第31話 狙われた姫③

 次の日には、母である皇后からの見舞いの品が届いた。色鮮やかな着物の数々に、錦の几帳、花をかたどったかわいらしい行灯。床からの冷気を遮る分厚い敷物に、天女の描かれた火鉢。鏡台に化粧道具。牢の中が急に華やかになる。皇后は娘が粗末な牢に押し込められていることに我慢ならなかったらしい。少しでも豪勢にと、次から次へと荷物が運ばれてくる。狭い牢はあっというまに足の踏み場もなくなった。


「いかにも母上らしい」


 ナナクサはつぶやいた。

 最後に運ばれてきたのは、蓋のついた白磁の椀だった。そっと蓋を持ち上げると、ふわりとよい匂いが漂う。野菜と鶏肉、香辛料の入った汁物だった。これを飲んで身体を温めるように、と皇后からの手紙も添えてある。

 汁物を口に運んでいると、アスマがやってきた。彼は牢の様子が一変していることに驚いたようだ。


「手狭にはなりましたが、宮にいるときより贅沢な暮らしをしているかもしれません」


 ナナクサが自嘲すると、アスマは目をしばたたかせながら言う。


「昨日、牢の環境のことを皇太子殿下にご報告したのです。殿下はご自身が目立つ動きをすることは姫様の立場をかえって悪くするのではと懸念され、皇后陛下にご相談されました。これがその、結果かと」


 なるほどとナナクサはうなずいた。

 それから連日のように、皇后からは手紙が届けられた。そこには、皇族が牢に立ち入ることは禁止されているゆえ、直接見舞いに行くことかなわぬが、どうか息災であれとつづられている。ナナクサはそれらを大事にしまい込み、時折読み返すなどした。手紙が来るときはあの汁物も一緒に届けられた。聞けば皇后が自ら厨に立っているらしい。気位の高い母がそこまでしてくれることに、ナナクサは感動と申し訳なさを感じた。


 ある日の夜、就寝しようとしたナナクサはめまいを感じ、床に倒れ伏した。皇后の計らいで牢の中は快適と言っても良かったが、それだけでは身体がもたなかったらしい。つくづく弱い自分の身体に嫌気が差す、と思ったところで、ナナクサはみずからの指先がふるふると痙攣していることに気がついた。

 おかしい。具合が悪くなるときでも、このような現象は起きなかった。次いで、吐き気が襲ってくる。ぐるぐると目が回り、ナナクサは口を押さえてえずく。

 おかしい。おかしい。なにかが。

 ひた、ひた、と足音がする。誰かがナナクサの牢に近づいているのだ。一体誰。

 ナナクサはうめきながら、足音のほうを見た。そこには異様な風体の男が立っていた。

 牢のわずかな明かりに照らされる、青白い肌。前屈し、姿勢の悪い痩躯。瞳はどんよりと曇り、生気が無い。

 男は鍵を持っていた。彼はそれを牢の鍵穴に差し込み、ガチャリと解錠する。ナナクサはのろのろと身体を起こし、つとめて厳しい声色で「何者です」と問うた。


 男は答えず、懐から匕首あいくちを取り出した。男の格好からは想像もつかぬ、きらびやかな装飾が施されたもの。

 その刃物を見て、ナナクサはびくりと震えた。この男は明らかに、ナナクサを害するために現れたのだ。

 なにか、身を守るもの。ゆっくりと近づいてくる男を牽制しようと、ナナクサはとっさに手を伸ばし、火鉢から火箸を取った。


「止まりなさい」


 男は止まらない。匕首あいくちを鞘から抜き、ぎらりとした刃をのぞかせる。

 ついに、ナナクサのすぐ側まで男はやってきた。ナナクサは火箸をにぎりしめ、男をにらむ。が、またしてもぐるりと視界が回転する。

 まともに動くこともままならぬナナクサに、男がのしかかった。声を出さぬよう左手でその細い喉を押さえつけ、右手で匕首(あいくち)を振りかぶる。


 ナナクサは火箸をめちゃめちゃに振り回した。だが、男にはかすりもしない。だがわずらわしく思ったのか、男は匕首あいくちを振って火箸を弾き飛ばした。

 武器とも呼べぬ武器を失い、ナナクサにはなすすべがない。男が匕首を振り下ろす。

 ああ、殺される。

 そのとき、鋭い金属音が鳴った。

 ナナクサは自らの身体を押さえつけていたものが、ふっと無くなったのを感じる。そろそろと目を上げると、そこには誰かの背中。かばうようにナナクサの前に立っている。


「……兄上……?」


 剣を手に男と対峙していたタケルヒコはちらりと振り返ると、「もう大丈夫だ」と言った。ナナクサはうなずき、意識を手放す。

 次に目が覚めたとき、ナナクサは馬車の中に横たわっていた。


「――到着まであとどれくらいだ?」

「――もうすぐよ。追っ手がかかってもおいそれと手出しできないし、姫様をちゃんと休ませられることも、私が保証するわ」


 タケルヒコとアスマが御者台に座り、会話している。


「……兄上」


 自分でも驚くほど、その声はかすれていた。


「ナナクサ、気がついたか」


 タケルヒコが振り返り、ぱっと明るい表情になった。

 対して、アスマはだらだらと冷や汗を流している。ナナクサは苦笑しながらささやいた。


「いつものようにしてかまいませんよ。……私はとうに分かっていましたから」

「は、はあ……恐れ入ります。姫様にはかなわないわね」


 アスマはぺこりと頭を下げる。


「それで、兄上、ここはどこなのでしょう。私たちはなぜ馬車に?」

「御所を出奔してきたのだ」


 まるでなんでもないことのようにさらりと言ったタケルヒコだったが、ナナクサは目を剥いた。


「なんですって?」

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