第5話 大地の声 闇の中の出会い⑤

「ああ、ひどい……」


 テルはそれきり言葉を失った。

 ミリは青年の後ろに隠れながら、顔を半分出して目の前の惨状を見た。


「崩れてる……の?」


 二人は坑夫たちが集住する広場を前に立ちすくんでいた。以前は何棟もの小屋が建っていたのが、今は見る影もない。多くは柱が折れたり屋根が落ちたりして倒壊している。だがそれも比較的被害が軽いほうだった。

 少し離れた場所に山があるのだが、今回、これが大きくなだれたのである。付近にいた人間や建物を飲み込んで。

 天然の岩山であれば、山体がこれほど崩壊することもなかっただろう。

 しかしくだんの山は、鉱山から銀とともに運び出された不要な土砂――これをずりという――を廃棄してできたものであった。

 坑夫たちはそこらに座り込んでいた。仕事場がずり山から離れていたのか、たまたま坑道の落盤に遭わなかったのか――他より少しだけ幸運だった者たちである。

 行き場のない彼らは、うつろな表情で寄り集まるしかなかった。


「テル、おまえさん、生きてたのかい」


 ひとりの老人が足を引きずりながら近づいてくる。


「同じ班だったやつらは誰も戻って来ねぇ。てっきりおまえさんも死んじまったと思ってたよ」


 老人はテルの顔見知りで、名をタズといった。数年前に足の骨を折ってからは、もっぱら雑用をしている。

 ミリは老人からただよってくる垢の臭いに顔をしかめそうになった。

 老いた男の足は、骨が不自然に変形しており歩行に難がある。テルは落ちていた棒きれを拾い、杖がわりにタズに差し出しながら、背後を振り返った。


「この子が助けてくれたんだ。そうじゃなきゃ、私も死んでいたよ」

「んん」


 タズ爺は目をぎょろりと見開いて、後ろで小さくなっているミリをまじまじと見つめた。ミリは思わずあとじさる。


「見慣れねぇ顔だ。この谷の子じゃないようだが」

「たまたま通りかかったんだ。おかげで命拾いした」


 タズは「通りかかった?」と胡乱な顔でテルを見上げる。


「こんな場所にたまたま通りかかる奴がいるかい」


 怪しまれている。ミリは思わずタズから目をそらしてうつむいた。この男は、ミリが逃げ出した奴隷だと知ったら、役人に引き渡すだろうか?


「誰にだって事情はあるさ」


 テルがぐっと胸を反らす。


「同じように私にも、あんたにもね。少なくとも、この子の素性がなんだろうが、こんな危ない土地に子供を放り出すなんて、年長者のやることじゃないだろう。義を見てざるは……ってよく言うじゃないか」


 タズ爺はため息をつく。


「お前さんの言葉は、時々難しくてのぅ」


 その時、ジャーンジャーンと銅鑼の音が響き渡った。


「誰だ!?」


 テルが目を剥いて音の方向に顔を向ける。


「こんな場所で大きな音を出すなんて!」


 テルはミリをタズ爺に預け、銅鑼を叩いている男に詰め寄った。


「なんだ、お前は」


 銅鑼の男は奴隷とちがって身なりが整っている。テルは彼が磺座府こうざふの役人かと疑ったが、すぐに打ち消した。彼らがこんな愚かな行いをするとは思えない。


「すぐに叩くのをやめろ」


 テルが言うと、銅鑼の男はフンと不愉快そうに鼻を鳴らす。


「貴様! 誰に向かってものを言っておるのだ! やんごとなきお方のお出ましなのだぞ! 銅鑼を鳴らすのは当然のことだ。汚れを祓わねばならぬからな」


 ジャーンジャーン……


「本来ならば坑夫風情が一生お目に掛かることがないであろう、台地上の尊きお方、六の姫殿下のおなりである!」


 六の姫だと!? その場は騒然となった。坑夫たちは一斉に地面に伏し、額を土につける。ただ一人、テルだけが男からばちをもぎ取った。


「音を出すな!」

「無礼者! 狼藉を働くか!」


「なにごとですか」


 鈴のような声が凜と響く。銅鑼の男ははっと振り返り、膝をついて叩頭した。


「お許しを。礼儀知らずの小僧がおりましたもので……」


 現れたのは、白い装束に身を包んだ六の姫、ユズリハである。荒んだ土地に舞い降りた一羽の鶴のごときその姿、幼い少女であれど、神々しくすらあった。


「どうして言い合いなどしていたの」

「六の姫殿下!」


 後ろから息せき切って男たちが駆け込んでくる。この者たちこそが正しい磺座府こうざふの役人であった。


「申し訳ございませぬ。姫君、どうか銅鑼や楽器の類いはお控えくださいませ。今は大変崩れやすくなっておりますゆえ、大きな音を出すと、その振動でまた土砂が滑り落ちて参ります。御身に危険があってはなりませぬ」


 折しも背後のずり山からパラパラと小石が降ってきた。銅鑼の男は青くなって縮こまる。

 姫は素直にうなずいた。


「たしかに、銅鑼はやめておきましょう。この者の警告は正しいみたい」


 姫に見上げられ、テルは慌ててひざまずく。坑夫が皇族を見下ろすなど、本来なら鞭で打たてもおかしくない。

 テルは視界の端を横切っていく白い裳裾を、じっと見つめていた。腹の底がぶわぶわと落ち着かなかった。

 銀の谷に皇族がやってくる理由はひとつしかない。

 この国では、皇族は十一歳を迎えた証として、自らの冠を作る。そのために、国内にいくつかある鉱山のいずれかに赴くのだが――今回選ばれたのが、ここ銀の谷だったというわけだ。姫は採掘されたばかりのあらがねの中から、自身の冠を作る素材を選び、持参した聖薪を炉にくべることになる。そういうならわしであり、儀式なのだ。


 再び、地面が揺れた。人々は不安な表情で身を寄せ合う。

 六の姫は崩れた土砂の寸前まで近づき、小さな手を合わせると瞑目した。その間にもパラパラコロコロと小石が転がってくるので、周囲の者は気が気ではない。


「姫君、危のうございます」


 六の姫はそれには答えず、手をゆっくりと広げ、口の中でなにかを唱え始める。祝詞であった。

 小さなつぶやきのようなその言葉を、テルの耳はしっかりと聞き取っていた。

 そうか……とテルは物思いに沈んだ。六の姫が十一歳になったのなら、今は一体何年だろう。銀の谷に暮らして長いテルには、外の世界のことが全く分からなかった。

 そっと視線を上げれば、姫君の凜とした表情が見える。

 どよめきが上がった。姫が祝詞を終えると、揺れが収まり、小石の落下が止んだのである。


「ああ、姫殿下の祈りが天に届いたのだ。天は我らをお救いくださる!」


 磺座府こうざふの役人が高らかに告げると、顔を輝かせる坑夫もいた。自分たちは助かったのだ! まだ天は自分たちを見捨てていない!

 近衛士が朱旗を持って整列した。六の姫はしずしずと旗の後ろに退き、姿は見えなくなる。だが、銀の谷には喜びの声が満ちた。

 この出来事は六の姫が成長したあとも、「六の姫の偉業」として語り継がれることになるが、それはまた後ほど語られることである。


 ミリは六の姫の登場に仰天し、タズ爺に頭を押さえられるまであんぐり口を開けていた。


「これ、ちゃんと膝をつくんだよ」


 老人に言われて初めて、皇族にはひざまずかなければならないことを知った。慌てて地面に伏せながら、これなら姫も自分に気付くまいと安堵する。近衛士も、よもやミリがここにいるとは夢にも思うまい。


「テルは、大丈夫かな」

「あの馬鹿もん、台地人に話しかけるなんざ、命が幾つあっても足りないわい。まったく……心の臓に悪い」


 ミリは地面に視線を落とした。

 姫君。大した怪我はしていないように見えた。よかった。

 服を着替えたのは、前の衣が汚れてしまったからかしら。それともあの白い服が特別なのかしら。


 まるで母さんの昔話みたい。

 ミリは、かつて母親が話していたのを思い出していた。母の故郷には石の神殿があり、白い服を着た人が住んでいると。純白の衣服は選ばれた者のみが身につけられるものなのだと。姫君の白い装束は、それと似たようなものかしら。



 神の子よ、遠く旅をした子よ


 白き神の娘よ、なにも知らぬ幼き姫よ


 母なる神は彼方なれど……


 ミリは地面に耳をつけた。なにか聞こえる。神の子って姫君のことだろうか。この声は姫君にも聞こえているのかしら。

 それにしても、おしゃべりな地面だわ。

 ミリはそれが超自然的なことだということに、気づいていなかった。

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