邂逅①

闇夜の林を歩む一つの人影があった。

 体躯は汚泥に塗れていて、その胸中はただ空しさだけに支配されていた。

 その人物に呼びかける声があった。

『こ…ちゃ、……い…ぶ?』

「……ん?」

 その人物は耳元のデバイスに手を添えて、声の主に促した。

「なんか言ったか、七海。ノイズ交じりで聞こえなかった」

『あ…ご…め……あー、あー、これで聞こえるかな。こうちゃん、大丈夫?怪我とかしていない?』

「まあ、なんとかな」

『そっか、良かったあ』

 声の主にこうちゃんと呼ばれた人物、嵩原幸太郎の答えに、デバイスの向こうの声の主、片桐七海が安堵しながら続けた。

『それはそうと、さっきの子、もうちょっとちゃんと説明してあげたほうが良かったんじゃない?』

「ちゃんとって?」

『だから、あの子にこうちゃんの事、説明してあげればよかったのに』

 七海の言葉に幸太郎が足を止めた。

「どういうことだ?」

「それはもちろん……」

「俺のこの体のことをあの子に教えてやれってことか?」

『え?いや、そうじゃなくて……』

「……」

 幸太郎の脳裏に、少年に手を差し伸べた時の事が脳裏に蘇った。

 幼い少年の双眸の奥。

 恐怖がそこにはあった。

 怯えた様子のまま意識を失った少年を、幸太郎はなんとか動揺を押し殺しながら近くの町に運び、そして逃げるようにその場から去った。

 それでも幸太郎の胸中に生まれたわだかまりは消えなかった。

『ごめん……無神経だった』

 謝罪しながらも、七海は言いたいことがあるようだった。

『でも、こうちゃんが優しいこと皆にわかって欲しいし、頑張って助けたんだから、お礼の一つくらいは……』

「いいって」

『でも』

「でもじゃない」

『じゃあ』

「じゃあでもない」

『……』

「あの子が助かったんだから……それでいいだろ」

 幸太郎の言葉を咀嚼するような間をおいて、やがて七海は答えた。

『……わかった』

 幸太郎は気を取り直して、再び歩き出した。

 暮れなずむ林の中に、カラスの鳴き声が響いた。

 やけに大きく聞こえたそれに、幸太郎は気まずい沈黙を感じた。

 やがて同じ心持だったのか、取り繕う様に七海が話を振ってきた。

『そういえば、服大丈夫?』

 幸太郎も微かに救われた気持ちになりながら答えた。

「ああ……これが結構やばい。出来るだけふき取ったんだけど、それでもかなり汚い」

『あたしの発明品、大丈夫かな?』

「んー」

 七海に言われて、幸太郎は装備しているデバイスを確認する。

「大丈夫みたいだ。あんなに激しくやりあったのに、使えるんだな」

『お、わかる?実はこの通信デバイス、マイナーチェンジをしたんだよ』

「ん?」

『今までは通信と受信、あとは音声の通話でそれぞれ別の部品を使ってたんだけど、それを全部ひとまとめにしたんだ。するとなんということでしょう、パーツ同士の継ぎ目が無くなって耐久性、とりわけ今こうちゃんが言った防水性に関して著しく向上したんだよ」

「あー」

 また七海の悪癖が発動してしまったことに歯噛みしながら、幸太郎は適当に相槌しながら聞き流していると、突然七海が声を荒げた。

「こうちゃん!」

「ああ、わかってる、七海はすごいな」

「何言ってるの?そうじゃなくて、うちゃんのいるあたり……ケガレモノの反応がたくさん!』

「なに!?」

 七海の言葉に幸太郎は周囲を見回した。

 それを待っていたかのように地面が黒く不気味に波打ち、先刻と同じ異形の存在が現れた。

「フシュルルルルルルル」

 ケガレモノが剣呑なうなり声をあげながら、一体、二体と次々にその姿を現していく。

 先ほど少年を助けた時のケガレモノよりもずっと小さい姿で、幸太郎の背丈ほどしかなかった。しかし、餌を前にした肉食獣のように舌なめずりする様は、それが間違いなく同質の存在であるという事を表していた。

『こうちゃん、気を付けて!』

「ガアアアッ!」

 群れの中の一匹が幸太郎の懐に飛び込み、その鋭い爪牙を突き出した。幸太郎はその一撃を身をよじって躱しながら、右腕をナイフ状に変化させた。

 死なない体、そしてその体を変化させて武器とする。

 それが幸太郎の力だった。

 幸太郎は自ら異形の存在達に向かって突進した。

 その動きに迷いはなく、一切の躊躇のないまま一瞬で距離を詰め、ケガレモノの首に右腕を突き刺した。

「グオオオオオオ」

 ケガレモノが苦悶の声を上げた。

 地ならしのような咆哮に怯むことなく、幸太郎は右手を横薙ぎに払った。異形の放つ断末魔が途切れて、どさりとその首が落ちた。

「ガアアアアア!」

 息つく暇もなく、他のケガレモノたちが幸太郎に襲い掛かる。

「くっ!」

 死角から繰り出された攻撃を幸太郎は何とか交わすが、矢継ぎ早に繰り出される追撃に、次第に回避が間に合わなくなってくる。

「ガアアアアアアッ」

 戦いにおいて有利不利を決定づける大きな要素のうちに数がある。

 体格の小さな野生動物は自身より大きく強力な生物に打ち勝つために群れを成し、相手を取り囲んで一斉に襲い掛かる。その状況ではどんな動物もひとたまりもない。

 今の幸太郎の状況はそれだった。

 やがて一匹が幸太郎の反撃をかいくぐり、その咢が幸太郎のわき腹に食らいついた。

「ぐっ!」

 幸太郎が慌てて引き離そうするが、それが不可能であることを瞬時に悟った。

 そして――

「がああああああああっ!」

 噛みついていたケガレモノを

 余りの激痛に落ちそうになる意識を必死に手繰り寄せながら、何が起こったのか分からず幸太郎の腸を加えたままのケガレモノに右腕を降り下ろした。

 そいつが絶命したことを確認して、幸太郎の気迫に怯む他のケガレモノたちに向かって突進した。

「うおおおお!」

 やがて最後の一匹の息の根を止め、幸太郎は何とか危機を脱した安堵でその場に座り込んだ。

「はあっ……はあっ」

 一息ついて、幸太郎はようやく耳元で七海が必死に呼びかけているのが聞こえた、

『こうちゃん!ねえ、返事をして、こうちゃん!』

「……大丈夫だ」

『そ……そっか、良かったあ……』

 ようやく手にした返答に安堵している七海だったが、そんな彼女に対して幸太郎は説くように言った。

「あのなあ、七海」

『え?』

「そんな心配しなくても大丈夫だって」

『……』

「どうせ俺は死なない」

 そう言いながら、幸太郎は先ほどの傷口に目をやった。

 内臓ごと食いちぎられたはずのわき腹は今では何事もなかったかのように再生していた。

 その光景を、改めて幸太郎は脳裏に刻んだ。

 それは幸太郎の罪の証だった。

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