第39話 イセカ帝国への研究者の旅

 浅香みどりは、ドキドキしながら自分のリクライニング席に腰かけていた。乗艦は、国連軍宙航艦のギャラクシー1号である。この艦は、船体から宙航艦として建造された初めてのオリジナルの艦であり、その実容積は潜水艦改造型の『そら』型より2割程大きい。


 全長は100mで幅は12m、高さ15mであり、宙航機コメットを6機搭載しているが、そら型と同じく、コメットの半身を外部にさらしている。やはり宙航機を完全に収納すると、内部の配置に制約が大きいのだ。


 最小限の艦の運用のための乗員は25人で、乗客を最大100人乗せられるが、その際は乗員が乗客のためのサービスに2人~5人増える。武装は大口径レールガンが2基、小口径が10基設置されており、ミサイルも24発備えている。


 小口径レールガンの4基は、自在に砲身を動かすことができるが弾速が2㎞/秒と威力が小さく、6基は砲身を動かす範囲が小さいが大口径と同じ10㎞/秒と威力が大きい。


 交渉団のナセル・アクラン等の交渉が成功して、国連は調査団を送り出せることになった。その際に調査団の乗る宙航艦は、新造されたギャラクシー1号ということになった。これは、そら型では潜水艦改造で少々みすぼらしい上に居住性能が劣るということからの判断だ。


 そら型は、性能に大差はないのだけど、確かに溶接線が縦横に走っていて、みすぼらしいと言えばそうだ。それに元々軍艦であった潜水艦を艦体に使ったそら型には、乗客の存在は余り考えられていない。


 さらに、調査団をイセカ帝国に送ったギャラクシーは、帝国からの使節団を地球に運ぶことになっている。彼等は間違いなく賓客を含む乗客なので、使う艦はギャラクシーでなくてはならないと云う点は自明である。


 地球から、てんびん座η星へは17光年である。この航程は、まず月軌道の外側の太陽系内の重力の影響が少ない空間まで、力場エンジンで移動する。そこから、イセカ帝国のある惑星、イーガルから1千万㎞ほどの空間に転移する。


 そこから力場エンジンで、惑星イーガルまで力場エンジンで航行することになる。転移には時間を要しないので、必要な時間は3Gの加速で移動する太陽系内航行に要する時間である。


 そういうことで、17光年という距離にかかわらず、要する時間は1日強であり、これは今後距離が遠くなっても同じである。だから、艦内の乗客の座席は、以前の航空機の遠距離航路のファーストクラスの座席程度のものである。


 また、以前の飛行機と違って艦内を歩き回ることが可能で、ラウンジがある点で居心地は大幅に改善されている。だから2~3日の航行であれば乗客の快適性に問題はない。また、10席のみは狭いながらも個室になっている。


 ここは、広大なハバロフスク近郊の国連軍基地である。発進しようとするギャラクシーを囲んで、大勢のマスコミの記者が集まっており、国連軍の将兵も遠巻きに見ている。浅香は、日本のK市飛行場から、F型の飛翔機に乗ってやって来た。


 K大学技術研究所は、イセカ帝国と惑星イーガルの調査の費用の半分を負担しているので、調査団に大学の研究者を5人送り込んでいる。浅香みどりは32歳のK大学の文化人類学の准教授であり、その一員に選ばれたのだ。


 他には地学、地質、植物学、生物学の准教授クラスが選ばれている。乗った飛翔機は、大学というより研究所が持つ中型の機であり、5人の研究者と大量の機材を運んできた。


 なお、調査団には科学分野の研究者のみでなく、政治・経済、社会・組織、等の研究者も加わっており、短期間に帝国の全貌を把握しようとしている。さらに、その把握を元に帝国の経済・技術を底上げするための援助を行う予定になっている。


 現地での調査に当たっては、移動の足が必要になるが、イセカ帝国の車は現状では富裕層のみが持つ能力が低いものであり、道路も帝都や大都市の中心部を除いて舗装されていない。従って、調査団には6人乗りのF型飛翔機を20機、更にAタイプの地上車を20台供与している。


 それとは別に、イセカ帝国の皇族向けにF型飛翔機3機、Aタイプ車を10台贈っている。そうなると、励起工場が必要になるが、時間100セル励起が可能な励起ユニットをイセカ帝国に持ち込んで設置する。これらの運搬のためにそら型艦が使われる。


 さらに、今後帝国の基本的な生産力アップのために、国連は大規模な借款を考えている。国連は、地球の貧困解決のために、歴史上最大と考えられる大規模な投資を考えている。その状態の中で、なかなかの大盤振る舞いであるが、これは地球での投資に比べれば僅である。


 それと、ナセル・アクランの交渉団と帝国の交渉の経過をつぶさに見ると、帝国がしごくまっとうな国であることが判った。さらに、少なくともイセカ人の容貌は人とはかなり違うが、人が接して安感や不快感を与える存在ではなく、『人』として付き合える。


 そして、その判断は合理的で地球における通常の価値観と似ていると判断された。

とは言え、国連としてはイセカ帝国と交流は、地球人としての自覚を持たせることには大いに役に立つが、地球が得る経済的なメリットはそれほどないと見ている。


 しかし、国連はいずれ他の文明圏と交流するのは必須であると考えている。そういう最初の相手として、技術レベル・社会的には地球より1世紀ほど遅れているが、戦闘的でないこの相手は理想的であると考えている。そして、地球との交流の成功例としてのショーウィンドにしようと目論んでいるのだ。


 とは言え、浅香みどりにはそんなことは関係ない。彼女は文化人類学者としてイセカ人及び、この惑星イーガルに住んでいる人々を研究するのみである。文化人類学は、人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを研究する人類学の一分野である。


 より狭義には民族・社会間の文化や社会構造の比較研究を行う学問とも云う。だから、まずは地球人類との対比、さらにミーライガ大陸における、イセカ帝国が突出して文化的で技術も進んでいる所以を、他の国々との比較で解き明かすつもりだ。

 

 イセカ人は人類でなく、爬虫類から進化したと考えられる異星人であるのだ。その性差、生殖の過程、子育て、社会のあり方は放送を傍受してでの情報しかないのだから、これから行う浅香の研究によって、解き明かされる部分が数多くあるはずだ。 その意味で、今日この艦に乗って調査団に選ばれた幸運を感謝する毎日だ。


 文化人類学者は、彼女の他にはスウェーデンの男性学者で、若いがアフリカの集落の研究が世界に知られているルーカス・レビンである。彼とは協力して、出来るだけ早くイセカ人に係わる調査結果をまとめる必要がある。


 艦内の座席のある空間の高さは3mほどであり、柔らかい間接照明に照らされている。内部は力場エンジンとNFRGのかすかな運転音が聞こえるが、低いBGMによって静かさが強調されている。


 各座席の前には、15インチの画面があって、艦の状態などの表示が出て、映画のDVDなども視聴できるようになっている。この点は通常の旅客機と変わらない。しかし、旅客機と異なるのは、広めのデスクがあってシートを立てると本格的にデスクワークができる。


 だから、周りの研究者と同様に浅香もノートパソコンを持ち込んで、今まで集められたイセカ帝国の資料を調べなおしている。そのうちに、画面にパイロットの顔が映り、離陸を告げる。


「いまから離陸します。特に加速度は感じませんし、大きな揺れも無いと思います。ですが、規則により席についておいてください。では離陸!」


 少し、動き始めたのを感じるが、普通の飛行機のような加速感は全くない。これはK市から乗ってやってきた飛翔機と同様である。スクリーンには広大なシベリアの地表が映っていて、始めはゆっくりであるがだんだん速度を上げて、地上の施設が小さくなる。


 3Gの加速度で千m鉛直に上昇してから、45度の角度で斜めに上昇するのだ。しかし、力場エンジンによる飛行の場合には、機内では加速度は中和されて1Gでしか感じず、傾きは打ち消して床を常に水平に保っている。


 だから、離陸後5分ほどすると、「はい、大気圏外に向かっています。もう席を離れていいですよ」とのアナウンスがある。しかし、大半の乗客は席について仕事をしている。


 ちなみに、乗客席室の中央部には、パックに入った食事と飲み物を出せる自動供給機にテーブルと、10席ほどの椅子が備えられているラウンジがある。

 ラウンジの代わりに、飲み物や食べ物の席毎のサービスはない。席は2列毎に並んでその間には通路になっているので、自由に自分の席からラウンジに行ける。


 だから、乗客は食事をラウンジの5種類ほど選べる給食機から給食パックを取り、飲み物も取って自分の席で持ち帰る。酒類は、艦内の夜の時間帯のみ有償で給することになっている。


 パイロットが航路の案内図を画面に出している。艦は地球の重力圏を抜けるのに30分をかけ、転移点まで1千万㎞を、3Gの加速を3時間、6時間の等速飛行、3時間の減速の合計12.5時間で転移点に着く。


 てんびん座η星への17光年の転移には、転移のための充電に30分を要するが、転移そのものには時間は要しない。最初のそら型によるてんびん座η星への転異では、安全をみて10億㎞の位置に転移している。


 ここで、恒星系の様子を観測して、その結果に基づいて、目標の第2惑星イーガルまで1千万㎞の位置を転移点に決めている。なにしろ、17光年の位置の映像は17前のものなのだから、その間になにかあった可能性もあるので、この安全策である。


 1千万㎞の転移点から惑星イーガルまで、やはり12.5時間を要するので合計の航行時間は25.5時間ということになる。現在判っている範囲では、1回の転移の限界距離は50光年とされているので、転移点が惑星から1千万㎞の距離に設定できていれば、1日程度の旅で50光年までの目的地に着くことになる。


 この感覚は、嘗ての飛行機を使った地球上の移動と大同小異である。浅香に、隣に座った大学の同僚で生物学の三橋カンナが話しかけてくる。


「ねえ、浅香さん、恒星間の旅行が1日なんて信じられないわね。私が南米の田舎に調査に行った時なんて乗り換えを繰りかえして、エコノミーで30時間よ。まあ今度はずっと乗ったままだけど、こんな真横に寝ることのできる座席だから快適そのものよ。歩いて回れるし、それに騒音も無いしね」


「そうね、私は仕事柄海外の調査が多かったから、貴方以上に遠出しているわ。研究費が限られているから、いつもエコノミー席よね。まあそれはいいのだけど、研究費がなくて研究もままならなかったのが、今は技術研究所の研究補助金があるので助かるわね」


「ええ、わが家は今回ベビーシッターのお金も出して貰えたから、大助かりよ。ただ、経済的な意味では理系の人たち、特に製品の開発に係わる人たちの権利料は羨ましいわね」


「そうよね。でも、文化人類学ではお金になるようなパテントとかは無いもの仕方がないわ。それでも、学内の各分野でそれなりに注目された研究をすると、賞金がでるようになったでしょう。結構、額も太っ腹で嬉しいわ。三橋さんは去年貰えたでしょう?」


「そう、学会賞も嬉しかったけど、副賞は記念品のみよ。ところが、それに対する学内の賞金が何と50万よ。嬉しかったな。家族でちょっとした旅行をしたわ」


「まあ、私もK大学に入ったのも、授業料の安い国立ということで、T大とかは無理だし、ということなのよね。三橋さんもそうなんでしょう?」


「ええ、まあ。私は実家から近かったのもあるけどね。でもさ、今や文系でもレベルはT大に並んじゃったし、理系は抜いちゃったというより、世界一と言われているね。研究費は、概ね以前の倍額で、申請して通ればそれ以上もありだよ。

 だけど、ぬるま湯的にできなくなったよね。浅香さんの研究室でも『セミナー』はやっているでしょう?それに、例の処方は受けたんでしょう?」


「ええ、やってます。子セミナーだけどね。それで、確かに研究室全体のレベルは上がっているわ。それに、あの処方、表向きでないけど、学内は殆ど終わったはずよ。旦那が『俺も受けさせろ』ってうるさいのよ」


「うちの旦那もよ。一般に広げるようにということでは、厚労省が一般に認めるにはもう数ヶ月かかるらしいわ。一つには海外からがうるさいらしいわ。なにしろ、K大には世界中から研究者が集まっているのだから、K大発の研究結果がずば抜けている事は隠しようがないのよね。

 だから、日本だけが先行しないようにと、圧力がかかっているらしいの。それで、海外から処方を行う人材を集めて訓練する仕組みを準備しているのよ。それと、必要な機材を必死で作っているらしいわね。


 特に、処方はそれなりに慎重に行う必要があるから、看護婦資格のあるもので訓練は少なくとも1週間は必要らしいので、今は介護士も含めて日本中から人を集めて、訓練をしているところよ。

 介護士については、高齢者の処方はどんどん進んでいるから、手が空いてきた介護をやっている人を『処方士』として訓練もしているようね。


 訓練には実習も含むから、実習用に処方を受ける人も必要よ。私達もその枠で処方を受けたのよ。K大は終わちゃったし、近隣の大学、専門大学、小中高の先生方、自衛隊員などを軒並みやっているけど、もうK市の市民の要望者になるから、うちの旦那もすぐじゃないかな」


「そうよね。でも旦那が羨ましがる気持ちは解かるわ。ものを巨視的に見ての総合判断力が上がるし、早くなるわね。それに関連して、取捨選択が的確かつ早くなるわね。それに、記憶力が上がったのはすぐに自覚できる。

 結果として、仕事で疲れなくなった。それははっきり自覚できるわ。そうでしょう、浅香さん?」


「そう、その通り。そもそも、研究そのもの、書類仕事、連絡のやり取り、議論なんかが早く済むから、働く時間が短くなっているのもあるけど、週末にぐたーとすることはなくなったね。

 でも、これだけ効果のある処方を、受験生にどう受けさせるかは難問ね。もうわが大学も入試まであと半年よ。まあ一過性の問題ではあるけど、三橋さんはどう思う?」


「うーん、厚労省の方針としては当面12歳からで、その後幼少者への治験が進んで問題ないことが判ると6歳の可能性もあるということね。だから、確かに一過性なんだけど問題は来年の受験生よね。彼等については来年の受験の段階で全員が処方を受けるのは無理でしょう。

 処方後は慣れるのに時間がかかるから試験寸前に受けるのも可哀そうだし。だから、全員が受けないという措置にするしかないわ。可哀そうだけどね。受けた者とそうでない者に歴然とした差がでるという条件ではそれしかないよ。


 これは、処方の効果が、受ける前の能力に比例するわけではないということよ。基本的には能力という言葉が適切かどうか判らないけど、低い人はより高まり、高い人の伸びは低いということのようね。

 そういう意味で、能力が逆転することはない訳よ。だから、受けた人とそうでない人にハンディを付けるような判定もできない。

 これで、人々の能力が底上げされるということだけど、天才と言われていて人が優秀な方の一人になってしまうということね。


 と言うことは、人々、受験生もそうだけど能力の差が縮む訳だから、努力で差がつくという訳よ。だから、その次の受験者は最優先で受けさせる必要があると思う。また、試験問題を作って採点する側は、問題を難し目にして差が生じやすくすることになるはず」


「うーん。そうよね。授業のあり方も変わってくるはずだし、その辺りは試行錯誤ね。ところで翔君は処方を受けたのかな」


「うん、受けたそうよ。私は結果を聞いたけど、彼の頭脳のシナプスというかその密度と輝きは常人とはけた違いだったらしい。処方の結果は前後で差は殆ど見られなかったそうよ」


「うーん、その発明で世の中をすっかり変えてしまった超天才だからね。あれ以上賢くなったら困るわ。その意味では、私達凡人が彼との差を少し縮めた訳ね」

 始めてじっくり話をする二人は、目的地への1日強の旅ですっかり親しくなった。

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