第6話 大地の声 闇の中の出会い⑥

 六の姫の指図により、生き残った坑夫たちには温かい食事が振る舞われた。

 磺座府こうざふの蓄えも惜しみなく開放し、さらに六の姫が手配した食糧を積んだ輜重隊が順次到着する手筈になっているという。


「ミリ、こっちにおいで」


 テルが椀を持って手招きする。


「今のうちに沢山食べておくといい。ここじゃ粗食が当たり前だからね」


 差し出された椀の中身は、ほかほかと湯気のたつ粥だった。雑穀と米、砕いた芋が入っている。


「ご飯だ」


 今になって、とてもお腹が空いていたことをミリは思い出した。がつがつと貪るように食べてから急に恥ずかしくなり、ミリは照れ隠しのつもりで尋ねる。


「テルは、いつもどんなものを食べているの」

「そうだね、この粥を五倍くらいに薄めた汁物とか、干した菜っ葉とかだね」

「へぇ……」


 それは想像を絶して貧しい食事だ。ミリの表情に悲壮感が漂った。テルがそれを見てくすりと笑う。


「そんな食事じゃ身体がもたないと思ったろう? その通り、銀の谷じゃ怪我や病気より飢えて死ぬ奴のほうが多いのさ。……というより、他の奴から食べ物を奪おうとして、争いになって死ぬ奴、かな。みんな必死だからね」


 そう言って粥をかきこむ。


「私たちは数人で班を作る。土に潜る時もそうだが、なんでも助け合っていたんだよ。仲間が他の奴に食事を盗られそうになったら、助太刀する。……その逆もある。場合によってはね。できるだけ争いは避けたいものだよ。良いことがないから。ほら、これもお食べ」


 テルは懐から取り出したものを、ミリの椀の中に入れた。箸でつまんでみると、削いだ干し肉だった。


「これ……」

「賄いだけじゃ腹が減るからね。時々こっそり獣を狩って食糧にしてる。帯の中に隠してたんだ。ふやかして食べると美味しいよ」


 だがこれはテルのものだ。もらえないとミリが言うと、テルは顔をくしゃっとさせて気にするなと言う。


「子供はよく食べてよく寝るものだよ」


 そんなに子供扱いされても困る、とミリは思ったが、腹は減っていたのでありがたくいただいた。味付けなどは一切ないが、硬い繊維を歯で噛み切ると、なるほどじんわりと〝肉〟の味がする。言われた通り、粥の水分を吸わせてから食べるともっと旨い。


「おいしい」

「よかった」


 テルは帯からもう一切れ肉を出して、みずからの椀に漬けていた。


「ところでこれ、なんの肉なの」

「ウサギ」

 


 食事のあと、テルはミリを川に連れて行った。


「あちこち怪我をしているだろう。泥を落としておかないと、あとで膿んだら大変だ」


 自分で洗えるかい、と訊かれ、ミリはこくんとうなずいた。


「じゃあ私は覗く奴がいないか見張っているから」


 そう言って彼は、くるりと後ろを向く。

 ミリはそろそろと服を脱ぎ、水をすくって身体にかけた。今が冬でなくて助かった。ひんやりとした水は心地よく肌の上を滑っていく。

 ちらりとテルに視線を向けると、彼はミリのほうを見ないようにしながら、周囲に気を配っていた。その気遣いに感謝しつつ、ミリは身体を洗い終える。


「ちゃんと身体を拭くんだよ」


 テルが後ろ向きのまま布を渡してくれる。粗末なものだったが、それなりに清潔であるらしい。


「ありがとう」


 ミリは濡れた身体を拭いた。


「次は私の番」


 ミリが服を着るのと同時に、テルが振り向いて言った。


「私も泥だらけの泥人形だ」


 テルはそう言うと、服を着たまま淵に飛び込んだ。そのままぶくぶくと沈んでいく。

 ミリが仰天して声も出せずにいると、テルが浮かび上がってきて、水面から顔を覗かせた。


「衣も泥まみれだったからね。これで一石二鳥だ」


 テルはしばらく水の中を泳ぎ回った。周りの水に泥が溶け出して濁っていく。やがてそれがなくなると、彼は水から上がった。

 泥が落ち、本来の容姿が明らかになる。

 眉はくっきりしているがきつすぎない。春風のごとく涼しげな目元とそれを縁取る長いまつげ。柔和な笑みを浮かべる唇は薄い。髪は長くなく、肩の上でさっぱりと切り落とされている。

 濡れた衣服がはりついて、身体の線が見てとれる。しかし細身の男にも見えるし、体格のしっかりした女にも見えた。ミリは内心でますます困惑した。


「ミリのその髪」


 テルが言った。


「最近切ったばかりだろう。しかも不揃いだ。どうして切ったんだ?」

「これは、ちょっと」


 ミリはぴょんぴょんと跳ねた毛先をつまんで、うつむいた。

 どうやら本意ではなかったようだと察し、テルはそれ以上訊くのをやめる。


「またすぐ伸びるさ。そうしたら結ってあげよう」

「うん」


 そのとき、背後でばしゃんと水音がして、二人は振り返った。

 水を汲みにきた女が一人、川に落ちたらしい。幸い深いところではなかったので、すぐに女は起き上がったが、その目は大きく見開かれてミリに向けられていた。

 女の髪は、金に近い薄茶色をしていた。顔立ちもどことなくミリと似通っている。


「――」


 女はテルの知らない言語でミリに話しかける。


「――」


 戸惑ったような顔で、ミリも女に答えた。二人は同じ言葉を話せるのだ。

 ミリと女はしばらく話し、やがて落胆した様子の女が川から上がって去って行く。

 テルは問うた。


「今の人、別の班の人だね。話したことはないけど顔は知ってる。ミリと同じ国の人かい?」


 ミリは「分からない」と首を振る。


「私、生まれた時から母さんと旅をしていたから。自分の国も、よく知らないの」

「じゃあ、言葉もいろいろ話せる?」

「うん。朱瑠アケル語も、他の国の言葉も少し分かる。あの人の言葉も、分かった」

「へえ。そりゃすごい。あの人はミリになにか訊いてたみたいだけど」

「ヴィカ・チャハリを知ってるか――って」


 耳慣れない単語である。テルはふうんと首をかしげる。


「人の名前かな」

「分からないけど、そうだと思う。知らないって言ったら、あの人悲しそうな顔して、そう、って」


 ミリは喉が渇いたので、両手でひしゃくを作り、川の水をすくい上げた。水面が小さな鏡のようにミリの顔をうつす。すると手の中で水がぷるんと震え、

 ヴィカ チャハリ

 とささやいた。

 ミリはなんだか不気味に感じて、ばしゃんと水をこぼした。

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