闘争②
先に仕掛けたのは凜だった。
眼にもとまらぬ上段斬りが剛毅を襲った。
金属が打ち合う甲高い音が響き、ギリギリと硬質の音が鳴る。
その手ごたえに凜が恍惚とした表情になる。
「ああ、やっぱり真剣同士が打ち合う感覚は良いです……竹刀じゃあ決して味わえない感触。これが私の求めているものです……ねえ、おじさんもそう思うですよね?」
凜の問いに剛毅が凜を黒剣ごと押し戻した。
思惑通りといった風に笑う凜に剛毅が怒りを声に乗せていった。
「本当に、そんなことのために人を斬っているのですか?」
「そうですよ、さっきから散々そう言ってるじゃないですか、お兄ちゃんもそうだけど、同じことを何回も言わせないでくださいです」
「……貴様!」
「あはは!いいですよ、どんどんやる気を出してくださいです!」
再び凜と剛毅が剣戟を交わす。
剛毅の戦いは明らかに強者のそれであった。
積み重ねた年齢を感じさせる無駄のない動き。身体的な活力は衰えてきているはずなのに、それをものともしない、まさに年季の入った強さだ。
対する凜は、躍動的でかつ流麗だ。
剣道の世界で敵のいなかった彼女は、真剣でもなお健在だった。むしろ、幸太郎の記憶の中の動きよりも生き生きとしていた。
何よりも躊躇がない。
生身の相手を斬るという行為は、人の行いの中で最も重い行為の一つだ。
相手の痛みを想像し、そしてその先に待つ死という現象を、自分が引き起こすという事実。
それは容易に使い手の剣裁きを鈍らせる。
剛毅は村人を傷つけられた義憤に駆られてはいるが、しかし目の前の敵を斬るということに躊躇いが見え隠れしている。
実力とは別次元の差が二人の間の決定的な差だった。
「はあ!」
「……くっ!」
趨勢は凜に傾いていた。
剛毅の動きからはキレがなくなり、徐々に防戦一方になっていく。
凜が不満そうな顔で言った。
「ちょっとおじさん……もしかしてこの程度ではないですよね?」
剛毅は凜の挑発を見切っているのか、返答をしなかった。
しかし、凜はそれを察しているようだった。
「私、知ってるです。おじさんはすごく大切な人がいるんですよね……ほら、あの小さな女の子」
剛毅が目を瞠った。
「ここであたしをもし倒さなかったら、あたしはその子も殺すです……」
「……!」
凜の言葉に、剛毅の剣から迷いが消えた。
今まで技術のみだった剣裁きに、力強さが加わる。
怒涛の連撃に始めて凜が焦りを見せた。
「く……」
「あなたは踏み越えてはいけない線を越えました……もう容赦はしません」
「はは、まだ手加減してたってことですか。なら、ここからが本番ってことですね」
「あなたは若い。間違いを犯すことがあるでしょう、しかしそれでも、ひなは私のすべてだ。それを害するというのなら……命を頂戴するほかない」
「受けて立つです……うあっ!」
剛毅がひときわ豪快な一太刀を凜に浴びせる。
凜はそれを何とか防ぐが、重く体重のかかった一撃にたまらず姿勢を崩した。
「これで……終わりです、あの世で反省しなさい」
剛毅はとどめを刺さんとフツノミタマを上段に高く掲げた。
先ほどの一撃で凜はまだ体制を立て直すことが出来ず、それを見守ることしかできなかった。
その光景に幸太郎は、
「凜!」
幸太郎は思わず駆け出した。
剛毅は最後の一撃を凜に向かって振り下ろした。
肉を切り裂く、耳障りな音と共に辺りに血飛沫が飛び散った。
「う、うああ」
妹の惨状を目にした幸太郎は思わず崩れ落ちた。
せっかく見つけたと思った唯一の家族の命が失われた。
余りにあっけない幕切れ。
村長としての責務を果たした剛毅はそのフツノミタマを鞘に納めた。
そして憐れみを含んだ視線を凜に投げかけ、踵を返そうとして――
「おじさん、油断大敵です」
凜が動いた。
「何っ!?」
剛毅が反応するより先に、凜の下からの切り上げが剛毅を深く切り裂いた。
「がはっ!」
剛毅の口から鮮血が溢れた。
「ば、ばかな」
「私がいつ負けたって言ったですか?これくらいで私が死ぬと思ったですか?」
何が起こったのかわからないといった剛毅に凜が立ち上がる。
凜の体は既に元通りに再生していて、それは自然界では到底あり得ない治癒力だった。
それを目の当たりにした幸太郎は確信した。
「凜……お前も」
「ふふ」
膝をつき青息吐息の剛毅の悠然と凜が近づいていった。
「おじさん、途中まではいい感じでした。でも、所詮は甘ちゃんでしたね。私を殺しきる覚悟が出来ていなかったです。私が生き残れる余地を残して戦いを終わらせようとしたです」
得意げだった凜の表情が落ち込んだ。
「結局、私の退屈は満たされなかったです……もう、ここには用はないです」
突然、凜の目の前の空間が波打ち、亀裂が入った。
そして闇が蠕動しているかのようなその裂け目の中に凜が入っていこうとして、
「凜!」
幸太郎の呼びかけに応じることなく、凜は虚空の向こうへ消えていった。
その場に残され喪失感に襲われながら、幸太郎は同じく残された者の存在を思い出し、駆け寄った。
「剛毅さん」
「……幸太郎君」
「剛毅さん、しっかりしてください剛毅さん」
剛毅の体に肩を回し抱え起こす。
凜にやられた傷はかなり深く、今も血がとめどなく流れていて、さらに穢れを受けていてた。
それは剛毅の運命を物語っていた。
剛毅はもう、助からない。
その事実を認識して、幸太郎は言葉を失ってしまった。
どうしてこんなことになってしまったのか。
凜と再会できたと思いきや、彼女を連れ帰ることはかなわず、さらには恩人と呼べる人の死に目に会っている。
「俺の……せいです」
罪悪感が幸太郎を支配した。
「俺が、この村に来たせいで……剛毅さんは」
「言ったでしょう……幸太郎君が来てくれたからこそ山神は倒せた。あの女の子だってもうこの場にはいない……君は、この村を助けたんだ」
「でも剛毅さんは、こうして」
「そんなはずない、俺のせいなんです」
剛毅が被りを振った。
その動きだけでも、命が漏れ出してしまいそうだった。
自分の不死が恨めしかった。
何をされても生き続けるくせに、目の前で息絶えようとするものにそれを分けてやることができない。
なんて無駄で無能で、虚しい。
生きるなら、剛毅のように高潔な人間が生きるべきだ。
人を巻き込んで意地汚く生きていくのは、自分だった。
そんな幸太郎の内心を察したように、剛毅が徐に口を開いた。
「君の体は……人を助ける力を持っている……困っている人を助けられる」
「え?」
「どんな高い志があっても、死んでしまえばおしまいだ。しかし、君は生き続けられるのでしょう。だったら、たくさんの人と関わり、そして助けることが出来る」
不意に剛毅が申し訳なさそうな顔をした。
「だから、そんな幸太郎の強さを少し分けてほしいことがあります」
「どういうことですか?」
「あの子を……ひなをお願いします」
剛毅が真っすぐ幸太郎を見据えた。自分の心を、目を通して見てほしいという様に。
「……わかりました」
幸太郎は剛毅の手を握った。
「ひなのことは任せてください……」
「ありがとう」
安心するように剛毅が笑った。
見覚えのあるやさし気な笑皺が浮かび、その皺が続く瞼が、まるで眠るようにゆっくりと閉じられた。
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