第5話 翔の転校2

 その後の笠松教授の研究室に翔が入っての話は、論文の話になりそれは2時間以上になってしまったが、笠松教授に翔を付属小学校に転校させる決心を固めさせることになった。


 笠松は早速翌日には、学長であり友人でもある山内の部屋を訪ねて話をした。

「へー、そんな天才がいるの?君が専門分野で、たじたじになるとはなあ。それは見たかったな。ハハハ」

 小太りで禿げ上がった山内は、笑った後笑いを治めて言う。


「まあ、付属小学校の高見校長に来てもらって、相談しようよ。本人と親権者が転校を希望しているとなれば、それほど問題はないはずだよ。入試はあるけど、成績優秀者を取っている訳ではないしね。教育学部の学生のためということもあるから、結構特殊な子もいるから」


 その場に長身で浅黒い顔の高見校長がやってきて、水谷家からの転校希望書の提出を条件にあっさり転校を受けた。ただ、一部の授業は受けること、定期テストは受験して優秀な成績は取ることなどは要求されることになる。


 吉川翔の家は、K市の郊外の山裾の位置し、出来て十年ほどの団地の中にある一戸建てである。K大学からは市街地を挟んで反対側の20㎞くらいの位置にあって遠い。

 その家は、2階建ての辺りの家と同じような作りで、道路に面し南向きに駐車場と小さな庭がある。


 駐車場は2台止められるようになっていて、白い普通車が1台止まっている。土曜日の朝、笠松教授と名波准教授は一緒のセダンに乗ってきて、あらかじめ電話で聞いていたように空いている駐車スペースに、乗ってきた車を止めて、門柱のインターホンを押す。


「はい」との返事に、「翔君にお伝えした、江南大学の教授の笠松と准教授の名波です」名波が告げる。


「どうぞお入りください」玄関が開き、三十代と思われる女性が出て来て、2人の学者を迎えて中に導く。その正面の玄関の上がりかまちに、翔とその父である亮太が待っていて、頭を下げて迎え、亮太が「どうぞお上がりください」と応接間に案内する。


 亮太は休日ということもあって、灰色のカッターシャツとスボン姿であるが、翔は半ズボンとポロシャツ姿、お茶の準備に台所にいる母の洋子は長めのスカートのワンピースである。亮太は地元では大手の江南製作所という会社の技術営業をやっていて、母は近くの病院の事務職である。


 ソファに案内したところで、少し太り気味で大柄な涼太は、ソファに座る前の2人の学者の前に来てキチンと頭を下げて言う。

「初めまして、水谷涼太です。翔の父です。今日は翔のことでお話があると翔から聞いています。K大学の付属小学校への転校とか」


「はい。私は、K大学の理学部長を勤めている、物理学科の教授の笠松と申します。折角お休みの所を押しかけて申し訳ありません」

「私は、笠松教授の教室で准教授の名波と申します」


 そう言って両者は名刺交換をする。そこにお茶を持った母の洋子が現れたので、笠松と名波から名刺が渡されて、母はおなじくソファに腰かける。翔は横の小さな椅子に座って話を聞いている。


 笠松と名波から、翔から論文を受け取ったこと、それが極めて画期的であり、またその応用が実現すれば、日本のみならず世界へ極めて大きなインパクトがあることなどの話がされた。しかし、その論文も完成しているわけでなく、笠松や名波と話をしながら完成させていく必要があることが説明された。


 そこに翔が口を挟んだ。

「昨日父さんに言ったように、それだけでなくて、僕にはもうすでに完成まで頭に描けているものがある。それはコンパクトかつ大容量のスーパー・バッテリーと、うんとコストの低い新型モーター、さらに放射能を抑制できる技術だよ。

 父さんの会社で、バッテリーには噛みこむことができるはずだよ。それの一番の近道がK大学の先生方と協力することなんだ。父さんもK大学出身だろう?」


「ああ、お前の言うことは判ったけどまだ信じきれん。だけど、今は先生方がきているのだから、そのお話を聞こう」

 亮太が息子に応じて、向きなおるのに笠松教授が話を続ける。


「ありがとうございます。ええと、翔君も希望していますが、出来るだけ早く翔君に付属小学校に転校してもらいたいのです。まあ、今の波島小学校は自己都合の転向に異は唱えないはずですし、付属小学校の高見校長先生には了解をもらっています」


「ああ、そうですか。付属小学校には了解を貰えたわけですね。だったら洋子、波島小学校の方は大丈夫かな?」

 亮太は妻に尋ねと、翔の母は平静に応える。


「ええ、訳があって付属に転向したいということで、学校に確認したら付属の受け入れの書類があれば転校を受理するそうです。でも翔は同級生とかはいいの?」

「うん、悲しいかな僕は学校ではボッチだもんね。だれも気にかけないよ」

「翔、あんたね。聞いてる母さんも情けなくなるじゃない」


「まあ、冗談はおいといて、まあ溶け込んでいないから、僕は転校の方が嬉しいよ」

 母子の掛け合いが終わったのを見て、父の亮太が口を開く。


「折角ですから、親から見た翔についてお話しておきます。私ども夫婦も翔の知能が異常に高いことは、気が付いてはいたのです。幼稚園のとき、IQテストでなにか満点だから300位かな。そんな点数をとって、一時騒ぎになりかけたのです。


 ですが、その後の再テストでちょっと高いかなという程度になったので、なにかの間違いということになりました。たぶん、そのころから世話をしてくれていた妻の母である祖母から言われて、猫をかぶっていたのでしょうね。


 小学校では、テストはほとんど満点でしたが、注意散漫とか、ちょくちょくいなくなるとか通知表にはいろいろ書かれてきました。また、僕らも把握していない休みもあり、学校から連絡はあったのです。


 ですが、私らも翔と話をしていてどれだけ早熟か判っていました。だから周りと合わないのはしょうがないという思いがありました。いなくなっても先生には断ってのことのようですし、学業には問題はないので、特に私どもから翔にはとがめていません。


 しかし、世話をしてくれていた義母も亡くなって、さすがに何とかしなきゃとは思っていたところです。しかし、名波先生のところにお送りしたという、そのような世界的にインパクトのある論文を書くレベルとは思いませんでした。


 先生方から言われるように、本人も望んでいるようですし、付属小学校に転校して、大学にも行ってお役に立てるようになるということであれば、私どもも願ったりかなったりです。実は、私も江南大学の卒業生で、学生時代から付き合いのあった地元企業に勤めています。

 翔が言うように、翔が大学でやったことが私どもの仕事に結び付くなら、それは有難いこともでもあります」


 それに対して、笠松教授が応じる。

「翔君の転校について、承知して頂けるようでありがとうございます。

 お父さんのことは、実は少し調べさせていただきました。江南製作所の機器販売課の課長をされているということで、2011年工学部機械工学科のご卒業ですね。私共教員も卒業生が活躍しているのは嬉しく思っています。


 翔君の言っている開発品は、彼のみの頭にあるもので、実現できればいずれも素晴らしいもので、特にバッテリーは莫大な富を生むでしょう。逆に言えば、発明というか開発の権利はかなりの部分がお子さんの翔君にある訳で、彼が言えばお父さんの会社が生産に係わることは十分可能です。

 開発に民間企業が入ることは当然考えていますので、その段階から絡んでいればより確実になりますよ」


「父さん。バッテリーの開発は電気工学科と一緒にやるけど、試作は民間企業に任せるはずだから、僕が言って父さんの会社に声をかけてもらうよ」

「あ、ああ。翔、それは有難いが、笠松先生と、名波先生とはそのバッテリーとは関係ないのでしょうか?」

 亮太は笠松の方を向いて言う。


「これについては、当分は絶対秘密で進むことになりますが、狙いは核融合機で、発電と熱発生の2通りを考えています。とは言え、今はその原理をなす理論が概ね固まった状態ですので、普通であれば10年後の完成がいいところでしょう」


「先生、その通りです。でも僕としては概ねの枠組みは頭にありますので、そう3年で実証機の運転まで行きたいと思っています。そういう意味では先ほど言った、バッテリー、モーターは1年、放射線の減衰装置はやっぱり1年かな」


 そこに翔が口を出すが、亮太が驚いて言う。

「核融合!それならものすごい規模になるのじゃないですか」

「いえ、我々の考えているのは、今普通に言われている核融合装置のように3重水素(トリチウム)を燃料に、数千万度の熱を使うものではなく、精々千度以下で普通の水素を使うもので、常温核融合と呼んでいます。だから規模も……」


 名波が言い、翔を見ると少年が応える。

「今のところ、実証機は1万㎾程度になると思っています。まあ4トン車に乗るくらいのはずですよ」


「いや、1万㎾の発電所の発電所と言えば結構でかいよ。とてもトラックに載る代物ではなくて、コストも20億位円位かかるのじゃないかな。規模として小さくはないですよ。我々にとっては大きな施設です」


 亮太が息子に返すが、翔が再反論する。

「父さん、そこがこの開発の勘所なのよ。たぶん従来の火力に比べて大きさは1/3以下、建設費は1/3~1/5程度になると思っているのだけどね。しかも、燃料費は殆ど只同然だよ」


「まあ、もう少し、実現に近づかないとはっきりしたことは言えませんが、建設費が既存の火力や原子力にくらべ高くなることは考えられないし、運転費が劇的に安くなることに間違いはないですね。ちなみにお父さんは発電所関係の仕事もされているのですか?」


「はい、全体というわけではないのですが、熱交換機やエアフィルター等について手掛けています」

「なるほど、我々も翔君の言うように、さきほど言ったものが実現に近づいたらお父さんの会社も試作などに加わっていただくように私共からも呼びかけます」


「それは是非お願いします」

 結局、さまざまな話で笠松と名波は2時間ほども滞在してしまった。


    ―*-*-*-*-*-*-*-


 翌週の月曜日、翔は母の洋子の軽自動車に乗って、K大学に隣接する付属小学校に約束の午前9時前に到着した。

 前の金曜日には、最後の授業の時に担任の赤井教師が翔の転校のことをクラスの皆に話をした。付属小学校に転校ということで、ざわつきはしたが、特に友達もいない翔であるためか、個人的な話をしてくる子もいず、あっさりしたものであった。


『ぼっちだな』自ら選んだ立場であるものの、いささか寂しく思う翔であった。とは言え、付属小学校では限定的な授業しか受けず、殆どの時間を大学ですごすことになる事には楽しみではある。

 

 案内図に従って、付属小学校の正門を通り、駐車場に車を止めて玄関に向かう。

 翔は送られてきた制服を着て、母はスーツ姿で気合がはいっている。

 母が、玄関わきの事務室の受付の窓を開いて声をかける。

「転校の水谷翔です。木村教頭先生から呼ばれてまいりました」


「ああ聞いています。スリッパに履き替えて上がって下さい。それから右手に行ったところに第一応接室がありますから、そこで入って腰かけてお待ちください。教頭の木村はすぐに参ります」

 窓の前に座っていた中年の女性が応じる。


2 人は言われた通りの部屋に入って大きな机の前の椅子に腰かけて待つと数分で、ノックの音がして、カッターシャツの中年の白髪の男性と、30歳代に見えるスーツ姿の中肉中背の女性が入って来る。


 迎えて立ち上がって礼をする翔たち2人に、その人達は同じように一礼して声をかける。

「この学校の教頭の木村です。こちらは……」

「特2クラスの担任の安井と申します」


「水谷翔君とお母さんですね。こんど、この付属小学校に転校されるということで、一通りの説明をさせて頂きます。まずお座りください」

 そう言って木村も、安井と共に座って、ファイルを開いてそれを見ながら話し始める。

「君は水谷翔君、波島小学校の4年1組から、今日の9月11日に日付で転校してきました。翔君、そうですね?」

 木村は柔らかい声で淡々と述べる。


「はい、その通りです」

「君は、ここの学校では普通の学級でなく、特クラスという名のクラスに入ってもらいます。クラスの人数は5人ですが、あまり全員が揃うことは無いと思います。

じゃあ、後の説明は安井先生お願いします」


 木村の言葉に安井は頷いて話し始める。

 彼女の言うことは、翔は普通のクラスにいれるには特殊すぎて、問題があるということになったと言う。それで、特クラスの生徒は、集団活動が特に苦手または出来ない生徒を集めたクラスで、生徒の出席率は50%以下のようだ。


 その意味で、翔が出席していなくても目立たないことになる。確かに、翔は特殊な生徒であることも事実であるので似合いのクラスかも知れない。

 結局、翔は小学校で体育と、美術、音楽、すこし嫌だったけど道徳の授業はできるだけとることになった。さらに、確認の意味では主要なテストは受けることになり、その結果で理解が不十分だと授業も受けることなる。


 その後、母には帰って貰って、翔は木村教頭に案内されて、大学の笠松の部屋を訪問した。部屋には笠松の他に、名波ともう一人若い男性が待っていて、笠松教授が翔たちを迎える。


「木村先生。ありがとうございます。翔君よく来たね。ええと、こちらは、翔君も木村さんも初めてですね。名前は斎藤正人君。名波准教授の教室の大学院生で、翔君の世話役の責任者的立場だな。だから翔君とはパートナーになるかな。

 ところで、木村先生、翔君の小学校の授業はどういう方向になりましたか?」


 メンバーの紹介の後、名波が木村教頭に聞く。

「はい、大体当初の話の通りで、特別クラスに加わってもらいます、そして体育と美術・音楽・道徳については原則として小学校で受けてもらう方向になりそうです。ただ他の科目も主要なテストは受けて貰います」


「わかりました、ありがとうございました。大体予定通りですね」

 名波が言い、あと少し事務的な話し合いの後に、木村が出ていく。それを確認して、笠松は翔に話しかける。


「ところで、折角来てもらったので、名波君、斎藤君を交えて専門の話をしよう。翔君から、名波君の論文を読んでからあの論文に至る考えと、どうやってあれを考えたか説明してもらいたい」


「はい、名波先生の論文を読んで、まず思ったのは、MITのジョン・ケンリッジ博士の5年前の論文で………」


 この翔の話は、斎藤は無論として、名波、笠松にとっても、技術的な発想、展開に関して衝撃的なもので、笠松にとっては学内での翔が参加したこうしたセミナー的な集まりによる、互いの学習の可能性を深く考えさせるものであった。


 そして気が付くと、昼はとっくに過ぎて午後1時に近くなっていた。

「いやあ、ごめん。もう1時前だ。食事に行こう」


 笠松が言い、皆で学食に行く。食事中も研究の話をしていた。その後は、翔はます名波の部屋を訪れて、待望の論文を漁って都合4時間以上にわたって読み込んだ。そのために、結局翔が斎藤に車で送られて家に着いたのは午後6時前であった。

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