第50話 誰かが助けてくれますか?

 月明かりの中、ユーサーの声だけが聞こえてくる。


「私は……私は父を尊敬していました。多くの人の上に立ち、実力とカリスマ……すべての観点から尊敬されていました。あの人を超える人なんて存在しない……そう思っていました」


 それから、ユーサーは自嘲気味に笑う。


「といっても……私は父をあまり見ていないんですけどね。10年前は私ももっと小さかったですし、父は戦いで忙しかった。だから……ほとんど直接会ってません」


 そうだろうと思う。あの魔王は常に戦っていた。それを一番知っているのは、おそらく勇者であるヤーだろう。魔物たちよりも、魔王のことを理解している。生と死の間の戦いで、なにかが通じ合っていた。


「そんな魔王も、私の前では優しいお父さんでしかなかったんです。一緒に遊んでくれて……疲れてるだろうに、いつも笑顔で……私には常に優しかった。優しくて強くて、憧れのお父さんでした」


 あれほどの存在が父親なら、そうなるだろうな。勇者であるヤーでさえ、憧れかけた。それほどの力とカリスマがあった。


「でも……その時から思ってたんです。知ってたんです。お父さんがやっているのは悪いことだって」そうとは限らないけれど。「お父さんは人殺しでした。それは知ってます。理解しています。いっぱい……いっぱい人を殺して、自分の理想を追い求めていました。建前上は魔物の地位向上という理想を掲げていましたが……方法は間違っていたと思います」


 ヤーはそう思わない。魔王のやり方が正しいと思っている。話し合いで、あの状況は改善しなかった。武力に訴えるのが最終手段だった。


 とはいえ、戦うことしか知らないヤーと、聡明なユーサーの意見だ。きっとユーサーの意見が正しいのだろう。魔王の行いは、間違っていたのだろう。


「お父さんは人殺しで悪い人……それは理解していました。だけれど……人間だって悪い人たちじゃないですか」歯ぎしりが聞こえそうなほど、気持ちのこもった言葉だった。「相手が魔物というだけで虐殺して、狩りの対象にして……私達だって理由なく人間を襲うわけじゃない。人間たちが魔物を下等生物扱いして迫害していたから抵抗しただけで……人間だって魔物を殺してます。悪い人はいっぱいいるんです。魔物だけが悪だというのは納得ができなかった。だから……だから父の理想は正しかったんです。方法が間違っていただけ」


 武力行使は間違っていると言いたいらしい。話し合いで解決……あの状態では厳しかったと思うけれど。このユーサーの言葉は、世間知らずの小娘の理想だろうか。それとも、未来を背負う若者たちの意見だろうか。わからない。ヤーにはわからない。


 もうヤーは舞台を降りたのだ。すでにヤーが主役の物語は終わっている。これからの未来をつくるのはヤーではない。これからの世界に勇者は不要なのだ。


「そんな……悪い人たちと悪い人たちが戦ってました。私は生まれた時からその戦いを見ていた。どっちが正しくてどっちが間違っているのかなんて、誰にもわからない。それぞれの善と悪があって、ぶつかり合ってました」


 一瞬、ユーサーの言葉が途切れる。泣いているのかもしれない。


「私は……そんな戦争を見て、いつも同じことを思っていました。早く戦争が終わればいいって。そうすれば、お父さんがずっといっしょにいてくれるって。そればっかり考えてました。戦争が終わればお父さんと遊べるって……バカですよね。今にして思えば、あの戦争が終わるということは……」


 それは魔王が討伐されたとき。戦力的に魔物が勝つとは思えない戦争だった。だから、戦争の集結は魔王の討伐によって持たさられる。実際にそうなった。


 戦争が始まった時点で、魔王の無事はありえない。魔王が父としてユーサーと平穏に暮らすなどありえない。世界の王として多忙に過ごすか、殺されるかの2択である。それが当時のユーサーには理解できなかった。だから、戦争が終わってほしいと思っていた。


「自分が無事では済まないこと……当然、父はわかっていました。戦争を始めれば多くの犠牲が出て、自分もおそらく命を失う。そんなこと、彼は理解していました」


 そうだろう。あの聡明な魔王が、自分の行く末を考えられないわけがない。勝てないということも、本当はわかっていたはずだ。


「……みんな、戦争は悪いことだって言います。絶対にしてはいけないと言います。それだけは避けるべきだって、子供でも言います」それからユーサーは、おそらくずっと疑問に思っていたであろうことを言葉にする。「じゃあ、どうすればよかったんですか? あのまま人間に虐殺されて、差別されて、無視されて……そのまま我慢しろって言うんですか? 耐えていればいつか良くなる? 話し合い? そんなことで、誰かが助けてくれますか?」


 少しずつ、ユーサーの声がヒートアップしていく。ヤーの知る限り、ユーサーの大声を聞いたのははじめてだった。


「助けてくれなかったじゃないですか……! 誰も! 国も人も政治も! 魔物だからって理由で……それだけで迫害されて……! あのままだったら、みんな殺されてた……! ゴミみたいに誰にも相手にされなくて……そのまま!」床を叩く音が聞こえた。「だから戦ったんです! それだけ! 魔物が悪だとか……! 人間が正義だとか……そんな理由じゃない! ただ大切な人たちが迫害されて許せなかった……だから父は戦った! ただそれだけ……!」


 それはおそらく、ユーサーが体験した戦争の話。ユーサーしか知らない。戦争の中心にいた魔物だけが知っている話。

 ヤーでさえ、もう戦争のはじまりはわからないのだ。ただ戦えと言われて、戦った。本当にそれだけ。どっちが悪でどっちが正義かなんて、考える時間はなかった。魔王を倒せば戦争が早く終わる……その気持ちだけで戦っていた。


「……戦争は悪いこと……戦争はしてはいけない……その言葉は理解できます……でも……世の中には、戦争以上に悪いことだってあるんです……最悪から目をそらした平和語りなど……誰も救えない。誰にも届かない。薄っぺらい人間が称賛するだけ。なにも、変わらない」


 ここまでユーサーが他者を批判するのは珍しかった。いつもヤーが的はずれなことを言っても、必ず共感を示してくれたのがユーサーだった。絶対に頭ごなしの否定はしなかった。そんなユーサーが、こんなにも感情を表に出している。


 きっとヤーと出会う前にだって、いろいろあったのだろう。戦争が集結してから10年だ……その間、彼女はどこでなにをしていた? 魔王もいない。魔物もいない。そんな状態で、どうやって生きてきたのだろう。

 きっとどこかに移り住んでは、薄っぺらい平和語りを聞いたのだろう。ユーサーからすれば腹立たしいことこの上ない。お前らに何がわかるのかと憤慨したことだろう。


 ……別に薄っぺらくはないのだろう。その人たちだって程度は違えど戦争を経験して、その苦い記憶を、最悪の記憶を風化させてはいけないと思って伝えたのだろう。


 だけれど……ユーサーには届かない。やがて中身のない平和語りに変わっていく。


 無論、戦争は悪いことだ。最悪なことだ。絶対にやってはいけない。それは確定している。だけれど……それ以上に最悪なことは、たしかにあるのかもしれない。


 わからない。難しいことは、ヤーにはわからない。戦争は悪いことだと薄っぺらく語ることしかできない。


 ……


 きっと戦争はまた、起こるのだろう。愚かな人類は平和と現状に満足できない。


 最悪の記憶を、戦争の記憶をできる限り引き継いでも、少しずつ風化していく。99%を伝えても、情報は少しずつ劣化していく。最後にはなにも伝わらなくなって、ただの歴史上の出来事になっていく。


 それだけはしてはいけない。痛みを、記憶を、忘れてはいけない。あの愚かな行為を繰り返してはいけない。たとえ薄っぺらくても、伝え続けなくてはならない。


 ……


 少しでも長く、平和な世界が続けばいい。今はそう願うことしかできなかった。

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