恩師

 七海とのやり取りの後、自室に戻ることにした幸太郎は見慣れた玄関前に立っていた。

 神社の鳥居のような入口のその上部に「嵩原流剣術会館」と達筆な字で記された標札が掲げられている。

 敷居を跨ぐと、小学校の校庭くらいの空間が広がっていた。すぐ先のほうに道場が見え、その左手に築年数は立っているが気品のある木造の家屋が立っていた。

 これが幸太郎の自宅であった。

 幼い頃に幸太郎は両親をケガレモノの襲撃によって失ってから、親類縁者がいなかった幼い兄弟をこの道場の師範が拾ってくれてから、ずっと世話になっている。

 一週間空いただけ、むしろその間は眠っていたのだからそんなことはないはずなのに、なんだかとても久しぶりに帰ったような気になっていると、不意に後ろから聞きなれた声が聞こえた。

「幸太郎君」

 声のした方向に幸太郎が振り向くと、そこには袴姿の人物が立っていた。

「……義之さん」

「幸太郎君……目を覚ましてたんだね」

 嵩原義之。

 幸太郎の養父であり嵩原流剣術道場の師範である男は、武道の達人とは思えないくらいの柔和な表情で笑いながら、しずしずと歩み寄って来た。

 彼の出で立ちは一言でいうと優男風で、なおかつとても若々しかった。幸太郎たちを引き取ってから十年は経っているがまったく老いというものを感じず、どこか浮世離れした印象があった。

「体は大丈夫?」

「はい、七海が助けてくれました……まあ、少し驚きましたが」

 言いながら幸太郎は機械になった右腕を掲げ、開いた手の指を動かして見せた。

「へえ……彼女は相変わらずすごいことをするね」

「まさか自分が七海の発明の実験台になるとは思いませんでした」

「はは、そんな言い方しちゃいけないよ」

「すみません、でも七海の奴、急に目を輝かせたと思ったらマシンガンみたいにこの腕の説明をしてきたんですよ?色んな意味で衝撃的でした」

「眠り続けてた体がいい具合に目覚めてよかったじゃないか」

「まあ、そういう考えも出来るんですかね……」

 義之とはこんな人間だった。

 無理に聞き出そうとはせず、こちらが話せばいい具合に相槌を打ってくれる。人見知りの七海も義之には心を開いていて、今幸太郎がしているような他愛ない愚痴を七海も義之にぶつけているみたいだ。

 何よりも身寄りのない自分を本当の親同然に育ててくれたこと。

 困ったことがあった時はそれに対して全力で手助けしてくれ、それはもちろん幸太郎たちだけでなく道場の他の生徒たちにも分け隔てない。

 そんな義之は幸太郎にとって憧れで、気づけば彼のような人間になりたいと思うようになっていた。

 義之の存在は幸太郎の心の礎なのだ。

 急に黙り込んだ幸太郎に、義之が心配そうに尋ねた。

「大丈夫かい?やっぱりどこか体調が」

「ああ、いえ全然平気です」

「ならよかった……それで」

 義之がやや改まった表情になった。

「あれは……まだ続けるつもりかい?」

 それが何を指すのか幸太郎にはすぐわかって、それに対する答えもすぐに口から出た。

「はい、もちろんです」

「そうか……」

 義之は悲し気に目を伏せた。

「何度も言うようだけど、あれは君の責任じゃない……事故だったんだから」

「でも、少なくともきっかけを作ったのは俺ですし」

「それだって……」

「それに」

 幸太郎は義之の言葉を遮る用意して続けた。

「それに、あいつは……凜は俺の妹だから……たとえ責任がなかったとしても、兄貴が助けるのは当然だと思うんです」

 幸太郎の言葉に義之は微かに目を瞠って、

「……確かに、その通りだね」

「はい」

 幸太郎が視線をあげると、義之の視線とかち合った。

 幸太郎よりも上背のある義之から降り注ぐ視線には自身を案じる光が煌めいていて、その色はまさに。

「もし辛くなったら、いつでも僕を頼ってほしい……僕は君の父親なんだからね」

「……ありがとうございます」

「うん」

 結論が出たことで場の雰囲気が緩まり、義之もいつもの柔和な表情になった。

「引き留めちゃって悪かったね」

「いえ、俺も義之さんと話せてよかったです」

 恩人に見送られながら、幸太郎は義之が最後に言った言葉を反芻していた。

 父親。

 血がつながっていなくとも、義之は幸太郎の父親であり、幸太郎は義之の息子だ。

 その愛情に触れて、幸太郎は胸にツンとした痛みを覚えた。

 それは不快な物ではなく、愛情に触れた、暖かな痛みだった。

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