奇跡
幸太郎は村道を走り抜けていた。
「こちらです!」
目の前の従者を追いように一心不乱に足を動かす。
数刻前、幸太郎の自室に従者が慌てた様子で伝えてきた。
『七海さんが、穢れを受けました』
突然の報告で混乱しながらも、最悪の予感に急かされるように部屋を出た。
走りながら幸太郎は自分が最後に七海に浴びせた言葉を思い返していた。
今まで懸命に支えてくれた七海。
彼女に対して自分のはいた罵詈雑言。
それが今生の別れになってしまうことだけは嫌だった。
目的の場所にたどり着いて従者が立ち止まった。
そこは剛毅の屋敷だった。
「こちらです」
「七海!」
部屋に入ると、中央のベッドに七海が横たわっているのが見えた。
「七海、おい!」
七海の体は穢れによって黒く染まっていた。
一目見て、彼女の容態が理解できた。
幸太郎は七海の体を抱き起した。
「七海、おい七海!」
七海が目を開けて朧げな瞳を幸太郎に向けた。
「……あ、こう……ちゃん」
「七海……お前、一体何が……」
「えっと……ごめんなさい」
「ごめんって……」
「馬鹿だよね……本当、あたし馬鹿だなあって」
譫言のようにしゃべる七海に、
「とにかく、あんまり喋んなくていい……出来るだけ安静にするんだ」
「良かった……こうちゃんが来てくれて」
「そんなの、当たり前だろ」
「……やっぱり、こうちゃんは優しいなあ」
意図が分からず呆ける幸太郎を見て、七海はおかしそうに微笑んでからとつとつと語りだした。
「私……本当に昔から何もできなくて。ずっとひとりぼっちで……いつもいつも寂しくて、私の生きてる意味ってなんなんだろうってずっとかんがえていたの……そんな時に、こうちゃんと、凜ちゃんが現れたの」
まるでそこに思い出が映像として流れているかのように、七海は空中をぼんやりと見つめていた。
「二人と一緒にいて……色んな所に遊びに連れてってもらって……人生で初めて、楽しいってこういうことなんだって……だから、凜ちゃんが……あんな風になって……こうちゃんが凜ちゃんを助けるって言った時に……」
七海が言い淀んだ。
「私ね、凜ちゃんを助けることを迷っちゃったの……このままずっとこうちゃんと二人っきりでいられるのなら、そっちの方がいいかもって思っちゃったの……最低だよね……自分でも本当に最低で嫌な女なんだよ」
七海の言葉に幸太郎の中で、凜に言われた言葉が蘇った。
『それにね、お兄ちゃん。私からすれば、お兄ちゃんは今更何言ってるって感じです。だって今までお兄ちゃんはずっと私と出会わないように動いていたのに』
それを七海に伝えた時の七海の反応。
「七海……お前、もしかして」
幸太郎の問いに七海は小さくうなずいた。
その事実に幸太郎は後頭部を殴られたかのような衝撃を受けた。
思い当たる節が無かったわけではない。
凜の事件が起きてから凜の事を探し回っていたのに、手がかり一つすら見当たらない。
凜が関わっていたと判明した、ケガレモノに乗じた人斬りについても探したことはあったが、それも空振りばかりだった。
それは意図的に七海が幸太郎と凜を出会わないようにさせていたのだ。
言葉を失った幸太郎に、七海は自嘲しながら、
「だからね……あの時、こうちゃんが言った言葉は……間違いなんかじゃないの……」
辛そうに七海が顔をゆがめた。
幸太郎の胸にも痛みが走った。
「こうちゃんが苦しいのも、辛いのも、死にたいって思うのも全部わたしのせいなの……だから……これは、ずるい最低な私に対する当然の報いなんだよ」
「何言ってるんだよ……そんなわけないだろ」
幸太郎は今までの自分の行いを振り返った。
それまでは危険であるから遠隔で指示していた七海が、今回強引に同行して来たこと。
今しがた聞いた、七海が単身で凜に戦いを挑んだこと。
それらは全て幸太郎の自分勝手な行動によって生み出された悲劇だった。
たとえ七海にどんな意図があったにせよ、そんな風に巻き込んだのは自分だ。
幸太郎は自分が情けなくて仕方なかった。
思わず幸太郎は七海の手を握りしめた。
「ななみ……俺……ずっとお前に、心配ばっかかけて……」
「ううん、……こうちゃんは悪くないよ、それは絶対に、そう」
握り返す感触の余りの弱さに、七海の命の炎がもう幾ばくもないことを表しているようだった。
七海は最後の力を振り絞るように、続けた。
「でも……一つだけ……聞いて欲しい……ことがあるの」
七海の瞳が潤んだ。幸太郎も自身の視界が滲んでることに気付いた。
「どうして死なせてくれなかったって……こうちゃんに言われたこと……」
「それは……あんな言葉、気にしなくて……」
「こうちゃんが死にたいって、辛いって、苦しいって思ってもね……それでもね……」
七海の双眸から涙が溢れた。
白い頬を伝って、小さな雫が抱きかかえた幸太郎の腕に落ちた。
「それでも……私は……こうちゃんに、生きていて欲しかったの……」
「……っ!」
幸太郎の頬からも涙が落ちた。それが七海の頬に落ちて、彼女の流した涙の筋道を辿った。
「大好きなこうちゃんと、これからも、いつまでもずっと一緒にいたかったの……」
「七海っ……!」
「こうちゃん……けほっ、こほっ!」
「七海!」
苦しそうに咳き込みながら七海は小さく笑った。
「こうちゃんの手……あったかいね……」
「わかった、わかったからこれ以上しゃべらなくていい」
「あたしが言うことじゃないけど……凜ちゃんの事、お願いね」
七海の言葉に剛毅との最後の瞬間が蘇った。
それと同じ運命が七海を待ち受けているというかのような予感に、
「ばかやろう、そんなことがあってたまるか」
抗う様に幸太郎が叫ぶが、七海の手はもう握り返してこなかった。
「おい、七海!くそっ!くそっ!」
まただ。
結局、不死身の体なんてなんの役にも立たない。
自分ばっかり勝手に助かって、誰かを助けるなんてできやしない。
自分の事をこんなにも心配してくれた、昔からずっと傍にいてくれた女の子を救うことができないなんて。
「七海……っ!」
幸太郎は七海の手を強く握った。
七海を助けたい。
彼女の体を蝕む穢れを消し去りたい。
ただそれだけを願う。
どんな存在でもいい。
神でも、悪魔でも良い。
ただ、目の前の死にゆく幼馴染の命を救える力を俺にくれ。
――すると。
「え……?」
突然、幸太郎の握っている両手が光りだして、それが七海の全身に伝播していき、まるで闇を浄化するかのように彼女の穢れを消し去った。
「こ、これは、一体……?」
理解不能の減少に幸太郎は狼狽する幸太郎だったが、やがて握っている手のひらの中から微かな反応を感じた。
「七海?」
呼びかけに答えるように、七海はゆっくりと目を開けた。
「あれ……こうちゃん、私……どうしたんだろ?」
言いながら、七海は体を起こした。
その仕草は先ほどまで不治の傷を負っていたとは思えないほどしっかりとしていた。
七海がどこかのんきな表情で辺りを見回した後、幸太郎の顔が近くにあることに気付いて、
「こ、こうちゃん、その」
「あ、ああ」
弾かれるようにお互い距離を取る。
気恥ずかしさをごまかす為に七海が言った。
「一体何が起きたんだろ?」
「わからない……わからないけど」
ようやく冷静になった幸太郎が、
「でも、助かったんだよ……良かった」
「……うん」
「良かった……本当に、よかった」
「こうちゃん……」
七海が助かったという事実をようやく確信出来て幸太郎は安堵した。
そしてゆっくりと立ち上がった。
「こうちゃん?」
「……七海、本当に、今までたくさん心配かけてごめん」
「……ううん、それを言うなら私のほうこそ、ごめんなさい」
またぞろ表情を落ち込ませる七海に幸太郎は被りを振って答えた。
「全て俺がきっかけなんだ……あの日、凜がいなくなった事件」
たくさんの人を巻き込んだ。
七海は元より、村の人や、その他の人たち。
全て自分が中途半端だったから起こした悲劇だ。
しかし、それももう今日までだ。
「俺が、終わらせる……凜を連れ戻す」
幸太郎の決意に、七海は少しだけ逡巡したようだったが、やがて。
「……うん」
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