第52話 翔のホウライへの移動

「名波先生、翔君の新ヤマトに行きたいという話は聞いたかな?」

 K大学技術研究所の笠松理事長が、部屋に呼んだ名波教授に聞くと、名波は頷いて答える。

「ええ、聞きました。まあ、無理はないでしょうね。どこに行っても護衛が付く生活というのは本人でないとわからないでしょう」


 笠松理事長は65歳であり、年間7兆円の予算を握るK大学技術開発研究所のボスであり、すでに研究生活からは足を洗っている。一方で、名波は39歳の教授であり、異例の若手教授であるが、常温核融合を実用化したことで、ノーベル賞を受賞したことが大きな理由だ。


 また、NFRGの開発による国への大きな貢献も、文科省の積極的な賛成の理由だ。単独でノーベル物理学賞を受賞したのは4年前であり、NFRGの開発からわずか3年での受賞は例がない早さであった。


 それだけ、人類のエネルギー問題を直接的に解決し、地球温暖化の問題を間接的に解決したインパクトが大きかったということだ。実のところ、選定委員に対して翔との共同受賞を名波は主張した。


 だが、あまりに若年ということでノーベル賞委員会がためらったことと、翔自身が余り目立ちたくなくて固く断ったことから単独受賞になった。まあ、名波の元になった論文がなければ翔もその先の展開を考えなかっただろうから、名波の受賞は正当なものである。


 また、それがなければ翔がその分野に取り組むのが大きく遅れた可能性もあるので、名波の働きは大きかったと言えよう。とは言え、翔のことを公表できるようになってからは、名波はちゃんと翔の存在なくしては常温核融合の開発はなかったと公言している。


 彼の妻の瑞希は、夫が自宅でノーベル賞委員会から電話を受けた時には「ほら!言ったとおりになったでしょう。おめでとう!亮太さん」と飛びあがって喜び、彼に抱き着いた。

 それを5歳の娘の沙耶と3歳の息子の学(まなぶ)がぽかんとして見ている。


「沙耶、学、お父さんがノーベル賞というすごい賞をもらったのよ」

 夫の頬にチュッとキスをした瑞希は、食卓に座っていた子供たちの前に行って言い聞かせたものだ。学は流石に覚えていないが、沙耶はその晩のことをその後、幼稚園でしゃべっちゃダメと言われたことも含めてはっきり覚えている。


 瑞希は、前から言っていたように、その日のために高価な訪問着を買ってそれを着て授賞式に出席した。授賞式には、自費で息子と娘を連れて出席したので、幼い子供を連れて出席した受賞者は初めてと、良いニュースネタになった。


 無論その程度の散財は、単独受賞の賞金1億円余りで十分賄えるが、その時点では、名波の年収はK大学技術研究所からの『手当』もあって4千万円を超えていた。

 現在の名波は、翔の考え出した『宇宙均衡論』を統合化させる仕事に取り組んでいる。これは、この世の成り立ちを物質及び空間と時間の相互作用として解き明かそうというものだ。


 これが完成すれば、宇宙の成り立ちが明らかになり、様々な活用に当たって操作が可能なことと、その操作因子がはっきりする。現状のところ、それは歯抜けだらけの模式図であるが、現在埋められていることのみでも人類の生活の在り方、生存圏が大きく変わってきているのだ。

 最近ではこの論の論文を発表し始めている名波に同調するものも増えてきて、学界に分科会ができる様相になってきた。


 また、名波のノーベル賞受賞から1年遅れて、A型バッテリーの開発で、K大学の電気工学の西村准教授、冶金工学の城田教授、応用物理の島村教授が化学賞を受賞した。さらに1年遅れで、力場エンジンの開発でこれまたK大学物理学科の笠松教授と機械工学の水上教授、電気工学の安井教授に加えて翔が物理学賞を受賞した。


 さらにこの年には、ウイルスを使ったガンの治療法の開発で、発案者の東京大学の仁科教授に、手法を完成させたK大学春日医学部教授と蜷川准教授が受賞している。 

 さらには今後もアンチ・エイジングの処方の開発、『身体・頭脳活性化処方』の開発や空間転移装置の開発などで数年の内に続々とノーベル賞学者が生まれると言われている。


 これらの受賞者は、K大学の研究者がほとんどであるが、開発セミナーの手法が少なくとも国内には標準的な手法としていきわたって使われており、世界にも広がっている。これに、『処方』の知能の増強効果が合わさって、日本のみならず先進国のイノベーションの進みは爆発的なものになっている。


 技術開発研究所からは、その莫大な権利料収入から、4兆円を超える資金が研究補助費として世界中の大学や研究所に支払われているが、そのうちの3兆円の支払先が国内である。


 これらは、K大学技術開発研究所の審査のうえで、希望する研究者に研究費を支出するものであり、開発セミナーの成果を実現する上で非常に有効である。結局は金がないと、いかなる研究もまともに進まないのだ。


 K大学技術開発研究所の、この4兆円以上の『研究補助費』の支出は日本政府と合意の上で行われている。要は税金を払う代わりに、科学技術を発展させるために使いたいと首相を説得してでの話であるが、どうせ払うなら、自分で使い道を決めたいというのが真相である。


 K大学及び、3千人の研究者を抱える研究所の研究費は無論別枠である。また、3千億円がそれぞれの研究者の獲得した特許料などの権利を『手当て』として支払う原資になっている。受取額が一番額が多いのは翔であり、年間10億円を上回っているが、実際はその50倍ほど払う必要があるところだ。


「そんなにもらっても使い道がないものね」という言葉が翔の考えだ。

 19歳になった翔は、一人で大学の隣のマンションに住んでおり、おおむねは大学に通っている。彼の周りは相変わらず厳重な警護体制にあるが、専用の飛翔機が与えられてからは、国内のみならず気軽に海外へも出かけるようになった。


 その専用機は、非武装ではあるが、力場エンジンを強化した軍用のもので、自衛軍のエース級のパイロットが配属されている。だから、仮に1線級の力場エンジン駆動の戦闘機に追われても逃げ切れる力がある。さらに、海外に行くときには自衛軍の戦闘機が護衛に付く。


 まさに、首相以上の整備体制であるが、国会でこれが問題になったことがある。

野党の女性議員が国会の予算委員会でかみついたのだ。

「一個人の移動に、これほどの警備を国費でつけるのはおかしい。この週刊誌の記事によると、この未成年の水谷氏の警備費用は年間2億円近い。これは誰の判断でこのような乱費を行っているのか答えてください」


 それに対して、総務大臣が答えている。

「錬館議員は、水谷翔氏に最大限の警護をつけるのを無駄とおっしゃるわけですね。人間に貴賤はないと言いますが、日本国あるいは人類に対する経済的・社会的な貢献に差があることは解っていただけると思います。

 国民の皆さんは、水谷翔氏が過去10年弱の間に数々の画期的な発明・開発の中心になってきたのはご存じでしょう。無論、それは彼一人の成果ではありません。しかし、一緒に開発に携わったすべての人々が水谷氏の参画がなければ、それらの開発はあり得なかったと口をそろえています。


 あるシンクタンクの試算では、彼が携わった数々の開発によって我が国が得た利益は先年度末時点で290兆円とされています。さらに、これらの開発によって我が国が得た国際関係における利益は、安全保障面を含めて金額にすればそれ以上です。

 また、彼を拐取、つまりさらおうとする試み、または傷つけようとする試みは公表・非公表を含めて過去に8件があります。また、このような警備体制をとることで、そのような試みをやろうとする意図をくじく効果もあるわけです。


 はっきり言って、仮に私が拐取されるか、暗殺されても、悲しいかなわが日本国にはほとんど実質的な損害はありません。しかし水谷翔氏は違うのです。このように、日本国政府は彼に対する警備は必要なことは明らかです」


 錬館議員は例によって屁理屈で反論したが、後でネットと電話で散々に叩かれた。さらには国会の質問の元ネタになった週刊誌はもっと激しく叩かれた。弁護する論はほとんど見られず、議員とその政党、週刊誌は大いに声価を落とした。


 その時点では、日本国民の多くは『処方』を済ませており、様々な事象について自分の意見を持っていたので、なかなか扇情的なテーマで人々を煽ることは難しくなっている。


 そのように、飛翔機という安全で、どこからでの離発着できる乗り物を得て行動範囲が広がったとは言え、結局行けるのは安全であることが解っている場所のみである。だから、そこにはセンサーが配置されて出発前に到着場所の安全を確認して初めて出発できる。


 ちなみに、翔と行動を共にしていた斎藤はすでに准教授となって翔とは離れているが、片山は依然と同様に翔と行動を共にしている。


「僕は、将来は翔君の伝記作家になるんだろうね。彼の伝記を書くには科学的素養も必要だしね。僕の専門は元々応用物理だったのだけど、翔君にくっついているうちに何が専門か自分でもわからなくなってしまったこともあって、結構今の立場は居心地がいいしね」


 彼は人々にこのように公言しているが、翔の周りには各国政府の推薦のため、断われない若い学者が常に集まっているので、彼らの調整役に片山の存在は必須である。

 ちなみに、翔は3年ほど前から、様々な女性と付き合い始めたというか肉体関係を持つようになって、すでに2人の子供がいて、2人が妊娠中である。最初に女の子ができたのは、総務省のキャリアの石原真理恵であり、38歳の出産であった。


 翔の第1子は彩(あや)と名付けられて、K市に転勤してきた石原が育てている。彼女は、ベビーシッターを雇って2DKのマンションに娘と一緒に暮らしている。

 第2子は男の子で譲司(ジョージ)と名付けられアン・マークレンとの子であり、彼女と共に彼女の母国のアメリカに帰っており、国が最高の保育環境を与えている。


 翔の母の洋子は、違う女性との間に子供をどんどん作っている息子に複雑な心境だった。だが、翔の異常なまでの知性に比べれば、その程度はまだ人並みという最初の子の母の石原に説得され納得した気になって、親しくなった彼女のマンションに通って孫をあやしている。


 さらに、茂田カンナが現在妊娠6ヶ月で休学中であるが、フランス人のルイーズ・フランソアは安定期に入った時点で祖国に帰っている。彩は1歳になったばかりであるが、様々な検査の結果、知的能力の高さがすでにはっきり表れている。


 結局、国の思惑通りに翔は行動しているのだが、片山から婚外子を多数作ることを聞かれた翔の答えは以下のようなものだった。


「うん、まあ倫理的にはおかしいのかも知れないけど、日本だけでなく国が僕の遺伝子が欲しいというのは解るんだよね。その結果がどうなるかは調べたけれど、畑は優秀なものを選んでいるようだから、まあ普通以下ということはないようだな。

 僕のレベルの子も現れる可能性はあるし、それほど失望させることはないと思う。

それに、相手が嫌だったらそんなことはしないけど、相手も納得の上だったらいいと思うのだよね。


 まあ、そんなことを言っているけど、結局僕は女の子というか女が好きなんだよね。だけど、悪いけど一人の女性とずっと暮らしたいとは思わない。

 それに僕は結局セックスも大好きだから、そういうチャンスをくれるなら歓迎ということだな。無論、自分の子は皆ちゃんと認めるよ。経済的に必要だったら援助するし、望むなら一緒に住むよ。彩は可愛いよね」


 翔は片山と共に、笠松理事長の部屋に呼ばれた。そこには名波教授も一緒に待っていた。

「翔君、急にすまんな。君がホウライに行きたいということだけど、中京市に作るK大の分校から国立新ヤマト大学に持っていく構想に乗ってくれるということでいいのかな?」


 いきなりの笠松の質問に翔が答える。

「ええ、その計画があるので、それに乗った方が楽ですからね。最近は僕が必要と考えた開発は大体終わりましたし、皆優秀になって放っておいても考えられる改良は進んでいますから、ほとんどのものはもう手が離れたのですよ。最近はマンネリかなという感じです。

 それに、僕も宇宙へのあこがれはありまして、やっぱりホウライに行けば、地球型惑星一つ調べ放題というのは魅力ですよね。一応、太陽系の惑星はすべて回りましたけど、生物がいないというのはやっぱりつまらないですね。


 心躍る探検というのは、自分たちが入っていける自然があってこそだと思います。それに、ホウライは空間転移装置を使えば1日で行けますからね。ちょっと前の海外に行くような感じですよ。動画送りとデータ通信はまだ少し時間がかかるようですが、空間通信装置もできましたからリアルタイムの連絡も取れますものね」


「うん。実は僕もホウライに行きたいと思っている。新しい惑星というのは魅力的だものね。それと、僕の場合で言えば、『宇宙均衡論』の論文を進める上で、君とディスカッションができないのはちょっとというか大きな問題なんだよね」


「ええ、まああの論文に関して先生との作業はその通りですが、同じような作業を一緒にやっている先生方が何人かいるのですよ。でもリアルタイムの動画とデータ通信ができればほとんど不自由がなくなると思いますよ」

 そこで笠松理事長が会話に入る。


「いや、実のところ、君がホウライに行きたいという話は、結構大きな波紋を呼んでいるのだよ。もともと、ホウライへの大学分校を作り、新ヤマト大学にしようという話は若手の研究者から出てきた話で、資金的にも問題はないのでやろうかということなんだ。

 皆、新しい一つの地球型惑星というものに魅力を感じているんだよ。大学ではないけど、世論調査で惑星新ヤマトに移住したいという者は、安全が確保できてとか条件はあるけど20歳代以下だと75%に達している。


 そして、現在我が研究所を含めたK大学は、規模はかつての3倍になったけど研究開発の部分では世界No.1に位置付けられている。教育では言語の問題とかがあって、3位だけどね。それは、皆の努力もあるけど、結局は翔君の構想と発想と推進力によるものなんだ」


 笠松のこの言葉に、名波と片山も大きく頷く。

「だからだろうね。はっきり言って半数以上の研究者が、ホウライに移ることを望んでいる。さっきは名波教授もそう言ったけど、教授クラスは6割程度だ」


「ええ!それは困ったなあ。僕はそんな大げさなことは考えていないのに」

 応じる翔の言葉に笠松が尚も言う。


「個々にヒアリングすると、まあ確かに皆の言うことはもっともなことが多い。例えば、新たな一つの惑星というのは、研究者にとっては調査すべき、研究すべきことが無限にある天国だよ。またその開発というのは建設系においては絶好の自分の研究を発揮すべき現場になる。

 そして、我が研究所に金はあるんだよ。だから、私はホウライに作る大学は分校でなく姉妹・兄弟の関係にしたい。人員もほぼ自由に相互に行き来が可能で交じりあうような大学にしたい。


 現在K大学は研究所が3千人、大学本体の教授や教官事務などが2千人、海外の空のスタッフが2千人、学生が学部・院をいれて6千人です。

 シベリア共和国にある分校は当面そのまま置きましょう。

だから、ホウライ州の中京市に作る大学は、大幅に規模を拡大してその1万3千人の半数が入れる規模にします。ただ、大学だけ移っても困りますので、様々に協力してくれている企業にも声をかけて来てもらう必要があるでしょう」


「ひえ!それは時間がかかりますね」片山が叫ぶと翔が応じる。

「うん、全部やるとね。でも、すでに当初着工分は相当工事が進んでいるから、来年には僕は移りたいな」


「まあ、そうなるだろうね。翔君はそういうことでいいのかな?」

「はい、僕は構いませんが、三田学長は承知ですよね?」

「無論、構想は話をして賛成はもらっている」

 笠松はきっぱり言い切った。決心は固いようだ。

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