第30話 狙われた姫②

 北斗宮ほくとのみやでは、帝をはじめとした同盟会議の参加者たちが待ち受けていた。みな一様に信じられぬという顔をしている。


「一の姫よ」


 帝が口を開く。


「何か申し開きすることはあるか」

「ございませぬ」


 ナナクサは玉座の前に立ち、父帝を見上げた。


「私にはやましいところはなにひとつございませぬ。何を申し開きすればよいのでしょう」

「では、これを読むが良い」


 帝が合図をすると、将軍が寄ってきて、書簡をナナクサへと突きつけた。

 イルファン大公国がゾラを捕らえ、尋問したというのは真実のようだ。書簡にはゾラから引き出された情報がずらずらと書き連ねられていた。

 それらに目を通すうち、ナナクサはあることに気がついた。情報があまりにも詳細すぎるのだ。それこそ、皇族しか知り得ないようなことまで。

 隣で一緒に読んでいたタケルヒコと目を合わせる。これはいったい。

 書簡の最後には、ゾラが宮中のある人物と内通していたことが書かれていた。そこに記されていたのは、ナナクサの名だ。


「これは偽りです」


 書簡から目を上げたナナクサは言った。


「そもそも、私があの男に情報を渡す動機がありません。私がこの国を滅ぼしたいとでも?」

「ふん」


 鼻を鳴らしたのはアキツキだった。


「一の姫が、己の置かれた立場に満足しておらぬことは、周知の事実。恨みを募らせていたとて、不思議ではない」

「叔父上、それはどういう意味でしょう」


 ナナクサは問うた。この叔父がろくでもないことを言い出すのではないかという予感はあった。

 アキツキは言う。


「己が才知を振りかざし、ひけらかし、それだけでは飽き足らず、政に干渉しようとする。それはつまり、自分こそが為政者だと思い上がっているゆえではないのか? それなのに、私が姫に相応しい振る舞いをと諫言しても、聞く耳を持たぬ」

「な――」

「そこで、かのゾラなる男が登場だ。きゃつは甘い言葉で姫に近づき、その才能を認めぬ周囲の者は馬鹿だとでも言ったのだろう。〝理解者〟を得た一の姫は、まんまと――」

「妄想――妄想です、それは、叔父上の」


 怒りに肩をふるわせ、ナナクサは反駁した。だが、アキツキはにやりと笑う。


「薬だ」

「……え?」

「あの男から薬を譲られたであろう。よく効いているようだな。あの病弱だった一の姫が、まるで別人のようだ。おかげで今までよりも一層、政治に口出しができる。恩義を感じたのではないか?」


 ナナクサはかっとなり、次いでさっと青ざめた。

 ゾラから貴重な薬草を受け取ったことを、なぜアキツキが知っている?

 どこかで監視されていたとしか思えない。だがアキツキがそんなことをするだろうか。――するかもしれない。彼はナナクサを目の敵にしているところがある。だがアキツキならば、ゾラがナナクサのもとに忍んでいった時点で、大声で喧伝しそうなものだ。今の今まで黙っているような性格ではない。


「兄上、それ以上責め立てては、一の姫は弁明もできますまい」


 言ったのはミズワケだ。彼は見るからに心を痛めている様子だった。


「ナナクサ、なにかの間違いであると、私は思っているよ。聡明なそなたがこんな愚かな行いをするとは思えない。きっとあの男が、そなたに罪を着せようとしたのだね」


 あの男とはもちろんゾラのことだ。ナナクサは唇を噛んだ。そうだ、彼がナナクサを嵌めた――そうとしか考えられない。嘘の供述をしたのだ。彼のことを、自分は一瞬でも――ああ。裏切られたと思うのは間違いだ。彼は最初から。

 だが、その場にミズワケの意見に賛同する者はいなかった。皇太子だけは、ナナクサを守るようにずっと側に寄り添っていたものの。


「一の姫よ」


 帝が重々しく口を開いた。


「そなたの疑いを晴らすのは、容易ではない。ことの真相が明らかになるまでは謹慎とする」

「……承知、しました」


 ナナクサは一礼すると、静かにきびすを返した。謹慎を申し渡された以上、部屋で静かに過ごすほかない。

 だが、北斗宮ほくとのみやを出たところで、ナナクサは待ち受けていた武官に取り囲まれた。


「一の姫殿下、あなたを牢にお連れする」


 ナナクサは奥歯をかみしめた。謹慎というのは表向きのことか。父帝は本当に、ナナクサが反逆の意を抱いていると思っているのか?

 抵抗するすべなど持つはずもなかった。ナナクサは自身が第一の姫であるという矜恃から、泣き叫び引きずられていくような痴態はさらすまいと、くいっと顎を上げた。


「案内なさい」

「ご理解いただけてなによりです」


 先導する武官の後ろを歩きながら、ナナクサは空を見上げた。太陽が徐々に雲に飲み込まれていく。今にも雨が降りそうだった。身を凍えさせる雨が。


 牢の中は冷え冷えとしていた。ナナクサは円座わろうだの上に座り、ひとり思案していた。外ではすでに雨が降り出している音がする。

 ナナクサはぶるりと身体を震わせた。せめて火鉢なり用意されていれば違ったのであろうが、寄越されたのは薄い毛布だけだった。このままではまた風邪を引くだろう。ナナクサの場合、それは最悪命に関わる。

 カツン、カツンと沓音がした。ナナクサは薄暗い牢の中でじっと耳を澄ませた。足音はまっすぐこちらへ向かってくる。


「一の姫様」


 やってきたのはタケルヒコの秘書官、アスマだった。手に箱を携えている。彼はひざまずくと、牢の中を見渡して「なんということだ」と嘆息した。身体の弱い姫に対する配慮が全くなされていないことを嘆いてのことだろう。

 彼は持参した箱を空け、中に入っていた温石を取り出して、格子の隙間から差し出した。受け取ったナナクサは、その熱にほっと息をつく。今一番欲しているものだった。


「ありがとう」

「お礼なら皇太子殿下に」


 アスマは他にも食べ物や薬などを取り出し、ナナクサに渡した。それらは本当に必要なものだったので、ナナクサはありがたく受け取った。


「兄上はどうしている?」


 ナナクサが尋ねると、アスマの表情は暗くなる。


「皇太子殿下は――苦しい立場に置かれておいでです」

「……そうでしょうね。兄上が私を重用してくださっていたことは皆が知っていることだから」


 ナナクサは苦しげにため息をついた。こんなことになるなら――と考える。皇家の姫らしく、大人しく、従順に、周囲の空気を読んで過ごしていれば――いや、それはもはや自分ではない。結局はどう頑張ったとて、自分はこういうふうにしかなれなかったのだ。それを悔いる気持ちはない。ないが、結果的に兄に迷惑をかけたことには違いない。


「そろそろ行かなくては」


 名残惜しそうにアスマは立ち上がる。皇太子の右腕である彼がここに来たことすら、周囲の者が知ったら眉をひそめるだろう。


「兄上に」


 ナナクサは言った。


「伝えてほしいのだけど――いざとなったら私のことは切り捨ててかまわないと――」

「それを聞いたら、殿下は悲しみます」


 アスマは途中で言葉を遮った。だからできません、とはっきり告げる。


「……そうね」


 タケルヒコはそういう人間だ。良くも悪くも裏表がなく、心優しい。今までは皆が認めるその稀有な人格が、宮中における唯一無二の皇太子としての立場を作り上げていたが、今となっては、その優しさが仇となりかねない状況だ。

 疑いが晴れなければ、自分はどうなる。一生を牢の中で過ごすか、それとも処刑されてしまうか。もしナナクサが十歳以下であれば、問答無用で〝神子返し〟されていただろうが。帝国第一の姫の醜聞は、いったいどのように始末をつけられるのだろうか。そして、皇太子である兄の立場はどうなるのか。タケルヒコが、ナナクサを自らの助言者としていたことは周知である。ナナクサがこのような状況に陥ったからには、距離を置き、いざというときにはしかるべき処断を下さねばならないはずだ。しかし、それを兄が行わないだろうということも分かっていた。


「あの男と文を交わしていた私が、迂闊だったのです」


 ナナクサは膝の上で拳をにぎった。


「ただの将棋の名人だと思っていた人間が、間諜だったなんて。彼ははじめから私を利用する肚だったのかもしれませんが――これを勝負に例えるならば、私は読み負けたというわけです」


 アスマはかける言葉が見つけられずに、ただじっと姫の言葉に耳を傾けていた。


「彼との勝負は、楽しかった。私は対等に競い合える相手を欲していた」


 幼い頃から将棋に親しんできたナナクサは、はじめは官女や下官たちを相手に遊んでいたが、やがて誰も歯が立たなくなった。かわって将軍たちが彼女の勝負相手を務めることになるが、何度も勝負を重ねるうちに彼らの手の内を覚えてしまい、しまいには盤面を見る必要さえなくなった。

 帝都の将棋大会で勝者となったゾラと文通を始めたときは、さほど期待もしていなかった。だが手紙で勝負をするうちに、彼の軽妙な駒運び、一手ごとに張り巡らされる罠、対戦相手の力量を見定めながら楽しませようとする気遣いに、ナナクサはこれまでにない興奮を覚えていた。

 同志を得たと思った。

 だからよけいに悔しい。


「……引き留めてしまいましたね。もう行って。少し疲れました。休みます」

「では、私はこれで。また参ります」


 秘書官は一礼して、そっと立ち去っていく。

 ナナクサは虚空に目を向け、静かに雨の音を聞いていた。

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