第12話 核融合発電機の実証炉運転成功とその余波

 加藤総理大臣は、川村官房長官と共に官邸の執務室の応接セットで、たった今秘書が受けたその話を聞いた。

「はあ、明日かあ。いよいよ運命の日だね。まあ、実験室レベルの実験は何度も成功しているから、大丈夫だよな。そもそも、すでに商用機の建設を早めるために相当な投資をしているからね。失敗なんてことになったら、非難は免がれないな」


 首相の話に川村が応じた。

「総理、成功しますよ。自信を持ちましょう。大体、翔君が絡んだ核無効化装置、A型バッテリーとI型モーターなど、すべて成功してすでに実用化されています。今回は、実験室レベルで成功したことを示した結果、批判的だった研究者も実証炉の成功を疑っていません。

 それに、わが国の置かれている状況からは、先行して商用設備の準備をすることは当然の判断です。私は総理の判断は讃えられるべきものだと思っていますよ。閣議でも反対するものはいなかったでしょう?」


「うん、川村さん、解っているのだよ。私は重大な結果が出る前には弱気になるんだ。大学入試の発表の前もそうだったし、最初に当選した選挙の時もそうだった。実際のところは大丈夫だと思っているよ。

 それにしても、川村さん。ウクライナ戦争の再開以来、世界の動きは目まぐるしかったなあ。結果として、ロシアは領土をむしられたねえ。ウクライナのクリミア半島の再領土化に加えロストフ州の併合、中国のアムール州の併合に、それにわが国にとって大きかったのはアメリカが仕掛けたシベリア共和国の独立だね。


 ロシアは、軍のクーデターでエトロイエフ暫定大統領となって、前大統領のエグザイエフは、拘束されて裁判中ではあるが多分死刑だな。まあ、国からかすめた10兆円の資産というのは事実だったらしいし、国家の財産を食いつぶしてきたということだからね。


 汚職もあるが、ウクライナ戦争で国家運営を誤った点が大きくクローズアップされている。こっちの方だけでロシアでは普通に死刑になるな。エグザイエフの派閥のものが、まだ続々と摘発されているようだけど、彼らの資産も取り上げるのだろうな。彼らの資産はウクライナへの賠償金にあてるのだろうね。

 ロシアの暫定政権は世界からの経済封鎖を解こうとして必死だけど、ウクライナへの賠償の問題に道筋がつかないと全面解除はありえんものな」


「ええ、領土問題については、世界は現状を追認する様子です。でも今回国連の機能不全がはっきりしましたね。早晩抜本的な改革がなされないと空中分解しますよ。

 ちなみに、アメリカとイギリスを中心とする欧州は、シベリア共和国を独立国として日本と共同で開発を進める方向ですね。その一環として、中国が火事場ドロボウ的にかすめ取ったアムール州は、返還させてシベリア共和国の領土とする線です。


 核の無力化によって、中国はアメリカにどうあっても勝てないし、大きな損害を与えられないのははっきりしましたからね。国内での暴動も抑えきれなくなっているようですから、現政権が崩壊するのは少し時間はかかってもまあ5年は要しないでしょう。一方で北朝鮮の場合は精々数年ですね。

 そして、来年春のシベリア共和国の選挙後にサハリンを除く北方領土は日本への返還になります。これは、すでにシベリア共和国の指導部も認めていますからね。彼らにとって、生産性が低いあれらの列島は重しにしかなりません。


 アメリカの言い分は、広大なシベリアはそれなりの開発投資をすれば、人類にとって有用な地域になるのに、何事も効率の悪いロシアでは殆ど無人のままになっている。だからロシアから取り上げて、日本やアメリカが開発してやるのは世界のためということです」

 川村が受けて言い、首相が再度返す。


「うん、ロシアの効率の悪さは僕も思うけど、そうは言っても日本の19倍もの寒冷な大地を我が国はコントロールできるのかなあ?」


「その点は、このNFRG機にも絡んできます。これが成功すれば、常温核融合という技術は確立します。そして、実証機のシステムは電子を取り出して電力を得ていますが、製鉄所などに使うためにエネルギーを熱として取り出すタイプも実験で成功しています。

 電力を熱に変えるには、そのロスもさることながら、希少資源を用いたヒーターが必要ですが、この場合はその必要が無い訳です。シベリアのような寒冷地の開発に、常温核融合を熱源に出来れば開発に弾みがつくと思いますよ。

 ところで、ロシアからウクライナの賠償問題ですが、ウクライナ側の5千億ドルの要求はロシア側には到底飲めないでしょうね」


「ああ、ロシアにそんな体力はないな。イギリスの云う線が妥当なところだと私は思うな。クリミア半島の再領土化は当然として、それに加えロストフ州の割譲、さらに天然ガスと石油の10年間無償供与、あと金を千トンということだったね。

 ヨーロッパの連中は、第1次世界大戦でドイツに過酷な賠償を貸した結果、第2次世界大戦を引き起こした反省もあるんだろうね」


「そうですね。それにしても、ロシアの金備蓄は公称950トンだったのが、3千トンあったとはね。そして、そのうち500トンはエグザイエフが私物化していたというのだから、共産国というのはお粗末というか信用なりませんね」


「とは言え、わが国は今回のウクライナを巡るごたごたで、コロナに続く経済的混乱があったけど、物価上昇によって賃上げも進んでお陰でデフレは脱却できたな。それに、A型バッテリーとI型モーターのお陰ですでに投資が上向いている。 

 今後、ウクライナへのかなりの支援は必要だろうけど、一連の動きは我が国にとってはマイナスではない。

 そのうえで、明朝の試運転が予定通りなら、今後の高度成長が見込まれるな。どうですか、今日はお神酒を挙げて明日の成功を祈念しましょう」


「ええ、いいですな、是非行きましょう」

 首相の言葉に笑顔で応じる官房長官であった。


  ―*-*-*-*-*-*-*-*-


 四菱重工業㈱K市事業所構内の、長さ40m×幅15m×高さ15mもある巨大倉庫の中でNFRGの実証機は組み立てられている。翔は、実証機の操作盤から少し離れて、名波教授それに父の涼太と並んで、最後の試運転準備状況を見ている。


 今回の実証実験に対して、K大学の技術研究所からすでに内容が発表されていて、研究所としては結果に自信をもっていると断言している。だから、日本国内のみならず世界中からの期待は凄いことになっている。


 しかし、国益のための秘密保持は徹底しており、そのために軍需部門もあって固いガードが可能な四菱重工業㈱K市事業所が組み立て所に選ばれたのだ。従って、マスコミも数を絞るしかなく、テレビ局は国内2社、海外3社に絞り、新聞社は国内5社、海外10社に限って記者の数も最低限にしている。


 日本のテレビ局は、NHKと民放の代表ということでF社、海外からはBBCとCNN、それにARDとして、新聞社は三大紙のY新聞、A新聞、M新聞とK通信と地元の山海新聞、海外は日本に特派員を置いている社から選ばせた。


 Y新聞の記者である日坂麻衣は、現場の実証機とそれを取り巻くエンジニアをみて、彼らの『歴史を作る』という思いの緊迫感を感じている。そして、それに影響されて自分もわくわくドキドキするのが抑えきれなくなってきた。


 事実、日本人の記者は以前からにこのリアクターの話は、報道していてそれほど感銘を受けている風はないが、海外の記者の緊張と興奮ぶりが凄い。確かに、このNFRGが人類の歴史を変え得るものであるだろう。


 これは成功して普及すれば、人類は今後エネルギーに困ることはないのだから、これは人類にとって大きな福音であるのだ。そして、それは激化している気候変動の原因とされる温室効果ガスの発生抑制の完全な解である。確かに海外でより騒がれるのも無理はないだろう。


 この場合の特殊な点は、この開発費用は、基本的にK大学の技術研究所が支出しており、それはすでに10億円を超えているという。また一方で、政府が保証してすでに商用機に必要な設備。機器の生産ラインの建設が大々的に始まっているらしい。


 加えて、商用機の建設に必要な人材がすでに選ばれ、すでに部分的な訓練が始まっているという。確かに、現在ガソリン価格が政府補助があっても200円を超え、ガソリンのみならず石炭を含む全てのエネルギー源が大きく値上がりしている状況では合理的な判断だ。


 ただ、電力については、殆どの原発が過去1年で再起動して、全力で運転していることもあって電力料金の値上がりは1.5倍程度に抑えられている。原発の再起動がないと電気料の値上げは2.5倍を超えるという報道に、原発禁止の世論まったく力を失った。


 その状況を勘案して、加藤首相は国会の決議を得て再稼働を決めている。現在の状態で原発禁止を言うと殴られる事例も多出しており、口に出せない雰囲気がある。この状態なので、政府もNFRGが完成すれば値段の問題はすべて解消され、原発の稼働は短期的なものであることも、控えめであるがアナウンスしている。


 とは言え、常温核融合機で、しかも電力を直接取り出すなど夢物語としか思えないと云う論が強く、一般の人々の多くは本音のところでは信じ切れていないのが現状である。とは言え、『実現することを願う』とは誰もが思っており、その意味では今日の実証運転は非常に高い関心を集めている。


 42歳の麻衣は、科学に強い本社のエース級であることを買われて、東京から送られてきた。彼女は理学系大学の出身で科学に強いことは事実であるので、NFRGの事は自分なりに調べて、その理論も読んだ。


 だが、それを理解するのは、自分の知識と能力の及ぶ範囲ではないとあきらめている。また実験データについても手に入る限りでは調べたが、それが正しいのなら、事実常温核融合は実現できると思う。しかし、むしろ自分の学んできた常識が邪魔をして信じきれていなかった。


 地元の中山記者とカメラマンにホテルでピックアップされ、朝9時に目的の事業所に入った彼女の印象は『当たり』であった。その実証機が収納されている建屋に、続々と向かう人々に一人として軽い調子のものはいない。


 その実証機は、幅が4m余、長さが10m強の型鋼のフレームに載った武骨なものだった。大きな球体を含んで銀色と赤く塗った様々な機械が組み合わさっていて、高さ6~7mのもので、ある意味で美しいとも言えるものであった。


 その武骨な装置の端にはクリーム色の、幅が1.5mほどもある操作盤があって、その上面にはスクリーンがはめ込まれている。それは、様々な色の信号が輝いていて、唯一武骨な装置に彩を添えている。


 そして、実証機を点検して回っている技術者の真剣さを見れば、少なくとも担当する者達はこの機械の成功を信じているのを感じさせる。しかも山根経産大臣が来ている!

 その場に来たマスコミは、皆その場の雰囲気を感じとっており、記者はあらかじめ入手している資料を再度読み返している。このように、数は多くはないが、マスコミが見守る中で、真剣なスタッフによる準備が進む。


 実証機の起動を行う操作盤の正面には、FR計画の開発責任者の山村教授と全体のコーディネーターの笠松教授、さらに政府の代表としての山根経産大臣とその秘書が立っている。

 9時45分、一人のエンジニアが機体の傍の机に置いたパソコンのキーを操作して、その画面上の実証機の操作システムをダミーでシステムを走らせている。


 それを他の2人が覗き込んで、その一人が画面を読み上げ、さらにもう一人が手元のボード上のチェックリストをチェックしている。やがて、3人が「ふー」と息を吐いて、顔を挙げて向き直り山村教授に言う。


「山村先生、動作チェック終わりました。起動ボタンを押せばシステムは正常に機能します」

「うん、加藤さん、最終チェック有難う」

 山村教授は頷いて軽く頭を下げてマイクをとる。


「ええ、皆さん。私は今回のFR計画の指揮をとらせて頂いています、K大学工学部の山村です。約2年に渡ったFR開発計画は漸くその実証運転に入ります。この計画は主としてK大学技術研究所の資金とK大学の様々な学科の主導の元に、四菱重工業さんなどの企業の積極的な支援によって実施されものです。


 起動ボタンはこの操作盤の、この青いボタンです。10時になりましたら、山根大臣に起動ボタンを押して頂きます。では山根大臣、一言お願いします」


「経済産業省の山根です。このフュージョン・リアクター開発プロジェクトは、K大学が自ら構想され、更に自己資金で開発を進めてきたものです。

 常温核融合によって物質を電力に変換するというこのシステムが実用になれば、エネルギー価格の高騰に苦しむ我が国のみならず、世界にどれほどの恩恵を与えるか私が改めて言う必要もないでしょう。


 さらに、このシステムは地球温暖化への完全な解決策です。まもなく始まる試運転の成功は間違いなく人類史に残る偉業です。そしてその偉業は、この実証機の設置位置がK市であるように、開発を担われたK大学の笠松先生、名波先生及び水谷翔氏の研究があればこそのものです。

 さらに、同じくに開発の指揮をとられたK大学の山村先生等の働き、さらにはこのプロジェクトに従事した四菱重工業㈱の従業員の方々を始めとする多くの人々のご努力のたまものです。この場を借りて感謝の意を表するものです」


 山根は周囲にむけて大きく一礼した。山村はその後マイクを受け取って口を開く。

「さて、あと2分ほどですので少々お待ちください」


 そしてしばらく時計を睨んでいたが、「あと1分です。あと30秒、………秒読みをしますので、山根大臣、ゼロでボタンを押してください。10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、ゼロ!」


 山根が一瞬高く腕を挙げてアピールし、ボタンを皆が見えるようにボタンをしっかり押した。その数秒後、低い唸りが起き、パネルを見ている山村が読み上る。


「励起始まりました。リアクター内温度上昇中、100℃、―――200℃、――――300℃、――――400℃、――488℃、反応器の連鎖反応始まりましたので、電力エクストラクターをオンとします!」


「出力、――――5千㎾、――――1万、――――2万、――――3万、――4万、―5万、――7万、―――9万、―10.5万㎾、――――10.5万㎾で安定しました。ええと、水を分解後の水素ガス消費量は、12.05g/時です!10分ほど経過を見ましょう。その間お待ちください」


 その間、人々は雑談もせずにかたずを飲んで待っている。やがて、山村教授がパネルを見て口を開く。


「連鎖反応が定常状態に達してから、電磁波出力、磁力線の出力、電気の出力、リアクター内の温度は安定しています。まだ、継続して運転はしますので、機器の不具合等が生じる可能性がないとは言えませんが、FR機と電力取り出しのシステムの機能は実証されたと言えます」


「「「「「おお!成功だ!」」」」」


 山村教授のアナウンスに取り囲んだ技術者から歓声があがる。それは建屋内のみならず、建屋を取り囲んだ人々すべてが叫んだ。そこに、山根大臣がマイクを取って音頭をとる。流石に1流の政治家は流れを作るのがうまい。


「フュージョン・リアクターの実証成功を祝して、万歳を三唱します。それ、万歳、万歳、ばんざーい」


 それに集まった300人を超える人々が唱和する。

 名波は、どちらかと云うと万歳のようなノリにはついていけない方であるが、気が付けばそれに唱和して楽しんでいる自分に気付いた。


 翔も名波と同様というより、そのような経験が全くないのであるが、周囲に合わせて一緒になって万歳をしているものの奇妙な風習だと思う。周囲を伺うと皆本当に嬉しそうだ。自分の異質さを深く自覚している翔にとっては、人は全て警戒すべき対象であって無意識に周囲に迎合するようになっていた。


 その意味で、自分が本当に信じていたのは死んだ祖母のみであった。彼女は、本当の意味で彼に無償の愛を捧げてくれた人であり、自分が人をある程度信じることができる根拠であった。祖母は賢い人だったと思う。


 彼の異質さを理解したうえで、周りから警戒されないように導き庇ってくれた。そして、祖母はまた善意の人ではあったが、人の怖さ残虐さも知っていた。それらを解った上で、翔が人々の役に立つことを、そして世に溶け込めることを願っていた。


 翔は、祖母の臨終のときまで彼を優しく見つめてくれたその目を見て、祖母の願いに答えようと思っていた。だから、名波に会って話した内容は本音ではあったのだ。名波にあの論文を送った時には、自分の書いたものの値打ちはよく解っていた。


 しかし、その理論の発想をした人物が、自分の発想を超えるものを見せられてどう反応するかに興味があった。そして、場合によってそれが世にでるきっかけになるかもしれないという思いもあった。その意味では当たりであったわけだ。


 また、もう少し名波が自己中心的な行動をとると思っていたので、その後の展開の速さは意外だった。おかげで、自分もその熱狂に巻き込まれて自分を駆り立てて、方向つけに全力を出してしまった。その結果が今日のこの試運転がある訳だ。


 そして、翔は大学のみならず様々な研究機関の人々と交流することにより、様々な改良、開発が生み出されることには気が付いている。そして、それを笠松教授が翔による『触媒効果』と呼んでいることも知っている。


 そうした集まりが“翔セミナー”と公然と呼ばれるようになり、今では意図的にそうした集まりが開かれている。こうした集まりでは、当初は自分であっても知らないことの方が多い。

 だから、セミナーの仲で、限界のある中で知性を磨き知識を高めてきた出席者の知識と発想を聞き、自分の知識に加えることができるのは喜びである。


 セミナーにおいて、その後の展開の方向を示唆し導くことで、人々に広がる喜びの輝きは何とも心地よいものだった。翔にとっては、中学校の同級生などは、付き合うだけで疲れる相手であって到底語るに足る相手ではなかった。


 その意味では、大学での生活、そして様々な専門家との交流は自分にとって満足できるものだ。

 翔は今や決心していた、『行けるとこまで行こう!』と。

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