った状態で運び込まれるという通報があり、その事情を聴くために私は参上したのだ。私が駆け付けたころにはおぼろげながら意識を取り戻していたようだったが、ひどく錯乱しているようだった。おそらく、何かとても怖いものを見たのだろう」

 女性の言わんとすることに、幸太郎は得心がいった。

 先ほど助けた少年のことだ。

「最近、この辺りではケガレモノの被害が出ていてな、その関連だと私は踏んでいるのだが、君は何か心当たりがないか?」

「……さあ」

「どんなことでも構わない、知っていることを聞かせて欲しい」

 いつの間にか女性の口調に問い詰めるような響きがあった。

 それに対して胸の中のざわつきを押し殺しながら幸太郎は口を動かした。

「別に何も……ただ俺はここを通りすがっただけだよ」

「こんな人も通らないような森の中を、どんな理由で通りがかるというのだ」

「ちょっと珍しい生き物がいて、それを追いかけているうちに」

「あまりふざけたことを言わないでくれ」

 女性の口調から遠慮が消えた。

「先ほど私が話を聞いた少年はひどく怯えたような目をしていた。可哀そうに……おそらくとても怖い思いをしたのだろう」

 女性の言葉に、幸太郎の胸のざわつきが膨らんだ。

「それにだ、最近ではケガレモノの襲撃に乗じて人を手にかける辻斬りのような犯行も確認されている……単刀直入に言おう……君はあの少年に何をした?」

「……何度も言ってるだろ……俺は何も知らない……それじゃ」

 止まらぬ詰問に、幸太郎がたまらず逃げるようにその場を去ろうとして――

「……っ!?」

 瞬間、幸太郎は喉元に冷たい感触を覚えた。視線を下におろすと、いつの間にか女性が腰に据えていた脇差を抜き、その切っ先を自身の首に突きつけていた。

 あまりの展開に幸太郎は両手を肩のあたりに挙げながら、

「……物騒じゃないか」

「私も好きでやっているわけではない」

「だったらやめてくれればいい」

「君が白状してくれればいい」

「……っ」

 いよいよ幸太郎もこの女性の振る舞いに苛立ちを感じてきた。

 どうして見知らぬ女性のここまでされなければいけないのか。

 ちゃんと事情をせ詰めしなかった自分も悪いかもしれないが、曲がりなりにも少年を助けたというのに、酷い言われようだ。

「白状も何も、さっきから何も知らないって言っているだろ」

「あの少年に何をした。応え如何では容赦はしない」

「……はあ、そうですか」

 この時ばかりは幸太郎は自身の「死なない」体質に感謝した。

 生身の状態だったら、どんなに理不尽な問いかけに対しても、無様に声を振るわせることしかできなかっただろう。

 このまま言われっぱなしのまま帰る気にはなれなくなった。

「すまない、悪かったよ。今日一日中、歩き疲れてイライラしてたんだ。俺の言い方が気に障ったんなら謝る……だから、ひとまずこの物騒な物をいったん降ろして欲しい」

 先ほど切っ先を向ける所作から、目の前の女性がただ物ではないことは理解できた。

 まずは不意を衝くしかない。

 卑怯だと思わないものでもないが、相手も不意打ちしてきてるんだからおあいこだ。

「俺が悪かったよ……あんたも、少し熱くなっているだろ、ここはお互い様ということにしないか」

「……」

 少しだけ場の緊張が緩んだ。

 そして剣の切っ先に微かな逡巡を感じて、やがてそれがゆっくりと首元から刀剣が離されるのを確認して――

「はっ!」

 幸太郎は左手で剣の切っ先を強引に掴み引き寄せた。不意を突かれた女性が幸太郎の射程距離に入り、幸太郎は彼女のみぞおちにもう一方の拳を振りぬいた。

 急所は外しているが、それでも食らってしまえば戦意が削がれてしまうくらいの衝撃を与えられる一撃だった。

「……ちっ!」

 だが不意の一撃はむなしく空を切った。

 幸太郎の左手の親指以外がすべて無くなっていた。

 女性は一瞬で掴まれた剣先のまま幸太郎の左手を切り裂き、軽やかな身のこなしで攻撃をかわしたのだ。

 女性は幸太郎から距離を取り、侮蔑のこもった声音で言った。

「卑怯者が……恥を知れ」

「お互い様だろ」

 幸太郎は既に修復を終えた左手を握った。

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