第15話 シベリア共和国の建国

 シベリア共和国の建国の式典が行われたのは、2024年の10月1日であった。面積700万㎢で日本の19倍もの広大な面積に、人口わずか650万人の国であるが、その時点で世界の50ヵ国以上の国々が独立国として承認していた。


 だが、嘗ての極東ロシアはロシアでも貧しい地区であり、地区のGDPが僅か60億ドルでは、広大な国土に必要なインフラ整備を行うこともままならない経済規模である。さらに、懸念されるのは将来ロシアが武力をもって領土奪還を図ることである。


 現在のロシアは、世界の大国たる根源の核兵器を失って、かつ結果的にウクライナとの戦争に敗れた存在である。このために大統領であったエグザイエフは、軍と秘密警察の双方から見限られた。その結果として、彼の犯した横領、政敵の暗殺など数々の罪が明らかになって告発されている。


 一方で、ロシアに対する世界の経済封鎖は緩められながらも未だに続いていて、ウクライナ侵攻の前に比べ、15%程度GDPが下がり、国民の政府に対する不満は頂点に達している。


 そのために、エグザイエフは獄中にあり、裁判中であるが、とりわけ巨額な国家財産の横領と、指導の誤りのために国家に莫大な損害を与えた罪で死刑を求刑されているが、どちらの罪でも数回分の死刑になると言われ、死刑は間違いないとされている。


 彼の広大かつ壮麗な宮殿、また別荘の数々は略奪されたが、警察も民衆のガス抜きのために止めなかった。彼を支えてきた人々も、次々に摘発されて財産は剥奪されており、彼らの家や経営する会社は略奪に遭っている。


 その中で、エグザイエフという存在が無くなった今、経済封鎖を解くべく外の世界と協調すべきという動きが強まっている。このため、暫定的にエグザイエフの政敵であり、軍にも太いパイプを持つ、サミラ・エリゾフが政権を握り、西側と交渉を行ってきた。


 その際の問題は、一方的に攻め込んだ挙句に莫大なウクライナのインフラ・民間財産の破壊を行い、戦闘員4万・民間人2万人を超える犠牲者を出し、しかも敗れたことである。ちなみにロシア兵の死者も5万人を上回っている。




 死者に対する補償は算定が難しいが、インフラ等の財産の損害のみで、1兆ドルに及ぶと算定されている。

 だから、ロシアが仮に戦いに勝ってウクライナを併合したとしても、インフラ・財産の復旧には50年以上の期間を要すると考えられていた。その意味で、この戦争は経済原理に照らせば、あり得ない愚かな戦争であるとすでに戦中に言われていた。


 これに対しては、エグザイエフは最終的には核兵器による脅しで逃げ切るつもりだったのだろうと言われている。そして、彼がその時点ではロシアの正式な大統領であって、それに対抗する勢力もなかったのだから、ロシア国民はその愚行の責任を負う必要がある。


 それが、ロシアに対抗してきたアメリカ・EU・日本などの論理であり、今や軍事力でも明確に劣り、経済で締め付けられているロシアは拒否できなかった。結果として、交渉は西側諸国の介在で2024年の末になって、ロシアとウクライナの間で妥結した。


 これは、金を千トンの供与、クリミア半島の再領土化すること、さらにすでにウクライナが占領しているロストフ州の割譲、さらに天然ガスと石油の10年間無償供与である。ウクライナとしては非常に妥協した中身である。


 これは、ナチスの勃興を招いた第1次世界大戦の反省を踏まえたもので、西側諸国が大規模な復旧援助を約束した上での結果である。


 それをもって、ロシアへの経済封鎖は制度上では解けたが、去って行った民間企業が帰って来るわけではない。とは言え、石油・天然ガスの輸出は解禁になる訳であり、ロシアの歳入は大幅に増えることになる。だが、民間レベルでの交流が無いことによる技術封鎖は更に長く続き、ロシアの苦悩はさらに長く続くことになる。


 シベリアは、ロシアの資源の収奪のための地域であり、長く遅れた貧しい状態に置かれてきた。だから、今後ロシアの経済的な苦境が今後も長く続くということになると、シベリアの経済状態はより悪くなる。その意味では、ロシアから離れるというシベリア共和国の決断は成功であったと言えよう。


 しかも彼らには、アメリカ・日本・EUの裏の約束があった。それは、彼らが一致して、シベリアをフロンティアとして捉えて、多大な投資をするとともに多数の自国民を送り込むという。


 そして、最も多く人工衛星を飛ばしているアメリカは、世界中の資源探査を綿密に行っていて、シベリアにも有力な資源を多く見つけている。彼らの場合には、衛星で有望な資源を見つけると現地でも密かに人を送り込んで地上で確認させている。


 ロシア極東連邦管区長であったサビライ・サリミカヤは、アメリカの国務省から送られてきた、サミュエル・バナーからその資源地図を見せられた。それは、2023年の7月のことで、核無効化装置が実用化されて、米軍に配備し始めた頃であった。


 バナーには、モスクワに配属されていて、サリミカヤも知っているアメリカ大使館員のアン・ドノバンが付き添っている。サリミカヤは、西側の投資を呼び込むためにいろいろと活動しているので、西側の外交官も多く知っている。


「サリミカヤさん。これが、貴方の管轄する極東地区の資源地図です。これは、わがUSの先端的な資源探査法による人工衛星で見つけ、地上でも確認するという方法で調べたものです。

 石油・石炭の資源もありますが、それ以上に莫大な鉄資源、さらにニッケル・コバルト・クロム・マンガンなどのレアメタルと呼ばれる資源が多量に存在します。


 それに、すでにご存じのように、この地域は世界でも飛びぬけて最大の森林資源、寒冷ではありますが、広大な肥沃な大地と大変に恵まれた地域になっています。我々は、この極東地区は、キャパシティがありながら、世界でも最も開発の遅れた地域と位置づけています。そしてしかるべき投資があれば、2億人を超える人々が豊かな生活ができる場所だと分析しています」


「ふむ、この鉱物資源の一部は我々も把握しているが、多くは知らなかったものだ。その意味では有難いデータではあるが、無論只ではないだろうね?それと、森林と農地利用だが、これは結局広大さと需要地との距離が仇になっている。これはインフラの問題だから投資不足だな。


 私も比較的近い日本を始めとして、各国外交官や民間企業と接触して様々に投資を促す努力してきた。しかし、我が政府が、対応が硬直的でかつ、ルールを簡単に変える、約束を守らない相手として警戒されて殆ど失敗してきた」




 サリミカヤが諦めたような顔で口を挟むのを聞いて、バナーは話を続ける。

「そうです。ロシア政府という存在は独特な考え方をします。利益を重んじる我々とじゃ違いますね。でも、この地域は歴史的には必ずしもロシアのものではなく、本来は極東のこの地域に住んでいた人々のものです。

 しかし、そうは言っても、わが国に続く規模の核兵器をもつロシアの領土であるわけです。そして、それが交渉も難しい相手であることから、開発の余地はないと諦めていました。


 しかし、このことに関しては、当面秘密を守って欲しいのですが、我々は核兵器を無効化する装置を開発しました。核を無効化されたロシアは、我々にとって殆ど脅威ではありません。

 一方で、ご存じのように、ロシアはウクライナの東部3州の領有化を一方的に宣言しましたが、それは核兵器による脅迫の元でのものです。そこに核を無効化する装置がすでに配備されつつあるのです。


 ウクライナは先ほど言った装置が配備された時には、東部3州に侵攻して奪還します。ウクライナにはそれだけの兵器が備蓄されていますから、ロシア軍は跳ね返す力はないでしょう。 

 この戦争以来、この極東地区の経済的苦難はよく承知しています。そして、今後ロシアは経済については回復することなく、軍事的資源を使い果たした結果、軍事力は大きく衰えています。我が国はこの時を、この極東地区がそのポテンシャルを生かすチャンスだと思います。


 つまり、ロシアとは離れて、世界から人と投資を呼び込み、この土地のポテンシャルを生かすのです。これには、わが国の他、すでにいろいろと折衝されていると聞いている日本、更にはEUが賛同しています。

 さらに、我々も彼らもこの土地に投資することによる、経済の活性化、そして得られるリターンを経済の活性化に役立たせようとしています。そして、この地区に住む650万人の人々はその恩恵に大きく預かります。

 この地区のウクライナとの戦争前のGDPは60億ドルでしたよね?」


「ああ、その程度だったな」

 話の行方が判ってきて、意識的にポーカーファイスを保つサリミカヤが応じる。


「多分、最初の数年の我々の投資は200億ドルを上回ります。GDPを4倍近く上回るこれだけの投資があれば、その現地の人々の収入は大きく増えざるを得ません。さらに、これは失礼かも知れませんが、我々は標準的な途上国向けの、基礎インフラ整備・教育プログラムを実行します。


 その中で生活の利便性があがり、人々の労働者としての質が向上して更なる収入増加に繋がります。そして、そうした投資の結果、シベリア共和国全体としての生産性が大きく上がりますから当然国全体の一人当たりにGDPも大きく上がります。

 そして、我々はその時に元から住んでいた方々の収入が、新たに来た人々から見劣りしないような政策に積極的に協力しますよ」


「ふむ、そう聞くと良いことばかりのようだが、アメリカ人、日本人、ヨーロッパ人が多く来て、結局乗っ取られるのではないかな。アメリカ、オーストラリアのように?」




「それは、時代が違います。少なくとも、現在では人権ということをそのいずれもの国々が意識していますし、公言しています。なにより通信が違います。沢山の国の人々が入り混じって状況は世界の人々に常に知られます。特定の人々、とりわけネイティブに人々への差別や、抑圧は許されませんよ」


「うーむ。まあそうだね。実のところ私も『独立』ということは考えた。しかし、ロシアの核のある限りそれは単なる夢物語だと思ったが、核を無効化できれば話は別だ。

 とは言え、ロシアは通常戦力のみの相手としても歴史上中々の強者だが、1億5千万人の彼らと、650万のわれわれでは勝負にならない。独立後の防衛については、何らかの保証が必要だが、それを提供する用意があるのだろうか?」


「はい、アメリカとEUが独立した国と安全保障条約を結ぶ予定です。日本については、憲法の規定で現状は軍事的な同盟は結べません。しかし、彼らも彼らの子孫が大勢住めばいやがおうにも軍事的に関わってくるはずです」


「その平和憲法とやらは、第2次世界大戦後アメリカが押し付けたものらしいが?」

 この質問にバナーは頭を掻いて答える。


「ハハハ、まあ、そうなのですが、日本にうまく利用されていますけどね。それでも、今後はだんだんそうは言っていられなくなるでしょうが」

 これは作らせたアメリカが理解できない日本人の9条へのこだわりと、それを利用してきた日本政府の態度のある意味で揶揄でもある。


 そういう議論がありながらも、サリミカヤは懸念していた安全保障の面で保証が得られたことで、ひそかにかつ大胆に独立の準備に入った。結果としては、ウクライナでロシアの核ミサイルが事実無効化され、かつアメリカによりロシアにある全ての核兵器が無効化されたことを確認してから行動に踏み切った。


 その後、予定通りアメリカとEUに加えて日本の働きかけで、数日後には40以上の国が独立を承認している。これは、他国を侵略するようなロシアが、半ば放置している広大な大地を無為に持つことを許さない、という論理で説得したものである。


 そして、シベリアの大地は地球最後のフロンティアとして、世界が協力して開発しようという言葉に経済的利益を感じたという面もある。安全保障条約については、内容の詰めなどでそう簡単にはいかなかったが、独立の宣言から1か月後にはアメリカとの間に暫定的な条約を締結している。


 一方で、全くそれらと相反する動きを見せたのは中国である。まさに、独立騒ぎのどさくさに紛れて『旧領を回復する』と称してアムール州を占領したのである。確かに中国は本気になれば、より多くを占領することは簡単であったろう。


 しかし、それについては、シベリア共和国を承認した多くの国が強烈に反発した。それは主としてアメリカ、EU、日本であったが、それらは一致してそれ以上の行動には『禁輸』を行うと宣言した。


 その動きに、世界の反発の大きさを悟った中国は矛を収めたが、占領したアムール州の返還には頑なに応じなかった。ただ、このことについて、多くの国々が中国の強欲さと危険性をさらに感じたが、この件に関してアメリカ国防省のある高官が語っている。


「核兵器を無効化された今、中国の軍事的プレゼンスは大きく下がった。あとからアムール州を取り返すのは難しくはない」


 一方で、2024年の6月の独立時宣言以来、シベリア共和国は軍事的には中国以上にロシアを警戒してきた。だがロシアは未だ混乱の中にあって、暫定政権がようやく立ち上がる状態であって、何の行動もとれなかった。


 極東軍管区の麾下には総兵力12万の兵力があるが、新しい装備は引き抜かれ、特に近代戦に有効なミサイル、無反動砲の類は枯渇していた。ただ、就職口としての軍という意味合いもあって、兵についてはベテランが多かった。


 ここに、EUとアメリカから大量の無反動砲、短距離ミサイルなどの兵器が供与されて、一定戦力を整えている。アジゾフ中将は、こうした戦力をロシアとの国境付近の要所に5万人、アムール州に3万を振り分けている。


 10月1日の式典では、シベリア共和国大統領にはサビライ・サリミカヤが1年後の選挙までの暫定として就任した。副大統領にはハバロフスクの市長であったエリーナ・エルスカヤ、外務大臣には商社の社長であったサムエル・アジズ、防衛大臣ミカエル・アジゾフなどメンバーでの船出である。


 このため、日本から経済、建設などの専門家が10人、アメリカ・EUから20人の専門家ができたての政府に入って行政の支援に当たっている。

 この日に当たり、新大統領は独立の演説を行ったが、その中でさりげなく日本にとって重要な内容が挟まれていた。それは第2次世界大戦の敗戦時に、ロシアから火事場泥棒的に奪われた戦前の北方領土の返還である。


 これには、サハリンの南半分も入っている。新生シベリア共和国にとって、サハリン北方の石油、ガス田を除けば、これらの群島は重荷でしかない。その代わりに、日本はそこに住む住民1万5千人ほどの面倒を見る必要がある。


「サハリンも押し付けられちゃったけど、実際には経済的にはメリットはないんだよね。だけど、北方領土に拘って来た理由の半分は、北海道から10㎞足らずの場所にロシアの領土があるのが気色が悪いという理由だね。まあ、北方領土の周辺は良い漁場だから、その交渉をしなくてよいのはメリットかな。


 残る住民には希望すれば日本国籍を与えるけど、シベリア共和国になった今は半分ほどは日本を選ぶかな。とは言え、シベリア共和国は2~3年もすれば、労働力が不足するだろうから、移動する者は多いだろうね。

 日本も、この産業革命で景気が良くなるはずだから、北方領土は多分避暑地になるだろうから、働き口はできるだろう。漁業と観光で食えると思うけどね」

 加藤首相は、官邸で建国式の映像を見ながら同席している川村官房長官に言った。


 一方でロシアもシベリア共和国建国を流石に座視はしなかった。ロシア軍第2師団長、マイケル・ロマノフ中将は、第3師団、第7機械化師団を含めた、兵員3万5千、戦車5百両、戦闘爆撃機30機を持ってバイカル湖南端のバイカルスク付近で、新たに設けられた国境を超えたのだ。


 それはまさに建国式の式典の最中の事であったが、その動きは米軍に完全に掴まれていた。そのため、新生シベリア共和国は米軍の情報に基づいて、旧式であるが100両の戦車、小銃の他に無反動砲、携帯ロケットなど西側兵器で武装した5万の兵力を米軍の情報に基づき配備した。

 さらに、近くの基地にはなけなしのF29の32機を動員している。


 さらに、総指揮は式典を抜けだしたアジゾフ国防大臣が執っている。米軍は、暫定安全保障条約に基づいて、F35を50機、戦闘ヘリを50機派遣している。

 戦端は、10月1日午前9時に、ロシア軍が街道に作られたバリケードを突破して開かれたが、隊列を組んだ戦車が、横3列になって続々と国境を超えてなだれ込んできた。


 一方で上空では戦闘爆撃が編隊を組んでハバロフスクに向かった。しかし、彼らは国境を超えて100㎞の地点で、突然のアラームが鳴って何の反応も出来ない内に、とっさに急旋回した2機を除いて撃墜された。

 しかし、その2機も各々数発のミサイルに狙われて撃墜されたが、そのうちの1機のパイロットを含み、3人だけが脱出できた。


 ロシアのS34戦闘爆撃機では、F35を探知できず、空対空ミサイルAAM3に一方的に攻撃されたのだ。地上においては、共和国軍の1㎞を超える射程の携帯ミサイルが活躍して、次々に戦車を食っている。


 そこに米軍の戦闘ヘリが突っ込んできて、ミサイルポッドに搭載した10基のミサイルで次々に戦車を撃破している。一方で、ロシア軍はウクライナで携帯ミサイルを消耗して殆ど回復しておらず、反撃できない。


 こうしたヘリを落とせるレベルの進んだ兵器を造るには、西側の電子部品が必要であるが、ロシアにはすでに在庫がなくミサイルを製造できないのだ。かくして、わずか30分ですべての投入した航空機を撃墜され、さらに最初の2時間で半数の戦車を破壊された。


 加えて、すでに塹壕を構築していた共和国軍に対して無防備なロシア軍兵士は次々に撃ち倒された。この状況に、元々志気の低かったロシア兵は一斉に逃げ出したが、これには彼我の損害の余りの差に絶望したロマノフ将軍は留める気力がなかった。

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