第4話 翔の転校1

 名波准教授は、研究室に帰ると席に座って深呼吸をして一旦落ち着いた。それから、おもむろに受話器を取り上げ、主任教授である笠松の内線電話番号をプッシュした。


「はい、笠松です」

 相手の応答がある。

「あ、笠松先生。名波です。ちょっと大事な話があるのですが、ご都合はいかがですか?」


「うん、今日の午後は空いているが、夕方にアポがあるのですぐのほうがいいね。すぐ来られるかな?」

「はい、しかし、その前にお話をしたい論文を読んでもらった方がいいと思いますので、今からメールで送らせていただきます。読んでいただいて、そのその後ご都合のいい時間をご連絡いただけますか」


「わかった。メールを待っているよ」

 名波は、笠松教授あてに翔から送られたメールを送り、しばし考え込んだ。彼の考えでは、あれほどの才能を生かすにはどうあっても水谷 翔は大学に取り込むべきだ。そもそも本人が、今の環境に満足してなく、大学に所属することを望んでいる。


 今回のことは、翔の家庭状況は両親が多忙で、あまり子供に干渉しない親であるという意味では、やりやすい状況ではあると考えられる。しかし、自分では翔という特大の爆弾をマネジメントするには不足する部分が多い。


 翔は、いままで亡くなった祖母以外の周囲に対してはいわば猫をかぶってきた。それが、10歳になったことを機会に、自分を世に問おうとしている。わずかな時間で、名波の書いた不十分な論文を、あそこまで仕上げたというのは『天才』というのでは言葉が不足している。


 たぶん、アイシュタインを超える歴史上はじめて生まれたレベルの才能の持ち主だ。どこまで能力があるのか計り知れない。しかし、本人はまだあの論文は十分でないという。自分では手を尽くして、文献を仕入れてそれをベースにあの論文を書いたが、まだベースになる文献が足りない。


 だから、取りあえず名波自身と、少なくとも笠松教授の持っている文献や論文を漁りたいと言われている。彼の構想では、彼が望む装置の開発を行うためには、まずその物理的根拠を明らかにして、それを出来るだけ早期に装置化していきたいということである。


 そして、彼が当面のターゲットに置いているのは、核の融合を利用した発電装置に加え、大容量の核バッテリー、さらにモーター製造の簡便化だと言う。この2つは、すでに具体的に構想があるらしい。


 さらに、不安定な核分裂物質の性状は文献が多いだけに、すでに解き明かしていて、操作因子も掴んでいるという。

 だから、日本でとりわけ困っている核廃棄物の放射能発生の抑制についても具体的アイディアがあるという。さらにその技術の延長で、核爆弾を無効化することも十分できるという。


 とは言え、彼の云うには、いわゆる常温核融合によって人類が無限のエネルギーを得ることが最重要である。だが、安定した物質の核融合に関しては、送ってきた論文のように理論化はほぼ終わっているが、実装置化には少々時間を要すると言う。


 だけど、彼が絡んでK大学の人々の衆知を集めれば、数年で実現可能であると言っている。彼の言うことを聞いていると、頭がおかしい少年の誇大夢想のようである。

 だが、名波は翔の提示してきた論文のレベルが判るだけに、妄想とは思えなかった。


 翔の語る構想には名波もついて行けなかったが、いずれにせよあの少年は、名波の専門分野である物理学以外でも、画期的な仕事ができるであろうことは確信できた。

 当面のところは、彼の言うように、彼が“不足”しているという文献等を与えることは容易である。


 だから、彼が要望しているように大学の付属小学校に籍を移して、大学に出入りすることを可能にしようと思う名波であった。そうすれば、少年の云うように彼の構想する理論の確立が達成でき、その成果の上に様々な開発・発明品は実現するのではないか。


 その中には、名波自身も関わりながら、翔が構想した常温核融合についても、翔が主体的に係り、かつ十分な資金が得られればごく短時間で実現するのではないか。 

 現時点の、地球社会の最大のジレンマは、地球温暖化もあるが、エネルギーのひっ迫も大きく、核融合が実現すれば、どちらも同時に解決する話だ。


 それらの動きが、翔を中心に、まさに名波が属するK大学を中心に起き、自分がその渦の大きな一つになるというのは、学者として大きなチャンスではある。しかし、そのための人脈・資金は自分にはなく、笠松教授であればなんとかなるのではないかと思うのであった。


 電話が鳴り、受話器を取り上げながら、ちらりと時計を見ると先の電話から約1時間が経過していた。

「はい。名波です」

「笠松です。あの論文は君が書いたのか?」


 冷静に話そうとしているが、隠しきれない笠松の興奮が伝わってくる。

「いいえ、私が前にお見せした論文をHPにアップしたのはご存知だと思いますが、それに対する答えの形で、メールで送られてきたものです。今から時間、よろしいですか?」

「待っているよ」


 急いで、論文などを入ったクリヤーファイルを取り上げ、院生室のドアを開け、中にいた斎藤ほかの院生に「ちょっと笠松先生の所に行ってくる」と声をかけ、廊下に出て、小走りになりそうなのを意識してに落ち着いて教授室まで行く。


 ノックへの「どうぞ」との返事でドアを開け、「失礼します」と声をかけ、机に上の書類に視線を落としている笠松教授の正面の椅子に腰かけた。

 教授の前には、プリントアウトされた問題の論文が置かれ、すでに多数のマーカーが引かれている。教授が顔を上げて話かけるが、少し目が血走っている。


「読んだよ。これほどのものは少なくとも学者になって初めてだ。どういう経緯なんだ?」

「メールで送ってきたものです。送ってきたのは、水谷 翔と言う名の人物です。前から、教室のHPへ質問をぽつぽつしてきたのですよ。彼が私の論文を完成させた形で書いたものです。もっとも本人はまだ手を入れる必要があるとの考えのようですが」


「確か、君がHPにあの論文を出したのは2週間前だったよね。わずか2週間で、あの内容を考えて、形にするというのは、信じられない!ところで、水谷君とは会ったの?」


「ええ、小学校4年生、10歳です。近くの波島小学校ですよ」

「ええ!小学生!本当に自分で書いたのかな?」


「論文の内容の話をかなりしましたが、執筆者以外では応えられない説明からして間違いないと思いますよ。見た感じはごく普通の小学校の男子生徒です。

 背は140㎝位だから普通で、ちょっと頭が大きいかなという感じです。色が白くて目が大きくて可愛い子ですよ」


「ふーん。君に接触してきたというのは意図があってのことなんだろうな?」

「そうです。意図があって地元K大学の私に接触してきたのです。笠松先生のことも承知でした。彼は、自分で天才と言っていました。最近亡くなったおばあさんから、才能を隠すように言われてきたそうですが、10歳になったから、もう世の中に出ていいと思ったそうです。


 当面は、私と先生の持っている文献を読みたいそうですよ。それで、お手元の論文を完成して、さらに彼が温めている理論を確立するのが第1歩らしいです。

 それから、わが大学の工学部等の力も借りてその理論から導かれる装置を実用化するということです」


「うーん。それは冗談ではなく?」

「そう、間違いなく本気でしたね。でも、お手元の論文を書いた少年ですよ。理論の確立という点では、その論文に打ちのめされた非才の身の私としては疑う気になりません。実装置化と云う意味ではなんとも判断は着きませんけど。


 ただ、彼は今のところ人手と金があれば、出来るという装置というか物を3つ挙げていました。だから、それをやってもらって事実それが出来れば、全面的に彼の言うことを信じればいいのじゃないでしょうか」


「ほお?その3つとは?」

「一つは超大容量バッテリー、A6判の大きさの厚み10㎝位で100㎾hの容量だそうです。ただ電極はそれに取り付ける必要があります。

 もう一つはそれに絡んで、銅の巻き線が必要なモーターの回転子を、アルミの鋳造品で代替することで大幅に安くするということです。


 さらにもう一つは、放射線の発生を押さえる装置だそうです。これで、放射性廃棄物の放射能を押さえ、さらにですね、核兵器の核分裂の連鎖反応を抑えることが出来ると言います」


「なんと………。どれもとんでもない物ばかりじゃないか。何より最後の核兵器の無効化?これは世界の軍事バランスを変えるぞ。それとバッテリー。超バッテリーというのは、この論文にも示唆されている原理かな?」


「ええ、そうですね。従来の電池が化学(ばけがく)的反応を利用しているのに対して、部分的ではあるが素粒子的に電子を傾向づけて取り出すということです。

 そのバッテリーは何度も使えますが、電力を充電するのではなくて、工場で云ってみれば『励起』する必要があります。現在の電気自動車の最大の欠点は充電時間でしたが、『交換』すればいいのです」


「うん、モーターだって今は銅が高騰しているし、エンジンがモーターに変わればそれに輪をかけて……。名波君、その翔君はこれらが人手と金があれば出来るというのだね?」


「ええ、そう言っています。理論はすでに確立しており、試行錯誤はある程度必要としても作り方も頭にあるそうです」


 笠松教授はそれに対して、すこし間をおいて名波の顔を見てにこりとして言った。

「是非、翔君が我々と働けるようにしようじゃないか。悪くてもこの論文が完成することは間違いないだろう。これは、世界の物理学会に多分アイン・シュタインの相対性理論以来のインパクトを与えるよ。

 それに、理論の実用化もずっと早く進むことは間違いない。翔君はわが大学の力を使いたい。つまりは大学に普通に出入りできる環境を作る必要がある訳だ。だから、付属小学校に転校したいのだね?」


「その通りです。親は自分で説得するそうです。ですから、我々で付属小学校が転校の申請を受けて、出来るだけ授業を受けなくて良い環境を作って貰いたいと言っています。試験は全部受けてもいいそうです。どうせ、今までも殆ど満点だったらしいですね」


「ふーん。学長の山内さんにも動いてもらえれば受け入れは可能だね。その授業時間も、必要だったら文科省を動かせば、なんとかなるだろう。彼の家はどこかな?」


「市街地を挟んだ反対になりますが、西山団地で大学から20㎞ほど離れていますね。通学は40分位かかるでしょう。ただ、彼は金を持っているので、場合によっては近くのマンションを借りてもいいそうです。彼に言わせると、通学の時間は無駄だそうです」


「金をもっている?なんだそれは、……。ああ、そのくらいの天才だったらネットがあれば稼げるよね。なるほど、研究者としては羨ましいけどね。

 まあ、それは置いておいて、さっそく手続きに入ろう。その目途が着いたら、ご両親に会いに行くとするかな。その前に、本人に会いたいな。学内で動くにも僕が会ったこともないじゃ話にならん」


「ええ、じゃあ。来てもらいますよ。場合によっては今日という話はしていたので。先生のご予定は、何時までいいですか?」

「今は3半時か、夕刻のアポは取り消せるから、午後一杯はいいよ」


 名波のスマホで翔に連絡が付き、15分後に笠松の研究室棟の玄関に来ることになった。

「ところで、君は翔君が人手と金があればできると言っていたというものを挙げたけど、そうでない理論的に今後詰めたら出来るというものもあるんだろう?」


「ええ、今回の論文のテーマですよね。常温核融合によるエネルギーを、電力として取り出す装置、または熱として取り出す装置が当面の大目標らしいです。彼の目標は3年位で実証機を組み立てることだそうです」


「うーん。それは壮大だな。しかし、化石燃料のうち、使い勝手のよい石油・天然ガスの資源量はすでに底が見えて、すでに価格がどんどん上昇し始めている。さらには、その使用は明らかに気候変動を引き起こしている。

 その意味で、君の言う常温核融合は理想的な解決策だよね。燃料にあたる反応物質は気体水素でいいのだろう?」


「ええ、トリチウム(3重水素)は必要ないですね。だから、資源は事実上無限です」

「うーん、実証機が成功したら大変なことになるなあ。それの実現性に目途がついたら、早めに国を巻き込む必要があるかな?」


「いえ、それはどうですかね。実証機はそれほどの規模にはならないようですよ。だけど、翔君の云う通りだと、その前に核兵器の爆発抑止装置が完成するでしょう。そうしたら、いやでも国を巻き込みますよ。そうなったら、国は翔君から目を放すことないと思います」


「ああ、君の言う通りだ。まあ、そうだね。幸い翔君がまだ少年で、保護者がわがK大のあるK市に住んでいることだ。無理に動かすことはないはずだ。これは政治も巻き込んでおいたほうがいいだろうな」


「笠松先生の同級生の森田議員ですか?」

「うん、森田修一、僕の高校時代の同級生だ。彼も2世議員だけど、5期当選で、結構理論派で論客で通っていることもあって、ぼちぼち大臣の目も出てきた。まあ、同級生だから言う訳ではないけど、結構真面な政治家だと思うよ。

ただ、真面だけに派閥を作るほどの金がないな」


「そうですね。翔君が言うように進むと、地元で好意的に動いてくれる政治家は必要でしょうね。そういう意味では賛成です」

 そうしている内に、名波のスマホに着信があり、彼が研究棟の玄関に翔を迎えに行った。


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