暗雲
再び村で生活を初めてから数日後、幸太郎は七海と共に剛毅の遺体の前で手を合わせた。
幸太郎は腰元にフツノミタマを差していた。
剛毅と対面するのに、それを身に着けていることは、彼との約束を果たしていることの証明であると考えていたからだ。
心の中でひなとのことを報告し終えて幸太郎は立ち上がった。
七海と二人、無言で歩く。
村の道はもうほとんど覚えてしまった。今向かってる場所にも、この村に初めて来たときの半分以下の時間で着く事が出来るようになっていた。
やがて幸太郎は剛毅の屋敷へたどり着いた。
扉をノックすると、すぐに扉が開かれ見覚えのある顔に出迎えられた。
従者だった。
「こんにちは、幸太郎さん、七海さん」
「こんにちは……今日もお邪魔して大丈夫ですか」
「もちろんです、どうぞあがってください」
従者に促されて家に上がり、ひなのいる部屋に向かった。
幸太郎は一度呼吸を整えてから、部屋のドアをノックした。
返事は無かった。
もう一度ノックをして、
「ひな、いるか?」
「ひなちゃーん」
七海も一緒に呼んでみるが、返事はなかった。
侍従に目配せすると彼が頷いたので、扉をゆっくりと開いた。
そこは剛毅とひなが暮らしていた今だった。
数日前に初めて入った時とほとんど変わらぬ状態で、畳ばりの和室に本棚と机椅子があり、見晴らしのいい窓がついていた。
その中央にひなはいた。
ぼんやりと虚空を見つめて、椅子にも座らず床に無造作に座っていた。
幸太郎は、部屋に入ってひなの視界の隅に入り込むように腰を下ろした。
「ひな」
幸太郎の声にひなは、初めて気づいたという風に気の抜けた視線を向けてきた。
「あ、にーちゃ、ねーちゃ」
ひどく無機質だった。そこには以前までの無邪気で瑞々しい響きはなく、その調子のままひなは続けた。
「ごーきは?」
「……」
「ねえにーちゃ、ごーきはどこいったの?」
その問いに幸太郎は答えることが出来なかった。幸太郎の胸に、小さくも鋭い痛みが走った。
「ごーき、いつかえってくるの。にーちゃしってる?」
「……ひな」
「ねえ、ひないいこにしてるよ?わがままいわないでおとなしくおへやでまってるんだよ。それなのに、ごーきかえってこないの、にーちゃ、なんで?」
その問いに、幸太郎はどう答えるべきかわからなくなっていた。
「いいこにしてるのにかえってこないの……もしかして、ごーきはひなのこときらいになっちゃったのかな?ひながわがままいってるから、もういらないっておもったのかな」
「違うよ、ひな、剛毅はそんなこと思ってない」
幸太郎の言葉に、思いがけずひなが大きな声を出した。
「だったら、どうしてごーきはかえってこないの!」
小さな拳を幸太郎に叩きつける。
弱弱しい殴打。
痛みなどないはずだ。
しかし、痛かった。
幸太郎にはそれに抗う術がなかった。
いや、術がないというよりも、資格がない。これは幸太郎が招いた事態なのだから。
幸太郎がなすすべもなくひなの拳を受け止めていると――
ちりん。
幸太郎の腰元の鈴がなった。
その音に、ひなが弾かれたように顔を上げた。
「ごーき!ごーきがかえってきた!」
転がるようにして戸口のほうへひなが駆け出して行った。
幸太郎も慌ててひなを追いかけると、ひなが戸口で錯乱状態になりながら、
「ごーき、ごーき、どこにいるの?ねえ、にーちゃもいっしょにさがしてよ」
「ひな」
「ねえ、ごーきかえってきたのに、どうしていないの?」
幸太郎は思わずひなの体を抱きしめた。
「どうしたのにーちゃ、ねえ、ごーきがさがせなくなっちゃうよ……ごーき、どこお」
幸太郎が必死に抱きしめているとだんだんと腕の中のひなが大人しくなっていった。
「ごーき、どこ……っく、ごーき……ひっく……」
今にも消えてしまいそうなひなの嗚咽に、幸太郎は胸が張り裂けそうだった。
結局、自分には何もできないのだ。
不死身の体なんて、ただ死なないだけだ。それを痛感して、今まで何度も辛い気持ちになった。
ケガレモノ一匹に苦戦して、そんな自分の弱さが辛かった。
邂逅した女剣士に、圧倒的な実力差を痛感させられて、そんな自分の弱さが辛かった。
しかし、何よりも。
今抱きしめている小さな少女のか細い震えすら、止めてやれることが出来ないのがどうしようもなく、辛かった。
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