第6話 大学での翔

 翔はK大学付属小学校に通い始めた。一旦は小学校の正門から登校して、大学との通用門を通って物理学科研究棟の一室に入る。彼の居室を大学内に作ることは早くから決まっていたのであるが、どこに作るかが問題になった。


 なにしろ、小学生が大学にいること自体が目立つし、特定の研究室に居れば目を引かざるを得ない。普通に考えれば、別段目立つのに問題はないのだが、留学生から注目されるのは困るということだ。


 特定の国の留学生が、技術的な情報を収集して祖国に送っているのはもはや常識であり、国からも秘密保持に関しての通達がでている。結局、物理学科の一部屋になったのは、問題になる国からの留学生は工学部には多いが、物理学科には居なかったのだ。


 そして、翔が通うようになって3か月後には、物理学教室の研究棟の特定の階は、カードがないと入れないようになった。それは、国からの必要に応じてカードなしには入れないようにすることを積極的に進める通達が出ており、それを口実にしてでの措置である。


 これは、留学生出入り禁止とする訳にはいかないので、入れる人間を限るわけだ。

 そういうことで、翔は物理学研究棟の一部屋を与えられた。その部屋は最も小さい部屋であるが、ビルの一室なので彼のデスクと会議机を置いて、8人ほどは座れる。


 こうして、彼を目立たないようにということで、彼があちこちの研究室に訪問するのではなく逆に研究者が訪れることになった。

 最初のうちに呼ばれたのは電気工学科の西村涼子准教授であり、彼女は学内の大物である笠松教授からの声かけであるため無視できるわけはないので、本心では意味がないと思っていたので、しぶしぶであった。


 彼女は、優秀と目している博士課程の片山を連れて来ていたが、物理学科からは笠松教授と名波准教授に院生の斎藤が立ち会っている。部屋にはいると長机の片方に物理学科の3人と、笠松教授から聞いていたように、確かに小学生に見える少年が、長机の短辺側、つまり議長席に座っている。


 斎藤の案内に従って西村等が座ると、笠松教授が口を開く。

「西村さん、忙しいところを申し訳ないね。今回の話は異様に感じるかもしれないが、ここに来たことは後悔することはないと思うよ。こちらの、名波准教授は知っているよね?」


 西村が頷くと「その横が名波君の研究室の斎藤君で博士課程の1年目だ」そう続け更に少年を指して言う。


「彼は今日説明するバッテリーとモーターの考案者である、水谷翔君だ。まあ、みなカケル君と呼んでいるがね。じゃあ、西村さん、カケル君に貴方達の紹介をお願いします」


「はい、私は西村涼子、電気工学博士で電気工学科の第2研究室の准教授です。こちらは片山慎吾、私の研究室の院生で博士課程の2年です。なにか画期的なバッテリーとモーターの開発の話ということで楽しみにしてきました」


「はい、有難うございます。僕はそこの付属小学校の生徒です。また、非公式ですが物理学科所属の開発担当研究員ということになっています。まあ、そういうことは置いておいて、今日の主題に入らせていただきます。このペーパーをどうぞ」


 翔はそう言って、ホッチキスで留めた20ページほどのA4判の用紙を渡す。正面を見ると物理学科側の3人は既に同じものを持っている。西村はその表のページを見て驚いた。

 その題名は『金属製物質の素粒子変換と電子抽出に関わる操作』であった。


 混乱する西村と片山であるが、話が進んでいく。

「これは要するに、現在のバッテリーが化学的な反応を利用するのに対して、物質を素粒子的に変化させて、電子を選択的に取り出そうという操作が可能であることを証明したものです。

 まあ、その結果として出来るのは核バッテリーというべきでしょうか。この論文については、笠松先生と名波先生には見てもらっています」


 西村が、笠松と名波を見ると2人とも頷いて、名波が口を開く。

「論文の論理は正しいと思っています。もともとこの論文の元の論理は、僕の考えがたたき台になっていますからね。まあ、正しいとしてもアイン・シュタインの相対性理論が、一部と言えども証明されるまで随分時間がかかりましたからね。

 だけど、このバッテリーが成功すれば、僕の理論の証明の一部になります」


「と、というより、まだ私には理解できませんけど、さっきカケル君が言ったことが正しいなら、そのバッテリーってとんでもない容量になりませんか?」

 西村が、とんでもない話に頬を赤くして詰まりながら言うのに、カケルが大きく頷く。


「そうです。その通りなのです。今の化学バッテリーでは大きすぎ、重すぎ、高価すぎて僕が考えている将来の交通網には使えません。だから、このスーパー・バッテリーが必要なのです。僕の計算では、この位」

 翔は手で大きさを示すが、昔風の弁当箱位か。


「この程度で100㎾h程度の容量を考えています。ええとお手元の資料の、10ページに図がありますから、見て下さい」

 西村は、翔の言葉に焦ってページを繰って思わず叫ぶ。


「この大きさで、100㎾h!重量は全部で3㎏だけど電池本体は1㎏って書いていますね!でも材料がとんでもなく高くてコストは高いとか?」


「いや、電池本体の蓄電部は銅主体の合金を考えているけど、高価な金属・物質は含まれていないから、蓄電部のコストは銅より少し高い程度ですよ。だけど、ケーシングというか電池の駆動部になるけどこっちの方が高くなります。どうでしょうね。1セットを大量生産すれば10万円はしないと思いますよ」


「うーん。それで電池の駆動部とは?ええと、概念的にはこの17ページの図ですか……」


「ええ、ここが心臓部なので、別にしています。これの取り扱いには気を付けて下さいよ。秘密保持には気を使っていますので」

 そう言って、翔はマル秘の印を押して番号を振った4~5頁の冊子を西村に渡す。


「ふーん、回路図ですか。………」

 西村が急いで、その冊子に目を走らせるのを、隣の院生の片山が覗き込んでいる。


 暫くして、西村は尚も冊子を見ながら言う。

「一部判らないところもありますが、これだったら出来るでしょう。つまり、ある条件付けをした電池の蓄電部をこれにセットすれば、電力が取り出せるということですか?」


「ええ、蓄電部は銅主体の合金の組成を最適化したものにすぎませんが、それを磁力場に置いて電磁銃によって、いわば励起するわけです。そして、それをその駆動というより電子の抽出部ですが、それに蓄電部を挿入すると電池として働きます。

 蓄電部は危険防止のためにもその図程度の大きさの100㎾h程度に抑えるべきだと思っています。それに電力取り出し容量も余り大きいと端子がでかすぎるし、誘導電流の関係もあるので、容量を増やしたいときはそのユニットの基数を増やせばいいのです」


「へえ。新開発というより、まだ本当に稼働するかも判らないのに、使用の方法まで考えていますね?」

 西村が言うと笠松が口を挟む。


「うん、翔君の考えたものは大体がその具体的な使用方法まで考えているようだ。だけど、その活用方法の考えは正しいと思うし、開発としては楽に速く進むだろう?」


「ええ……、確かにそうですね。私の考えでは開発というのはもっと試行錯誤するものだと思っていたものですから。いずれにせよ、この抽出部は私の方で出来ると思います。

 ただ、蓄電部は冶金の城田先生、それとこの蓄電部の励起のための電磁銃と磁場発生器については、応用物理の島村先生にお願いするのが良いと思いますよ」

 西村の答えに笠松がにっこりして応じる。


「ああ、もう一応声は懸けているけど、まあ電池については君と主任教授の安田先生が全体のとりまとめをやるべきだと思うよ。でも、学内に頼りになりそうな研究者がいるのが、わが校のような総合大学の強みだね。翔君に言わせると、だから我がK大に話を持ちかけたらしいからね」


「はあ、でもこれが成功すると、世界の電池は、乾電池のようなものは除き、全てこれになりますし、活用が今のバッテリー市場の何倍にも膨らむでしょう。ここまでお膳立てが出来ているというのは、研究者としてはすこし思うところはありますけど。

ところでモーターというのは、どういうことですか?」


「ええ、そこは今から説明します。お手元の資料の14ページをご覧ください。要は、回転子をアルミの鋳造品にしようということです。それで、今のモーターと効率は変えず製造コストを大幅に下げようというものです」

 翔が言うと西村が疑問を提示する。


「うーん。まず回転子を鋳造品にしようとする試みは過去にもあったけど、うまくいかなかったんですよね。それと、回転子が軽いのは余り宜しくないのです。あれは慣性も重要なんですよ。だから、比較的良導体で比較的安いということでアルミなんだろうけど、どうかなそれは?」


「ほう、確かに重いと始動時の電力消費は大きいけど慣性が必要だと考えれば、アルミはないな。それじゃあ、どうですか、鉄では?」


「うーん、まあ鋳造で回転子として回せるノウハウを用意しているのだろうけど、慣性という面では銅と大差はないけど鉄ではどうだろうね。伝導率で胴に比べると大幅に低いけど?」


「ええ、回転子に使うのはそこには書いていませんが、蓄電部と似たようなもので、材料の合金の組成とある条件付けをするのです。伝導率はそこの所で克服できると思います。でも、鉄だったら資源量に不足はないし、コストはさらに下がりますね。

 これも冶金と条件付けのための電磁銃と地場ですね。だから先ほど言われた先生方に助力をお願いすることになるでしょうね」


 西村の言葉に、翔が応じると、再度西村が言う。

「そっちは、私では手が回らないので、同じ科の永田准教授にお願いしましょう。いずれにせよ主任教授の安田先生に相談してからです。このモーターも実現すれば凄いインパクトがあります。値段が半分以下になるでしょうから、世界の新しいモーターは全てこれになります。

 だから、バッテリー、モーター共にこの開発をやらないという選択肢はありません。他の研究を放り出して最優先でやりますよ。ところで、笠松先生、私共もこれらの開発ではある程度は権利関係に絡むでしょうけど、全体の権利料というか特許料は凄いことになると思います。その辺りはどうお考えですか?」


「うん。その辺りは考えている。

 現状ではほとんど機能していない、わが校で設立した一般財団法人のK大学研究開発機構があるだろう?あれに特許料の受け取りを集中して、貢献度に応じて個人にも報酬を支払う。だけど、多くは開発費、大学の研究費に充てるつもりです。将来的には途方もない金額になると踏んでいるからね」


「そうですか。考えておられるのですね。途方もないとおっしゃられましたが、このバッテリーやモーター以外にも考えておられるものがあるのでしょうか?」

「うん、もっとでかいものがあるよ。君と片山君はすでに我々の研究仲間の一人だから言うけど、秘密にはしてほしいのだがいいね?」


「「ええ、勿論です」」

「核融合炉と組み合わせて発電装置と熱発生装置を考えている」


「ええ!確かに名波先生の理論はそれを可能にするものだと騒がれましたよね。だけど、100年後とかの話だと思っていましたよ」


「いいや、僕の目の黒い内、それも数年後の事と考えている。つまり今後10年~20年後辺りには全ての化石燃料の使用の全廃だね。はっきり言って、このバッテリーとモーターによって民間会社を巻き込んで金を調達してその開発費に充てようと思っている。

 だから、君らの開発に民間企業を巻き込むときは私に相談してほしい。それと、民間企業として、協力会社として江南製作所は優先的に考えて欲しい。卒業生もそれなりにいるので知っているだろうけど、この翔君の父上が勤務されている。私の方から、会社には話はしておくのでね」


「え?カケル君のお父さんが、そうですね。確かにこれらのノウハウはカケル君からですからね。そのお父さんとなると誰も文句は言えないですね」


 このようにして、大学におけるバッテリーとモーターの開発はスタートした。

 また、同様に、原子力工学科を巻き込んで放射線の減衰装置の開発に動いている。今や、世界の原発の数は430基、出力4億㎾であり、その放射能廃棄物は年々膨大な量が排出されて、放射線を遮るために埋めるしか処理法が無い状態である。


 その意味で放射性廃棄物の放射能を減衰または消す方法があれば、画期的な成果である。更には、この開発は核分裂物質の核分裂を減衰させる方法、すなわち核爆弾の爆発を防ぐ方法の開発でもあるのだ。


この時点2021年での世界情勢は、北朝鮮、ロシアなどは露骨に核による周辺への威嚇をためらうことない。また核保有効国である中国、アメリカも含めて核兵器とその運搬手段であるミサイルの革新に余念がない状態である。


 もっとも全方位的に他国にかみついている北朝鮮については、まだ十分な小型化に成功しておらず、弾道弾の再突入の技術も十分でないと見られているので、それほど危険視はされていない。


 しかし、ロシアは1970年代から整備された多くの核兵器が、老朽化のため実用できないとしても、それでも数百発の核兵器が使えるとみられていて、依然として大きな脅威である。

 その上に、クリミヤ半島の併合など武力を使っての領土拡張の動きが、核兵器の存在を誇示してでのものと見られており、世界の不安定要因になっている。


 このことから見ても、これも極めて重要な開発であるが、軍事的なプレゼンスに係わるので相当にセンシティブな技術である。だから、当面は核兵器の無効化ができることは伏せて、あくまで放射線の減衰の技術の開発としている。


     ―*-*-*-*-*-*-*-*-


 翔は、今朝は小学校の5年2組の教室で歌唱の授業である。翔は5年生になってから、体育と音楽は特別学級では人数が少なすぎるので2組で授業を受けることになっている。翔はその引き戸を開けて教室に入る。


「おはよう!」

 明るい大声の翔の声に、すでに教室にいる生徒から「「「「おはよう」」」」と返ってくる。5年2組の生徒たちは翔には複雑な思いはあるが、育ちのいい子ばかりなので挨拶には返すのは当然と返してくる。


「絵梨ちゃん、おはよう。そのリボン似合っているね」

 付属小学校のものは結構かっこいいと言われる制服であるが、没個性でもあるので女の子のおしゃれは、規制されていない髪のリボンなどである。翔が隣席の可愛い仁科絵梨に声をかけると、「翔君、おはよう」と彼女は頬を赤らめて返す。


 男の子からは敬遠されている翔であるが、彼が『特別』で大学に出入りしているということは密かに伝わっており、女の子からは憧れの目で見られている。

 このように、女性にはさりげなく愛想の良い翔は、大学の女子学生から『将来の女たらし』と囁やかれている。反対の隣の、森崎要はすこし忌々しそうにそっちを見るが、翔からすかさず「森崎君もおはよう」と言われると「あ、ああ、おはよう」とは返す。


 翔はそのように、同級生とは挨拶を交わすが、話題の共通点がないので殆ど会話はない。無論、大学に通う点はある程度知られていて、聞かれることは多い。だが、大部分のことは正直にはしゃべれないので、曖昧に濁すしかないので、語りかける者も少なくなる。


 その日の歌唱の授業の説明については、翔は頭の1/3程度で聞いているが、歌唱の練習については流石に集中して歌う。苦手な歌については流石に歌い流す余裕はないのだ。彼は大学レベルのテキストでも、スキャン程度の速度で目を通せば、理解は出来なくても内容を一時的に覚え込むことができる。


 だから、覚えている内容を、集中の必要のない授業や人がしゃべっているのを聞く間に、2/3の頭脳を使って、本質を理解して頭脳の中で整理蓄積しているのだ。

授業が終わって、翔は挨拶すると同級生からの返事は返って来る。


「では、今日は帰るね。今度は2日後の午後の体育だな。では皆さん、さようなら」

「「「「「さようなら!翔君」」」」」


 その後、彼は大学の物理学科研究棟の自分の部屋に行くことになる、半年を過ぎた今では。その部屋には、前からのパートナーである院生の斎藤に加えて、工学部生産工学科のマスター2年の西川省吾が一緒にいる。


 斎藤が腕っぷしはからっきしであることから、西川が少林寺拳法の3段で現役であるためそこそこ強いので、護衛役として選ばれたのだ。実のところ、学内で留学生が絡んだ翔への誘拐の試みがあったため、急遽取られた措置だ。


 とは言え、その件は相手も学外に連れ出して誘拐しようということでなく、学内の人気のない部屋に連れ込んで情報を聞き出そうという試みであった。そして、それは相手もプロではなかったので、翔自身が襲ってくる相手を投げて防いでいる。


 何事においても研究熱心な翔は、護身術として合気道を選び、本やビデオで自分なりに練習し、体も鍛えてきている。体を鍛えるのも最新のスポーツ科学に沿って鍛えており、年齢として極めて発達した筋肉がバランスよくついている。


 大学には合気道部があって師範が週に一度指導に来るので、利用しない手はないということで、翔はその日に稽古に行くようになった。その師範、松永8段によれば、翔は十分に有段者の実力はあるという。しかし、まだ11歳の少年であるので、当然暴力のプロには敵わない。


 そのため、斎藤が名波に訴えて、学内の関係する学生で格闘技をやっている西川が選ばれたのだ。そして西川は、すでに世の中を動かし始めている翔の傍にいられる今の立場に大いに感謝しており、翔も明るくさっぱりした性格の西川が気に入っている。


 多分、近い将来翔にはプロの護衛がつく可能性が高いが、西川については専門のスタッフとして働けるので、少なくとも西川がドクター・コースを終えるまでは一緒に行動する予定になっている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る