邂逅③
「はあっ!」
気合と共に、幸太郎は自身の右手を硬質化させた。
不死の体と変化を応用した、肉体の強化だ。
女性に向かって踏み込み、硬さと重さを載せた一撃を放った。
「ふっ!」
その一撃を女性が剣で受け流し、逆に流水のような反撃を幸太郎に見舞った。
幸太郎はその斬撃を体で受けながら、続けざまに一撃を放つ。しかし、それも彼女の華麗な剣捌きによって受け止められ、更なるの反撃が幸太郎を襲った。
「……ちっ!」
容赦なく襲い掛かる痛みをかみ殺して、幸太郎は再び拳を振りかぶった。
宵闇のような漆黒の拳と、月のような銀色の刃が交差する。
たった数合の間でも、両者の実力差は明らかだった。
女性の洗練された動きに対して、幸太郎は力任せの無様なそれで、幸太郎の体には次々と鋭い刀傷が作られ、辺りには血風が渦巻き、血だまりが生まれていった。
攻撃の合間に、不意に女性が呟いた。
「どうなっている……君の体は」
「……何が?」
「この数合で君には致命傷を与えているはずだ。そもそもなぜ君は左手を使えている?」
「さあ、どうだろう」
「まあ、異形が蔓延る世の中だ。何が起きてもおかしくはないが……はっ!」
言い終えると同時に、女性の刃が再び幸太郎に届いた。上むきに振り上げられた太刀筋がそのまま幸太郎の体のど真ん中に深い傷を刻んだ。
「……ぐあっ!」
痛恨の一撃に幸太郎はたまらず苦悶の声を漏らしながら踏鞴を踏んだ。
女性の腕前もそうだが、彼女の剣も相当な業物だ。
あわや一刀両断されそうだった、
しかしそんな傷も不死の体は瞬く間に再生し、それを目の当たりにした女性が目を細めた。
その視線に、幸太郎の忌まわしき記憶が呼び起こされる。
助けた少年の自身を見る目。
この世のものではない物を見る目。
怯え、恐れ、忌む目。
「……へ、なんだよ……もう終わりか」
幸太郎の中に黒い感情が湧いて出て、それが意志を持ったように幸太郎の口を動かした。
「いきなり切りかかってきておいて、そっちから戦意喪失なんてえらく勝手じゃないか」
幸太郎はもう、女性をこのまま何もなく返してやるつもりなど無くなっていた。
先ほどからの無遠慮な振舞い。
身も心も蹂躙されて、ただで済ましてなどやるものか。
戦力差は圧倒的だが、それでも女性は人間で、こっちは不死の体を持っている。
このまま肉も骨も切らせ続けていれば、いつかは女性は体力を失う。
そうなれば、こっちのものだ。
一発思い切り打ち込んで、鬱憤を晴らしてやる。
そう意気込む幸太郎だったが、徐に女性が呟いた。
「仕方がないな」
そして今まで使っていなかった方の太刀に手をかけ構えを取った。
居合の構え。
納刀した状態から抜刀に移る際の、静から動への切り替わりの瞬発力を一瞬の太刀筋に込め、その勢いのまま流れるように納刀を行う、一撃必殺の型。
通常の武術というのは既に抜刀、展開した状態を前提として構築されているものだが、武器を収めた状態を含めた一連の動作を「居合術」という戦術として扱っている物は、世界でも他に類を見ないという。
しかしその一見すると隙だらけのように見える技術の中には、先人たちの技術と理論が詰め込まれているのだ。
それを証明せんと、目の前の女性はまるで闇夜の静寂に完全に同化したように静かに佇んでいた。
「……受けて立ってやるよ」
敵の圧倒的な所作の前でも、幸太郎には余裕があった。
仮に居合の一撃を受けて体が吹き飛んだとして、幸太郎の肉体は瞬時に元通りになる。
そして居合の構えは一撃必殺であるがゆえに、一撃で仕留められなかった時のことは度外視している。
つまり、あの構えは幸太郎にとってひどく相性が良いのだ。
「はあ!」
幸太郎が女性に向かって踏み込んだ。
尚も静謐さを崩さない女性に、幸太郎はスローモーションになったような感覚になった。
徐々に自分と女性の距離が縮まっていき、遂に幸太郎が間合いに入た瞬間――
「――ツムガリノタチ」
「……っ!?」
瞬間、まるで冷たい風が吹きつけたような感触が走った。
目にもとまらぬ斬撃が幸太郎を襲い、体の一部を失った感覚。
そしてそこから齎された激痛という情報から、幸太郎は自身が右腕を切り落とされたことを理解した。
それに構わず幸太郎は肉薄する。
「うおおおおお!」
身体欠損によりバランスを崩した体を強引に引き直し、幸太郎は残っている左拳を硬質化させて女性に向かって叩きつけた。
「ぐっ!?」
その一撃は、いつの間にか女性が抜いていたもう一方の刀剣に阻まれた。
銀色の刃の向こう側から、女性が突き刺すような視線を幸太郎に投げかけていた。
その冷たい瞳に対して、幸太郎は熱い叫びを叩きつけた。
「甘いんだよ!」
ここまでは織り込み済みだった。
片手を防御に回していては、復活させた右手を防ぐことが出来ないはず。
幸太郎は再生と攻撃に、右腕に全神経を集中させて、
「くらええええええええ……っ!?」
――無様に頭を地面に叩きつけた。
「が、がはあ!?」
何が起こったかわからず、幸太郎は地面に顔を埋めながら喘いだ。
しばらく口の中の泥を咀嚼しながら、ようやく自身の身に起きた異常を認識した。
右腕が再生しない。
幸太郎の右肩は痛みを主に伝える以外の機能を失い、血の噴水と化していた。
「な……なんで……?」」
血だまりに溺れながら、幸太郎は必死に思考した。
今までどんな傷を負っても、内臓がつぶれようと、それこそ今のように四肢が欠損してもたちまち直ってきたはずの傷。
それがなぜ。
前後不覚で思考すらまとめられずひれ伏す幸太郎の視界の隅に、不意に足先が見えた。
幸太郎が無理やり首をねじって仰ぎ見ると、女性が見下ろしていた。
女性が幸太郎に向けて刀剣の切っ先を向けた。
「あ……」
「終わりだな」
幸太郎は自身の敗北を悟った。
「何か言い残すことは?」
吐く言葉もない代わりに幸太郎は改めて女性を見上げた。
美しい女性だと思った。
月明かりを背負った彼女は神々しさすら感じた。
それはまるで最後の審判を行う神のようだった。
そんな場違いな感慨にふける幸太郎に、女性は突きつけた剣を翻して、
「……え?」
静かに鞘に納めた。
「な、ど、どうしたんだよ急に」
狼狽える幸太郎の問いを無視して、女性は踵を返した。
「このまま、俺を放っておいていいのか?」
「……君が通り魔ではないことはわかった」
「な、何を根拠に」
「目を見ればわかる」
「なんだよ、それ……そんなの根拠にならないだろ」
女性の背中がどんどんと小さくなっていく。
そんな後ろ姿に、幸太郎は食い下がった。
「いいのか、俺みたいな危険なやつを放っておいて」
返事はない。
「通り魔じゃなくても、見ただろ俺の体」
返事は帰ってこない。
「ここで俺を生かしておいていいのかよ!」
唐突に女性が立ち止まって、背中を向けたまま問いかけた。
「君は、死にたいのか?」
「……え?」
急な返答に幸太郎は間抜けな声を上げた。
女性が無感情に続ける。
「どうしてそうまでして死にたいんだ?」
「……別に俺は死にたいわけじゃない。ただ、あんたが急に剣を収めたのが理解できなくて、その理由を聞きたいと思っただけで……別にそこに意味なんて……」
「そうか……それならば逆に教えて欲しい」
女性が振り返った。
刃のような澄み切った一対の瞳に幸太郎は射すくめられた。
「君はあの時……私に腕を落とされた時」
その双眸に、心の底まで見抜かれているようだった。
「なぜ、あんなにも救われたような顔をしていたのだ?」
「……っ!」
それは決して責めるような言葉ではなかったが、幸太郎でも気づかない心の内を暴きだした。
「俺は……」
彼女に。
死を与えてもらいたかった。
幸太郎が過去に犯した罪。
決して忘れてはいけないはずの罪、逃げてはいけないはずの業。
その贖罪としての死を目の前の女剣士に求めていたのだ。
先ほどまでの女性に対する怒りは、そんな自分の本心を見透かされてると感じたからだったのだ。
「……君に何があったのかは知らないが……」
もはや言葉を発することもできない幸太郎に女性は淡々と告げる。
「君は死なない体を持っているのかもしれないが、心が死んでいる。だから、私の剣では君を殺すことは出来ない……死人を殺すことは出来ないからな」
そう言い残して女性は歩き出し、ついにその姿は森の中に消えていった。
幸太郎はそれを黙って見送ることしかできなかった。
今まで酷使してきた体が反旗を翻したかのように全身が強烈な脱力感に襲われて、幸太郎の意識は闇に沈んでいった。
耳元では自身を案じて呼びかける聞きなれた声が絶えず響き続けていた。
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