第45話 邂逅⑥
「何が――?」
アスマは周囲を見渡した。彼女は目を閉じたまま、いったい何を見ているというのだ?
ふいにテルが足下をふらつかせる。とっさに窓枠を掴み身体を支え、動かなくなった。
「……」
「ちょっと、どうしちゃったのよ」
アスマが一歩近づくと、テルは「寄るな」と言った。
「……寄らないほうがいい、私には」
やっと目を開けたテルは、袖口で目元をぬぐった。真朱の衣に深紅の染みができる。アスマは、同じような染みで、すでに黒ずんでいるものがいくつもあることに気がついた。
「……あなた、目を病んでいるの?」
するとテルは自嘲するような笑みを浮かべ、「病んでいるかと言われれば、そうかもしれない。目の病じゃないけれど」と言った。
アスマは、輝かしかった一の君が、凄惨な事件の後、どのように過ごしていたかは知るよしもないが、これほどまでに暗い影を帯びる理由があるものだろうかと考えた。アカサギ家を凋落へ追い込んだテルナミには複雑な思いを抱いているものの、目の前の彼女を見ていると、胸をわし掴まれたような、もの悲しさがこみ上げてくる。
「あなたはいったい何を抱えているというの」
アスマの問いに、テルナミはあいまいな笑みを返す。
「私ね、実を言うと、あなたのことは好きじゃないわ。昔のあなたって完璧な存在だった。なのに、母であるヨルナギ様を殺して、帝や一族の期待を裏切ったんだもの。〝神子返し〟されるのも当然だわ。けれど、どうしてかあなたは生きている」
「……父の、帝の願いだった」
「あなたが生き延びることが?」
「違う」
テルは首を振る。
「帝は私を、死でもって終わりにしたくなかった。寵妃を殺された悲しみ、自分の子どもが大罪を犯した苦しみ……。私を銀の谷に送り込んだのは、私に死のような生を与えるためだったんだ。苦しみの中で生きよと」
テルの声に滲むのは、深い後悔、懺悔――そして自嘲だった。
「だけど、私はミリに出会った。私は、私が光の下で生きてもいい理由を、あの子に求めている。浅ましいと自分でも思う。でも、私は――」
そのとき、廊下の片隅で何かが動いた。二人がそちらを見ると、細身の女が佇んでこちらを見つめている。
「あなたが〝テル〟ですか」
女が言った。テルがうなずくと、女はよろめくように――よく見ると身体のあちらこちらに包帯を巻いていた――近づいてきて、テルの前にひざまずいた。
「私はレイミェンと申します。あなたの娘さんがこの砦に滞在する間の、護衛の役割を引き受けていました」
レイミェンはテルを見上げ、顔をゆがめた。
「砦が襲撃を受けたとき、私はあの子を守れなかった。逆に、私を守るために、自ら敵の手に落ちることを選んだのです」
レイミェンは襲撃を受けたときのことを語る。バディブリヤ氏族の戦士たちの様子、迎え撃つ傭兵たち、第一公子を襲い、ミリを連れ去ったゾラ。
「どうか立ってください」
テルはレイミェンに手を差し伸べた。
「ミリのそばに、あなたのような大人がいてくれたことに感謝したい。私こそ、あの子の親失格なんです。私がもっとしっかりしていれば、連れ去られることもなかった」
さあ、とレイミェンを立たせたテルは、「ミリはどんな様子でしたか」と尋ねた。
「あなたを恋しがっていました」
レイミェンは言う。
「でも、自分があなたにとって厄介な存在なのではないかと考えてもいたようです。自分のせいで、あなたが大けがを負ったと、そう言っていました」
「ああ」
テルは無意識に腹をさすった。
「そんなこと、気にしなくていいのに……。むしろ、私が怪我を負って動けなかったせいで、あの子をみすみす誘拐されてしまった」
「そんなにひどかったのですか」
「腹を斬られたんです。その傷の治療をしたのがゾラだった。彼の腕はたしかでした。治療費がまさかミリだとは思いもしなかったけれど。――でも、すぐに取り返す」
テルの瞳には決然とした色が浮かんでいた。レイミェンは言う。
「平原は広く、捜索は困難を極めています。イルファンの熟練の傭兵たちでさえ、第一公子をはじめ、彼らの発見には至っていません」
「すでに見つけた」
テルの言葉に、レイミェンは「えっ」と困惑の表情を浮かべた。
「彼らは――」
テルは一方向を指さす。
「あっちにいる」
「どういうことよ?」
アスマが指された方向を見ながら言った。
「意味が分からないわ」
「うまく説明ができない。でも、見つけたからには、私は行く」
そう言ってテルは歩き出す。アスマは慌ててその袖を掴んで止めた。
「待って。本当に彼らの居場所が分かるなら、私たちも行くわ。私たちの目的は、バディブリヤ氏族の族長に会うことなの。それに、第二公子殿下も、兄君を救出したいはず」
テルは執務室のほうをちらりと見、うなずいた。
「分かった。だが私は待たない。すぐに発つ」
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