第35話 リバーシング・エイジの実行

 K大学での発表を知った大臣の激を受けて、厚労省はすぐさま実施の検討に入った。これは、近年の好景気にあっても老人の医療費、さらにケアのための経費が雪だるま式に膨らんでおり、国の財政を大きく圧迫しているのだ。


 このままいくと、5年以内には介護保険料が今の3倍にして、なおかつ自己負担を大きく高めるしかないという見込みである。そして、行きつく先は、安楽死と、金のない者は介護・治療を受けられないという方向の選択である。


 それに対して、K大学で発表された成果を使うと、まだデータは多少少ないが、寝たきりの老人の相当な割合いの者が普通に生活できるようになる。とりわけ、痴ほう症の者には劇的な効果があるという。


 その結果をじっくり読んで、対応の会議を開いた厚労大臣は、「これからじっくり治験を重ねて、実施するかどうかを決める」という保健局長を怒鳴りつけた。


「君は何を考えているのだ?事例が少ない?万が一のことがあってはいけない?我が国の保険制度はこのままいくと確実に破綻するのだ!その差し迫った時に何をのんきなことを言っている。

 これは経済面だけではない。今全国で植物状態に近いご高齢の方々が何百万人いるか知っているだろう?そうした人々が、この処方ですぐに普通の生活を送れるようになるのだ。これこそが福祉というものだ。


 これを一刻も早く対象者全員に広げるのはわが省の責務だと私は思っている。私は総理から叱られたよ。これだけの素晴らしい成果に対して対応が遅いってね。

 山田事務次官、直ちにそのリバーシング・エイジ法の処方の試行を、全国で大規模にやる計画を立ててくれ。少なくとも100万人規模でやりたい。いいね?」


「は、はあ、島原保健局長、どうかね?」

「い、いえ。ですから私は……」

「できないのだったら、どこまでできるか示してくれ。それについてはこの方法を開発した、K大学の香川教授に見て頂く、ふざけた検討結果だったら覚悟しておいてくれ。いいか、今言ったことは総理、官房長官も是非やるべしというご意見だ」


 官僚は「分かりました」というしかなかった。そうなると、島原保健局長は、担当させていた職員と共に、処方の開発者である香川教授のところを自ら訪ねた。処方の試行をするための具体的な方法を相談するためだ。


 教授は、すでに大臣から相談があったことから、こうした相談があることは予見しており、それに応じられるように調査は済ませていた。

 つまり、処方を大規模に始める為に必要な、AAD(Activity Analyzing Divice)の増産、薬剤の増産、パッケージ化された電磁波・力場発生器、つまり活性化装置の増産等について、メーカー及びその生産能力等も把握していた。


 元々、そうした物をメーカーに試作させたのは教授の研究室なので、その調査は難しいことではなかった。さらに、技術研究所の理事でもあり、防衛大臣として閣僚でもある地元出身の森田議員は、すでに全貌を知っていた。


 だから、リバーシング・エイジ法については、早い段階から厚労大臣は無論、首相や官房長官まで上がっていた。また、教授としてはすでに得られている成果から、少なくともK市のあるK県では、大規模に処方を進めることを知事と合意して準備していた。


 その為、すでに必要な機器、薬剤は量産体制に入りつつあったのだ。問題は、その機材と薬剤を使って適切に処方する人材であるが、今まで処方を試行する中で、AIによる音声処方ガイドがすでに完成していた。


 だから、看護師1名と助手1名で、1時間ほどで3人を処方できるが、その後1週間ほど掛けて運動などに慣らすケアが重要である。それは介護職員、運動機能回復の指導員で可能である。

 香川教授の見通しでは、K県については1年以内で、県内において差し当たって処方が求められる12万人については処置を完了する見込みであった。

 

 全国100万人への試行という目標は、十分な予算、2200億円を用意出来れば、1年と1ヶ月で達成できるという香川教授の予測であった。

 そして、その結果に問題が無ければ、試行の過程で製造された機器、量産体制を整えられた薬剤によって、現状で認知症の症状が疑われる全国1150万人に処方を施すことが可能になる。


 その事業に要する予算は、追加として1兆円強になるが、それらの人々に対する介護・治療にその5倍以上の経費を費やしている。だから、十分許容できる経費であるということになる。


 香川教授から、その資料を見せられて説明された島原保健局長は、担当者と共に恥じ入ると共に違和感があった。本来であれば、自分達がやるべき調査と計画を、かくも完璧にやってのけている。


 自分達も様々な技術、あるいは発想の発信地としてK大学が世界の注目を集めていることは承知している。しかし、今回のこれは、その限度を超えていると思うのだ。とは言え島原は、ます今後やることを総括していった。


「香川先生、有難うございます。今までの処方の試行の結果に得心がいきました。

またこれらの処方はいわゆる医療行為とは、見做せないということから、処方のハードルが下がりました。

 私どもは先生の計画のアウトラインに沿って、まず、予算の手当を致します。この点は、大臣から補正予算に組み込んで良いという示唆を頂いていますので、何とかなると思います。


 さらに、各機材、薬剤の発注を省として行い、納入予定を正確に把握します。具体的な市・町・村の施設毎に調査を行って、処方の対象者及びそれぞれの症状の絞り込みを行います。

 また、人材育成の件ですが、その処方補助AIがあっても、各実施部隊の指導者クラスが実際を知ることが必要です。ですから、すぐに計画を立てますが、K県で処方を行っているところに、人を送り込んで研修をさせようと思っています。この点はよろしいでしょうか?」


「ええ、それは必要なことですね。受け入れ態勢については、K県の担当の方に確認してください」

 教授の答えに頷いて、島原は尚も話を続ける。


「有難うございます。ではそのようにさせて頂きます。いずれにせよ、K県ですでに計画されて、始めようとしている処方の計画が最良のたたき台になると思いますので、私共もすぐにチームを作って県のご担当と接触させて頂きます。

 ところで、先生のところで、これだけの画期的な成果を挙げられたのは勿論素晴らしいことです。ですが、これを国としての計画まで落としこまれた点は我々には信じられない思いです。

 元々のデータを持っている我々であっても、これだけの調査を、計画を策定するのは大仕事です。一体どのように、これを実施されたのか御教え願えませんか?」


「ハハハ、まあ、ちょっと局長さんのやるべきところまで、踏み込み過ぎだとは思っていますよ。ただ、当大学は技術研究所が予算を握っていまして、そのお眼鏡にかなうと実施計画まで踏み込み場合があります。

 具体的には、その理事会に掛けられた案件がAA案件になると、それを世の中へ早急な普及を行う計画まで踏み込む場合があるのです。


 そして、このリバーシング・エイジ法の処方はAA案件で上げられまして、研究所の企画部も入って最優先の普及に向けて様々な事が実行されました。政界に対しては、研究所の理事にもなって頂いている、防衛大臣の森田先生にも動いていただきました。

 それに、研究所は御存じのように、けた違いの資金を動かせますので、AA案件では金に困ることはないのです。このあたりは、かつての私の教室の研究費を考えると気が遠くなる気がします」

 そう言って香川教授は白目をむいて見せ、話を続ける。


「とは言え、資金があれば人の雇うなど手当も簡単ですし、見込みで機材の注文が出来ますから、何事も進行が速いのです。まあ、そういうことです。我がK大学はかなり特殊なのです。

 ああ、もう一つ。すでにお考えだとは思いますが、この方法は間違いなく世界に広がっていきます。ですから、メーカーと話をするときはその辺りも含めてやっていく方がいいと思いますよ」


「ああ、生産の規模は日本のみに対象にするものではない。だから、生産設備はそのことを考えた規模にすることですね。さらに納入価格もそれに応じたものと?」

「そうです。それと、もう一つ、この方法はリバーシング・エイジということで若返りを謳っていますが、この処方の中に脳の活性化が含まれています」


「ええ、そうですね。……というと、それは普通の人にも使えると?」

「すでに、相当数の大学で学生と教員が処方を受けていますが、どうも、20~40%ほど理解の早さ・記憶力の増強に繋がるようです」


「ええ!?高齢の方の知的機能の回復には顕著な効果があったというのは無論存じています。また知恵遅れの方には大きな効果があったということも……。つまり、先生はその処方を知能の上昇に使おうということですか?」

「ええ、今はそう思っています。もともとこの研究を主導したカケル君は、そっちを主眼に置いていたようです」


「な、なるほど。しかし。知能を上げる、というより知的能力を上げるということは大変なことです。これは世の中全体に、極めて大きなインパクトがありますね」

「それだけではないのですよ。この処方は人体の特定の部位の機能を高めることができます。例えば、内臓、筋肉ですね。まあ、高齢者向けは全般に高めていますがね」


「なんと、そうすれば人の全体の機能向上を図れるということですね。それに、内臓の疾患を抱えている人も数多い訳ですが、そういう欠陥も治せるわけですか?」


「いえ、例えば心臓に欠陥がある人はその機能が高まりますので、症状は改善されます。しかし、通常欠陥そのものは治りません。しかし、そこはウイルスによる治療が使えるようになるはずです。あの手法は、今日進月歩で新しい治療法が開発されていますから」


「なるほど、機能強化によって症状を改善し、治療法が出来るのを待つ、という訳ですね。しかし、先ほど、先生が筋肉の強化も可能と言われましたが、そうなるとアスリートが使って『ずるい』ということになりませんか?」


「ええ、その辺りは考える必要があります。でも『ずるい』と言えば知的能力の上昇だってそうです。処方を受けた受験生とそうでない受験生には、間違いなく大きな不公平が生じます。だから、この種の処方の使い方の普及には、慎重である必要があります」


「しかし、人がその能力を高める方法があって、その処方を受けた人とそうでない人の不公平というだけで、それを使うことを止めていいのでしょうか?」


「ええ、そういう論点を主張する人もいます。だれもが、この処方の事を知れば、すぐに受けたくなりますからね。とは言え、国民全体に対する処方については、慎重である必要があります。

 だから、当分はK大学のみならず大学関係者に対象を絞って、事例を積み重ねていき、それを元に全体に広げていこうと思っています。また処方の普通の人への応用は高齢者への適用以上に国際関係に気を遣う必要があります」


「ううん。そうでしょうな。高齢者への適用は、1年や2年ずれても感情的な反発はないでしょう。ですが、こっちはリアルタイムで知らせておかないと、感情的に反発されますね。この件については、伺った話を省内でも揉んでみます」


 かくして、まずはK県内でのリバーシング・エイジ法の処方が開始された。春日聖子は住所地の川西市から、認知症で特養に入っている母についてある通知を受けて胸が高まるのを感じた。それは85歳の母にリバーシング・エイジ法の処方を受けさせることについて、市役所に来て欲しいというものである。


 そして、その方法についてのパンフレットが、同封されていた。その内容は概ねは新聞等の報道で聖子知っている内容だった。それは痴ほう症などで寝たきりの老人が、その処方の結果、普通の生活が出来るというもので、『夢のような』と思えるものだった。


 しかし、その方法が魔法のようなと言われる、数々の大発明を送り出したK大学で開発されたと書いてあるのを見て、彼女の中で一気に期待が高まった。

 彼女は、母子家庭の貧しい生活だったが、気丈だった母に育てられる中で、母を深く尊敬して愛していた。3年前に、夫と2人の息子の家庭に、衰えた母を引き取ったが、それが結局母の認知症を発症させてしまった。


 今は、聖子を見ても、滅多に識別できない母の目に光が戻って笑ってくれたらと、聖子は何度も思ったものだ。

 市役所での説明の後、親権者として処方に同意のサインをして、2週間後に母の処方が行われた。処方には、原則として親権者または係累のものが立ち会うことになっていて、当然聖子が立ち会った。


 その仕掛けはベッドで半身を起こした母の体の周りに、光る金属の網が取り囲んだ状態になっている。また、その金属の網に2つの大きな金属の箱が、太い電線らしきもので接続されている。

 立ち会った、担当者の女性が説明する。医療行為ではないということで、彼女は医師でなく看護師である。


「お母さんは、今から脳に力場による微振動、特殊な電磁波よる刺激を与えて活性化を促します。すでに、その活性化を促す薬は飲んで頂いています。そして、これがお母さんの脳の活性を示す映像ですが、殆ど光が無いことがお解りとお思います。

 では、脳の活性化を行います。時間は約5分ほどです。脳の映像を見ていてください。光がどんどん強くなってくるはずです」


 脳の状態を示しているスクリーンがついている箱の、もう一つから唸り音が高まる。最初は見間違いかと思ったが、脳の映像に光が増え、強くなってくる。どんどん明るくなってきた脳の映像を、夢中になって見ていたが、やがて明るさが変わらなくなってきた。


「はい、5分経ちました。光が増えて明るくなったでしょう?お母さんの脳の働きはもう元に戻ってはずです。話しかけてみてください」

 そう言われてみると、母の目に光が戻り、焦点があっている。


「母ちゃん、母ちゃん、聖子よ。解かる?聖子よ!」

 母は口をもごもご動かしていたが、彼女に目の焦点を合わせている。

「聖子、聖子かい。私は、私は、なにを?」


「うん、うん。今は処方中だから後でね」

 聖子は溢れる涙を拭いながら応じる。その後、全身の内臓や筋肉を活性化し、20分強で聖子の母の処方は終わった。彼女はいつもの施設に移された彼女に付き添い、疲れた母が寝入るまで互いに様々な話をした。


 正気を取り戻した母との会話は涙がでるほど楽しいものだった。翌日からは、衰えた筋肉の働きを取り戻すためのリハリビであるが、このリハリビには近親者が立ち会って手伝うことになっている。


 聖子は、その為にパートの休みをもらって終始立ち会って、リハリビを指導する係員の手伝いをした。そうして、日に日に元気になっていく母と共にいるのは、彼女にとって大きな喜びだった。


 1週間のリハリビ後、母は動きに概ね不自由がなくなったところでホームから出て、聖子たちの家に住んだ。その後、母はパートの聖子の留守を守って、家事と聖子の夫と高校生の息子の世話をしている。

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