第7話 予兆をもたらす者①

 磺宮あらがねのみやでの食事は、皇族に供されるにしては随分と質素なものだった。少しでも食材を温存しつつ、貧相に見えないように工夫がほどこされた膳には、料理人の苦心が見えるようである。


 当初の予定では、姫は三日間の滞在ののち出立するはずだった。しかし銀の谷復旧の間足止めを食うことになり、その間の食糧の確保に苦労するのは皇族とて例外ではなかったのである。

 姫が手配した輜重隊が到着するまでにあと数日かかる。磺座府こうざふの食糧庫が空になるのは時間の問題であったし、そもそも姫に古びた貯蔵食を食させるわけにもいかなかった。


「甘くないわ、このお饅頭」


 言ったのはユズリハではない。六の姫付きの侍女である。

 磺宮あらがねのみやで振る舞われるはずだったご馳走を誰よりも期待していたのがこの女であった。

 侍女は、椅子にもたれてうたた寝をしている姫君を横目でちらりと見た。さすがに疲れが出たのか、よく眠っている。侍女は、姫の皿に盛られた饅頭と自分のものをこっそり交換した。姫の饅頭のほうが砂糖が多く使われているに違いないからだ。

 侍女がそのような不誠実を働いている間、六の姫はに徹していた。この姫、幼く無邪気でありながら、無垢を演じるということを心得ていた。


 実兄姉である皇太子や一の姫が、父帝の性格をそれほど受け継がなかったのに対し、末の六の姫は、父と同じく汚れを許さぬ神の一族としてのありかたを体現せんとしていた。兄や姉が、その朗らかな性格や明晰な頭脳でもって、弟妹たちの追随を許さぬ地位を宮中に獲得しているのに対し、六の姫ユズリハは父譲りの神性をして圧倒的な存在感を放っているのだった。


 作り込まれた無垢は、姫本人が職人となって練り上げたもので、そこに本来の無邪気さが加われば区別のつきようもない。

 勘の鋭い者であれば、姫の常日頃のあどけない言動に含まれた意図を悟ることもあろうが、少なくとも一番近くに仕えている侍女にはそこまでの思慮が及ばなかった。よって、今も姫のお目こぼしにも気付かずに饅頭を頬張っている始末である。


 しかしそれは些末なこと。ユズリハには饅頭よりも気がかりなことがあった。

 儀式のとき。

 ユズリハは眼裏に、ずり山にむかって祝詞を告げた際の光景を思い浮かべた。

 磺座府こうざふの役人から、多くの者が土砂に飲み込まれたと聞いて、六の姫は犠牲者の魂が無事に天に昇れるよう神に祈りを捧げていた。本来の儀式とは形式が異なるものになったが、結果的に場の混乱を収めるのに一役買ったであろう。これで無事に御所に戻ったあかつきには、正式な皇族の一員に数えられるのである。


 しかし、ユズリハは今まで対面したことのない不安に襲われていた。

 ずり山から小石が降ってきたとき、ユズリハは山頂に人影を見ていた。ぼんやりと薄黒くかすんでいた姿は、この世のものとは思われなかった。幽霊やあやかしの類いなのだろうか? 少なくとも、この土地の人間でないことはたしかだった。

 は、戦士のような格好をしていた。手にした弓、腰に提げた剣、頭にかぶった兜の大きな羽根飾り、この国のものではない毛織りの戦衣。

 山頂から麓まではかなりの距離があったにもかかわらず、ユズリハの目はその者の特徴をしっかりととらえていた。表情こそ見えなかったものの、その声もまたユズリハの耳にはっきりと届いていた。


 台地上なる一族、呪われし者よ――汝らに破滅訪れん。汝らの旗は血に染まりしものなれば――


 ユズリハは眉間にしわを寄せた。思い出すだけで寒気が走る。男とも女ともつかない、奇妙な声。あれからずっと、頭の中を絡め取られたようで気分が優れない。今もどこかから見られているかのような妄想さえしてしまう。

 そうだ、大叔母様にお尋ねしよう。きっと相談にのってくれるはず。

 この夜、ユズリハは甘くない饅頭を二口ほど食べて、眠った。寝台には金髪の人形が一緒だった。



 かくして数日ののち、銀の谷と御所を往復していた使者より、ユズリハからサユリバへの書状がもたらされたのであった。


*   *   *



 銀の谷につなぎとめられているユズリハを除き、主要な皇族が一堂に会していた。扉や窓は閉め切られ、物音ひとつ外に漏れ聞こえることがない。

 帝は一段高い玉座の上から、不安そうな顔でこちらを見上げてくる一族を見渡した。そのなかに、帝弟のひとりアキツキの姿もあった。


「カヅチヒコ兄上!」


 その場にいた者はぎょっとした。帝の名を口にすることは、たとえ皇族であってもはばかるべしとされているからだ。

 アキツキは大仰な仕草で両腕を広げた。


「銀の谷にて起こったこたびの災い、兄上におかれましてはいたくご心痛のことかと存じます。ですがご安心を。我ら一同、心をひとつに帝をお支えする所存にございます」


 アキツキの唐突な宣言に、他の皇族たちは目を白黒させた。慌てて賛同の意を示す者もあれば、まずは帝の一言を待ってから発言すべきであろうと眉をひそめる者もいる。

 同席していたタケルヒコとナナクサは、たがいに目配せをし合った。

 この叔父は率先して皇族会議を取り仕切ろうとしている。本来ならば帝か、皇太子であるタケルヒコがその役をすべきだが、彼がいの一番に声を上げたのは明らかであった。


「いかにもアキツキ叔父上らしい」


 ナナクサはぼそりとつぶやいた。

 六の姫が儀式に向かった銀の谷で、天災が起こる。そのことに帝はひどくうろたえている。そんな風に聞こえる言い方をするではないか。

 表向きは、兄である帝を慕ういじらしい弟の顔をしているが、その腹の中には様々な思いが渦巻いているにちがいない。

 ナナクサは末席のほうを見やった。そこにはアキツキの子供たちが席を並べている。

 カヅチヒコ帝が〝神子返し〟された子の存在によって苦労をしたことは前述した通りであるが、ゆえに、五つ年下の彼の方が帝の地位に相応しいのではないかという風説が流れたことがある。アキツキはそれを半ば本気にしたのであった。

 しかし、帝の他の子供が健やかに成長すれば、もとから存在しなかったかのようにどこかへ流れ去るたぐいの話である。結果として、アキツキは誇りを傷つけられた。

 つまるところ、この男は帝に対して並々ならぬ対抗心を抱いているのだった。


「神官長の占卜により、地震は既に終息せりと出ていますよ」


 口をひらいたのは、もうひとりの帝弟、ミズワケだった。彼は帝の九つ年下で、直情型のアキツキとちがい、穏やかな人格に定評がある。


「六の姫が無事に儀式を済ませ、龍脈が安定したと。そうですよね?」


 椅子にゆったりと腰掛けているサユリバは、ミズワケに向かって「然り」とうなずく。


「では、六の姫が寄越した文は、我らはどのように受け取れば?」


 アキツキが涼しい顔で言う。

 タケルヒコとナナクサは表情を変えなかったが、内心苦々しく思っていた。ユズリハが内密に書き送ったはずの便りを、受取人であるサユリバが読む前に、どういうわけかアキツキが手にしていたのである。いかなる手段を使ったのかは定かではない。

 結果的に、六の姫の相談事は、アキツキが先手を打って宮中で喧伝して回ったせいで、このように皇族会議の議題に上がることとなった。

 御所では「災いの地に赴いた六の姫が、『凶兆現れり』と警告をもたらした」として、もっぱらの噂になってしまっている。彼の企み通りであろう。

 なにより、二人は妹の手紙が盗み見られたことで、一番苦しむのはユズリハ本人であることを知っていた。気性の優しい幼い姫だ。厳しい土地で役目を果たしたばかりだというのに。


「六の姫に恐ろしい予言をしたという物の怪は、天の遣いやもしれませんぞ」


 アキツキの言葉に、その場はざわついた。天が今上帝の治世に災いありと伝えてきたのなら、ゆゆしき事態である。


「なにを馬鹿なことを」


 タケルヒコは額に青筋を浮かべた。あまりにも禍々しいことを平気で言ってのける叔父がどうかしているとしか思えなかった。

 しかし、他の皇族たちはどうだろうか。気がかりな表情で額を寄せ合っている者。反応に困っている様子の者。早く会議が終わって欲しいという顔の者。彼らにしてみれば、アキツキの言葉は地震以上に唐突すぎ、その信憑性を判断する材料もなかった。だが、馬鹿馬鹿しいと正面から一蹴する胆力の持ち主もいなかった。

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