出立

 幸太郎はまばゆい太陽の照り付ける峠道をバイクで走っていた。

 安全重視のゆっくりとした速度で二輪を走らせて、山の斜面とは反対側から見える景色を眺めていた。

 集合住宅や一般家屋、スーパーなどに繋っている道をたくさんの人たちが歩いていて、中心にある駅を電車が横切っていた。

「まあ……見た目は平和そのものだよな」

 幸太郎の住む国が長く続けてきた鎖国を解き、海外から様々な技術や資源が流入するようになってから百年余り、人々の暮らしは格段に利便性を増していった。

 最初は自国以外の万を使うことに抵抗を示していた国民も、次第に古くからの形式よりも、豊かになっていく未来を選ぶようになった。

 そんな社会が、一変する事態が起きた。

 ケガレモノという異形の出現。

 何の前触れもなく現れた未知の脅威によって人々の暮らしは新たな不安に包まれることになった。生産物は荒らされて経済は崩壊し、人命はどこからともなく運ばれる暴力に踏みつぶされた。

 そして何よりも国民にとって痛手だったのが、それまで盛んに国交を行っていた外国が、この国に現れた正体不明の存在の危険性を理由に、手のひらを返したかのように圧力をかけ始めたのだ。

 それによって物価の乱高下や治安の悪化、挙句には人身売買などが発生し、人々の心は再び国の内側にこもるようになった。

 やがて国民の不満は爆発し、それは当時の国家の指揮を執っていた国家の元首に向かうようになった。

 そのような国民の暴動に耐えかねたのか、国家元首の血筋の人間は姿を消し名実ともに国家は海外の手に落ちてしまったというわけだ。

 海外の支配によって、一つ新たな物が生まれた。

 それはケガレモノを討伐する警察機構、通称異形討伐機構。

 新たな組織の発足により人々の生活の安全性――もちろん個人単位で見ればケガレモノの脅威は増すばかりであったが――は少なからず持ち直していた。

 それら紆余曲折を経て取り戻した人々の暮らしを、幸太郎の眼前の風景は立派な一枚の絵画のように表しているようだった。

 感慨深い風景を横目に、

「……で、なんでお前はついてきたんだよ」

「え?」

 背中に柔らかな感触を感じながら、幸太郎はあくまで冷静に尋ねた。

「だから、今の状況の説明をしてくれ」

「ああ、えっとね、この峠を越えた先に、古き良きって感じの村があるらしいんだけど、そこは昔から異形に襲われることが多いんだって。それで最近もまた襲撃があったらしいんだけど、普段見ない個体がいたらしくれ」

 見当違いの返答に幸太郎は思わずため息を吐くが、背中の人物はそれに気づく様子もなく、

「残念なことに、詳細な見た目に関しては調べがつかなかったんだ。ただその個体が発見された時期は、凛ちゃんの事があった時の後に起きているみたいだから、調べてみる価値はあるかなって……ねえ、こうちゃん、聞いてるの?」

「いや、なんでお前がいるんだよ、七海!」

「ふわっ!」

 後ろの七海が驚いたせいで、車体が傾いだ。

「ちょっと、こうちゃん!峠道なんだから気を付けないと」

「いや、そうじゃなくて!なんで、お前が後ろに乗ってるんだよ!」

「何言ってるの、このバイクは私の発明なんだよ」

「そうだけど……それとこれとは話が違うだろ!」

 話がかみ合わないので、幸太郎は余計な質問はやめにした。

「なんでついてきたんだよ、お前はいつも遠隔からデバイスを通してアシストしてくれるのがいつもの俺たちだったじゃんか」

 幸太郎の言葉に、七海はさっき説明していた時の勢いを萎ませて、今にも消え入りそうな声で言った。

「だって、こうちゃんが心配なんだもん」

「でも、お前がついてきたってできることなんか……」

「そういうことじゃないの」

「……え?」

 背中の感触が強くなった。

「この前、本当に不安だった。こうちゃんから返事が来なくなって、もしかしたらこうちゃんがもう戻ってこないんじゃないかって」

 唐突に思いの丈をぶつけられて、幸太郎は答えることもできず、ただ背中越しの暖かさと、微かに伝わる悲し気な鼓動を感じた。

「デバイス越しってすごく不安なんだよ。声は聞こえても実際に何が起きているかわからないし、わかったとしても私が直接何かをしてあげられるわけじゃなくて……ただ歯がゆくて」

「……七海」

「だからお願い、私もつれて行って」

 七海の両腕の力が強まった。それは無くしてしまったものを見つけ出して、今度こそ無くすまいと固く大事にしまい込むかのような、そんな力の込め方だった。

 幼馴染の言葉に、幸太郎はようやく知った。

 それは、残される側の気持ち。

 幸太郎の思いもよらないところで、自分は七海に心配をかけていたのだ。

 そんなことも気づかなかった自分に、幸太郎は今更ながら忸怩たる思いになった。

 そして、答えた。

「わかったよ」

「……ほんと?」

「でも、危ないことはしないって約束してくれ、それだけは絶対に俺の役目だ」

「うん、約束する!ありがと、こうちゃん」

 和平交渉が締結して、七海は嬉しそうに声を弾ませた。

「それにしても、こうちゃん、運転苦手だよねえ」

「ほっとけ」

「えー」

 意外なほどあっさりいつもの調子に戻った七海に幸太郎は憮然としながら、

「とりあえずお前の言う通りだから、集中するために少し大人しくしててくれ」

「大丈夫だよ、いざとなったら私がいるから」

「無理だろ」

「じゃあ、この状態で手伝うよ……うわっと!?」

「うお、おい、何すんだよ」

 どう手伝おうとしたのかわからないが、七海が立ち上がったせいで車体が大きく傾いだ。

「だ、大丈夫、私がいるから、心配……うわあ」

「いいから、そういうのいいから、じっとしててくれ」

「でも、せっかくついてきたんだから何かしないと……ああっ!?」

「お、おい、まじでやめろって!」

「でもお」

「でもじゃない!」

「じゃあ」

「じゃあでもない!」

 バイクがまるでスキーをしてるみたいに蛇行する。スキーだったらかなりのテクニックだが、バイクだったら死と隣り合わせだ。

 そんな状態なのに、何が七海をそんなにも駆り立てるのか、手伝うと言ってきかずに未だに背中でごそごそやっている。

 やがて危険なドライブは終わりを告げた。

「あ……」

 幸太郎は視界の端に一本の標識が通り過ぎるのを見て、一瞬遅れてそれが急カーブ注意を標すものだと理解した瞬間――

「「うわああああああああああああ」」

 二人は勢いよくガードレールを突き破った。

 重力から解放された浮遊感の中、幸太郎は必死に身を捩りながら七海の体を庇うように抱きしめて、青々と茂る木々の間に落ちていった。

 

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