第12話 祭り①

 三年前、北方よりやってきた民に、銀の谷は襲撃をうけた。馬蹄の音にいち早く気がついたテルとミリは、なにか異常な事態が起こりそうだと、身を隠すことにした。そして、その判断は正しかった。


 入り組んだ坑道の一つに、二人は潜んでいた。外では駆け回る馬のいななきや、叫び声、怒号などが響いている。それらが坑道内にぐわんぐわんと反響し、恐ろしい巨人の咆哮のようだった。


「大丈夫。ここなら見つからない」


 震えるミリの肩を、テルはさすってやった。


「捕まったら……どうなるの」

「分からない。良いことにならないのは確かだ」


 坑道は暗く、二人は互いを見失わぬように、衣の裾を握りあった。

 ミリはそろそろと暗闇のなか、テルのほうに顔を向ける。


「ねえ、訊いてもいい?」

「うん?」

「昨日の夜、話してくれたのは――テルのことなの?」


 ミリはありったけの勇気を振り絞って尋ねた。

 三人きょうだいの話。呪われた一番上の子ども。

 テルは無言だった。やはり訊くんじゃなかったとミリが後悔していると、彼はふっと笑みをこぼす。


「ああ、そうだよ。私は――罪人なんだ」


 その言葉は、重々しくその場に落とされた。テルはため息をつき、言う。


「私は母親を殺してしまった。でも、なぜそんなことになったのか、今でもまったく分からないんだ。その時の記憶がない」

「記憶が、ない?」

「ああ、全く。しかも、母を殺す理由にも心当たりがない。私は母を尊敬していたし、母は私にとてもよくしてくれた。本当に――何故なんだ」


 その声には行き場のないやるせなさがにじんでいた。彼は本当に分からないのだ。どうして家族を手に掛けるような真似をしたのか?


「しかも、きょうだいまで傷つけた。私は――だから、ここで罪を償っている。償えるものではないけれど」


 ミリはうつむいて、興味本位でテルの傷をえぐってしまった自分を恥じた。だがテルは、むしろ霧が晴れたような表情をした。周囲が暗くてミリには分からなかったけれど。


「誰かに話すのは初めてだ。少し心が軽くなったよ。ありがとう」


 ミリは、まさか感謝されるとは思いもよらず、おたおたとうろたえた。


「人殺しの私と、こんなところにいるのは怖くないかい?」


 テルが苦笑交じりに問う。ミリは「怖くなんか」と答えた。


「テルは私を助けてくれたもの」

「私もミリに助けられたけどね。ということは、私たちは運命共同体ということだ。今もこうして一緒に隠れているし」


 ミリには、「運命共同体」という言葉は難しくて分からなかったが、どうやら自分たちが特別な絆で結ばれていることらしいというのは理解した。そして、それはなんだかうれしいことのように感じた。


「ねえ、もうひとつ訊いてもいい? その、呪いのこと。どうして呪いにかかったの」

「ああ」


 テルはうなずいた。


「きっと人を殺した罰なんだろう。母の亡骸を見たとき、私の身体は燃えるように熱くなり……そして変化した。男でも女でもない身体にね」


 ミリは息をのんだ。


「そして気がついた。私の両手に並々ならぬ力が湧いていたんだ。ミリも見ただろう。私が君の鎖を引きちぎるのを。この呪いは、私に尋常ならざる力を与える。身体も人でないものに変わっていく。それに、時々……変な景色も見える」

「変な景色?」

「ああ。ただの幻覚なんだろうけど。私の気を狂わせるつもりかもしれないね」


 いつか気が触れたとき、自分がなにをしでかすか分からない。だから、銀の谷で坑夫として一生を終えようと、そう思っていたのだ。

 しかし、ミリに出会い、その考えが少し変わった。

 外に出たい。外に出て、そして。


「呪いを解く方法は?」


 ミリの言葉に、テルは首を振った。


「だったら、探そうよ。呪いを解く方法を。きっとあるはずよ」


 それは、考えなしに言った言葉だった。ミリは呪いのなんたるかすらよく知らない。だが、もはやテルはミリにとって他人ではない。なんとか助けになりたかった。


「雪の上にまいた塩を探すようなものだよ」

「だったら雪を舐めるわ。たとえ身が凍えても……」


 ミリの無邪気な決意に、テルはどうやら観念したようだった。ははは、とやや愉快そうに笑う。


「それなら、私は、そうだな……。ミリの母さんを探すのを手伝う、なんてどうかな。私ばかり助けられたんじゃ、悪いからね」


 ミリはぎゅっと両の手を握りしめた。


「母さん、今頃どうしているかな……」

「きっと会えるさ」


 テルはミリの肩を優しくたたいた。

 実のところ、彼にとっては自身の呪いは二の次だった。むしろ、自分は呪いから解放されるべきでないとすら思っていた。このみなしごの少女を、どうにか母親に会わせてやることが、目下の彼の望みだった。そうすることで、死んだ母と、きょうだいたちに顔向けができるような気がしていた。もはや妹のような存在のミリに、そんな気持ちを抱いた。


「最後に、もうひとつ訊いてもいい?」

「なんだい?」

「呪いに性別を奪われる前は、テルは……」


 テルは笑って答えなかった。


 異民族は暴掠を働き、嵐のごとく去って行った。テルとミリは空っぽになった銀の谷を脱出し、街道へと足を踏み出した……。



 それが三年前のこと。

 帝都をかこむ外郭と外郭の間、そこに広がる街の一つに、二人はいた。

 というのも、ミリが母親と別れたのが、ここ帝都だったからである。しかもこの都には吟遊詩人組合があり、各地から大勢の吟遊詩人が集まってくる。ミリの母親について、知っている者がいるとすればここしかなかった。

 テルとミリはたびたび組合に足を運び、〝水晶の歌のアリ〟についての情報を集めていた。アリは吟遊詩人の間ではかなり名が通っており、知っている者も多かった。だが、どこそこで見かけたとか、そういう話になるとみな首を横に振るのだった。


 ミリは十三歳になっていた。背が伸び、体つきも娘らしい曲線を描いている。長く伸びたススキ穂色の髪はきっちり結われ、頭巾の下に隠されていた。

 対してテルはというと、伸びた髪をうなじで結い、爽やかな青年然としたいでたちで過ごしていた。そのほうがなにかと都合が良かったからである。

 二人のことは、周囲には血のつながらない親子で通っている。


 彼らは下町の長屋に住んでいた。大家は町医者のカンという老人で、ほとんど引退していたが、「老師せんせい、ちょっと急病人が」などと呼ばれれば、道具を持って出かけていくという生活をしていた。偏屈な男だが、自分の面倒を見させるのと引き換えに、元奴隷である二人の身分証明を発行するよう役所にかけあってくれた奇特な人物である。


 テルは昼間は問屋で働き、夜は時々仕立ての仕事をしていた。手先の器用なテルは、たいていのことは難なくこなした。

 裁縫もそのひとつである。

 このとき、テルは一着の晴れ着を依頼されており、それが今朝縫い上がったところだった。ある商家の娘が新年の祭りに着ていくものだ。青色の鮮やかな布に赤い薔薇の花が刺繍されており、祭りの提灯の明かりにさぞ映えることだろう。

 祭りは明日である。ぎりぎり間に合った。


「ミリ、私はこれから問屋に行かなくちゃならない。悪いが代わりにこれを届けてくれるかい?」

「出来たのね」


 ミリは薬研やげんから顔をあげる。老師に言いつけられて、薬草をすりつぶしていたのだった。

 最近はカン老師の代わりに薬を作らされることも多い。熱冷ましの薬や腰痛の薬など、ミリだけでもいくつかの薬を調合できるようになっていた。弟子のいない老師にとっては、都合の良い助手となっている。


「わあ、綺麗な着物。娘さん、きっと喜ぶね」


 ミリがにっこりと顔をほころばせる。

 本当は、ミリが祭りに着ていくための晴れ着も仕立ててやりたい。テルは考えた。きっと淡い色合いの着物が似合う。まるで月の妖精のように美しく見えるのではないだろうか。

 しかし、とテルは頭を抱える。

 先立つものがどうしても足りないのだった。自分の着物を一着ほどいて仕立て直すか? いや、そもそも布の色自体が地味すぎて、晴れ着には向かない。


「じゃあ行ってくるね」


 ミリが着物を持って出て行ってから、テルはうーんと悩んだ。ミリが予想以上の美人に育ったのは嬉しい誤算である。いや、仮にそうでなくとも、いつまでも粗末な着物を着せていていいものだろうか。先日、町の美人番付に載るところだったのを、本人が頑なに断ったのは、その控えめな性格によるところだけではなかろう。

 なにせ二人で質素な生活を続けるだけの稼ぎしかないのだ。それでも昔と比べれば天と地の差だが……。自分は良いが、ミリはあまりにもったいなさ過ぎるのではないだろうか。あと数年もすれば、結婚だってするかもしれない。そう考えると、少し寂しい気もするけれど……。


「ミリ坊、ちょいとこいつを――おや、いないねぇ」


 カン老師がよたよたとやってきた。手にした書き付けを見ると、どうやら遣いにでも出そうとしていたらしい。

 テルは振り返って言った。


「ミリならすぐに戻りますよ。届け物に行っただけですから」

「そうかい。――なんだおまえさん、辛気くさい顔をしているね。そこらの物乞いのほうがまだマシな顔をしているよ」


 老師は言って、プカァと煙草をくゆらせる。


「ひどい言われようですね、私は」


 テルは苦笑した。


「いえね、親として、うちの娘に立派なべべを着せてやれないのが情けなくて、落ちこんでいたんですよ」


 すると老師は呆れたように「はあ」とため息をついた。


「お前さんこそ、今からどこぞの女と所帯を持つような歳じゃろがい。一丁前に人の親のようなことを言っておるがの」


 その言葉に、テルは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった。

 カン老師は構わず続ける。


「それに今時の若いもんは、やれお洒落だやれ化粧だと浮ついていていかん。着物なんぞ、長く着られればそれでいいじゃろがい」


 モワァと紫煙が部屋に広がる。テルは顔にかかった煙を手で払った。

 老師は背中をぽりぽりと掻きながら、思い出したように言う。


「昔、患者が薬代が払えんと代わりに寄越したやつなら、納屋に置いてあるがね」

老師せんせい……」


 テルは言った。


「やはり、老師せんせいでも孫は可愛いものですか」

「はぁん? 誰が誰の孫だって? いいから早く仕事にいかんかい」


 テルは追い立てられるようにして長屋を出た。

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